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アン


| 20220920 Revise.





わたしの現実にポケモンがいる。
それは想像を絶する感動と幸福であった。気づいたら異世界に存在していたわたしは、地球の日本と言う国で生きた何十年を忘れて当然のようにトレーナーとして生きることを選んだ。

既に完璧なパートナーがいたわけではなかったけれど、旅の中で“友人たち”が増えていくのは楽しかった。退屈なんてしている暇もない日々であったが、それでも十八となる年を最後にトレーナーを引退し、社会人となることを選んだ。

きっかけとなったのはで、旅の中での出会い。この世界には、今までゲームを通して焦がれて来たジムトレーナーや主人公たちがいる。だが彼らはわたしが思っているような完璧な存在ではなかった。

わたしなんかでは思いも及ばない彼らの人生、関係性や苦悩、付き合いというものがあって。そこに在るのは、ゲームを通して恋をしていた偶像ではなく、…ただの、ひとりの人間であるということを突きつけられた。

それに気づいた時、わたしはどうしようもなく自分が嫌になった。自分が独り善がりで、彼らを侮辱するような恥ずかしい行いをしていたことに気づいたからだ。

__人間なんだ、みんな。
____生きているんだ。

そんな至極当たり前のことに、今更になって気づいた。

気づいた時、わたしの旅は終わった。
きっとこれが、わたしが新しい人生でまず最初に辿り着くべき始まりだったのだろう。





だから、絶対に会わないと決めていた。
これはわたしの最後の砦。会ったら、きっと“前のわたし”が大事にしていた思いも全て、なくなってしまうような気がしたから。

「____う、そ!」
「………え」

ああなにが悪いって、向う見ずにヒールで飛び跳ねていたわたしが悪い。

疲労から視界は不明瞭。加えてどっぷり落ちた夜のスコール、路地裏を駆け回ったせいでヒールにはゴミが張り付いて良く滑る。だが止まれない、今しがた全力でジャンプしたこの体は空中に浮いていて、ブレーキが利かない。

ヤバイ____視界の下で、ぎょっとこちらを見上げている男の顔に悪寒がする。

後ろで同じように飛び出したパートナーが、警告する様に高い声で鳴いた。ああごめん、注意力散漫なトレーナでごめんよ!謝罪不可避、なにもかも諦めて目を閉じたわたしは、だから、___真下にいた彼が、受け止めようと腕を広げてくれたことにも気づけなかった。

「いっ ッーーーーー!」

耐えるような呻き声と一緒に、どさり地面に打ち付けられるような音がした。それなのになぜか体には痛みがない、____確かめなくても解る、彼がわたしを受け止めてくれたのだ。抱きしめられたまま呆然としているわたしと彼を守るように、着地したパートナーが威嚇の声をあげる。

「シャワーズ…?」

男の声にパートナー、シャワーズが長い尾をくゆらせる。次の瞬間、わたしたちの上空に黒い塊のようなものが飛び出してきた。____ヤツだ。

シャワーズが相手を視認して上体を低く構える。臨戦態勢に入った彼の姿を認めて、わたしは指示を飛ばした。

「シャワーズ、水の波動!」

シャワーズの低い唸り声に合わせて水素が奮い立つ。ばっと開いた白い鰭と共に、それは渦巻きに似た波浪と転じて相手へ襲い掛かった。翼のない相手には、下方から放たれた技を避ける手段はない!

シャワーズの放った水の波動が黒い影に直撃し、水風船が弾けるような音とともに炸裂する。飛び散る余波の小雨に負けず視線を凝らせば…、弧を描いて彼方へと飛ばされるポケモンの姿が見えた。

(チャンス…!)

衝動のままに地面に膝を着いて立ち上がり、邪魔な“もの”を跨ぐ。用意しておいた空のモンスターボールを取り出して、祈るような気持ちでポケモンへと投擲した。

ボールは吸い込まれる様にポケモンに当たり、赤い閃光と共に内部へとポケモンを捕らえる。ぽとんっと、地面に落ちたモンスターボールがかたかたと震え…やがて、安全音とともに、ぴたりと動くのを止めた。

点滅する捕獲成功のグリーンの光に、いつの間にか止めていた呼吸が戻ってくる。シャワーズが嬉しそうに鳴いて飛びあがり、わたしの足にしめった鼻でつんつんと触れる。そうして労わる様に舐めてくれるか、わたしも漸く…力が抜けて、へなりと地面に座り込んだ。

「よかったー… 捕獲できたよ、ありがとうシャワーズ」

一緒に駆け抜けてくれたパートナーにお礼を言えば、シャワーズはくるくるとわたしの周りを回って頬を擦りつけてくる。冷たい頬にキスをして頭を撫でていると、気持ちよさそうに眇めていたシャワーズの瞳がぱっと開き、わたしの後ろを見て小さく鳴いた。あそうだ、わたし、_____知らない男の人を巻き込んで、

「あ あの! ごめんなさい、わたし あああーーーーー!」
「……あ あはは」

振り向いた先には、土と水でコートを濡らした男の人が困ったように笑っていた。





「本当に、申し訳ありませんでした!」
「そんなに気にしないで、あんな場所でぼーっとしていたボクも悪かったんだし」

汚れたベージュのコートを折り畳みながら、男の人は笑った。
どうやらサラリーマンのようで、コートの下はオシャレなスリーピースのスーツを纏っていた。一目でわかる、これとんでもなく高いやつだ。つまりぐっしょりと濡れてしまったコートも、とんでもない値段なのでは。

「ク、クリーニング代、いえ、弁償させてください! あと、必要なら慰謝料も払います!」
「別にそこまでしなくても。えーっと、…このコートは元々買い換えようと思っていたし。別にあってもあまり使わないから、本当に気にしないで」
「う、…ですが、何もしないわけには」
「ボクのことよりもキミ、」

ぐぬぬと顔を顰めているわたしに、男の人はとんと自分の頬を指で叩いて見せる。

「汚れてる、ごめんね。ちゃんと受け止められなかったみたいだ」
「えっ」
「ちょっと待って」

慌てて指で擦り落とそうとしたが、その手は彼に止められてしまった。
あまりに自然なものだから、触れた指先にドキドキする暇もなかった。「どうぞ」と差し出されたバーバリーのハンカチ、どこまでも完璧な様子にもうぐうの音もでない。

諦めて小さな声で謝礼とともに受け取れば、男の人も満足そうに笑った。

「それでもキミの気が済まないっていうなら、提案なのだけど」
「はい」
「こういうのはどう?…クリーニング代の代わりに、さっきのポケモンについて教えて」

提案されたのは、そんななんでもないことだった。そんなことで良いのかと驚きながらも先ほど捕獲に成功したモンスターボールを取り出す。

「ゾロアです、最近この辺りで暴れていたみたいで。知り合いに捕獲を頼まれていました」
「ああ、そういえば家荒らしが頻発しているって聞いた。犯人はゾロアだったんだ」
「はい、多分この子のことだと思います。ポケモン駆除センターに依頼することも考えたらしいんですが、それでは後味が悪いからと。…トレーナーのわたしが“ぐうぜん捕獲した”のなら、処分は免れるし事態も落ち着くだろうって」
「なるほどね」

当初はそのくらいならどんとこい!と鼻高々であったのだが、…まさかこんな大事になるとは。戦闘のダメージは少なかったようでボールの中くうくう眠るゾロアは呑気なもの、かわいさ余って憎さ百倍とはこのことだ。

「ゾロアはイタズラ好きで好戦的だけど物理面が弱いんだ、だから育成は特殊技がメインのポケモンを相手にすると良いと思う」
「え、そうなんですか」
「うん、最初は苦労するだろうけどレベルが上がればゾロアークに進化する。ゾロアークはイリュージョンという固有特性があってね、上手く使いこなせるようになれば、とても頼りになる特殊アタッカーになる」
「イリュージョン、ですか…えっと、ごめんなさい。この子を捕獲したのはいいんですけど、わたしあまりゾロアに詳しくなくて」
「そうなの? …ちょっと待ってて、」

男の人は目を丸くしたあと、スーツのポケットからペンを抜き出した。

「ポケモンの育成のことならすこし自信があるんだ、もし困っているなら相談に乗るよ」
「え、」
「と言っても、ボクも実際にゾロアを育てた経験はないのだけど。…ごめん、本音を言えば興味半分だ。だから、キミさえ良ければ ___あ、あった」

裏ポケットから取り出したケースを開いて、抜き出した名刺にボールペンで何かを書いていく。「はい」と手渡された名刺には、走り書きでライブキャスターのプライベート番号が綴られていた。

「……なんか、下手なナンパみたいになっちゃったね」
「え!? あ、いえ。その、わかっています。ご厚意ですよね、ありがとうございます! だけどわたし、…そのコートを汚してしまったうえに、こんな」

言葉に詰まって男の人を見る、彼は少しだけ困ったような顔をしていた。…なんというか、断ったら泣いてしまいそうなその顔に、ぐうと良心が悲鳴をあげる。

「…これが、本当にお礼になるのか解りませんが、相談に乗っていただけるのは助かります」
「そう! よかった、」

絞り出すような言葉であったが、それを聞いた男の人は安心したようにへなりと笑って見せる。

____正直、その笑みにドキッとしてしまった。だってこの人、すっごい身長高くて体格好くて、高級スーツ着ているのにこんな物腰柔らかい上に、こんなに優しんだよ!ドキドキしないわけないでしょう!?

「あ、もうこんな時間か…寒いのに外で長話しさせてごめんね」
「いえそんな、こちらこそ何から何までお世話になって」
「良いんだ、こんなの久しぶりでボクも楽しかった。____あ、電話なのだけれど。その…仕事の関係で、出られないことが多いんだ。もしコールが続くようならメールでお願いしてもいいかな」
「はい、わかりました」
「遅くなるかもしれないけれど、必ず返事するから」

___電話して。
そういって男の人は夜の街に消えてしまった、…ハンカチを返しそびれたことに気付いたのは、彼がいなくなって5分ほど過ぎた後のことだった。






英語で綴られた内容を検索して驚いた。…あの男の人は、かの有名なバトルサブウェイの職員だったようだ。しかもマネージャー…管理職だ、そこまでは分かったのだけれど。

中央に綴られた名前はどうにも発音し難く、ついぞ音に起こすことができなかった。

「ГДавид」
「………」

___うん、さっぱり聞き取れなかった。
ぽかんとするわたしに、男の人はいやな顔一つせず今度はゆっくり発音してくれた。

「クェダヴィルト」
「ク、ダビート、さん」
「呼び難かったら、クダ……えっと、」

不自然に言葉を切って視線を泳がせると、考えるような仕草で

「ルイ、とかどうかな。ボクの苗字がルィガロフなんだ」
「ルイガロフ… クダビート・ルイガロフさん?」
「うん」

あれから二カ月、紆余曲折ありながらも再会した男の人の名前が漸く判明した瞬間だった。

訊けばイッシュ地方ではなく、もっと北方の出身らしい。だから英語での発音が難しい名前なのだと教えてくれた。

「ミシャもイッシュの出身じゃないよね」
「はい、やっぱり顔立ちとかでわかりますか」
「それもあるけど… うん、まあ色々」

妙に含みのある返事だった、掘り下げようとか迷っているとルイさんが先に話題を変える。

「あれからゾロアの様子はどう、メールだとかなり懐いてくれたって話だったけれど」
「はい! すこしずつですけど仲良くなって、最近ではバトルを見ると自分もやりたいって強請ってくるほどになりました」
「良い傾向だ、ゾロアはどんな技を覚えてた?」
「えっと」

ライブキャスターを開いて登録したステータスを見せると、ルイさんはわたしが読み飛ばしてきた能力値や、伝えた話から性格を考慮して特異な面と不得意な面を全て洗い出してくれた。

凄まじい情報量に悲鳴をあげれば、仕事用のノートを使ってペンで値や技名をメモしながら分かりやすく教えてくれる。質問すればわたしの理解度に合わせて噛み砕いて答えてくる様子から、彼の造詣の深さが窺い知れて唖然とせざるを得ない。

「…ほんとうに、お詳しいんですね」

思わずぼそりと呟いてしまった言葉に、ルイさんがぴたりとペンを止めた。

「___アハハ、もう職業病みたいなものかも」
「そういえば、ポケモン関係の…バトルサブウェイにお勤めでしたね」
「一応、ね」

ことりとペンを机に休ませて、ルイさんは珈琲を口にする。

「マネージャーって書いてありました」
「ああ、そっちは体裁上の肩書みたいなもの。あまり意味ないんだ」
「…? えっと、でもポケモンに詳しいのも納得しました、きっとバトルもきっとお強いんでしょう」
「んー………………………………そこそこ、だよ?」

(すごく間があったな)

こてんと首を傾げて濁すルイさんには悪いが、どうにもウソくさい。だがそれ以上に語るつもりはないようで、ルイさんは珈琲をまた一口含んだ。

彼の行きつけらしいカフェテリアはシックな雰囲気でとても落ち着いていた。店の奥から流れてくるジャズに、カウンターで仕事をする初老の男性。まるでドラマに出てきそうなほど完成された空間だ。

窓から透ける光が、ルイさんの不思議な色の髪を照らしてキラキラと輝かせる。同じ色の睫毛が震えて、グレーの瞳が物憂げに伏せられていた。…本当に、綺麗な顔立ちをした人だ。

「そういうミシャはどうなの、キミとシャワーズの絆はとっても深そうだった。若い頃はトレーナーだったんでしょう」
「はい、でも十八の時に止めました。その時のポケモンたちとは今も一緒ですけど、もう昔みたいにバトルに明け暮れることはなくなりましたね」
「出身は本土だよね、カントーかジョウト?」
「カントーです、良く解りましたね」
「職場に名前の響きが似ている人がいるんだ、イッシュには就職してからかな」
「はい、就職を機にこっちに」

そんな互いの身の上について話していると、あっという間にタイムリミットだ。わたしは一日お休みをとれたが、ルイさんは午後から出勤らしい。会計を終えてカフェテリアの外に出ると、ルイさんが「ミシャ」と声をかけてくれる。

「良ければ、今度キミとバトルしてみたいのだけど、…どうかな?」
「バトルですか、あのでもブランクが長くて」
「じゃあ、ゾロアを連れてヤグルマの森に行くのはどう。ボクもゾロアに会ってみたいんだ」

スマートに見せかけて、その言葉の裏には強引さが見え隠れしている。次会う口実を探している、イエスいうまで帰さないと言った様子に困ってしまう。

困っているはずなのに…不思議と、嫌だとは感じなかった。

「…はい、お出かけだったら喜んで」

頷いて返せば、ルイさんは嬉しそうに笑った。
彼は、太陽の光が良く似合う人だった。

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