Cosa ti fa sentire completo.

____「今週のブックテン、第一位は…ほしよみうらら著 『あなたの未来、のぞいてみませんか』!」
「!! 〜〜〜っ!」
「いたい、いたいよ ジェイド」
画面いっぱいに映し出されたタイトルを見て、感極まったようにジェイドがわたしの背を叩いた。
バシバシッと、手加減なしに叩いてくるので、持っていた湯呑からスプリンクラーのようにお茶があふれ出す。ダメだこりゃ、テーブルに緑色の水溜りができてらあ。
…ほしよみうらら、というのはわたしのペンネームのようなもので。名付けてくれたのは、駆け出しのころから面倒を看てくれているマネージャーの山辺さん。顔出しNG性別不詳、正体不明の『千里眼を持つ占い師』として(ありがたいことに)その界隈では少し名が知られている。
まあ、この第九(魔法過疎)世界では、唯一と言っても過言ではない本物の“魔法士”による占いなのだ。当たらない方がウソだろう。
「ミワ、この番組録画していますよね。あとでフロイドに送って自慢したいです」
「いや撮ってあるけど、NRCなら一年生で習う程度のことしか書いてないし、自慢するほどじゃあ…」
「おやおや、随分と謙遜なさる」
こてん、と首を傾げるジェイドはえらくご機嫌な様子だ。山辺さんから売上状況の電話を受けてからというもの、彼は筆者(わたし)以上に今日の発表を心待ちにしていた。その様子を思い返せば当然かもしれないが、どうにも照れくさくて、誤魔化すように首を擦った。
「僕は嬉しいです、ええとても。舞い上がっていますとも、」
「…ジェイドがそう言ってくれるなら、頑張った甲斐があるよ」
「ああ、僕の恋人はなんて素晴らしい人なのでしょう。 ふふ、これはアズールにも自慢しないといけませんね」
「止めて、恥ずかしい」
「ですが、これからミワに群がる有象無象の雑魚が増えると思うと、」
畳の上を滑るようにして、わたしの隣に寄り添ったジェイドが重苦しそうに言葉を切った。
「僕、腸が煮えくりかえりそうで。…間違っても、ファンレターの封を切らないでください。ええ、ええ。そんなことをされたら僕…、自分でもどうなってしまうかわかりません」
どこか仄暗い笑みを湛えたジェイドが、脅迫紛いの言葉を口にする。
いや、それは紛うことなくそれなのだろう。唄うような声音とは裏腹に、そこに籠められた荒波のような魔力圧にひやりとする。
そのまま、彼の手に誘われるがまま押し倒されて、え、どういう状況。彼の線の細い肩から滑り落ちたターコイズブルーの髪が、頬を擽る。そのいじらしさとは裏腹に、ジェイドの異色の瞳に妖光が灯る。縦に裂かれた捕食者の眼光、___人魚の瞳だ。
命を齧り取られそうな状況にあって、わたしが思い出したのは数か月前の記憶だ。ジェイドがこの世界を訪れて間もないころ、スーパー秘書の手により散らかった部屋はどこもかしこも掃除され、埃のひとつ見当たらなくなった。大抵にものはきちんと選別され、適切な保管場所に片されていた…あるひとつのものを、除いては。
___ダンボールに山ほど詰まった、未開封のファンレター。
どこに仕舞ったのか、はたまた廃棄されたのか。
人魚である彼に態々聞くのも野暮な気がして、ずっと放っていた記憶だった。
…わたしが別のことを考えていることに気づいたのだろう。すこんと表情抜け落としたジェイドが、その鋭利な歯で喉元に噛みついてきた。死ぬことも、彼に殺されることもかまわない。むしろ本望だと言える、けれど、誤解されたままというのはどうにも嫌なので。彼の艶やかな髪を撫でて、うんと考えた。
「段ボールごと燃やすよ」
返事がない、間違えただろうか。彼ならきっと、そうするだろうと思ったのだが。「シュレッダーの方が良かった」と続く言葉で尋ねれば、耳元で少し呆れたような溜息が返って来た。
「火でお願いします。見たくもありません。貴方への恋文なんて」
「…送ってきてる人は、わたしが男か女なのかも知らないよ」
「性別(そんなこと)は関係ありません。ああ、無知とはなんと怖ろしい。よりにもよって、僕のヒトを誑かそうとするなんて、…ひとりひとり喉笛を噛み千切って、サメの餌にしてやりたい」
「そんな無茶な」
「差出人の名前も住所も、すべて覚えています」
覚えていますよ。と、ジェイドがゆっくりと繰り返す。
込み上げる人魚の激情を抑えようとしているのか、感極まったように掌で顔を覆い蹲ってしまった。大きな背を子どものように丸めて震えながらも、僅かな隙間から窺い知れる瞳は、爛々と狂気の色をちらつかせていた。
あの何十、何百とあった手紙の差出人をすべて覚えているなんて。尋常ならそんな馬鹿なと、一笑に付すことも、彼がいうのだから真実なのだろう。彼にそれだけの能力があることは、学生時代に身をもって思い知らされている。
「…ジェイド、戸籍ができたらさ」
「―――、」
「婚姻届を出しに行こうか、そうしたら少しは不安じゃな ぐぶふ 」
「ああもう、貴方って人は!!!」
すき!!!!と、全身で叫んでいるような抱擁だった。
ああ、本当にわたしの人魚姫は、今日もちょっとだけ嫉妬しいでとても可愛い。

「なにこれ、キレイだね」
その日、ジェイド・リーチが手土産として持参してくれたものは、見たことのないお菓子だった。大きさは掌に収まる程度、銀で縁取りされたダイアモンドカットの上蓋には海面が描かれ、外側にいくにつれ深度を増していくようにグラデーションされていた。開いてみると、箱の中にはパールのようなものが数十粒ほど納められていた。
「キャンディ?」
「いえ、魔法薬です」
「新しくラウンジで売り出す予定の試作品とか」
「違います、僕があなたのために配合したものです」
ジェイドの長い指が、ひとつパールを摘まむ。彼の手は大きいので、そうしているとパールが小さく見える。光沢のある乳白色の表面には、時折小さな魚影が浮かび、飛び込むようにして見えない海面へと潜っていく。それを彼は___ぴたりと、わたしの唇に添えた。
「口を開いて、」
黙考。
これは、新手の詐欺か否か。
黙りこくってしまったわたしを責めるように、全身に異色の視線が突き刺さるのが解る。しかし、彼には前科がある。清廉潔白な装いが上手なわたしの人魚姫は、溢れる好奇と探求の欲を持って、自分も他者も巻き込んでインシデントを引き起こす天才なのだ。(そして、巻き込まれるのはわたしも例外ではない)
どうしたものかと思考を巡らせるわたしを急かすように、ジェイドの指にかかる力が強さを増す。ぐいぐい、と容赦ないので歯ががががが、痛い。がつがつ当ててくるもん。
(南無三)
頑固な彼のことだ。すでにわたしに飲ませると決めているのなら、どんな手を使っても目的を達成するだろう。わたしに残されているコマンドは、諦める一択なのだ。故に、三宝仏に願いて、わたしはパールを飲みこんだ。
「……ち、ちなみに効能は」
「身体強化の魔法薬ですので、ざっくりですが元気になります」
「それだけ」
「ダンプトラックに轢かれても無傷ですよ」
「す、すげえ」
「ですが、効果は三分です」
「スターマソオだった」
しかし、どうしてそんな薬を。
頭の中にクエスションを飛び交わせていると、「立って」と腕を引かれる。大人しくベッドから立ち上がると、同じようにイスから立ち上がったジェイドが、わたしの半歩前で足を止めた。そうして向かい合うと、改めてその体躯の良さに驚かされる。
発育が良い、逞しいというのとはまた違う。
根本として、生物の造りが違うのだと見せつけられているような。
「ジェイド」
「Shh」
長い腕がわたしの顔の横をすり抜けて、その背が光を遮るように視界を覆い尽くしていく。失われていく視覚、その代わりに深い海の香りが濃くなる。光の届かない深海に落ちたような錯覚と共に、わたしはジェイドに抱きしめられていた。
「…? どう、」
続く言葉は、ぐっと強くなる拘束に遮られた。息苦しさはなかった、けれど何時ものハグとは明らかに違う意図を感じる。その正体は、視線をすこし逸らした先にあった。
ジェイドの太い首に、何時もはないものが浮かんでいた。ぼこりと、青白い皮膚に浮かぶ血管にぞっとした。___もしかして、わたしは。いま絞殺刑執行装置にはめ込まれているのでは。
気付いた後も、ぐっぐっ。とわたしの身体を締め付ける力は強くなっていく。おそらく、とっくに人間の耐圧力を超えている。魔法薬が無かったら、いまごろわたしはたこせんべいになっていることだろう。いや、冗談ではなく。
正常に呼吸できるが、それに気づくと精神にかかるストレスがマッハで許容量を超えた。反射的に引き剥がそうと彼の背に手を回し、すぐに後悔した。岩?なにこれ石?え、崖なの、人間の背中の感触ではないのだが。掴めるところな、え、制服が悲鳴を上げてるなこれ。
結論。わたしはいま、海ゴリラに抱きしめられています。
_____下手に動けば、死ぬ。
察しの良いわたしは抵抗することやめ、スンっと彼に身を預けた。どうか彼の頭に、薬効三分の注意書きが残っていますように…。
開放された後、被告人は「一度、加減せずに抱きしめてみたくて」と、少女のように無垢に恋濡れた瞳で白状した。海ゴリラによる全力ハグが齎す幸福感は凄まじかったようで、「これからもお願いします」と彼の手でぎゅっと薬の納められたケースを握らされた。南無三。

「違う世界であろうと、どうとでもなりますよ」
深海から、陸へ。八本の鰭を二本の足に化えてやって来た商人は、こちらを一瞥もせずにそういった。「それとも、アレの能力をお疑いで?」 続く冬の湖を思わせる麗人の口ぶりは、友人を勧めるというより、商品の説明をしているという方がしっくり来た。はあ、なるほど。と生返事しか返さないわたしをどう思ったのか、彼は最後に独り言のように呟いた。
「まあ、あなた達がどうなろうと、僕にはどうでも良いことですけれどね」
突き放すような言葉だったけれど、その奥に一欠けだけ。彼の情が見えたような気がした。
「…」
実家の小さな台所で、割烹着を着たジェイドがいる。いや、それだけならここ数か月で見慣れた光景だった、それだけなら、だ。ジェイドはあちらへこちらへと忙しなく移動して、三脚に備え付けられたビデオカメラ、ゆっくりと回しては、アングルを調整し、照明やパネルの角度を変えている。
大きな男が、忙しなくちびちび動いている様は、なかなかどうして見応えがある。用事もそっちのけでその様子を見ていると、どうやら区切りが良くなったらしいジェイドが、一仕事終えたように息をついて「どうかしましたか、ミワ」といつもの調子で応えた。
「甘いものが飲みたくなってね」
「なるほど、ではカフェラテを用意しますね」
「嬉しいけど、何かしていたんじゃないの」
「ああ、あれは…」
台所を振り返って、ゆっくりと瞬きをする。ターコイズブルーの睫が震えて、次にオリーブの瞳が見えた時には、彼はすっかり頭の中でスケジュールの調整を終えたようで「ご一緒しても?」と、いつもの蕩けるほど甘い笑みでわたしの頬にキスをくれた。
遠く、世界を超えた向こう側にいるジェイド・リーチの友人。アズール・アーシェングロットの逞しい商魂は健在であり、今度は異世界をネタに一山当てようとしているらしい。ジェイドは、この第九(魔法過疎世界)に渡界するにあたり、少なからず彼の持つコネクションを借りたようで、台所をひっくりかえしてのアレコレはその”支払い”の一環らしい。
「しかし、彼のためだけにというのも癪なので。どうせなら、僕やあなたのためになることにもつなげようと思っています」
「わたしたちに?」
「ええ、ワンダーランドで言うところのマジカメ…。こちらではYouTube、インスタと言いましたか。動画や写真はアズールに送るものを使い回しできますし、編集は多少経験があります。あとは上手いこと注目さえ集められれば、広告収入が得られる」
…ああ。商魂が逞しいのは、彼もだったか。
少し興奮した様子で今後の段取りを語るジェイドを見るに、どうやら彼の中で全て決定した事項(こと)らしい。家事の全てを請け負ってくれても、彼は体力を持て余しているようで「何か」「お手伝い」とそわそわしていることが多い。ゆっくりして良いよ、と口では何度も伝えてきたが、どうにもしっくりこない困り顔をさせてしまうことが多かったが…、なるほど。最近、そんなことを言わなくなったと思ったら、こういうことか。
元々のんびり、ゆっくり。という時間の使い方は、ジェイドには合わないようだ。本人も楽しんでいる様子だし、問題ないだろうと、わたしはうんうんと彼の話を聞いた。
「____ですから、ここまでをまずは目標登録者数として、その次は…、ミワ、」
「うん」
「どうして笑っているんですか」
「え、あ〜 いや、ちょっとね」
_____「違う世界であろうと、どうとでもなりますよ」
遠く、世界を超えた向こう側にいる、恋人の友人の言葉が蘇る。ああ、そうだ。そうだとも、わたしは彼を疑ったことは一度としてない。
逞しく美しい人は、きっとこの世界でも上手に歩いてくれる。
一本の鰭を二本の足に化えて、陸で踊ることを選んだ人魚なのだから。

「そういえば、テラリウムはもうしてないの?」
水に流したお茶碗を受け取ったジェイドが、「しています」と答えた。
「第九への動植物の持ち込みは一切禁止されているので、あちらのものは全て片付けてきました」
「なるほど、…ジェイドさえ良ければ、また初めてみるのはどうかな」
第九世界での戸籍が発行には時間がかかる、それまでジェイドは迂闊に行動することができない。
日中を室内と庭で過ごし、わたしが仕事をしている時間は家事や世界文化の学習に励んでいる。新聞やテレビを使って、この世界で生きていくために必要な常識、政治、物流に物価に色々と、学ぶことには事欠かないらしいが、息抜きも必要だろう。
「なら、僕気になっているものがありまして。なんと言ったか…ぼん、 ボゥサイ?」
「盆栽」
「それです」
ジェイドが、日本人より日本文化に精通している外国人のテンプレみたいになっていくなあ。
キラキラした瞳で盆栽について語るジェイドに、うんうんと頷きながらそんなことを思った。彼がわたしよりこの世界について詳しくなるのに、そう時間はかからないだろう。
善は急げと。その日の内に、近場のホームセンターなどを巡って必要な道具を揃えた。すると、帰り際にジェイドが「あ」と声をあげたので、何かと見ればホームセンターの隅に所狭し並ぶ竹ぼうきを見つけた。
「そういえば、あなたの家には箒がありませんでしたが」
「第九(こっち)に戻ってきた時、台風でボロボロになってね。それっきりだよ」
目隠しの魔法を施した箒は、術破りができる魔法士にしか見つけることができない。だから、こちらの世界に戻った後も、箒で散歩することを日課にしていた。
「最初はけっこう落ち込んだけど、その後ありがたいことに仕事が忙しくなってね。だから、ジェイドに聴かれるまで忘れていたよ」
「…そうですか。では、これも買いましょう」
「なんで???」
ひょいっと竹ぼうきを手にとるジェイドの意図が読み取れず、思わずそんな言葉が口をついた。
「ジェイド、わたしが空飛ぶの嫌いでしょう」
「おや、気付いていましたか」
「さすがにね、…」
学生時代、ジェイドはなにより飛行術を苦手としていた。自分が上手く飛べないからか、理由は知れないが、箒で飛んでいるわたしを見ると、解りやすく不機嫌な顔をして降りてとせがまれたものだ。
「“もう良い”ですよ、飛んでも」
「もうって、前はなんでダメだったのさ」
竹ぼうきを受け取り、魔力を流して具合を確かめた。…久しぶりだが、これなら少し練習すれば飛べそうだ。その前に目隠しの魔法を施す必要があるので…、と段取りを頭の中で組み立てながら、ジェイドの様子を伺う。彼は何時もみたいに眉を垂らして、見てくれだけは困ったような笑みを貼りつける。
「なんででしょうね」
「__! __、___!」
「__、 いたぞ ____、!」
「こっちだ!」
有象無象の中にあっても、その姿はいつだって輝く星のようであった。
嫌がおうにも関わらず、僕の瞳に入り込んでくる女性。
(どうして)
行方不明だと聞いた。最初は寮生だけで探して、見つからないから教師も駆り出ての大事になった。月が最も高く昇る時間に漸く見つかったその人は、傷だらけの状態だった。全身を土と木くずで汚して、運動着は破けて、薄い肌に赤い裂傷がいくつも走っている。
(どうして)
死ぬことはないと確信していた。だから見つけたら、パフォーマンスだけでも心配していた素振りをしようとしていたのに動けない。足を夜に絡め捕られてしまったみたいに、僕はその場に縛り付けられた。振り返ることすら許されない、その光景を瞳に焼き付けろと人魚(もうひとり)の僕が嗤う。
(どうして、どうしてどうして)
_____なぜ、あなたなのか。
駆け寄ってくる人たちを心配させないようにと笑うひと。その人を見つめる異色の瞳、僕と同じ顔が、いつかの僕と同じ顔で彼女を見つめている。
止めて、「___フロイド、」
そのひとを、ぼくからとらないで。