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ワタルと娘について、イブキは斯く語りき


「イブキ、ミシャを見なかったか」

居間で休んでいたイブキがいかり饅頭を食べていた手を止める。少し間を空けて、「大じい様に連れていかれてたわよ」と言うからワタルは顔を顰める。

「心配なら見に行けば良いじゃない」
「いや、そういう訳ではないが」
「大丈夫よ、今じゃみんなミシャに甘々だもの」

言っても、ワタルの眉間の皺は消えない。悶々として部屋を後にするワタルに、彼も変わったものだとイブキは過去の記憶を思い返した。





ワタルがミシャを弟子ではなく己の娘にすると決めてから、一年が経とうとしている。当初、ワタルの決断に最も反対したのは当然ながらフスベの長老だ。

血筋・実力共に、最も次代として相応しいとされていたワタル。彼の意志に反して、次にフスベを率いる標となることは内々に決定していたと言っても良い。それが突然、婚姻もしていないのに身元も知れぬ少女を我が子にすると言い出したのだ。…見方に寄れば、それはひどく無責任で自分勝手な行動だった。当然、長老の怒りは怒髪、天を衝く勢いであった。ワタルもそれが解っていたから、年に一度の里帰りも止めてセキエイに留まるようになった。

なにせフスベの里、一二を争う頑固者同士。
その喧嘩は一度始まれば、誰も止められない。

傍から見ていたイブキは、怒鳴りあう内容が次第に私怨になっているなと半場呆れたものだ。大体短気な長老が先に手を出して、ワタルを背負い投げで放り投げる。一応とはいえ相手は齢九十を超える老人のため、もちろんワタルは手を出せない。それを解っての攻撃であるから、ワタルもキレる。次第にカイリューやハクリューを出しての大乱闘が始まるので、もう手の施しようがない。

そうなると、居場所がないのはミシャである。ワタルが連れている小さな子は、フスベの同じ年頃の童たちよりもずっと小さい。臆病な性格で、いつもワタルの後ろに隠れてついて回っていた。そんな彼女が、大声で…自分のことが原因で喧嘩する二人をみて何も思わない筈がない。

「ミシャ、先に屋敷に戻りましょう」
「い、ぶき さん」

斯く言うイブキも、ワタルが弟子としてミシャを迎えたと聞いた時に、真偽を確かめるためセキエイリーグに突撃した口だ。そのためミシャの存在は早くから知っていたし、なんとなくそうなる予感がしていたので養子縁組のはなしを聞いた時も驚きはしなかった。いや、多少… かなり… 結構、驚いたが。…だからこそ、事後報告で済まされた長老の気持ちがわからないでもないのだ。大じい様が、どれほどワタルに期待しているか幼少期から聞かされていたから尚の事。

「気にしないで良いわよ、元々兄さんが長になるにしても色々問題があったし」
「あれ?」
「気になるなら自分で聞きなさい」

ワタルのことを偶に“兄さん”と呼んでいるのは、イブキとワタルが兄弟子であり…従兄であるから。イブキは大じい様…長老の息子の娘、いわゆる直系にあたった。ワタルはイブキの父の妹にあたる女性を母親にもつ。つもりイブキが直系であり、ワタルは傍系に当たる。

ワタルの母であるミオは、とても優秀なドラゴン使いであった。その実力は大じい様をもって「ミオが男なれば」と愚痴らせたほどだと、苦い顔で父が言っていたのをイブキは覚えている。だから大じい様は、ミオを里の優れたドラゴン使いと婚姻させようとしていた。だがワタルを見ていれば解ると思うが…ミオは、そんな大じい様の考えにハイと従うほどおとなしい女性ではなく。

____「わたしよりバトルの腕が劣る男に嫁ぐつもりはありません」
…後は、お察しの通りである。

我こそはと名乗りを上げるドラゴン使いをバッタバッタとなぎ倒したミオ、その実力は凄まじく。アレでは嫁に行く手はないと誰もが諦めていた時、___ワタルの父の登場である。フスベ出身であるが大人しい性情で、ふらっと里を抜け出しては思い出したように帰ってくる放浪息子。どういうわけか彼がミオを射止めた、そしてワタルを身籠った。その間大じい様への相談や報告は一切なし。

…解るだろう、今回のワタルがしたこととまるっきり同じなのだ。

ミオのことは、優秀なワタルが生まれてからこそ怒りを納めていた大じい様だが。今回はそういう訳にもいかない、なにせ“嫁”ではなく、“娘”なのだ。ワタルは自分の血筋をここで終わらせると、豪語しているも当然だった。大じい様が男であればと悔いた最も優秀なフスベのドラゴン使いの血筋が、ここで終わる。

それは許しがたいことだろう。
だが、ミシャには関係のないはなしだ。そう…例えば、大じいさまがワタルを直系に引き戻すため、イブキとの婚姻を画策していたこととか。それを察した思春期のワタルが反抗ついでにフスベの里を飛び出して、セキエイリーグチャンピオンになっていたこととか。その他諸々。

ミシャはワタルが見つけて、ワタルが娘にすることを決めた。すべてワタルが決めたことで、ミシャには何の責任もない。今回の騒動だって、フスベの里が抱えてきた問題が露出しただけのこと、きっかけがミシャだったとしても、彼女が自分の所為だと気負う必要はないだ。

「ホラ元気出しなさい。アンタがしょぼくれてると、兄さんにわたしがイジメたと思われるじゃない」
「はい」

それにイブキは、この歳の割に聞き分けの良いミシャを気に入っている。ワタルは子供らしくないと頭を抱えているが、イブキは所詮他人なのでそこまで気にしていない。そういった事をきちんと思い悩んでいる時点で、ワタルはすでに…いや、きっとずっと前からミシャの父親なのだろう。

「イブキさん」
「アラメおばさま」
「少し良いかしら」

ミシャの口にいかり饅頭を詰め込んでいると、藍色の着物に身を包んだアラメが顔を出した。アラメは大じい様の末の子で、イブキの父にとっては妹にあたる。上二人とじい様がいつも暴風雨のように問題を起こして巻き込まれてとしているからか、対照的にアラメはフスベの女にしては穏やかな気性をしていた。

「ミシャちゃんとお話ししたいのだけれど」
「それは、もちろん構いませんが」

そもそも、イブキはミシャと誰かが話すことをどうこうできる立場ではない。だがアラメはそれを聞いて、嬉しそうに笑うといそいそ部屋に入って来た。その手には良く知ったものが抱えられていて、おやとイブキは指差した。

「もしかして、胡弓(こきゅう)ですか」
「ええ」
「懐かしい、昔おばあ様が良く弾いてました!」

胡弓はジョウト地方に伝わる伝統的な擦弦楽器で、殊フスベ里のものは特殊な素材を使うことから『龍弓』と呼ばれることもある。今は亡き大ばあさまがその名手であったが、繊細な指使いを必要とするそれはミオやイブキの母には適さず久しく耳にしていなかった。

「ミシャちゃんなら気に入ってくれると思って」

ちらりとアラメがミシャを見る。ミシャはびくりと体を固めたが、イブキがアラメのことを紹介すれば、きちんと指を揃えて挨拶をした。その辺りはワタルの教えなのだろう、アラメが感心したように「小さいのに丁寧に、ありがとうね」ところころ笑った。

「わたしねこの楽器がとても得意なの、聞いてくださるかしら」
「はい」
「ワタルさんが… あなたのお父様に、おばあ様が子守り歌として聞かせてあげていた曲よ」

ミシャが、小さく息を呑んだ。アラメの細い指が龍弓を奏で始める、その曲をイブキもまた良く知っていた。フスベ里の古い曲のひとつ、…おばあさまが得意としていた『龍の巣籠』だ。

「…すご、い」

ミシャがぽそりと呟いた。アラメの指がぴたりと止まる、それに気づいたミシャが慌てて口を手で覆って「ごめんなさい」と謝った。アラメはくすくすと首を振って「弾いてみる?」と言ったのだ。



激闘の末ボロボロになったワタルが戻ってくる頃には、ミシャは龍弓の基本的な弾き方くらいは覚えた。懐かしい楽器の音に惹かれるようにやって来たワタルは、先ほどまでの険しさが嘘のようにケロリとして。

「俺も龍笛を吹こうか」

とかいうので、イブキはひどく呆れたし。アラメは手を叩いて喜んだ。
続いて大じい様が戻ってくる頃には、ワタルとミシャが拙くも合奏を始めていた。下手くそなミシャの演奏にワタルは大人気なく笑い転げて、ミシャは悔しそうに龍弓を奏でて、アラメがその小さな手を指導する。それが大じい様にはどう見えたのか、彼は黙って自室に戻ってしまった。まあ、思えばその時からすでにミシャに絆されていたのだろうけれど。

大きな分岐点はその二月後くらいだろうか。穂張り月、フスベの畑が黄金色に染まった収穫の時期に前触れもなくワタルが戻って来た。

「ちょ ちょちょちょ ちょっと何よ突然、前触れもなく帰ってこないでちょうだい!」
「見ろイブキ!」

カイリューから飛び降りたワタルは、満面の笑みを浮かべていた。ワタルが子どものように高揚しているところなど見るのは何時ぶりであろうか。その様子に「また長老とケンカ…」「収穫した稲が…」「オワタ…」と口々に絶望していたフスベの民も押し黙る。そうして次に、もっと驚くものが飛び出してきた。

ワタルの後ろに隠れる小さな少女、ミシャ。彼に前へと押し出された子は、カイリューの移動速度に目を回していた。そしてその腰には…ミニリュウが巻き付いていた。

「ミニリュウ!!!!???」
「ハハハ!」
「わわわ ワタルの、カイリューの、たた、」
「タマゴじゃない、野生だ! ミシャが捕獲したんだ、なあ!」

「…おえ、」
「ぷわ」

興奮してワタルが背を叩いたのが引き金になったのだろう、ミシャが耐えきれないと真っ青な顔で嘔吐いた。ワーーーーと、慌てる大人たちを他所にそのミニリュウはぷわぷわと鳴いていた。

フスベの里にとって、ミニリュウは特別なポケモンだった。一人前のドラゴン使いになったとしても、彼らに認められるトレーナーは数少ない。フスベで生まれ育ったものもそうなのだから、外から修行のために訪れるトレーナーならば尚の事。フスベ民が修行の場として秘匿している“りゅうのあな”で姿を見ることはできるが、捕獲できる例は滅多にない。もちろん例外はある、…ワタルだ。ワタルは8歳ころにりゅうのあなで修行中、ミニリュウを捕獲した。それが今のカイリューであり、彼にとって今もかけがえのないパートナーとなっている。

もちろんそれはワタルが異例なだけであって、普通はそんなことありえない。イブキがミニリュウを捕獲できたのは12歳ころで、これでも里ではかなり早い部類に入る。知っている限り、ワタルとイブキを除いて同世代でミニリュウの捕獲に成功した子どもはいない。それでもパートナーとして望む声は多いが、フスベの里の優秀なブリーダーをもってしてもミニリュウの人工繁殖の成功率は1割に満たない。つまり、出会えることすら稀であり、それをドラゴン使いとして修行する前に捕獲するなど奇跡なのだ。

そう、奇跡。
_____ミシャは、それをやってのけた。

ちなみに、長老はその報告を受けて腰を抜かしたし、頭を打って気絶した。





(懐かしいわね…)

それから、大じい様はぎっくり腰が癖になった。ミシャはそれを自分のせいだと思い込んで、大じい様に殊更に気を遣うようになった。それが嬉しかったのだろう、大じい様はそれからというもの掌を反してミシャを可愛がった。その手のひら返しは唖然とするものがあり、ミシャの優しさに付け込んで「腰が…」と弱い老人のふりをするからワタルが何度ブチ切れたことか。

___「まあ、ミシャちゃんはすこしお母様に似ているから」
とは、アラメの言だ。確かに、外から嫁いできたおばあ様は、穏やかですこし臆病なところがある人だった。

大じい様のこと、ミニリュウのこと。正直、イブキは悔しいと思わないわけでもない。だが、なまじ幼少の頃より神童ワタルと比較されてきたのだ。そうして10歳の少年に手も足も出ず打ち負かされたあの日から、イブキも成長した。いまでは次世代の成長を、喜べる程度の余裕を持てるほど。

「帰るぞミシャ、このクソジジィの言うことを聞く必要はない。今もりゅうのあなに単身で籠れるような男が、腰の痛み程度で弱音を吐くわけがあるか!」
「ワタル、目上の者を敬えという教えを忘れたのか 貴様のような無作法ものに、ミシャを一人前のドラゴン使いとして育てられるのか? いや育てられるわけがない、ここに置いていけワシが!育てる!」

「ワタル様、長老様も落ち着いて カイリューたちを出すことだけは、おやめくだ アー!!」

(あの二人、いい加減成長しないものかしら)

聞こえてくる爆音に呆れながら、イブキはいかり饅頭に食いついた。もしかしたらここしばらくで一番身に付いたのは、スルーする力かもしれないなとぼんやり思った。

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