OnePeace | ナノ

カイドウが手中に抱く珠玉の乙女にはツノがある





「オルガさんっ オルガさん、助けてくれ」
「どうしたの」

酷く狼狽えた様子で我が家に上がり込んできた男は、餌に群がる鯉のように口を開いては閉じて。早口に語ろうとする幾つもの言葉が舌の上を滑って咽上がる、やがてかすれた声で「町に」「海賊が」と言うと、今度は足元に火が付いたように「助けてくれ!」と言う。その声が悲鳴染みていて、これではどちらが請われている側なのか分かったものではないと。

面白くて笑った、その笑みが嘲りを含んだものとも知れず、男はまるで天の助けを得たかのようにくたりと緊張を緩める。だから嗚呼これは潮時なのかもしれないと、____わたしは、その日死んでしまおうと思ったの。





「どうして、お前みたいなのがこんなところにいる」

その男は、まるで隣人に話すような気安さで尋ねてきた。今まさに自分の頭蓋骨を砕こうと得物を振り上げている敵に対してかける言葉が、それでいいのだろうか。その答えを考えることも億劫で、わたしは男の頸を穿たんと振り下ろす凶刃に最後の力を乗せた。

しかして、砕かれたのは男の頭蓋ではなく、わたしの得物だった。頬に一閃、燃えるような熱を感じた。まるで鋼鉄に弾かれたというように、得物の先端が押し負けたのだ。ありえない、呆然に落ちる意識は、弾き飛ばされた切っ先がわたしの頬を掠める痛みで呼び戻される。

遠く、短いようで長い一瞬の後、得物が地に落ちて土を抉る音がした。それを皮切りに、音の奔流が意識の中に流れ込んでくる。女子供の悲鳴、野蛮な侵略者の足音、炎の舌が街を舐めとり、この町の最後の息吹その一息までを喰らおうと咢を開く。

直感した、死を。
わたしは今この瞬間、この男に敗北したのだ。

いくつかの攻防の後、気まぐれにわたしの一撃を受け地面に倒れた男は、しかし、最後の一撃を受け入れてくれるほど甘くはなかった。確かに男の頭蓋に的中しながら、押し負けた得物の柄を放り投げて、とさりと座り込む。

火の照り返しで滲む汗が鬱陶しい、髪に空気を含ませるようにして掻き上げながら、わたしをじいと見上げてくる男に問いかける。

「鬼人族?」
「ちげぇよ」
「なら魚人族かしら、引き継いだ遺伝子によってはツノがあると聞いたわ」
「サカナは皮ァが好きだ、酒に合うだろ」

会話する気があるのかないのか、呑気な言葉に思わず笑ってしまう。くすくすと、肩を震わせるわたしを見て、男がもう一度同じことを訊く。

「どうして、お前はここにいる」
「…居ては、いけない?」
「こんなチンケな島が故郷か、そうは見えねぇが」
「秘密、おしえてあげない」
「ぐう」

男は眉間の皺を深めると、億劫そうに起き上がる。わたしの背丈ほどある黒鉄の金棒を軽々と振るって地面を叩く。気まぐれに担いでいた荷物を放るような仕草であったが、スケールが違う。見様によっては脅しか牽制か、地面に罅を走らせる金棒を見つめていると、わたしの視線に気づいた男が「わりぃ」と事無しに言った。

「ビビったか」
「いいえ」
「だろうなあ、そんな腰抜けが俺相手にサシで挑んでくるわけがねぇ」

愉快そうに声を上げて、どかりとわたしの前に胡坐を組む。

「女にぶっ飛ばされるのは久しぶりだ。リンリン以来か、しかもこんなちいせぇ癖によぉ!」
「…」
「お前こそなんだ、巨人族か? 魚人族の感じはしねぇ、マァ俺の勘だが」
「…」
「…オイ、なんで喋らねぇ。今更ビビった訳でもねぇだろ、さっきまでお喋りだった女はどこにいったんだァ」

ずいと男が顔を近づけてくる、それだけですさまじい迫力だ。恰幅は勿論、身長ならわたしの倍はあろうか。眉のない強面が鼻の先まで近づいて、つるりとした金の目にわたしの顔が映る。____髪に添うようにして、夜を溶かした色の捻じれ角を生やした女が。

「…女性を褒めるなら、他の女の名前を出すものではないわ。海の“ツノ持ち“は、そんなことも知らないの」

つんとした態度は男の目にどう映ったのであろう、皮肉交じりの言葉にしかし、男は機嫌を損ねたようすもなく大口を開けて笑い始める。今まさに死に往こうとしている町の中で、不釣り合いな快闊とした声が響く。それに引き寄せられるようにして、一羽の烏が下りてきた。

「カイドウさん」
「おおぅ! そっちはどうだ、」
「全員殺した、あとはその女だけだ」

ああ、これで本当に終わり。
ここ最近は退屈ばかりを持て余していたが、最後に楽しいものを見られた。死に往く身で持てるのは記憶ばかり、これならば死の国への渡し賃くらいは払えそうだ。男が立ち上がり金棒を手に取る、その一撃を受け入れようと体の力を抜いたわたしに目もくれず___男は、思いもしなかった言葉を口にした。

「____そうか、なら終いだ」
「女は」
「連れて行く」

____男が、なんといったのか。耳に入った言葉を噛み砕けず呆然としてしまった一瞬に、いつの間にか迫っていた男の手がわたしの身体を掴み上げた。まるで幼子がお気に入りの玩具をそうするように、掴み上げたわたしを見て男が嗤う。

「俺のだ、俺のものにする!」





それから、それから。
男は言葉を失うわたしを、「見ろぉ、俺とおなじだ」「ツノ生えてる女だぞ」「しかも俺を吹っ飛ばしやがった!」と八咫烏に一頻り自慢してスキップしながら船に戻った。その日は略奪した宝物片手に宴が開かれ、浴びるように酒を呑んで乱痴気騒ぎ。

その間ずっと、男の小脇に抱えられて連れ回された。ボロボロなまま、男の手に捕まれて指でぐりぐりなでなでされる様子は見るに堪えなかったのであろう。いくらか同情の視線すら感じ、暫く経った頃。疲れと眠気がピークに達して、わたしの堪忍袋の緒が切れた。

わたしを掴む男の袖口に爪を立て、男を一本背負いで地に叩きつけた。すわ地震と思われるほどの大きな音が響いて、海賊たちの騒ぎ声が鎮まる。しんと、ボルテージを上げていた宴の熱が氷点下まで下がったその中心で。わたしは、目をぱちくりさせている男に言う。

「…勝負に負けたのだから、大人しく慰者にも、奴隷にもなりましょう。それくらいの覚悟はあるわ、けれど“あなたのもの”になるというのなら話はべつ わたしが何を言いたいのかわかる?」
「…」
「あなたのものだというのなら大事にして、___花や蝶のように扱うの、オモチャ扱いしないで」

無精髭がみっともない頬を掴んで、額を付き合わせて言い聞かせる。わたしはそれほど恐ろしい顔をしていたのだろうか、男は「…す、すまなかった」とその巨体からは信じられないほど小さな声で謝った。

満足したので振り払うようにして彼の顔を放すと、視界の隅で男のシャツが燃えているのが見えた。近くの焚火の燃え移ったのか、けれどこの程度、男の皮膚なら火傷にもならないだろう。先ほどの戦いで、男の頑丈さは思い知らされている。

「ねえ、湯場はどこ」
「ぇ あ、 あの主船にあります」
「案内してちょうだい ___ああそれと、」
「ぐっ」

大きいばかりの角に手をかけて男の顔を引き寄せる、首の骨がへし曲がるような音がしたが問題ないだろう。

「あなたの寝床を借りるわよ、いいでしょう。だってわたしはあなたのものなのだから、」
「…お、おう」
「ありがとう。じゃあ、宴を楽しんで」

いまだ置いてきぼりを食らった子どものような顔をしている男の目尻にキスをして、さっさと船に向かう。後ろから慌てた様子で案内を言い付けた海賊が走ってくる音がした。パチパチと焚火の爆ぜる音に合わせて、誰かが「あ、姐さん…」と呟いたのが聞こえたが、不思議と悪い気はしなかった。





百獣海賊団の名が、世に知れ渡り始めたころ。

物資調達のために立ち寄った島で、船長が女を連れ帰った。濡れたような光沢をもつ長い髪に白い肌の女、カイドウの半分もない小さな顔に納まった可憐なパーツ。その両耳の上から夜を閉じ込めたような不思議な色合いのツノが生えていたが、それを除けば高級娼館で身銭を払ってもお目にかかれないほどの珠玉の乙女。

…とてもじゃないが、サシで“不死身のカイドウ”と渡り合ったとは思えない。きっと酒に酔ったカイドウの戯言だと皆が冗談半分で嗤っていたが、その場で乙女がカイドウを背負い投げして見せたのだから、一同開いた口が塞がらない。触れれば折れてしまいそうなあの細腕に、どれほどの力が宿っているというのか。

その鮮烈にして苛烈な出来事は、どこの馬の骨とも知れぬ乙女を船長の「女」として認めさせるには十分すぎた。乙女の名は、コルティゼ・オルガ。悪魔の能力を宿している訳でもない、ただの非力な人間の間に生まれた非凡な娘。身丈は人間のそれと変わらずも、その肉体は不死身と並び立つに相応しい強靭さと剛腕を宿していた。

「オリィ」と、
カイドウが女を特別な愛称で呼ぶようになるまでに時間はかからなかった。

どうやらオルガには猛獣使いの才もあるようで。欲が湧けば娼館で女を生き人形代わりに使い潰していた男を、女は上手く手懐けた。彼女に触れる作法、抱き上げ方から夜の誘い文句まで。それまで人のカタチをした化け物同然であった男に紳士らしい振舞いを教え込み、宣言通り花や蝶のように自分を愛でることを許したのだ。

勿論、カイドウだってそれほど甘い男ではない。しかし、言うとおりにするとオルガが蕩けるような笑みを浮かべて「いいこ」と褒めるから。マァ言うことを聞いてやるのも悪くないと、仕方なく自分の女の我儘を聞いてやっている体を装っているが、とある政府所属の研究チームから紆余曲折を経て海賊に身を寄せるようになった丸い男曰く「ありゃあ、カイドウさんガチのホの字だな」ということらしい。

そう、つまり惚れた方が負けなのだ。
恋はいつでもハリケーン。



「姐さん、も、 もってきやした___!」

姐さん、そう呼ばれた女は「ありがとう」とほほ笑んで、得物を手に取る。ずりずりと大の男5人がかりで運んできた得物___大槌を、まるで花を摘むように軽々と手に取った女の後ろで、甲板に砲弾が直撃して爆音が弾ける。光と熱の洪水、その衝撃で紙人形のように船員が飛ばされ海へと落ちていく。

擦傷に呻く仲間の悲鳴をバックに、態勢を整えようと檄を飛ばす。その船員の合間に立つ女が空に向かって呑気に手を振ると、それを待っていたように黒閃が飛来した。

「運んでくださいな」

女の言葉に返事はなく、しかし船に旋風が巻き起こると同時に女の姿は船から消えていた。普通の人間なら皮膚が裂けるような剛爪に肩を掴まれて、しかし女は事無しに笑う。女を甲板から攫った翼をもつ古代種は、その様子に呆れたように小言をもらした。

「___フンッ、世話が焼ける」
「あの人はどこに」
「敵船の首を獲りに行った、雑魚の処理は任せると」

遠くを見れば、黄色い閃光が縦横無尽に放たれて周辺の敵船を真っ二つにしている様子が見える。あれはカイドウではなく、最近『疫災』の二つ名を賜った大看板のものだろう。遠く聞こえてくる彼特有の高笑いに、同じく『火災』の名を持つ大看板が苛立ちを隠した様子もなく「あの目立ちたがりの能無しが」と吐き捨てる。

「ひい、ふう… ああ、このくらいならわたし一人で十分、あなたはあの人のところに」
「5隻はあるぞ」
「あのくらいの距離で寄り添ってくれているのなら飛び移れるわ。船が沈んでも、わたしは能力者ではないから溺れ死ぬことはないし」

「はなして」と肩を掴む蹄を、女の手が叩く。一瞬考えを巡らせた後、火災は女の言うとおりにすることにした。ぱっと蹄が離れれば、女の身体はすさまじい速度で落下を始める。それに気づいた敵船が銃弾を放つのが見えたが、ただの鉛玉では女の身体に傷ひとつ付けられまい。

かつんと。ヒールを鳴らして甲板に降り立った女は、乱れた髪を指で梳く。ツノと同じ夜色のドレスを纏い、ファーストールを巻いた女。この血なまぐさい戦場には似合わない、煌びやかな夜の花の来襲に男たちは一瞬息を呑んだ。

見蕩れる幾重の視線の中央で、女は臆した様子もなく艶やかな唇で笑みを描いた。

「ごめんあそばせ」

ぐるんと。黒鎚が円を描いて、甲板へと振り下ろされた。まるで羽のような軽さで繰られたそれは、しかし、落石のような衝撃を持って甲板を叩き割った。突如として足下が大穴と化した海賊たちが青褪め、我先にと安全な船尾へと走っていく様子を見て女が嗤う、女は花であった、しかし女には刺と毒があった。

雨さざれの如く降り注ぐ銃弾は、しかし、女にかすり傷ひとつ負わせることはなかった。異変に気付き、いち早く身内切りをした海賊たちが放った砲弾を黒鎚で跳ね返しては敵船を沈め、剛力を誇っているらしい巨体の男の拳の骨を砕き、そうして、瞬く間に一船団を壊滅させていく。

女の黒鎚が海賊旗のはためくマストを砕き、残る最後の大隊長の頭蓋を叩き割った。これが最後の獲物だろう、周囲を確認しながら乱れた髪を指で梳く、ヒールの先で血の海に波紋を描きながら沈みかけている船の先端へと移動する。…そろそろ、あちらも片付いた頃だろうか。そうして思いを馳せていると、まるでタイミングを計っていたかのように海に黒い影が伸びた。

ぬるりと青空を蠢くように伸びる影に、その正体を察して顔を上げると、目が醒めるような蒼穹の鱗に覆われた龍がいた。女を所有する男と同じ色をした瞳がぎょろりと動き、そこに女の姿を見止めると低く重く、大気を震わせるように響く声で語り始める。

「なんだ、もう片付けちまったのか」
「ええ、もしかしたら少し残っているかもしれないけど」
「うぉろろろ かまわねぇよ、手間ァかけたな」

宙に浮かぶ髭が擽るように女の身体に纏わりつけば、擽ったいというように喉を震わせて笑うから。その様子を咎めるように、龍が珍しく四角い声で「ケガァねぇな」と唸り、女に鼻先を押し付けて執拗に血の匂いを確認しようとする。

「ケガなんてしてないわ」
「テメェの女心配してワリィかよ」
「悪くない、悪くないわ。けれど… ねえ、鉛玉で傷つくような女が、毎晩あなたを受け入れられると思って?」

体を探ろうとする悪い龍の鼻先を抱きしめて、女は男に愛されつくした肢体を惜しみなく摺り寄せた。爬虫類のように縦割れした瞳を見つめて「お胎の奥深くで」と囁けば、龍の喉から膨れ上がって女の身体が宙に浮く。

「ふふっ」
「オリィ、お前ぇって女は」
「あは、いやよ 血と汗は流してからでないと、まだお預けしてほしいなら…別にかまわないけど」

龍の鼻先がぐいぐいと女の花園を擦るように擦りついてくるから、甘い吐息を零しながら髭を手で引いて「待て」を言い聞かせる。言い付けを破って夜を拒絶され続けた日々を思い出したのか、龍が低い声でぐるぐると唸った。まるで大きな絡繰りのエンジン音のように響く唸りも、正体を知っている女にしてみれば子ネコのそれのように愛らしく移るのだから不思議だ。

「さあ、船に戻りましょう。一等綺麗な宝石は、わたしにくださいね」

だから女も、とびきり甘い声でおねだりをした。女を甘やかすのが大好きな男は、煮え切らない気持ちを呑み込むような声で「好きにしろ」と呻く。促すように差し出された小さな手に腰掛けて、女は酷くいい気持ちになる。龍の手中にあるは如意宝珠、それはあらゆる願いを叶える力があるという。

けれど女は男のものなので、男の願いしか叶えられない。…男以外の願いなど叶える気もないからして、取り敢えず今夜は拗ねてしまうであろう大きな男を、とびきり床で甘やかしてやろうと思い巡らせた。

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