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ワタルの娘はかなりスジが良いとキョウは笑った


「ワタルさん、おうち帰りたいです」

____賢い子だ、と思った。
漸く彼女がリーグ本部に居る様子にも見慣れてきた頃だったと思う。何時も大人しくワタルの執務室で過ごしているミシャが、突然ワガママを言うことがある。ワタルのマントを引っ張って「おうち帰りたい、です」と強請るのだ、ワタルは酷く困った顔をしたが結局いつもミシャの要求に従っていた。

当然だ、そういう時は誰もがミシャの肩を持つ。ミシャの小さな我儘は、どうにも働きすぎなワタルを休ませるには良い口実だった。リーグスタッフも四天王も、口をそろえて「一緒に帰れ」というからワタルも渋々帰り支度をする。それが一度だけならタイミングが良かったものだと思うが、二度も三度も続けば意味合いが違ってくる。

ミシャはワタルが無理をしはじめると、決まって我儘を言う。____そうやって自分の我儘を口実させて、ワタルを休ませようとしているのだ。この時ばかりは、いつもワタルのマントに隠れている小さな少女が頼もしく見えた。

当初はかなり心配したものだ。なにせ、昔の傲慢不遜を人の形にしたようなワタルを知っているから余計に。10歳の子どもに打ち負かされてから少し角が取れたと聞くが、その圧倒的な実力に裏付けされた剛毅さは健在である。高い矜持に見合う気高さ、戦場を生き場とするドラゴンのような男に…果たして子どもを、育てることができるのか、と。

だがそれも杞憂であったと知れる。ミシャが人一倍臆病で泣き虫であったことが良かったのだろうか、ワタルは良く彼女の面倒を看た。元よりドラゴンは愛情深い生き物だ、それはフスベの里の民として彼らと寄り添って生きてきたワタルも同じらしい。そしてそのドラゴンに育てられたミシャもまた、愛情深い子だった。互いに良い影響を与えているのが良く解る、…ワタルにとっても、ミシャを引き取ったことは良い兆しであったのは確かだ。

「キョウ、さん」
「む、どうした」
「ここ、おしえてくれますか」

ミシャが手にしていたテキストは、ポケモン取扱認定試験の教材であった。10歳から取得できる資格であり、ポケモンと暮らしていれば自然と身に付く知識を問う。だがそれもミシャにとっては当たり前ではないのだろう。ミシャの足元にはミニリュウがいた、ワタルが散々騒いだのでリーグで知らない者はいないだろう。ミシャがこの間捕獲したはじめてのパートナーだ。

「…そうだな、おぬしにも必要なものだ。どれ、見せてみろ」
「あ、ありがとうございます!」

ミシャが頭を下げると、ミニリュウも頭を傾げながら同じように頸をもたげて真似をする。はじめましての一人と一匹、その様子はとても微笑ましいものであった。





キョウの記憶に残っているのは、そんな可愛らしく小さなミシャの姿ばかりだ。だから目の前で起きたことが信じられず、一瞬ゆめか幻かと疑ったほどだ。

ああ、妻にもよく言われる。娘のアンズをいつまでも、小さな足で後ろを追ってきた子どもと思うなと。それを証明するように、アンズはジムリーダー認定試験に素晴らしい成績で合格した。

四天王への昇任の声がかかったが、ジムの後継問題で悩んでいた自分の背を押し、だから安心してジムを任せてほしいと輝くような笑顔で告げてきた娘は、いつだってキョウの誇りであった。かわいらしくも逞しい我が娘、ああこの緊張の糸が張り巡らされた場にあってほほんと愛娘のことを思いだして逃避するとは…なるほど、自分も歳をとったものだ。

その分、確かにミシャも大人になったのだ。
______新しくジョウトの王となった少年、ゴールド。

ミシャが自分より背丈のある少年を、その細腕で壁側へと追い詰めた瞬間はキョウは心臓が止まるかと思うほど驚いた。隣にいたワタルは、持っていた書類を全て床に落とした。

「いい加減にして」

___「キョウさん」
キョウの脳裏に、いつも穏やかに笑うミシャが過る。どこかのんびりとした口調は小さい頃から変わらない、スクールを卒業しワタルの仕事を手伝うようになったミシャ。それなりに多忙であろうに、キョウの姿を見つけると何時だって駆け寄ってきて挨拶をしてくれる。

そんな穏やかさの象徴のような少女が、見たことのない厳しい形相で少年を睨みつけている。
あまりの変容振りにゴールドも言葉がでないようだ、目に見えて気圧されている。ああ、どうしてこうなったのか。いやきっと彼女もずっと我慢していたのだろう、



2年前、カントー最大の犯罪組織ロケット団が再結集するという事件があった。その事件の解決にはワタルの他、ひとりの少年の活躍があった。数年前突如として現れ、それまでリーグの頂にて不動の地位を築いていたワタルを打ち負かした少年…レッド。その面影を持つ同じく10歳の少年を、ゴールドと言った。

どこか寡黙で目立つことをしなかったレッドとは対照的に、ゴールドはエネルギーを持て余したように溌溂としていた。小生意気な自信家、良くも悪くも少年らしさが残る成長途中の少年。

「チャンピオン? やるやる〜 だって、チャンピオンってジョウトでいっちばん強ぇヤツがなるんだろ?」

じゃあ、オレしかいないじゃん。
そう言って、名と同じ色に輝く瞳を挑戦的に煌めかせる姿は、リーグ関係者に在りし日のドラゴン使いを思い起こさせたことだろう。

以降、リーグにおける四天王にも変動があった。5シーズンに渡り四天王を務めた格闘家シバが退任、彼の空席は元チャンピオンのワタルが埋めることとなった。併せて、四天王総大将の称号もカリンからワタルへと渡り、今はキョウとイツキを含めたこの4名で四天王の地位にある。

シーズンによって例外は存在するが、四天王総大将の座は前チャンピオンを示すことが多い。これには裏事情として、リーグの業務的な意味づけがある。チャンピオンはバトルだけしていれば良いわけではない、リーグにおける地域のトレーナー育成や各ジムと連携したトレーナーレベルの設定見直し、ポケモン生態区域の保全活動、ランク別トーナメントの開催に向けた方針の決定など…その仕事は多岐に渡る。

リーグチャンピオンは単なるお飾りではない、チャンピオンとは全てのポケモントレーナーが目指す象徴であり、理想の姿。そして、彼らはそうであると同時に、トレーナーの代表としてポケモンやトレーナーに関連するあらゆる活動に加わり、時には内在する問題を切り開き目指すべき方向性を示すことが求められる。

それゆえに、総大将がいる。四天王総代表は、チャンピオンと同等の権限をもち、チャンピオンの代理承認者となることが許された唯一の役職だ。

___凡そ、10代の少年に求めるには過分な役目。
ワタルが総大将に任命されたのも、そういった理由であった。

齢16からチャンピオンを務めたワタルは、誰よりも業務に精通している。彼の手腕により、時代の流れに合わせたリーグ機関や関連部署が整備されている。加えて言えば、ワタルのチャンピオンやポケモンGメンとしての功績から、リーグと契約に至った外部企業も多い。…今や彼は、リーグの象徴ともいえる存在であった。

リーグの文武両面における大黒柱ともいえる存在であるワタル。彼が抜けることで、どれほどの業務が滞ってしまうのか。それは数年前に実証済みだ、キョウも巻き込まれた口なのでよく覚えている。その時はワタルの心情を優先された、今度はどうなるものかとワタル敗退の知らせに血の気が引いたものも多いだろう。

「リーグに残る、まだまだやり残していることが多いからな」

その知らせに、どれほどの関係者が安堵したことか。この器量が生まれついてのものなら、彼は正しくチャンピオンになるべくして生まれたのだろう。そんならしくないことを思ったキョウであったが、シバが退任の日ぼそりと彼に言い残した言葉がその考えを改めさせた。

「あれは抱えすぎる悪癖がある、弱い男ではないが理解してやるものが必要だ」

…娘の他にも。と、言ってシバはリーグを去って行った。
そうして彼の言葉はすぐに予感を感じさせることとなる。____ゴールドが、リーグに留まることを拒否し、業務の殆どをワタルに丸投げしたのだ。あまりにも無責任な行動であったが、元よりワタルがチャンピオン業を代行する案が執行部で上がっていたこともあり、このことを咎めるものはいなかった。

「彼、シロガネ山に行ったそうよ」

カリンがクスクスと嗤いながら、キョウに教えてくれた。そこに誰がいるのか、それは四天王で知らぬものはいない。公けになってこそいないが、あの山には赤い少年がいる。彼に勝負を挑み、ゴールドは…。いや、勝敗などゴールドの行動を鑑みれば聞かずともわかる。負けたのだ、恐らく言い訳の仕様がないほどに。

それは高慢で自信家の少年の精神に、どれほど深いキズを与えたことか。

思うところがあったからこそ、ワタルもゴールドを嗜めることができなかったのだ。そうしてそれが誤りだった、誰も指摘しなかった所為でゴールド傲慢さは悪い方向に転がっていくことになる。

「ワタルさん、もう二月もお家に帰っていないの」

休憩所で偶然に出会ったミシャは、そう言って悲しそうに面を伏せた。元よりワタルは多忙の身であったが、チャンピオンの際は総大将カリンの補佐があった。だが今は総大将の仕事に加え、チャンピオンの仕事も代行している。カリンが何かとヘルプに回っているらしいが、それでも回り切らないほどに業務が切迫していた。

何かを棄てれば良い、誰かが変われば良い、というのは簡単だ。だが求められているのはワタルなのだ、…と代理で打ち合わせに赴いたイツキが酷く疲れた様子で愚痴をこぼした。リーグアドバイザーとして赴いたのがワタルではないことをがっかりされた、次はだれが来るのかとしつこく尋ねられた。正直メンタルに来たのでもう行きたくない。と、

ミシャがスクール卒業後、ワタルの傍で仕事を手伝うことを選んだのはそういう理由だろうとキョウは思っている。昼夜関係なく忙しくしているワタルを置いて旅に出られるほど、ミシャは強い娘ではなかった。それにミシャの出自を思えば、ミシャにとってワタルは父親以上に特別な存在だ。このような状態で、ワタルの傍を自分から離れることを良しとするとは考え辛い。

そうしてワタルの傍で仕事を手伝っているミシャだからこそ、その原因が誰にあるのかはよくわかっているのだろう。リーグにふらりとやってきたゴールドと会うたびに、ミシャは何かを押し殺すように笑っていた。だがゴールドは彼女を妹分の様に扱い、その理由を解っていない。

「ミシャ、お前ちったぁ強くなったのかよ」
「えっと、わたしバトルはそんなにしないから」
「んなこと言ってるから何時まで経っても弱っちぃままなんだよ。そうだなあ、んじゃあ 次のSB級リーグで3位までに入賞したら、このゴールド様が特別に相手してやる」

光栄に思えよ。なんて、笑ってミシャの背を叩くゴールド。ミシャは「難しいです」と笑っていたが、その拳が痛いほど握り締められていたのを知っている。屈辱を必死に噛み潰した顔を、していたと思う。

キョウはシバの言葉を思い出しては、時折ワタルとミシャの元を訪れた。それとなく示唆してみるが、素直に認めるような男でないことは解っている。こちらもすこし意固地になっているようで、隣で書類を仕分けていたミシャが心配そうにワタルを見ていた。そんな娘の視線にも気づけないほど疲労しているくせに何を、と思ったが。キョウにはそれ以上、何かを言うことはできなかった。

…解っている。みな現状が良くないことは解っているのだ。だが具体的な打開策があるわけではない、もし提示したとしてより悪くなることを恐れて誰も二の句が紡げずにいた。八方塞とはまさにこのこと。耐え兼ねたカリンが何度かゴールドを嗜めたが効果はなかった。

「そういう偉そうなことはさ、俺を一回でもバトルで負かしてから言ってくんない オネーさん?」

自分の息子なら殴っていたと思う。この場にシバかキクコがいれば、とキョウは思った。シバなら有無を言わさず殴り飛ばすだろうし、キクコなら椅子に縛り付けて三日三晩説教したことだろう。あの2人は面倒見が良い、だからどんな相手にでも悪いことは悪いと言葉や態度で示す。

キョウとイツキは、どちらかといえば相手が気づくまで静観する方だ。カリンもそういう性質だが、総大将の経験がそうさせるのか二人よりもいくらかは行動的であった。

ワタルは…ハッキリと言葉と態度で何事も示す、誰よりも面倒見の良い男だ。だが娘に心配をかけたくない気持ちが先行しているのか、今回ばかりは後手に回ってばかりであった。

悪循環、そんな言葉が脳裏を過ぎる。
誰かが潰れてしまう前に、どうにかしなければならない。___そう思っていた矢先の、出来事であった。



珍しく、ゴールドがリーグを訪れた。気まぐれな彼はふらりとこうして訪れては、四天王に勝負をふっかけ帰っていく。こちらの状況など知った事ではないという態度は、まるで災害のようだと揶揄されていた。

「ゴールド、丁度良かった。次のシロガネ大会の概要が届いているから、目を通しておきなさい」
「ゲッ」

先ほど打ち合わせで配られた書類を、ワタルがゴールドに渡した。同席していたキョウはいくつか確認したいことがありミシャと共にワタルと移動したところだった。ゴールドは渋々と言った様子で概要を受け取ったが、パラパラと紙片を捲るばかりで、内容を理解しようとしている様子が見て取れなかった。

「凡そ例年通りの内容だ、君も去年参加しているから現場の様子は解るだろう」
「アー… まあ、なんとなく」
「もし参加していて気になったことがあれば言ってくれ、次の会長との打ち合わせで議題にあげよう。ミシャ、次の打ち合わせは」
「二週間後、本部で行う予定です」
「…それまでに頼む、資料で分からないところがあればいつでも聞きに来てくれてかまわない」

「…」

ゴールドがちらりと、ワタルを見る。そうして資料をもう一度見ると、とんとワタルに押し付けた。

「ねぇわ、いつもどおりテキトーにやっといてよ」

その言葉は、静かな廊下にいやに響いたように思う。シロガネ大会は一年に一度、冬に行われる大祭であり、地方ジムのジムリーダークラスを始めに四天王チャンピオンが一堂に集う唯一の大会だ。春に開催されるセキエイリーグに向けた前哨戦でもあり、開催されるカントージョウト地方は勿論のこと全世界が注目する名誉ある場だ。____全トレーナーが夢にみる場所、それを適当にしろと言ったのか?

見過ごすには余りある、とても看過できるものではない。

さっさと踵を返したゴールド、押し付けられた資料がぱさりと廊下に落ちた。

考えるよりも先に、その背に向けて踏み出していたキョウを止めたのは…ワタルだった。行先を拒むように一歩前に差し込まれた足に、キョウはワタルを見た。だがワタルは何も言わない。その様子がさらに癇癪を加速させたが、ここで冷静さを失うほど若くない。キョウは頭を振って一歩下がった、それを見届けてからワタルが落ちた資料を拾う。

少しだけ吐息を零して立ち上がり、「ミシャ」と呼ぶ。いつも傍にいてすぐに答えてくれるミシャが、…いないことに気付いたのは、キョウが先であっただろう。

「ゴールド」

ミシャはゴールドを追っていた、そうして何時もの声で彼を呼ぶ。一方的だが可愛がっている妹分に呼ばれたから油断したのだろう、ゴールドは何かとあっさり振り向いた。それがいけなかった___気付くべきだった、誰にも敬称をつける彼女が“ゴールド”と呼び棄てたのだ。ミシャは今とてもじゃないが、冷静ではない。

____ガンッ

…鈍い音が響いた。しんと、廊下が先ほど以上の静寂を持って鎮まり返る。ちらほらといた職員がみな、あまりのことに固まったのが解った。呆然と立ち尽くすゴールド、頬を殴打された衝撃でよろりと一歩下がる。そう殴打。キョウには見えた、アレは平手でなど生易しいものではない、拳だった。

「いい加減にして」

その声は、いましがた男と拳で殴り飛ばした少女のものと思えないほど落ち着いているよう聞こえた。隣にいたワタルは、今しがた拾い上げたはずの書類をもう一度落とした。

「…、 ハッ テメェなにしやが  !」

____パンッ

漸く事態に追いついたのだろう、弾かれる様にして向かってきたゴールドを迎えたのは平手の二発目だった。しかも逆の頬に、その瞬間男性職員が「ヒィ」と悲鳴を上げた。そこまでしても収まらないのか、ミシャはよろけたゴールドの胸倉を両手で掴み、すぐ傍の壁に叩きつける。遠くにいた女性社員が「ウソッ」と、お盆をひっくり返した。

「あなた、適当っていうけどその”適当“にするのが、どれだけ大変なことか解っている?」
「ッ 」
「それまでにどれだけの時間と決裁が必要か解っているの。みんなが大事に思っている、最高の大会にしたいって思っている。だから協力してくれている人たちにお礼を言って回って、みんなの意見を取りまとめて、限られた予算の中で実現可能な最高のパフォーマンス出せるように考えて、伝えている…。ねえ、これ本来なら全部あなたがやるべきことよ。あなたがやらないから、誰が代わりにやっているか知っている? ワタルさんがやってるの_____わたしの、パパが、やってるのよ____全部、ひとりで…自分の仕事もして、その上にあなたの仕事まで」

何かを言い返そうとしたゴールドを壁に押し付けて、ミシャが言う。

「わたしのパパを…これ以上、アンタみたいな子どもの我儘で振り回すなんて許さないから」

ゴールドは何も言わない、一方的にミシャの言葉を聞いているだけだった。だが呆然としている様子に、どこまで彼女の言葉が響いているか解らない。いや、鼻が付きそうなほどの至近距離で威圧されれば、さすがに馬鹿でも気づくか。頷く様子さえ見せない彼に呆れたのか、ミシャが突き飛ばすようにゴールドを壁に押し付けて手を放した。すると、ゴールドの身体は支えを失ったようにずるりと廊下に落ちた。

「…頭、冷やしてきます」

その様子を一瞥して、ミシャがキョウたちとは逆方向に歩き出す。その先にいた職員が、さっと壁際に寄ってミシャに道を譲った。…おそらく、今日はもう戻ってこないだろう。なんとなくそんな気がした、してこの場をどう治めるべきか。気づけば腸に煮えくりかえっていた熱もすっかり収まっていた。

「ワタルよ、ここは… ワタル?」

隣に佇んでいたワタルが、呆然とした様子で口元を手で覆っている。大事に育てた娘の突然の行動に驚いて言葉もでないのだろうか、まあ他人であるキョウでさえ驚いたのだ。一緒に暮らしている父親であるワタルの心中など悟に容易い、なんと声をかけたものかと考えあぐねているとぽつりとワタルが呟いた。

「キョウ」
「どうした」
「パパ、だって」

ミシャが俺のことを、パパと呼んだ。
言葉にして実感が湧いたのか、ワタルは緩くなる口元を隠すように手で覆った。その様子に、今度はキョウが目を丸くする番であった。そういえな養子縁組したけれど、一度も父と呼んでもらったことはないとぼやいてたのを思い出す。

この男、雲行きが怪しくなってきた幼きチャンピオンの愚行よりも、娘がそれを殴り飛ばした事実よりも、なによりも____パパと、呼ばれたことが大事と言うのか。

(…いや、それは…うむ)
____同じ娘をもつ父親として、わからんでもない、が。

この場合はどちらが正しのだろうか。良く解らない方向へと思考がはまってしまった所為で、隣で近年まれにみる上機嫌を見せた男が歩き出したことに気づくのが遅れた。

ワタルはミシャを追うではなく、床に凭れて呆然としているゴールドの傍に座った。今一番、誰もが扱いに困っている少年に、ワタルは臆すことなく「ゴールド」と声をかける。

そうして漸く思考が追い付いたのだろう、ゴールドの顔がカァと真っ赤に染め上がった。当然だ、自分が妹分と可愛がっていた年下の少女に二回も殴られて。しかも公衆の面前で自分の行動の誤りを指摘されたうえ、軽く脅されたのだ。それに一言も言い返せなかった。…その事実が、少年のシロガネ山より高いプライドがどれほど傷つけたのかは想像に容易い。

「テメェッ ___!」

しかもいの一番に駆けつけたのが、その少女が庇った父親という皮肉。受けた屈辱を八つ当たりするように、ゴールド大口を開けて怒鳴ろうとした。だが言葉を紡ぐより先に、眼前へと突き付けられたハイパーボールにぐっと言葉が詰まる。

「まずはバトルをしよう、それで君の気が幾分か晴れたら…俺の部屋でお勉強だ」

逆の手で、書類を掲げて見せるワタル。それは先ほど、ゴールドがワタルに着き返したものだった。

「ハア? なんで俺がそんなこと」
「自分より小さいと侮っていていた女の子にあれだけ言われて…尻尾を撒いて引き下がるつもりか? 君らしくもない」

ワタルの挑戦的な物言いに、ゴールドの顔がくしゃりと歪んだ。打たれて殴られた頬が痛むのか、ぐいと袖口で顔を拭う。

「まさか泣いているわけではないだろう」
「ンなわけねぇだろ!!」
「元気が有るようで何より、さあ2番コートに行こう。今なら空いているはずだ」

さっさと歩き始めたワタルだが、ゴールドは立ち上がる様子は見せない。あのひねくれた少年が、ただで着いてくるとは思えなかった。あと一押しが足りない、それはワタルも解っているのだろう。少し歩いて立ち止まり、着いてこないゴールドに言う。

「君を殴った娘の父親を得意のポケモンバトルで負かさなくて良いのかい? チャンピオン」
「ッこンの、 ____いいぜ、そんなに吠えヅラかきてぇならボコボコにしてやるよ、クソ田舎のドラゴンオタクっ !!」

イブキあたりがきいたら発狂しそうな悪口だな。と、他人事のようにキョウは思った。
怒気を滾らせてワタルの後を追っていくゴールド、それまで静かにしていた職員たちが思い出したように騒ぎ出す。「だ、大丈夫でしょうか」「キョウ様もどうか、行って」「なにかあったら、」「ミシャちゃんが」と口々に言うが、問題ないと落ち着かせる。

「ゴールドのことはワタルに任せておけ、ミシャは…おそらく、キクコのところだろう。心配無用だ」

女傑キクコの名に、みながそれなら…と安心した様子で顔を見合わせる。少し落ち着きを取り戻したのだろう、誰かがぽつりと「正直、スカッとした」とこぼした。それにキョウは快闊に笑った、そうして笑うのも随分と久しぶりのことのように思えた。

「拙者もだ!」

いったいどこで、あんな好い拳を覚えてきたのか。と、今はどこかの山脈で修行しているであろう格闘家に想い馳せた。

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