PKMN | ナノ

語り継ぐこと


※キャラクターの死に関する描写があります



「判断を誤りました」

シガレットホルダーの先から紫煙が立ち上る。

「情けない話です、あの子には損な役回りをさせてしまった」

腰掛けた椅子は古く、ワタルの身体を支えるには少し心もとない。この屋敷の調度品はすべてが小柄な主のために誂えられていた、単に古いというわけではなく長い歴史を感じさせる趣きは完成されたひとつの美術館を思わせた。

告解のようなワタルの言葉に、屋敷の主はとんと膝を指で叩いた。

「____フン、それがわかってるなら上等だよ。ケツの青い若造が大きくなったもんじゃないか」

少し前までリーグで聞こえない日はなかった特徴的な声で笑うキクコに、ワタルは「手厳しい」と返した。

リーグで一波乱あった後、ワタルは「頭を冷やしてくる」といって帰らない娘を迎えに行った。思えば、こうしていなくなった彼女を探すのも久しぶりであることに気づく。

小さく臆病で泣き虫、怒られるとすぐにどこかに逃げて行った小さな子が、いまでは立派に成長しワタルの仕事の補佐を務めるほどになったのだから、これを自慢と思わずになんとする。

だが…そんな成長が嬉しい反面、どこか寂しく感じていたのも事実で。久しぶりのかくれんぼに、年甲斐もなく浮足立った。まあミシャの隠れる先など、いつだってワタルにはお見通しなのだが。

ワタルがグリーンとレッドに敗退し、リーグ所属を抜けミシャを連れて修行に出た期間。齢八十にして立派にチャンピオンを務めたキクコは、「ババアをこき使い過ぎだよ、まったく」と彼女らしい悪態をつきながら引退を表明した。

その後しばらくは他地方に赴いていたようだが、先月こうしてカントー地方に戻って来た。キクコが不在の間、彼女の家を管理していたのはミシャだ。

キクコが彼女に家のカギを預けたと聞いた時は驚いたが、翌々思えばキクコは何かとミシャを気遣ってくれた。父親としても、何かと未熟なワタルを叱ってくれるのは、今やフスベの長老を除けば、この人くらいなものだ。

_____だからだろう、ずっと誰にも語らずにいたことがひとつひとつと口から零れてしまう。

「ゴールドがチャンピオンに就任した日、彼の母親が訊ねてきました」

その女性はワタルを見るなり深く頭を下げた。驚きながらも頭をあげるようにとワタルが声をかけるより先に、ゴールドの母親を名乗る女性は確りとした声で言う。

___「至らないところが多い息子だと思います、全てわたしの不徳の致すところです。ですがどうか、息子を、… わたしの息子を、よろしくお願いいたします」

縋るような声だったと、思う。まるで悲痛の叫びのようにも聞こえた、自らを恥じる思いを噛み殺しているような。__ああ、と思った。

この女性は、きっとまだ手元に息子を置いていたかったのだろう。多くを教えたかったのだろう、その手のぬくもりを手放したくなかったのだろう、___だけど愛する息子は、彼女の手を放すことを選んだ。

自分では及ばない世界を、彼は選んだ。
息子がチャンピオンになった報せを受けた時、どれほど悔しかっただろう。もう自分ではなにも彼に伝えられないと、彼を守れないと知った時、どれほどに絶望しただろう。

きっと立ち上がるのにも力を必要としたはずだ。だが彼女は細い足で立ち上がって、ワタルの下まで来た。息子を守るために、自分が成すべきを為せと。…この人は、息子を愛している。

「彼女を尊敬しました、ひとりの親として。だがすぐに安易に頷くべきではなかったと後悔した、俺は娘こそあれ、___息子を持ったことはない」

それが人様からお預かりしている子となれば、尚の事。
ワタルはゴールドを相手に、完全に後手に回ってしまった。

悪い流れというものは連鎖する。そこにチャンピオンと四天王大将としての仕事が流れ込み、完全にゴールドから目を放してしまった。それが悪かったのだろう、彼の態度は瞬く間に悪い方へと肥大化した。

「四天王の皆にも要らぬ心配をかけました」
「話はこっちまで届いていたよ、随分とヤンチャな子みたいじゃないか」
「エネルギーが有り余っているといった様子です、ある意味でレッドとは真逆だ」

レッド。彼もまた、胸の内に宿した途方もないエネルギーに身を焦がすような目をしたトレーナーであった。だがゴールドは、その焔を身の内ではなく外に向けている。例えそれで我が身が焼けようとかまわないと言った様子は破滅的で危なっかしく、レッドより在りし日のワタルを想起させた。

「…幼い彼なりに、母親を守ろうとした結果なのでしょう。それが解ってしまったから、咎められなかった」

反則的な手だと理解していたが、チャンピオンに就任する際は必ず身辺調査が行われる。ならば遅かれ早かれと自分に言い聞かせて、彼の経歴を調べた。

エニシ ゴールド
ワカバタウン出身、母子家庭。父親は彼が3歳の時に蒸発し、以降は母親が女手一つで彼を育てた。母方の祖父母も彼を按じており、スクールの長期休暇などには積極的に彼ら親子を招いた。ゴールドがポケモンと関わりを持つようになったのはそれがきっかけに違いない、彼の祖父母はあの育て屋夫妻であった。

初めて、イカリの湖で会った時然り。ゴールドのポケモン生態への造詣の深さには目を瞠るものがあったが、その背景を知れば理解できた。育て屋の祖父母が提供してくれた環境は、ゴールドが自身の才能を育てるためには適したものだったのだろう。

…同時に、彼がR団残党壊滅の際、何かとサカキの息子シルバーに絡んでいた理由も知れた。彼らは二人とも、幼い頃より父親に苦労させられている。ゴールドには、シルバーの姿が自分に重なって見えていたのだろう。

「まったくザマァ無いね。娘に迷惑かけてまで、自分の体裁を守ろうってしたのかい」
「耳が痛い」
「父親なら誰より優先すべきは娘だろう」
「ええ、ただの“ワタル”ならそうしました。だけど俺は、セキエイのチャンピオンだ」

チャンピオンとして、若く才能に溢れているトレーナーを見捨ることはできない。彼が先の見えない道に迷いそうになっているのなら尚の事、手を引いて道を示してやることこそワタルの、引いては前チャンピオンとしての役目だ。性格にこそ問題あれ、ゴールドはチャンピオンとして必要な素質を確かに備えている。

「アンタの娘は苦労する」
「…」
「いっそわたしの娘になりゃ良かったんだ、そう思わないかい」

キクコの言葉に何も返せずにいると、ずるりとワタルの影が不自然に伸びた。そこからガスのように暗闇が立ち昇り、ひとつのポケモンの姿へと変貌する。闇に浮かぶ三つ指の大きな手と裂けるような大きな口、死に人を惑わせる瞳がワタルを見てケラケラと笑った。

ゴーストは屋敷に合わせて器用に体を縮め、キクコの傍へと寄り添った。窓から差し込む日の光を避けるようにするから、ワタルはカーテンを閉めようと立ち上がる。

「そう思うなら長生きしてください、俺がミシャの父親として間違わないように。叱ってくれる人間がいなくなるのは困る」
「フン よく言うよ、叱っても何一つ効かない男が」
「フスベの大祖父の小言より聞いていると思います」
「あの頑固者と同じにするんじゃないよ」

窓を閉めてカーテンを閉じると、ゴーストが満足そうに体を膨らめた。いつの間にか火が消えていたシガレットホルダーをキクコへと手渡す。

「医師に控えるように言われたのでは」
「あんな藪医者にいうことなんて誰がきくかい」

憎らしさに滲む祖父と思わせる頑固者の口調に、ワタルは一瞬要らないことを口にしそうになった。だが嫌味のひとつでも言えば、倍返しされることは目に見えているので口を閉じる。

馴染みのシガレットホルダーを、キクコの細い指が慣れた様子で片付ける。そうしてふと、寝室の向こう。僅かに開いた扉から見えると、ミシャとゲンガーの姿に眩しそうに瞳を眇めた。

その様子が酷く印象的で、気付けばワタルはぽろりと言葉をこぼしていた。

「…体の方は、」
「良く持った、欠陥だらけのくせに良くわたしの無茶苦茶に着いてきたと褒めてやりたいくらいさ」

その言葉は、他地方を以てしてリーグ所属四天王として最も長い経歴を誇るキクコ、途方もなく長い人生を感じさせた。

「ご家族は」
「知ってるだろう、旦那とはアレきりさ。クソッタレな親は、とっくにどこかで野垂れ死んでるだろうね」
「姉妹がいると」
「わたしと同じ歳のババアにいまさら何を言うっていうのさ。必要なことがあればアッチの世界で伝えるよ」

ケラケラ笑いながら、キクコは思い出したようにワタルに言う。

「そうさな、しばらくアンタの娘を借りてもいいかい。やってほしいことがあってね」
「ミシャにですか」
「ああ、最後の大仕事だ。あの子に手伝ってもらいたい」
「邪魔にならないようでしたら俺も」
「図体がでかいだけの男はいらないよ」

シッシと追い払うようにするキクコにそれでもとワタルが食い下がろうとすれば、それがわかったのだろう観念したように答えをくれた。

「遺書を書いて欲しいんだよ、もうペンひとつ握れやしないババアの代わりにね」

見ないふりをしていた現実を、突き付けられる。
シガレットホルダーを受け取った指は震えていたこと、杖を突いてリーグを歩き回っていた人が大人しくベッドに座っていること。いつも高らかに嘲笑っていたゴーストポケモンたちが、静かにキクコに寄り添って…然るべき時を待つようにしていること。

「俺は、…思えばあなたに助けられてばかりの若造でした。あなたがトレーナーとしてポケモンたちに捧げた人生に敬意を。今までもこれからも、カントー地方はもとより女傑キクコの名を知らないトレーナーはいません」
「今更なんだい、おべっか使ったって何も出やしないよ」
「…伝えておきたいと思いまして」

本当はもっと伝えたいことがある、教えてもらいことも。それでもひねくれ者の彼女にそんなことを言っても煙たがられるだけだろう、それに…彼女は人生最後の時間を過ごす相手に娘を選んだ。

その事実だけで、ワタルは充分だった。
言葉はなく。深く___ただ深く、頭を下げるワタルに、キクコは何も言わなかった。

それが、ワタルの見た女傑キクコの最後の姿であった。

back

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -