先祖返りの火車・煉獄杏寿郎(SS)と人魚・妖館2号室住人

※妖狐×僕SS、鬼滅ハロウィン2022パロ
(暑い…)
鳴き止まない蝉の声、燦々と照り付ける太陽が頭皮を焦がす。
その光がコンクリートに反射して更に足下から茹だる様な熱気を上げるから逃げ場がなかった。身を引きずる様にして漸くたどり着いたマンション、自動ドアが開くと同時にエアコンの冷たい風が全身を包み込み、その向こうでコンシェルジュの後藤さんがわたしに気づいて驚きの声を上げる。
「ちょっ」
___バタッ、
崩れるように倒れ込んだエントランスは硬いけれど、ひんやりとしていて茹った身体には気持ち良かった。水が足りない、水、が。藁にも縋る思いで「みずっぅ」と口にした声も、慌てふためいている後藤さんには届かない。あ、死ぬかもしれない。そんな寂しい覚悟をした瞬間、頭の上から冷たいものが降り注いだ。
「生きているな」
ぽたり、ぽたりと。前髪から落ちる滴を数えながら、ぼんやりと顔をあげる。エアコンの風に揺れる鮮やかな獅子色の髪が見えた。「れんごくさん」と舌足らずな声で囁くと、その人は夏の青空に劣らない精彩な笑みで応えてくれた。
____妖怪。
かつて、そう呼ばれたモノたちがいた。
ここ、メゾン・ド・章樫は、通称妖館と呼ばれている。表向きには金持ちの変人が揃って住まう才高級マンションだが、その実態は“先祖返り”と呼ばれる者たちが自衛のために身を寄せる場であった。居住者はマンションの従業員を除けば二つに分けられる。
ひとりは、身を守る術に乏しい住人の先祖返り。そうして、その住人に宛がわれるSS(シークレットサービス)…自衛だけではなく、他者を守る能力に秀でた先祖返り。
この二人はマンションに置いてひとつのパートナーとして扱われる。パートナーには妖館のワンフロアに、それぞれの部屋が貸し与えられ、常に生活を共にしていた。
「だから言っただろう!」
慣れた手つきで勢いよく蛇口を捻ると、ざばざばと浴槽に水が注がれていく。
「ニュースキャスターが今日は今年一番の猛暑になると言っていた。一人で出かけるのなら熱中症対策と水分携帯を怠らぬようにと再三言い付けたつもりだったが、この様子では俺の進言が足りなかったと見える! 次からは君がどんなに嫌がろうと俺も着いていくことにしよう!」
「いや、これはちが」
「なんだ、理由があるなら聞こう! 俺は何も君の尊厳や人格まで蔑ろにしたいわけではない、だがその前に考えて欲しい。君の合理性に欠けた言い訳が、一度でも俺を説き伏せられたことがあっただろうか」
言葉尻が終わる前に、ずいと近づいてくる男の顔、梟によく似た眼に鼻先が付きそうなほどの距離で見つめられて、言葉が出ない。緊張の余りこくりと空を呑む、その音すら彼に伝わってしまいそうな距離だ。
「ご、」
「ご?」
「ごめん、なさい」
「うむ、解ってくれたのならそれで良い」
どうにも座りが悪い気持ちで、場を濁すように濡れた靴下に手を伸ばす。浴槽には腰ほどに水が溜まって、びっしょりと濡れたソックスがどうにも脱ぎにくい。
「もう大丈夫だから、部屋に戻っていて。水があなたの火を消してしまうかも」
「この程度の水で煉獄の炎が消えることはない! 君は俺よりも、自分の心配をするべきだな」
伸びてきた手にいつもの手袋はなかった。武骨な指が、まるで宝物にするように大事にわたしの踵をすくいあげる。そうすして難なく、両足のソックスを脱がしてわたしの足を水のなかにどぷりと戻す。
「まだ、その鱗を焼かれたくはないだろう?」
あさぎ
まるで脅すような言葉を紡ぐ彼の瞳には、浴槽に沈む濡れた髪の女が映りこんでいた。髪に絡まる長い耳鰭、頬に薄っすらと浮かぶ虹色の鱗、海の生き物特有のまあるい瞳。
引きずられる様にして双つに割れた脚が、ひとつになる。確かめるように尾を掴む手が焼き鏝のように熱くて、本当に焼かれてしまうのではないかという恐怖に身が竦む。それを見て深まる笑みは、まるで明るい火の陰りの部分のようだった。
瞳だけが爛々と輝いている様子に、なぜか目が離せなかった。

先祖返りの生まれる家は、例外なく大家であった。そして先祖返りは、その代に富と名声を齎す現生神のように扱われ、差こそはあれど、どこも古い宗教を思わせる閉塞的な空気が纏わりつく。花酒家も例外ではなかった、古く【人魚】の先祖返りを授かる家系であり、海運業で名の知れた旧家。
大事に育てて貰った自覚がある。だから親子関係に不満はなかったのだけれど母…と、呼ぶのが正しいであろう女性が、年の離れた弟を身籠ってからどうにも居心地が悪くなってしまった。それから逃げるように、青城学園への進学を決めた。
生家からは距離があるので、必然的に最寄りの妖館へ居を移す手筈を整えた。人魚は自衛の手段を殆ど持たない非力な先祖返りの代表例のようなもので、わたしたちのコミュニティを統括している産屋敷家の御当主にそれを折りにシークレットサービスを付けることを言い付けられた。
そうして、パートナーとなったシークレットサービスが、あの煉獄家の嫡男と知った時には全身の水分が吹っ飛びそうなほどに驚いた。
煉獄家、この狭いコミュニティでその名を知らぬ潜りはいない。代々産屋敷家に仕え、悪鬼滅殺の名の下に魑魅魍魎を屠ってきた不浄の火紋、獄炎の轟___妖怪・火車の一族。
本来なら産屋敷当主の傍仕えとなるべき人が、どのような経緯でわたしのような木っ端妖怪のシークレットサービスになったのか。訳が分からないまま契約を結ぶのも憚られ、胃をキリキリ痛めながら訊ねた顔合わせ初日。彼はわたしの質問にハッキリと答えてくれた。
「社会勉強の一環だ!」
____あ〜なるほど、社会勉強。それは確かに大切だよね。
きっと身に余る栄誉に縮こまっているわたしを気遣ってくれたのだろうと、その時は彼の気遣いに感謝すら覚えて契約書に判を押した。しかし、僅か数日。一週間も経たない内に、彼の言葉が何一つ偽りない真実であることを、身をもって体感することになる。
「花酒、これはどうやって使うものなんだ」
「……自動販売機です」
「ジドウハンバイキ」
「欲しい飲み物を選んで、ラベルに記載された金額をここに入れてボタンを」
「ふむふむ」
「押すと、買えます」
「なるほど!完全に理解した!」
そうして、わたしの教えたとおりに自動販売機でスポーツドリンクを買った煉獄さんが「花酒、できたぞ!」とものすごく誇らしげな顔で見つめてくるので、わたしは何とも言えない気持ちで「よくできましたね」と場を濁した。
他にも交通機関の使い方、ファミレスの注文方法、コンビニエンスストアに、クレジットカード以外の決済方法と…、彼は本当に何も知らず、そういった事象に鉢合わせる度にわたしの名を大声で呼んで、教えて欲しいと訊ねてくる。これではどちらがシークレットサービスか解らない、と好奇心に目を輝かせてあっちこっち歩き回る彼の専用Siriとして引き摺りまわされた日々が、…今になっては懐かしい。
数度の誘拐未遂、妖怪の襲撃を受けたが、五体満足で無事に高校を卒業。そのまま大学に進学した二年目の春_____、彼の様子が変わってしまった。
以前から距離の近い人だった。
聞けば年の離れた弟がいるようで、この子が可愛くて仕方がないらしい。だからだろう、わたしに接する彼の仕草は、シークレットサービスというより兄が妹弟にするようなものが多かった。
嫌いなものを食べられたら手放しに褒めてくれる。苦手教科のテスト勉強に夜遅くまで付き合ってくれる。修学旅行に必要なものを一緒に買出しに行って、友達と遊んで遅くなると言えば何も言わず迎えに来てくれた。
優しい人だった。
もし次に兄を持つ生があるのなら、こんな人が良いと夢見るほどに。
そうして、時に我儘を口にしながら甘えていたのがいけなかったのか。近頃の彼は、わたしのそういった奔放な振舞いを厳しく躾けるような言動が増えた。
遅くまで遊びに付き合わせるような友達との交流を控えろと言って。サークルの旅行は仕事に差し支えると不参加を迫られて。苦手教科のテスト勉強は昼の空き時間しか見てくれない。
「どうした、これは君の好物だろう。沢山食べると良い、君は聊か食が細すぎる!」
「うん、あの いつも付け合わせにブロッコリーが付いていたと思うのだけど」
「君はブロッコリーが嫌いだろう、…俺の記憶違いだろうか?」
目の前に運ばれてくる食事に、嫌いなものがひとつも出なくなった。いつもわたしが好きなものばかりが食卓に並ぶ。嬉しいはずなのに、なぜか箸が進まない。原因は分かっている。戸惑うわたしの、…不作法な迷い箸の先まで監視する様な彼の視線だ。それが息苦しくて、堪らない。
____これでは、まるで____
不安も相俟って、浮かんでは消える想像は嫌な方に膨れ上がる。そんな筈はないと、袖を引く何かを振り払って目を閉じる。耳を塞ぐ。息を殺す。そうして出来上がった静けさは、大好きな深い海の底を思わせる。そこはわたしだけの世界、安らぎの蒼が満たす場所であるはずなのに。
「あさぎ」
___彼がわたしを呼ぶ声だけが、張り付いて剥がれない。

「俺は判断を間違えたのだろうか」
ぽつりと呟かれたらしくない言葉に、
