キングに助けられたたった2人のルナ―リア族

「太陽に愛された娘、いずれこの地に自由と開放を齎す神の妻よ___どうか、その光焔をもって我らが民を守り給へ」
祝詞と共に降り注ぐ清めの聖水。肌を伝う潮の香り、教祖の母に呼応するようにして“しろいまめつぶ”たちが叩頭した。紡がれた終わりの言葉を合図に、背に灯る焔に息吹をおくる。立ち昇る太陽の熱が光となって、わたしの影を冷たい石畳の上に照らす。歪に揺れる大きな影りはまるで、
(バケモノ、みたい)
二対の銀の剣が背中をなぞる、翼の付け根を掻き分けて焔が炬火へと移されていく。
「如かれ在れかし(エイメン)__!」
人々の祈りは成された、____けれど。どれほどに願っても、わたしの祈りは未だ高き天の主に届かない。

「次の新月まで食事は与えないで、沐浴も必要ないわ」
信者を慰める時とは似つかない声で、下女に指示する女はまるで刺だらけの薔薇のように美しく恐ろしい人。その姿をぼうと見つめている間に、数人の下女が手早くわたしの両手足に鎖をつなぐ。すこし身じろぎするだけで、巨人族の教徒が壁に打ち込んだ楔に引かれて、鈍い鉄の擦れる音がした。
「これもすべて太陽神に愛された貴女が、俗世に汚れないようにするために必要なこと。空腹は辛いだろうけれど、母さんのために我慢してくれるわよね、____シノ」
「はい、お母さま」
従順に頷くわたしに、教母は…お母さまはうっそりとほほ笑んだ。鉄格子に触れる母の手がなんだかとても暖かいものに見えて、重ねようと手を伸ばしたけど爪先が触れるより先に離れていってしまう。母の瞳が剣呑さを増す、ああそうだった。久しく沐浴をしていない身体は薄汚れて汚い、このようなひび割れた指ではキラキラと輝く石の装飾が沢山嵌められていた母の手を傷つけてしまう。
「ごめんなさい」
返ってきたのは沈黙だけ、下女を連れて牢を出て行った母の足音が聞こえなくなって漸く息ができる。岩をくり抜くようにして誂えられたこの場所は、潔斎の名を借りてわたしを閉じ込めるために作られた牢獄だ。次の儀式まで誰も訪れることはない、扉の前に放られた蝋燭が消えれば灯りも失われる。
(つめたい)
ここは、普通の人間は獣の毛皮を纏わないと凍えてしまうほどに寒いと聞く。けれど、わたしには涼しく感じる程度だと気づかれてからは、穴だらけのシーツも取られてしまった。それからどうしてか、とてもこの場所が寒く思えるのだ。骨が凍えたわけでもないのに、時々震えが止まらなくなる。
その弱さを誤魔化すように、伸ばした翼で体を包み込むようにして目をつむる。空腹を紛らわせるため、少しでもエネルギーを溜めておく必要がある。なにせ次の新月まで、本当に水の一滴すら与えてもらえない。背に灯る焔を消して、わたしは夢の中に逃げ込もうと、思考を霧散させる。
けれど、こういう時ほど上手くいかないもので。何が変わるわけでもないのに、結局今日も指でなぞる様にして自分の生い立ちを思い返した。
物心ついた時には、母がいた。母は小さかく、わたしは大きかった。けれど母は、わたしを「娘」として愛してくれた。だからわたしも「娘」として、「母」の教えに従った。例え、他の子どもが母親にそうされるように触れてもらえなくても、慈しむように微笑んでもらえなくても。わたしにとって、母がこの世界の全てだった。
だってわたしは、ヒトと違う生き物だから。
飴色の肌に、夜を溶かしたような大翼。その両翼の狭間で揺れる炎、巨人族に劣らない大柄な体躯。…わたしはこれまで、自分と同じ生き物を見たことがない。母はそれを特別だという、たったひとりわたしだけに与えられた神さまからの贈り物だと称えてくれる。母がわたしを褒めてくれるのはそれだけだから、わたしも自然と自分という生き物を慈しんだ。
けれど何時まで経っても特別だとは思えなかった。特別だから、わたしは暗い岩牢に閉じ込められて、太陽の光も届かない場所で誰とも話せずひとりきり、食事もできずに寒さに凍えて祈り続けなければいけないのか。ならばわたしは、特別などになりたくはなかった。
(それというと、怒られてしまうけれど)
幼いころ、空腹に耐えきれず泣いて喚いたわたしを、母は神への冒涜だと刺のついた鞭で打った。けれど、わたしの身体は特別頑丈だから、キズひとつつかない。けれど心が痛くて、痛いと泣くわたしを母は鬼のような形相で夜が明けるまで打った。
その日から、わたしは思ったことを母の前で口にするのを止めた。母の前では従順に、彼女が望む通りの「娘」として振舞うよう心掛けた。
(お腹空いた、)
そのおかげで痛いことはなくなったが、寒さや空腹までは紛れない。
大きな体をもっともっと小さく丸めて、意識を遠くへと向ける。耳を澄まして、暗闇を掻き分けるようにたった一粒の小さな灯りを探す。
(_____、みつけた)
それを見つけたのは何時だっただろうか、覚えていないけれどそれがあるからわたしはひとりぼっちでも寂しくはなかった。その声は、わたしの夜を照らしてくれる、たった一つのおほしさまだった。
かなり遠くにあるのだろう、何を言っているのかは解らない。けれど、その声を聴いている間は酷く穏やかな気持ちでいられた。知りもしない癖に、まるで母親に抱かれている子どものように無垢でいられる。
『どこにいる』
(暗い場所、冷たくて日の光は届かない)
『応えろ』
(ここは寒くて、泣いてしまいそうで)
『迎えにいく』
(あなたに会いたい)
今日も叶わない願いを唱えて眠るの。
例え会うことができずとも、あなたがいれば明日も明後日も、その先も。わたしはきっと、ひとりでも生きていられるから、

その日、ひとつの島が世界地図から消えた。
何も珍しいことではない、百獣海賊団の道の後に命無し残るは血骨と焦土のみ。そうして足先に群がる小石を踏み潰すような気にも留めない営みの一環として、滅ぼされた島はしかし偶然選ばれたものではない。
総督が長く連れ添い重畳する幹部の一人、災厄の称号を与えられた寡黙な男によって示された指針。その先に存在したのが、その名のなき島であった。島には少数の民が生活基盤を築いていた、ざっくばらんの種族を見るに皆が戦争難民か孤児逃亡奴隷の類であることは一目で知れた。それと同時に湧き怒る疑問は、彼らがみな差別侮蔑なく一見穏やかな生活形態を演じている点だ。
「宗教だな」と、疫災の大看板がぼやいた。
事実、その島を牛耳っていた女は教母の名の下に崇められていた。だが所詮は有象無象の猿頭、能力者でもない女を捻り潰すのは容易く、本来なら大看板が出るまでもない事案だ。事実、総督は大母船で昼寝をしていたし。同行している真打ち以外にことを知らせることもしなかった。___疫災は知らん、アレは勝手に着いてきた。クソサイボーグやるが何を考えているかなんて興味もない。
繰り返すが、これは___キングが望んだことだ。
そしてカイドウが承諾し、航路決定と現場指示などの一切合切を腹心である男に一任した。しかして、彼が先陣に在るのは必定であった。ああ、そうだ。少なくとも、趣味悪く着飾った女の後ろで揺れる焔を見るまでは、キングは副官として冷静であれたのだ。
そこからの記憶は酷く曖昧だ、女の四肢を圧し折り。髪を毟り。肋骨を潰して。まるで己の権力を象徴するように“飾られた”炎の在処を吐かせた。そうして女は地下牢の存在を自白した、そこに幽閉された存在を聞いた瞬間、頭の中が真っ赤になって女の身体を左右に引き裂いてしまった。
疫災が「まだ生かしておいたほうが良いんじゃねぇのか」とブツブツうるさかったので建物の外に蹴り飛ばし、地下牢とへと続く隠し扉を力任せに抉じ開ける。いやに音が響く洞窟をくり抜いた道の先に、その牢は存在していた。太陽の光は届かない、蝋燭の灯り一つない場所にあって、けれど男の瞳にはまるで光り輝くようにしてその存在を見止めることができた。
耳に届く呼吸が微かで、焦燥に駆られる様にして岩肌を蹴った。邪魔な鉄格子を剥ぎ取って近寄ろうとしたが、その牢は狭く男の身体は入らない。苛立ちを舌で逃がし、手を入れてその存在を確かめる。
黒い翼、___男とおなじ。背の焔が消えている___象徴たる証を灯せないほどに弱っているのか。四肢が細く肌が冷たい___血に宿った種族の特性が辛うじてそれを活かしている。
滑らかな飴色の肌に、こぼれる月色の髪。
ひとつひとつ確かめるように触れて、確信へと至る。彼女は、己と同じ生き物であると。
「本当に、お前以外に生き残りがいたとはなァ」
キングの口から直接あらましを聞いたカイドウは、ふらりと件の生き物を見定めるべくキングの副船K02を訪れた。船長であるキングのサイズに合わせた寝台で眠る女は、確かに性別を除いて長い付き合いの男と同じ特徴を示していた。
「間違いねぇのか」
「ああ、声をまだ聴いてないが…俺を呼んでいたのはこの女だ」
「共鳴つったか、ルナ―リア族の女だけが持つ力」
目は覚まさねぇのか。と、カイドウが訊ねれば、キングは柳眉を寄せる。
「衰弱しているが、ケガや薬の類を使われた形跡はないから直に目覚めると」
「さすがの頑丈さじゃねぇか」
ルナ―リア族なんて診たことも、胴体開いて弄ったこともねぇから解らねぇよ。と文句を言いながら医者の真似事をした疫災の見解だ。信ぴょう性に欠けるが、他に当てもないのだから仕方ない。…ただの船医といえど人間に、女を診せればどうなるか解らない。
金に目が眩んで女の存在を海軍にチクるだけならまだいい、だがそれは間接的にキングの正体を看破されるリスクを孕んでいる。そしてその魔の手は、キングを庇護し続けたカイドウへと延びる危険も。
「オメェの好きにすればいい」
「カイドウさん」
「いまさらガキ1人が2人になったところで、何もかわりゃしねぇよ」
キングの思考を読み解いたというように、カイドウが快活な笑い声をあげる。その笑みに陰りはなく、目の前の男にとってみれば、自分は研究所に囚われた検体の子ども同然なのかもしれない。あれから随分と時間が経った、肉体を鍛え上げ能力者となり災厄と謳われるほど暴力的に成長した。
「ありがとう、カイドウさん」
けれど、男と肩を並べるには、未だ足りず。
口をついた言葉は、在りし日の少年のようなあどけなさが残っていた。
目を覚ますと、目の前に全身真っ黒の人がいた。
呆然としているわたしに「目が覚めたか」とぶっきらぼう
