小生、トリップ故煉獄杏寿郎に衣食住を依存して候

ごほん。
あー、マイクテスト、マイクテスト
こちら、現場の花酒です。ただいま、大正時代から中継にてお伝えしております、ドウゾー。
(…なんて、一人遊びしてみたり)
エアマイクを掲げていた手を引っ込めて、うふふと笑う。返事をしてくれるのは栗の木で休む小鳥ばかりだが、澄んだ秋空と羊雲が相俟って、とても穏やかな心地にさせてくれる。
平成から大正に時間を超えてトリップしても、人間なんとかなるものである。見て欲しい、この一年後のわたしの姿を。どこからどうみても立派な大正時代のお嬢さんそのいちである。
最早ステルスの天才と言っても過言ではないと思う、まったくもって自分の才能が恐ろしい。然したる特徴特技がないことは競争社会においては致命的だが、生存戦略として計り知れない効果があることを身をもって証明してしまったというわけだ。
はたさて。どうして、こんなことになってしまったのか。
____それは時間を遡り、一年と少し前のことである。
わたしは瞬き一つの間に、全く見覚えのない場所へと放り出された。深く昏い森の中、わたしの思考回路はショート寸前で、背後から近づいてくる怪しい男に気づかなかった…!
正に、この世はリアル、ショック、サスペンス。その後、何があったのかは割愛しよう。あまりに悍ましく、思い出したくない記憶だ。そうしてあれよそれよという間に、その怪しい男を討ちに来たという青年に助けられて下山した。
その時のわたしは全身土と血汗に塗れ、安堵から涙は止まらずえぐえぐと顔の解像度が崩壊するほど大泣きしていた。その様子が見るに堪えなかったのか、青年は休める場所まで案内してくれた。道中もずっと手を握って、わたしが怖くないように声をかけ続けてくれたから、ああ本当に優しい子なのだと、烈火のように泣きながらもどこか冷静な部分が他人事のように思ったのを覚えている。
しかし、青年の優しさはわたしの想像を遥かに超えてくる。青年は一夜明けて落ち着きを取り戻したわたしに、腫れた目元や擦傷に効く軟膏を渡し、寂しいだろうと一緒に食事を摂って、懇切丁寧にわたしが置かれた状況を説明してくれたのだ。
話を進める中で、帰る場所がないことを知ったわたしがまた情けなくほろほろと泣けば、彼は山を下りた時と同じとても硬くて暖かい手でわたしを導いて、ならここに住めばいいと大きな屋敷に入れてくれた。___それがここ、旧炎柱邸である。
___「むかし父が仕事の拠点として使っていた屋敷だが、長らく放置してしまったのでこの様だ。先祖代々受け継いできた煉獄の遺産を俺の代で寂れさせてしまう訳にはいかない、そういう訳なので君がここに住み、屋敷の世話をしてくれるというのなら、俺としても助かるというわけだ!」
そう言って、夏の太陽を思わせる快闊な笑みで事を提案してくれた青年を、煉獄杏寿郎と言った。
長くなったが、彼が今のわたしの雇い主に当たる。歴史は古く、遡れば平安源氏にそのルーツを持つ武士の一族の嫡男であり、今はわたしを襲った…おそらく、こうなった元凶でもある…「鬼」と呼ばれる存在から、人々を守ることを生業としている。
一度出遭ってしまったからこそわかる、その「鬼狩り」と呼ばれる生業には常に濃厚な死の匂いが付きまとう。思い出したように邸を訪れる煉獄さんは何時も傷だらけで、鉄の錆びたような匂いがした。他の者でいっぱいだからと鬼狩りの療養施設を抜けてくることも多く、その度わたしは泣きながら彼の世話をした。
わたしといえば健全で平凡に生きてきた女で、目の前で事故すら起こったことがない。ケガなんて転んだなんだというものが精々、家族に医療関係者もいない。…人の死から、とおいところで生きてきた。
だから、彼の纏う死の香りが恐ろしくて堪らなかった。彼が死んでしまうかもしれないと思うと、手足が震えて涙が止まらなかった。恐ろしい死ではない、…この世界でわたしの事情を知り、話をして笑いあうことができる、数少ない人を失うこと。利己的だと詰られても仕方のない理由が、そのすべてだった。
煉獄杏寿郎という人は、わたしがこの世界で生きていくための柱だった。
だからこそ思う、このままではいけないと。
____具体的にいうと、きちんと彼に頼らないところでお給金を頂いて。それでお礼がしたい、気持ちなどという精神的なものではなく、…こう物質的な感じで。
「何を差し上げたら喜ぶと思いますか」
「ご本人に訊ねられるのが良いでしょう、きっと喜ばれます」
「えっと、サプライズ… 秘密で、こっそり用意して驚かせたいのです」
「なら、また一緒に木挽(こびき)の方まで足を延ばされては」
「なぜかわたしの買い物ばかりで終わってしまうので、その方法はいけません」
流石に三回も同じことが続けば、馬鹿でも気づく。そう、わたしは三回同じ過ちを繰り返した女、あの人は体育会系に見せかけてその実、マァよく人を見ている。
ノーと神妙な顔で話しているのに、おトメさんは「左様ですか」とほほ笑むばかりだ。これが友人なら真剣に考えろと怒鳴るも已む無しであるが、おトメさんにそんなことはできない。彼女は、煉獄さんが紹介してくれた女性で、わたしにこの世界で生きるために必要なことを一から十まで教えてくれた大恩人だ。
…こうなれば、内容を暈して本人に相談する他ないか。
「働き口を探そうと思うのです」
朝方に帰って来た人の足の泥を桶の湯で溶かし、温めた浴巾で拭う。自分ですると伸びてきた手を避けて、マッサージしながら指の間まで拭う。「こそばゆい」と言われたが、しっかり水気を取らないとすぐに冷えてしまうので、我慢してもらおう。
「なにか欲しいものでもあるのか」
「秘密です」
「…ふむ、事情を話して貰えなければ判断が難しい!」
どうするべきかなあ。と、太い眉を困ったように垂らして、へなりと笑う。
ここ最近見せてくれるようになったその顔は、鬼狩りの装束を纏い日本刀を揮う彼とは似ても似つかない。凛と背筋を伸ばし、お天道様に恥じることなど何一つないと在り続ける彼だけれど、そうして笑うとまるで少年のようにあどけなくて、つい下手に出てしまいそうになる。
「君のことだ、俺が給金を上乗せしようと言ったところで引く気はないのだろう」
「はい」
「よし、ではこうしよう!」
パンと膝を打つと、汚れても良い恰好をして裏庭に来るように言われた。
意気揚々と楽しそうな背中にイヤな予感を覚えながら、外仕事用の割烹着を結んで向かうと、簡素な着流しの袖をたすきで結わえた煉獄さんがいた…その手には、玉切りのされた丸太がひとつ。
「まずは薪割り千回!」
「はい?」
何を言っているんだ、この人は。
「街の仕事は君が想像している以上に過酷なものだ。それを俺の雇仕事と掛け持つというのだから、それに耐えうる体力と気力があることを、まずは証明してもらいたい」
「それがどうして薪割り、え 本気ですか」
「まずは一本目!」
わたしに斧を握らせると、敏速活気に薪割り台に丸太を乗せる煉獄さんの顔には本気の二文字が書いてあるようであった。不眠不休の仕事を終えたばかりだというのに、その元気はどこから湧いてくるのだろう。不思議に思いながら、斧を振り下ろす。割れない、「腰に力が入ってないぞ!」、知ってます。
休憩を挟みながら、それでも十とすこし割れたところで試合終了と相成った。文字通り崩れ落ちたわたしを見て、煉獄さんはふむと頷く。
「では、この話は終いだな!」
___そう言い切る煉獄さんの笑顔は、眩しいほど輝いて見えた。
その日、お布団で眠りながら考えたのだが。
どう考えても薪割り千回は難しい、もっと現実的なラインに条件を落とせないだろうか。そう思っておトメさんに相談したが「千回なら難しいことではありません」「わたしもできます」と、まさかの裏切り宣言。…いやいやいや、そんなご冗談を。騙されませんよぉと返せば、「トメさんの腕なら二千弱は余裕だろう」と、通りすがりの煉獄杏寿郎が呵々と笑う。
(う 嘘だ、騙されてなるものか)
「煉獄様、ご冗談もほどほどに」
「よもや、見誤ったか」
「ええ、もう年老いた老婆と侮ってくださいますな。時間さえ頂けるのなら、その倍はご用意できます」
うそだろ、おトメさん。
え。え。大正ってそんなかんじなの、それがスタンダートなの。と、戸惑いながら二千の倍を頭で数える。あまりに必死だったものだから、おトメさんと煉獄さんが頬を膨らまして笑いを堪えていることに気づけなかった。後から嘘だと教えてもらった時は、本当に二人のことが嫌いになりかけた。善良な人間を騙して楽しいか、極悪人どもめ!

「このままではいけないと思うのです」
「具体的には」
「煉獄さんが死んでしまったら、わたしはどうすれば良いのですか」
文机に向かっていた人が手を止める。今一どこを見ているのか解らない鼈甲を溶かしたような瞳が、まっすぐにわたしを見据えた。
「生きればいい、ここの所有権は君に譲ってもらえるよう手配してある」
「イ いいい いらないです」
「遠慮することはない! この家も随分と君に馴染んだ、今更手放されるとあっては…おそらく、毎夜君を想い泣き腫らすだろう」
まるで駄々を捏ねる子どもの様に、家のことを語る。想像力が豊か過ぎるのも考えものだと首を傾げると、煉獄さんは誤魔化すように何時もの笑みを被った。
「まあ、当分その予定はないがな!」
「予定があっては困ります」
「そうだなあ、君は俺が少し身を切っただけで赤子のように大泣きするから」
「ぐう」
「あまりに泣いて止まないから、最初のころは君の心まで零れてしまいやしないかと心配でならなかった!」
立ち上がり、隣に腰を下ろすと当然のようにわたしの方へと身寄せる。空気を含んで風に揺れる篝火の髪が首筋を擽る、離れようと足を崩すも背に回って畳を突いた手が逃げ場を塞いでしまう。どうようもないので大人しくすると、その人が身を捩る。まるで居心地の良い場所を探す猫のようだ。
「刺繍か」
「…」
「君の針仕事は美しい、弟にも見せてやりたい」
かりと、爪を短く切り揃えた指が腕を掻く。とんとんと叩いたと思えば、針に通した糸を指で辿って針を通す邪魔をするものだから、苛立って体を大きく揺らせば「すまない」と笑い声交じりの声が言う。
「___俺がいなくなった後、君の涙は海と成り。この家と共に沈むだろう」
それは祈りに、よく似ていた。
そうあってほしいと心の声を囁くような、繊細さがあった。
遠く、むこうで秋虫が囀る。酷く静かで、この世界にはわたしたち二人しか息をしていないように思えた。手元を照らす灯りが揺らめいて、焔色に照らされた彼の髪が色の深みを増す。
「…そうならないように、外に出たいのです。あなたが言うように、きちんと生きるために」
「…」
「あなたも毎日わたしが泣き喚いていたら、気になって天国にいけないでしょう」
「それは、…そうだなあ」
「ほら」
ぐるぐると不機嫌そうに喉を鳴らすから、空けた手で顔を撫でる。髪を掻き分けて男の耳の裏側を擦ると、薄い唇がからこぼれる音が柔らかになっていく。…大きな猫ちゃん、
「でもやはり、君はここにいてくれ」
「ずっと?」
「ずっと」
「一生?」
「一生」
「無理ですよ」
「無理ではないさ」
「あなたを思って、ここで一生泣いて生きろと言うんですか」
返事はなく、その代わりというように彼はわたしの掌に頭を擦りつけた。その仕草は、これは己のものだと徴を残すように見えて、目の前の青年が、ヒトの姿をした大きな獣のように見えた。
秋の夜長、焔に照らされて二人の影が伸びる。
障子に映し出された姿は、若い女ともう一つ。その姿は、知るこそこわや。
