PKMN | ナノ

ワタルさんが桃を切り分けて与えてくれる




「ミシャちゃん、これを持ってお行きよ」

仕事の帰り道、市場のおばあちゃんがそう言って紙袋いっぱいの果実をくれた。
ふわりと香る匂いにその正体が知れて心が躍る、そういえばこの果実は今が旬であった。お礼を言えば、おばあちゃんはいいのいいのと首を振る。

「ワタル様によろしくね」

なるほど、これは彼への感謝の気持ちのようだ。
大きく頷いて返し、わたしは再び家路に戻る。ワタルさんの家につながる一本道は緩やかな坂になっており、ひとりでこの大荷物を持って上がるのは中々に至難だ。むんと考えた後、ここは素直にパートナーの力を借りようとモンスターボールを投げる。

「ポニータ、運ぶのを手伝ってほしいの」
「ブルル」

ボールの中で眠っていたらしい彼女は、前足を伸ばした大きく後ろに体を伸ばした。頭を振って鳴くと、暖かい頬を擦り付けて挨拶をしてくれる。小さな花火のように弾けるオレンジの焔の体毛を撫で、紙袋を見せると一歩下がって持ち手を咥えてくれた。

一人と一匹で歩いて辿り着いた玄関先、鍵はどこかとカバンを探っていると…奥庭からひょっこりと知った顔のドラゴンが頭を覗かせた。

「カイリュー」

大好きな友人を見つけたポニータが、わたしにさっさと紙袋を渡して一目散に駆け出していった。焔の鬣に喜びの色を弾けさせて楽しそうにカイリューの周りを四本足で跳ねる。そうして2匹で楽しそうに遊んでいる様子に誘われて、わたしも奥庭へと回ると…それを待っていた人が、囁くようにしてわたしの名前を呼んだ。

「ミシャ」
「___おかえりなさい、今日はお早いですね」

呼ばれた声に振り向けば、縁側に腰掛けていたワタルさんが「ただいま」と笑った。

「急に時間が空いたんだ、ちょうど君が帰ってくる頃かと」
「ふふ、大当たりです」
「そうだな、…それはなんだ」

わたしの手に下がる大きな紙袋を見たワタルさんが、もの問いたげに視線くれる。受け取ろうと立ち上がってくれたが、大丈夫だと首を振って彼の傍に寄る。

「下町で市場の方に貰いました、ワタルさんによろしくと」

ワタルさんの隣に紙袋を置いて、中に入っていたものをひとつ取り出す。フルーツ用の箱堤を見て気付いたのだろう、ワタルさんが「桃か」とその正体を言い立ててくれた。

「はい、いっぱいいただきました」
「なら心当たりがある」

箱堤を解くと、中には鮮やか春の色を纏った果実が寝かされていた。ひとつ手に取ってフルーツキャップを解いていると、警戒が解けたのかワタルさんが体を傾けて紙袋を覗き込む。そこに同じ箱堤がいくつも入っているのを見て、驚いたように言葉をこぼす。

「こんなに…、安いものじゃないだろうに、今度礼を言いに行ってくる」
「その時はご一緒させてください」

キャップを取った桃をひとつ手渡すと、それを受け取ったワタルさんがすこしだけ目を丸くした。どうしたのだろうと首を傾げたが、すぐに蕩けるように微笑んで「ああ」と答えてくれる。

「食べてもいいか」
「もちろん」

紙袋から箱堤を取り出して並べていると、ふとワタルさんのマントを見つける。帰宅してすぐに手早く畳んだ様子だが、このままでは皺になってしまう。畳んだ紙袋を手に縁側に上がり、彼のマントを回収する。居間の衣桁に吊るしていると、パチンと耳慣れない音が聞こえてきた。

なにかと振り返れば、ワタルさんがざくりと桃にナイフを入れていた。いったいどこからと思い目を凝らせば、包丁よりも大分小振りであることに気づく。ポケットナイフだろうか、

「ミシャ」
「はい」
「こっちに、はやく」

いったいどこに隠し持っていたのかと考えていると、少し忙しない声でワタルさんが呼ぶ。素直に隣へと駆けよれば、ずいと目の前に手が差し出される。その指先には切り分けられた桃の実が乗せられていた、まさか手から食べろと言うことだろうか。

それは少し行儀が悪い気がして戸惑えば、それを見透かしたようにワタルさんが「こぼれるぞ」と急き立てる。彼の手は果実から溢れる蜜で濡れ、指先から今にも甘い雫が零れ落ちそうになっていた。その様子も相まって、わたしは慌ててはぐりと果実に噛みつく。

ああ、結局彼の思い通りだ。そんな一抹の悔しさは、じゅわりと口の中に広がる果実の甘みに溶けてしまう。柔らかい果肉は食むほどに甘く、この世の幸せを詰め込んだような味に思わず顔が綻んだ。それを見て何を思ったのか、ワタルさんが含み切れなかった果肉を口に押し付けてくる。

「ン」
「ほら、まだ余っている」

その顔にはすこし意地悪な色が滲んでいた。こういう顔をしている時のワタルさんに抵抗するのは無理だと経験で知っている。戸惑いながらも大人しく口を開ければ、ワタルさんが残っていた果実をわたしの口の中に運んでくれた。その時、唇に彼の指が触れて…少しだけ体が震えてしまったが、気づかれてないだろうか。

桃を食むわたしの口元を、ワタルさんの指が擦ってすこし零れた果汁を拭ってくれる。それだけなら優しい人であれるのに、甘露を唇に擦り付けようとするから慌てて口を開いて彼の指に吸い付く。ちうと、傷だらけの大きな指にキスをする。深く切られた爪とか、夏の日差しのように暖かい温度とか、…指先から伝わる彼の存在だけで、眩暈がしそうだ。

酒気に溺れたように吐息をもらしたわたしを見て満足したのか、ゆっくりとワタルさんの手が離れていく。それが少しだけもの寂しいと感じている自分に気づいて、カッと体が熱くなる。

…なんだか、酷く恥ずかしいことをしていたような。
動揺を悟られたくなくて、さっさと傍を離れようとしたが、彼が。ワタルさんが、さくりと新しく切り分けた桃を見せつけるように自分の口に運ぶからそうもいかなくなった。

わたしの口に桃を与えて、唇に触れた指で。ワタルさんが桃を食べる、大きな口でひとかけら。瑞々しい果実を食み、薄い唇に残る甘露を舌で舐めとって「あまいな」と呟いた。

ワタルさんのグレイの瞳が、ゆっくりとわたしを映してとても愉快そうに笑う。その理由なんて言われずとも知れた、……彼の瞳に映っているわたしは、耳の先まで真っ赤に染まっていたから。

「もうひとつどうだ」
「い りません」
「残念」

揶揄う言葉に小さなプライドを刺激された気がして、弾かれるように立ち上がる。さっさと用事もない台所に引っ込もうとするわたしの後ろで、ワタルさんがクツクツ笑う声がした。最早隠すつもりもないらしい、意地の悪い人だ。

少しだけ呼吸をすると、忘れていた桃の甘みが戻ってくる。だけど唇に触れたワタルさんの指が熱すぎて、桃の味なんて思い出せるはずがなかった。

back

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -