ありえたかもしれない未来のはなし
※息子の名前「十」固定

「ぱぱー」
パタパタと聞こえてきた足音に顔を上げると、小さな影が何時の間にか直隣まで来ていた。俺譲りの黒髪と、母譲りの黒目をもつ小さな子どもが、ぷっくりと頬を膨らませて不満そうに俺を見上げている。
「十(みつる)…ママはどうしたの?」
「ねちゃった、お洗濯終わったら絵本読んでくれる約束だったのに」
十はこの前買ってあげた絵本を大事そうに抱えてそう言った。
俺は作業をしていたパソコンを閉じ、時計を確認した。昼過ぎて少しだ。頭の中でスケジュールを確認しながら、眼鏡を外す。
「十、ママどこで寝てる?」
「ベランダのとこ!」
「じゃあパパを案内して」
「絵本読んでくれる?」
こてんと小首を傾げて無邪気な交渉を仕掛けてくる姿に、さすがは我が子と笑みがこぼれた。
仕方なく肩を竦めて頷けば、十はぱっと笑みを明るめ「こっち!」と案内を始めてくれる。俺は椅子から立ち上がり、その後に続いた。
「ママみっけ!」
「あーこれは暫く起きそうにないね。十、ママ起きちゃうから静かにしていようか」
「はーい」
しいと指を口元に当てながら、十が言う。
ひなみは畳んだ洗濯物の側でうたた寝していた。その顔は安らかなそれで、一目みて深い夢の中にいることがわかる。俺は彼女を起こさないように抱き上げた。横抱きにしてやると、ゆるりと熱に気付いたひなみが身を寄せてきた。そんな猫みたいな様子に笑みが零れる。そっと寝室に向かうと、気付いた十が先に先にと進んで、寝室の扉を開いてくれる。その様子に、俺はもう一冊なにか読んでやろうときめた。
昔は俺のベッドしかなかったが、いまは二人分…ダブルのベッドが寝室に置かれている。一時期ウォーターベッドだったのだが、今は彼女の飽きにより撤去されていた。並ぶ枕から俺の青い枕を引き寄せてひなみを横たえた。毛布をかけてやると、するすると体が埋まっていく。そうしてすうと聞こえてきた寝息に優しく髪を梳いてやる。暫くそうしていると、扉のあたりでそわそわしていた十が寄って来た。
「ぐっすり?」
「うん。疲れてるみたいだから、そっとしといてあげよう」
「わかった」
ベッドに腰かける俺の足に凭れた十が、足をぶらぶらさせながらひなみの寝顔を見た。すこし残念そうなその面持ちにくすりと笑い、俺はくしゃくしゃと頭をかき撫でてやる。
「絵本読むんだろ」
「! いいの」
「もちろん、約束したからね。案内してくれたご褒美に二冊読んであげるよ、好きなのを持っておいで。そうだな…、じゃあリビングで読もうか」
「よむ!」
咄嗟に上がった大声に、はっと十が手で口を塞ぐ。
おそるおそるひなみを見るも、そこには変わずに寝息をたてる姿があり安堵したようにへにゃりと笑った。そうしてぱたぱたと寝室をでていく十を見送る。俺はそれを見送って、愛おしい妻であり、母である女性にキスを送った。
「おやすみ、ひなみ」
どうか彼女見る夢が、穏やかなものであるように。