恋人が告白されている場面を目の当たりにしてしまったけど(紆余曲折)フロイドリーチくんは今日も元気です

「オレ、一年生の時から……ずっとお前のこと、気になってた」
気分がのらない授業をサボタージュして、あてもなく歩いた先で辿り着いたのは植物園だった。人の気配のない奥まった木陰に身を横たえ、ただ時間を溶かすように過ごしていたそのとき――風が運んできた香りに、身体が反射的に跳ね起きた。
自分が、たった一人のために調香して、誕生日に贈った特別なパルファムだと気づいたからだ。彼女は真面目な優等生だ。フロイドのように気分で授業をサボるタイプではない。 だから授業の一環で植物園を訪れているのだろう、という想像は容易だった。
すぐにでも会いに行きたかった。けれど、授業をサボっている自分が教師に見つかっては、彼女の成績に傷がつく。まずは様子を見ようと、身を低くして香りの流れをたどった。
そうして木陰を縫うように移動した先で彼女を見つけた。
ミワ・ミズナシ、NRC二年生のポムフィオーレ寮生、フロイド・リーチの可愛いカノジョだ。
(ア゛ 誰だよアレ)
柔らかいブラウンの髪に跳ねた鼓動が、一瞬で冷え切っていく。
カノジョの隣に、見覚えのない男が立っていた。しかも、やけに距離が近い。
かっと、頭の中心に熱が灯った。 目の奥がきゅう、と縮む。指が土を掻いたのは、考えるより先に前に出ようとする体を押しとどめるためだ。胸の奥でざわつく衝動は、獲物を狩るように簡単にあの男へ向かうだろう。けれど――今はダメだ。彼女が近くにいる。
一歩でも間違えれば、巻き込んでしまう距離に、肺の奥まで空気を押し込んで衝動を沈める。
会話から察するに、男は幸運にも彼女と魔法薬学でペアとなったようだ。実験着のカラーは、スカラビア。____いや、本当に距離が近い。話し方も妙に馴れ馴れしくて、時折、拙いユーモアで彼女を笑わせようとしているが、それがまったく面白くない。センスのひとかけらもない。むしろ、聞いているだけでイライラする。
むくりと、また首を擡げる衝動を必死に押しとどめるため、 頭の中でスカラビア寮生を五回ほど絞殺するシミュレーションを走らせる。胸の奥で暴れそうな熱を散らすための、フロイドなりの深呼吸だ。
本当なら今すぐにでも、ミィをあのクソ男から引き剥がしたい。だが、過去に犯した失敗の記憶が、フロイドの足をその場に縫いとめていた。
とある晴れたデート日和。
フロイドが少し目を離した隙に、いけ好かないモブがミワにちょっかいをかけたのだ。もちろん、フロイドの短い導火線はあっという間に起爆した。背後から無言のハイキックをかまし、モブが悲鳴を上げるより先に胸倉を掴み上げ噴水に沈めたことがある。
デート先が人魚と親交のある陽光の国でなければ、普通にしょっ引かれる案件だ。いや、しょっ引かれかけたし、事情聴取はされた。だがそんなものフロイドにとってはどうでも良かった。雄(マーレ)がいる雌(メア)にちょっかいをかけた方が悪い、きっと彼の兄弟と幼馴染も同じようにいうであろう。
それが、人魚の常識なのだ。
けれど、人間は___ミワにとっては、違うことのだと。
先ほどまでフロイドに向けて微笑んでくれていた瞳が、涙でいっぱいになっているのを見て思い知った。
ミワは、フロイドの振る舞いを許さなかった。怒り心頭という言葉では足りないほどの勢いで、ミワの口から「ブレイクアップ」という単語が飛び出した瞬間、フロイドの思考は真っ白になった。パニックになりながらも、兎に角彼女を落ち着かせたくて、必死に謝り倒し、頷き倒し。____そうして、彼女といくつかの約束をした。
むやみに暴力を振るわない(ただし、ミワの前に限る)、すぐに怒らない(ただし、ミワに危害がない場合に限る)、状況を確認しない威嚇も脅迫も禁止(ただし、ミワが気づかなければセーフ)、その他その他エトセトラ。
…詰まるはなし。ミワの前に限り、フロイドは一切の暴力行為を禁止させられたのだ。それはフロイド・リーチの存在否定と紙一重であったが、彼女が変わらず自分の傍にいてくれるのならば、そんなことはどうでも良かった。
(落ち着け、今は… ミィに嫌われんのだけはヤダ、落ち着け落ちつけ…)
「オレ、一年生の時から……ずっとお前のこと、気になってた」
____カスが、こっちが下手に出たら、調子に乗りやがって。
その一瞬、理性を失わなかったのは奇跡に近い。本性に戻りかけた爪が土を抉って、鼻血が出そうなほど頭が沸騰したが、それでも、フロイド・リーチが耐えた。____ミワの答えを、信じていたから。
「…え?」
(…エ? じゃねぇええええええええだろおおがああああ!)
あまりに緊張感がない返答に、膝から力が抜けて崩れ落ちる。
いや、でも――まあ、しかし。想像通りといえば、想像通りの反応ではあった。フロイドの可愛いヒレのないプリンセスは、妙にマイペースで鈍感な所があるから。
「でもさ、気付いたら ほら…三年のフロイドと付き合ってて、オレ流石に出る幕ねぇなあって」
「あ、う うん …知ってたの、」
「うん、知ってたけど。言っておきたかったんだ」
フロイド・リーチという恋人がいると知っているにも関わらず、ミワをしょうもない独り善がりに着き合わせたスカラビアの男は今夜中に息の根を止めることが決まった。オレが止める。だとして、だ。
(断れ… オレがいるから、オレのことが好きだからって。… なんでもいいから、ミィの言葉で言って…)
祈るような気持ちとは、こういうことを言うのだと知った。
ただ一言でいい。彼女の言葉で、声で、自分に向けられた確かな想いが欲しかった。
フロイド・リーチのことを愛しているのだと、その確信が。
ミワ・ミズナシのフロイド・リーチに対する好感度は、マイナスからスタートしていた。
それでも恋人という関係に漕ぎつけたのは、フロイド・リーチの飽くなき献身と努力の賜物である。
大きな体を必死に縮めて、四六時中、献身的に彼女に寄り添った。そうして少しずつ砂粒みたいな好感度をかき集めて、どうにかプロポーズを受けいれてもらえたのだ。ちなみにその夜、オクタヴィネル寮のモストロ・ラウンジでは一晩中フロイド・リーチを称えるパーティーが開かれた。(人魚にとって恋愛の成就は、それだけ意味のあるビック・イベントなのだ)
けれど、そこからが本当の戦いであった。
なまじマイナススタートと自覚があるからこそ、フロイドは何時だって己の根底に渦巻く不安と戦っていた。___本当に、自分は彼女に愛されているのだろうか。
自分と同じベクトルで、同じ水深でこの恋に溺れているのか。
それとも、自分だけが深みに沈んでいるのか。
その答えを、ずっと得られずにいる。
「_____それで、答えを聞けたのですか」
それまで静かに事の顛末を聞いていたジェイド・リーチが、神妙な面持ちで続きを促してくる。フロイドが静かに首を振って見せると、ジェイドは口元を覆い、そんな。とショックを受けた様子で押し黙る。
「『ごめんなさい』って、それだけぇ 当たり障りないよね、ミィらしいけどさあ」
「フロイド、ああなんと言ったら良いのか」
「別に解ってたから気にしてねぇよ、元々オレが無理言って付き合って貰ってるトコあるし」
はあと、落胆を溜息の中に閉じ込めてフロイドは長い足を折りたたむようにしゃがんだ。月明りもない深夜、湿った土の上に転がる死体未満は、終わらない制裁にすっかりと気力を奪われたようだ。麻袋の中で必死に息を殺して、嵐が過ぎ去るのを待っている。その弱者の吐息も、人魚の聴力では耳障りなほど。
そうして肉袋を前に黙っている姿がどう見えたのか、ジェイドが伺うように提案する。
「沈めてしまいましょうか」
「やり過ぎでしょ」
「アニフィレッラに手を出したのですよ、四肢ひとつ失わず溺死するだけならば軽すぎるほどでは」
「ミワに嫌われたくない」
「ああなるほど、それでは妥協するしかありませんね。まったく、陸の文化とはかくも面倒な」
「ホントだよねぇ、ジェイド。締めちゃダメ。殴っちゃダメ。殺しちゃダメ、ダメダメダメ〜」
立ち上げるついでに肉袋の胸倉を掴み上げたフロイドが、一人で立っていられるはずもないそれをボールのように放って蹴り上げた。二度、三度と機械的に繰り返す。骨が砕けて、内臓が捻られる音が、静かな夜にリズミカルに響いた。ジェイドがそれにハミングを乗せて、頃合いを見てはマジカルペンに光を灯す。
___そうして、死んでしまわないように、適度に治してやるのだ。
人間は人魚と違って簡単に死んでしまうから。
「…」
「ごぼっ ぐぷ 」
「…」
「がっ あ し、 し、 ヌ ごぶ」
「…」
「 ぶぐ ぐ、 ヒュ ヒュー ヒュー」
「ぐずん」
「おや」
「うえええええ」と、突然子供のように泣き始めてしまったフロイドに、ジェイドは「おやおや」と困ったように振舞った。胸の内を占めていた怒りが、突然悲しみにすり替わってしまったというように、その嘆きはすさまじいものだった。「ミィ」「ミィ、どうじで」「こんなにずきなのに゛」と。ここにはいない恋人の愛を縋り、恋敵未満を殴り蹴る様子は、異常と言って他ない。
暫くするとそれすらどうでも良くなってしまったのか、蹲ってぐずぐず泣き始めてしまったフロイドの背をジェイドはよしよしと撫でてやった。
「今夜はこのくらいが頃合いでしょう、僕はフロイドのメンタルケアをしなければなりませんので___ジャミルさん、後はお任せしてよろしいでしょうか」
夜に向かって投げた言葉から、滲むようにして姿を現したスカラビア副寮長は苦い顔をしてフロイドとジェイドを一瞥した。
「随分と好き勝手やってくれたものだ」
「先に手を出したのは、あなたの寮生ですよ」
「わかっている。まったく、人魚の番に手を出すバカが、我がスカラビア寮にいたとはな」
「ちゃんと教育しとけよウミヘビぐん゛~~~~!!」
「はああーーー、カリムになんて報告すれば」
慣れた様子で意識を奪う魔法を唱えたあと、ジャミル・バイパーは肉袋を担いでスカラビア寮へと戻っていった。
「いらっしゃい、フロイドさん」
「うん、おじゃましま〜す! あ、これお土産、ミィがリツイートしていたやつ買ってきたんだあ」
フロイド・リーチという人は、いや、人魚は。
いつもわたしを喜ばせようと、サプライズを欠かせない。
見覚えのあるブランドロゴが入った紙袋を前に、自然と笑みが浮かんでくる。
「ありがとうございます、すぐにケーキに合う紅茶を準備しますね」
「それもオレがやるからあ、ミィは座ってて。ラウンジからこのケーキに合いそうな皿もくすねてきたんだあ」
隙あらばこれだ。甘やかし上手な恋人、と言えば聞こえはいいが。フロイドのそれは、いささか度が過ぎている。慣れてしまえば、わたしという人間がダメになってしまうような危機感を感じるので、せめてと。紅茶の準備は、任せてもらうようにした。
「これさあ、忘却薬?」
魔法でポットを沸かしていると、さっきまで椅子にいたはずの彼が、いつの間にかベッドサイドに立っていた。フロイドの指先には小さな硝子瓶がつままれていて、たぷん。と揺れるたびに、瓶の中の深い紫がかった黒い液体がまるで呼吸するように光を吸い込んでいく。
「アスペラス・クロマティアの比率多くね? これじゃあ飲ませたヤツの記憶を吹っ飛ばすだけじゃなくて、」
「深層心理のトラウマを刺激するように配合しました」
「ミィが作ったの」
「はい、…でも結局、使う前に終わってしまって」
どう廃棄したものか迷って、放置していたのを忘れていた。
フロイドは「ふ〜ん」と生返事を返すばかりで、小瓶から視線を外さない。興味があるのか、ないのか、今ひとつ読み取れない後ろ姿だ。何が彼の気にかかっているのかも分からないまま、彼女は紅茶の準備に戻った。
「ねえ、何に使うつもりだったの」
「え」
「これ」
ケーキを食べ終え、ゆったりと雑談していると、フロイドが突然思い出したように口を開いた。いつの間にか、彼の長い指にはあの硝子瓶が揺れていた。ちゃんと元の場所に戻されたか確認していなかった、と今さら気づいた。
「もしかして、欲しいんですか?」
「ううん、別にいらね。でも、ミワが誰に、どういう意図で使うつもりだったのかは気になるかも」
「あまり楽しいお話じゃありませんよ」
「いいよぉ、ねえ聞かせて」
甘やかすようでいて、妙に逆らえない声音だった。
フロイドはテーブルに腕を組み、首をかしげて続きを促してくる。別に隠し立てする理由もないので、頭の中で言葉を整理しながら答える。
「…少し前に、ちょっとイヤなことがあったんです。その意趣返しをしようと思って、作りました」
普通なら、自分の後ろめたい行為は恋人に隠したくなる
けれど、わたしの恋人はそういう“黒い話”に関して理解があることを知っている。日頃の彼の行動を思えば、この程度は取るに足らないのだろう。普段なら不安を煽るはずの事実が、このときばかりは妙な安心材料になっていた。
けれど、彼はとても嫉妬しいなところがあるから。…同級生の男子生徒に告白めいたことをされたというのは、黙っていた方が良いだろう。
『ごめんなさい』
そのときは当たり障りなく返した。けれど、時間が経つにつれて怒りがじわりと浮かび上がってきた。
恋人がいると知っていながら「それでも言っておきたかった」と言った彼の言葉。つまり、そんなことを言われても、わたしは困ると分かったうえで、あえて口にしたということだ。
それはまるで、自慰の道具に使われたような屈辱だった。
男がどんな心情であの言動に至ったのかなど関係ない。わたしは、あの言葉をそのままの侮りとして受け取った。それに気づいた瞬間、胸の奥がひどく冷えた。気づけばその日のうちにレシピ本を開き、調薬の準備をしていた。
もはや、あの男の中に、わたしの残像が一欠片でも残っていることが許せなかった。男の一方的な妄想に凌辱された自分など、もはや『わたし』ではないと解っていても、許容できなかったのだ。
「わたしは、フロイドさんの恋人なのに」
他所の男に『浮気』したifの姿(わたし)なんて、わたし自身が許しておけない。
___結局、あの男子生徒は休学してしまった。忘却薬を飲ませられなかったことだけが心残りだったが、その後悔のせいで男のことを思い出すのも癪で、昨日、心象操作の魔法でわたし自身の記憶の痕跡を消し去った。
そのせいで、硝子瓶の始末が疎かになってしまったのだ。…こんなことなら、せめてしっかり隠しておくべきだった。彼との大事な時間が台無しだ。
「フロイドさん、…?」
もうこの話は止めようと伝えたかったのだが、フロイドはそっぽを向いたまま黙り込んでしまった。
もしかして怒らせてしまったのだろうか。わたしの中途半端な話し方が気に障ったのかもしれない。
恐る恐る、もう一度名前を呼ぶと、ちらりとカナリアイエローの瞳だけがこちらを向く。柔らかく垂れた目元が、怒っているわけではないと教えてくれて、胸の奥がふっと軽くなった。
「どうしたんですか」
「……んーーー、別に。 ねえ、あのさ、答えたくなかったら別にいいんだけどお。もしかして、イヤなことされたのってミィと同じクラスのスカラビア寮生?」
「はい、そうですけど どうして、分かったんですか」
「んー んー…、なんとなく? えへへ」
へなっとテーブルに俯せたフロイドの長い足が、子どものようにパタパタ揺れる。わたしのサイズに合わせたテーブルは、彼にはどう考えても小さいはずなのに。「足ぶつけちゃいますよ」と伸びた足に手を添えれば、大きなフロイドの手がその上に重なり、ぎゅっと包み込んだ。
「オレぇ、ミィのことだあい好き」
「と、突然なんですか」
「えへっ 恥ずかしがりのミィは言えないんだよねぇ。だからあ、オレが代わりにい〜〜っぱい言ってあげる」
砂糖を煮詰めたような甘い言葉とともに、フロイドはわたしの掌に口づけを落とす。
その瞳は目に見えない熱に浮かされたように揺れていた。触れた唇から伝わる温度が、じわりとわたしにも移ってくる。
その熱の正体を、わたしは知っている。
「おてやわらかに…」と情けない声を漏らしても、フロイドはあの特徴的な声で愛情たっぷりに笑うのだ。

