茨の谷でマレウスドラコニアに拾われた

____「どうして、そんなことができないの」
___「自己管理もできないのか」
_______「まずは、この薬から試してみて検査を」
わたしが生きていた世界は、わたしにとってとても息がし辛い場所だった。
ぐるぐると言われた言葉が、軽蔑の視線が、頭の中を回る。どうにもならないのに、どうにかしようと努力して、身体を溶かす薬を飲んでまで、この世界で生きなければならない理由なんてないはずなのに。今日も朝はくる______ああもう、朝なんて永遠に来なければ良いのに。
(_______夢、)
ぐるりと寝返りを打って、ベッドから下りる。冷たい石畳の感触が、寝起きの火照った体に心地よい。カーテンを開けば、そこは永久の夜が落ちた世界。“見慣れた”光景に、わたしは安堵の息をついて自分自身に呟く。
「おはようございます」
この世界に来てから、眠りから目覚める瞬間がとても心地の良いものだと知った。
____茨の谷の中央に聳えるこの城は、谷を滑る王族が住まう尊き場所。城に住まう者は、見な優れた才能と、古の叡智を繰る賢者ばかりだ。下働きの者にしても例外ではない。名の知れた貴族と縁になる淑女が集う中で、わたしという人間はまるで名画に落ちた墨汁の染みのようだ。
「谷の外の人間は、魔法が使えない者も多いと聞くわ。そんなに気を落とさないで、ミィ」
「魔法がどうこうというよりも、あなたはまずそのそそっかしさをどうにかするべきね」
「は、はい! 気を付けます」
ぐっと雑巾を握り締めて宣言するも、先輩たちはくすくすと優雅に笑うばかりだ。その度に黒と緑に縁どられたエプロンドレスがひらりと舞い、きらきらと魔法の光が瞬く。まるで妖精が踊っているようだ。ほうと見惚れてしまうが、ハッ! いけない、それではいつまで経っても掃除が終わらない。魔法で泡や布を操る彼女たちと違うのだ、わたしは粛々と手と足を動かさなければ。
「まあ、あなた“目が覚めた”って本当だったのね」
「おはようございます! その節はご迷惑をおかけし申し訳ありません」
「ふふ 気にしないで、だってとっても面白いものが見られたもの」
「あなたそんな言い方ないじゃない」
「あら、あなたも楽しんでいたでしょう。 この城に仕えて長いけど、“若様”のあんな顔みたの初めて」
通りかかった先輩たちは、わたしのかけた迷惑に嫌な顔一つ見せない。それどころか楽しそうに笑って、一か月前の話をする。聞こえてくる黒歴史に、こちらは赤面するばかりだ。
一通りの朝の務めを果たし、休憩室で休んでいると女中頭に呼ばれた。他の使用人とは異なり、刺繍が凝らされたウィンプルを纏う厳格な女性は、生きた時間と共に刻まれた皺の数を感じさせない程に凛とした佇まいの人だ。この城で右も左もわからなかったわたしを、指導してくれた人のひとりでもある。
「宰相閣下が及びです、午後の仕事は違うものに割り振りました。疾く参上なさい」
「はい、ミセス 茨の魔女の祝福が在らんことを」
別れの挨拶をして、速足で閣下の執務室…ではなく、錠のある扉を探す。…この城は魔法を使うことを前提に作られているので、人間の足で移動しようとすると大変な苦労がある。道中には複雑な魔導具も多く、わたしの足で閣下の執務室に行こうと思えば3日はかかるだろう。いや、嘘偽りではなく、本当に。数日前もその所為で痛い目をみたばかりだ。“目覚めて”すぐに、閣下から渡された移動の魔法具…キーリングに下がるウォード錠。その中から意匠の細かいルビーが施されたカギを取り、錠に押し込む。それは不思議とかちりと合い、開いた先には宵闇が一面に広がっていた。
「おお、ミワ! よう来た、待ち侘びたぞ」
「お呼びであるとお伺いして参りました、閣下」
「許す、入れ」
許しを得たので、執務室に入る。扉を閉めると、机に向かっていた閣下がいつの間にか手前のソファに座っていた。目線で促され近くに寄ると、頬杖をつきながら満足そうに笑った。
「魔導具は上手く機能しているようじゃのう」
「はい、とても助かっております。その節は感謝に限りがございません」
「なにを堅苦しい! 今はわしとおぬしだけで、誰もおらん。ならばわしは、茨の主と共に庇護した娘と話がしたいのう」
じっと真紅(ルージュ)の瞳に見つめられて、もごもごと口を迷わせる。おそるおそる「リリア、様」と呼べば、閣下は…リリア・ヴァンルージュは綻ぶように笑った。
彼女…とも見える美しい容姿の彼は、茨の谷の宰相閣下にして、わたしの後継人にあたる人だ。この谷に古くから住まう妖精族の末裔のひとり。少年のような身なりで、ゆうに一世紀を超える時を生きているというのだか驚くほかない。
「いやあ、おぬしが眠りから覚めん時はどうしたものかと思うたが… こうしてまた、一緒に茶を飲めることのなんと喜ばしいことか」
「そ、その節は本当にご迷惑を…」
「クフフっ よもや西の塔に迷い込んで糸車で指を刺してしまうとはのう。あれはかつて茨の谷におった高尚なる魔女…茨の魔女の遺産じゃ。刺したものは眠りにつき、千夜を超えても目覚めることがないと言われておる」
「なる、ほど…?」
一月前、仕事の最中に迷子になったわたしは出入りを固く禁じられていた西の塔に迷い込んでしまった。そしてそこで不思議な光を放つ糸車に魅入られて、指を刺したという。その後のことは覚えていない。覚えているのは目が覚めた時…皆が一様に安堵していたということ。
聞けば、わたしは一月の間眠り続けていたという。飲食をしていないというのに、体が衰えていなかったのは「そういう魔法だから」と説明を受けた。本来なら決して解けないはずの茨の魔女の魔法、それを解いてくれたのは目の前の後継人…リリアと、この世界で迷子になっていたわたしを最初に見つけてくれた人だった。
「強力な魔法を宿しておるにも関わらず、管理が甘かったのは確かじゃ。そこはわしらの責任故、おぬしが詫びることは何もない。それに安心せえ、糸車はもう塔にはない」
「移動したのですか?」
「うむ、ついでにおぬしがうっかり呪われたり、発動させてしまいそうな魔具はぜーーーーんぶ、地下の魔法庫に移動させたわ! クハハッこれでもなお見つけるというなら、おぬしにはもうそういう才能があるのじゃろう!」
ひいふうと、指折り数えながらリリア様はくつくつと肩を震わせる。リリア様はわたしがこの茨の魔城で働き始めてから…不注意で動かしてしまったアレコレを思い出しているに違いない。もう顔が上げられない。あの時は浮かれていたのだ、だってこの世界にきて“わたしの体を蝕んでいた呪い”が無くなったのだから。
「…むっ そろそろ刻限か、名残惜しいが行くとするかのう」
「なにかお約束ですか」
「おぬし、目覚めてからというものずーっと仕事に打ち込んでおったであろう? じゃからあやつが拗ねてしもうてのう」
「すねる」
「『病み上がりに仕事をさせるほど、城の人事は緊迫しているのか』やらなんやら、理由をつけて仕事をほっぽり出そうとするから大変であったぞ」
ぱちんと、リリア様が指を鳴らすと魔法の光と共に、見慣れた礼装の姿に変わる。この国の有数の権力者であるリリア様が、礼装で赴く相手など数えるほどで。わたしは漸く合点がいって、嗚呼と頷く。
「すみません、仕事に夢中できちんとお礼をしていなかったかもしれません!」
「いやいやいや、それはないじゃろ。 おぬし目が覚めてすぐ、あやつに土下座しておったろう」
「で、でもやっぱり足りなかったでは…」
「まあ…それも、直接会って聞いてみるが良かろう。 さあ、手をこちらに」
差し出された小さな手、心の準備ができていないがリリア様は待ってくれない。迷いながらも手を重ねると、ふわりと足元から妖精の風が巻き起こった。星屑のように散らばる煌めきに目を閉じると、空気の渦に呑み込まれるような不思議な感覚が全身を包み込んだ。
とんと、足が地面につく感覚。リリア様がエスコートしてくれたおかげで、転移酔いで転ばずに済んだ。それでも少しくるくるする頭を摩っていると、久しく目にしていなかった銀色が見えた。
「親父殿」
「おお、シルバー 見張り役ご苦労じゃな、あやつは大人しくしておるか」
「ええ、親父殿のおかげで …お久しぶりです、元気そうで何より」
「ありがとうございます、騎士様」
同じ人間とは言え、騎士職の方を名前で呼ぶことは憚られていた。剣を扱う職の者たちには、その身を剣に例えるため女に名を呼ばれることで穢れ、障りとなるという言い伝えがある。無論、迷信の類であるが、この茨の谷はそういった伝承を尊んでいる。魔法の世界に、意味がない伝えなどないのだと。
「しばし“籠る”、人払いを頼めるかのう」
「心得ました、茨の魔女の祝福が在らんことを」
騎士様との挨拶もほどほどに、リリア様に促され扉を潜る。扉の向こうは、重厚なアンティーク家具で統一された廊下が続いていた。歩けば眠りについていた蝋燭に火が灯り、ビロードのカーテンに影を落とす。一際大きな黒塗りの扉、初めて見たとき、かつての世界で地獄の門と謳われていた美術品を想起させた。象られたガーゴイルが石の目をギョロギョロと動かして、リリア様とわたしを見る。すると、扉の茨がずるりと動き一人でに扉が開かれる。
「____マレウス、客人を連れてきてやったぞ」
かつんと、リリア様のヒールが大理石を叩く。その向こうで、ひとり静かに佇んでいた主が顔をあげる。目が覚めるようなエメラルドの瞳に、わたしたちが鮮やかに写る。夜を溶かしたような黒い髪、そこから伸びる山羊の角。静寂の中で呼吸する音すら感じさせないその姿は、すわ魔王と見間違うほどだ。
彼が、マレウス。マレウス・ドラコニア____この茨の魔城に住まう、若き妖精王。
「ああ、座ると良い」
黒羽のペンを羊皮紙に滑らせてながら、マレウス様が言う。リリア様が背を押すので失礼して、おそるおそるソファに座った。ふわふわだ、高そうだ! 感動してリリア様を見れば、そこはもぬけの殻だった。
???????
頭をクエスチョンマークでいっぱいにしている間に、かたんと音がする。マレウス様がペンを置いて、席を立ったのだ。
「リリアから様子は聞いている、…ミワ あれから暫く経つが、身体は問題ないか」
「! はい、とても元気です。これも、若様とリリア様のおかげです」
近づいてくる姿に、慌てて立ち上がる。だが、手のひらで制されて「座っていろ」と言われた。するとふわりと黄緑色の光が巻き起こって、柔らかい力でソファに戻された。こういう時、本当に魔法で便利だと思う。
「茨の魔女の魔法は強力だ、今回はどうにか解くことができたが万が一ということもある。…なるべく、僕かリリアの目が届く範疇にいるのが望ましいが」
「…あ、あの、」
「はあ、わかっている。リリアにも言われた、ようやく馴染んだ仕事を奪ってやるものではない、とな」
ソファに腰掛け、どこか物憂げにため息をつくマレウス様。その眉間の皺の向こうには、にこにこ笑う後継人がいるに違いない。リリア様、ありがとうございます。心の中で神さまに祈るように感謝した。
「ゆえに今の仕事を続けることは許そう、だが何か変わったことがあればすぐに僕に報告しろ」
「はい!」
「…いや、変わったことがなくとも良い、なるべくその日にあったことは僕に伝えるように。この城におけるモノの判断など、人間のお前に正しく分別がついているか怪しいものだからな」
「で、ですがそれでは若様のお仕事の邪魔になるのでは…」
「自分のものの面倒をみるのは当然だろう」
マレウス様は、この世界に落ちたわたしを…不安と恐怖で泣きむしっていたわたしを、猫の子を拾うように救ってくれた。最初は人間離れした体躯にすわ喰われると怯えていたが、話せば話すほど、彼は…こういっては語弊があるが…普通の、優しい王様だった。
「手を出せ」
「は、はい」
するりと皮の手袋を取った大きな手に、小さくてみすぼらしいわたしの手を戸惑いながら重ねる。普通なら大変無礼なことだが、これには理由がある。ぽつぽつと、マレウス様が聞き取れない言葉を紡いだ。やがて重なった手の上に黄緑色の光が灯る。それはマレウス様の体を伝って、わたしの体へと流れてくる。…この光は、マレウス様の魔力だ。
「やはり、いつもより消耗が激しいな」
「え、でも今朝も“ふつうに”目が覚めました」
「無意識に緊張しているのだろう、いつもより少し多く容れておこう」
マレウス様の言葉とともに、ぞくりと背筋が粟立った。つながる手が熱い、無意識のうちに詰めていた息を吐いて、深く呼吸を繰り返す。逃げようとするわたしの手をマレウス様が許さない、体の中に廻る熱に眩暈がした。
(こんないっぱい、魔力もらうのはじめて、だ)
_____この世界にきて、明らかになったことがある。
わたしには魔力を受容できる器官が備わっていた、だが魔力を“生成”する器官がない。それは常にガソリンがない車を動かすようなもので…慢性的にエネルギーが不足している状態だという。ガス欠になった車がエンジンを止めるように、わたしの体はエネルギーが切れると…眠りに落ちる。わたしの世界では、そういった症状はナルコレプシー等と呼ばれていた。
…わたしは、原因不明の過眠症を長く患っていた。
意思に反して、気づいたら眠りに落ちる。授業中も、移動中も、…仕事をするようになっても、それは続いた。沢山眠っても関係ない、わたしの体は時に糸が切れたように眠りに落ちる。医師に相談しても、病例が当てはまらず宙に浮いた状態で、いくつもの薬を処方された。それは、覚醒の代わりにわたしの体を壊すものばかりで、飲むたびに気持ち悪くなる。
毎朝、効き目のないそれを泣きながら飲み干した。効き目がない薬なんて飲みたくない、でも飲まないと、社会はわたしが生きることを許してくれなかった。
___だけど、この世界では違う。マレウス様が魔力をくれれば、わたしは眠ることはない。普通の人間と同じサイクルで生活ができる。リリア様曰く、わたしの魔力容量はすさまじいもので、この魔法に特化した茨の谷をもってしても、わたしが満足に生活できる量を苦も無く供給できるのはこの国の次期王…マレウス様しかいない、と。それから、マレウス様はこうして定期的に魔力を受け渡してくれる。魔力の使えないわたしには良くわからないが、その受け渡される量をみてリリア様が苦虫をかみつぶしたような顔をしたのを覚えている。
____「わしなら魔力過多で自爆するぞ!」
リリア様をもってそう言わせる量を供給しながらも、マレウス様はしれとしていた。気になって尋ねたが、「僕にとっては問題ない量だ」というばかり。後で聞けば、彼はこの世界でも屈指の魔法力を有しているらしい。そんな彼にとっては、この程度のことは朝飯前なのだろう。
(…むかしは、眠る度に恐かった)
明日は目が覚めるだろうか、身体や内臓はきちんと動くだろうか。…また眠ってしまって、みんなに怒られないだろうか_______
でも今は違う、理不尽な眠りに侵されることはない。ま、魔法に触れて眠ってしまったことはあったが。仕事をしている時に、そういった事は起きた試しがない。
こんなにも仕事をすることが楽しいこととは知らなった。眠ることで安らげるなんて知らなかった。
知らなかったんですよ、マレウス様…あなたに見つけてもらうまで。
「こんなものだろう、足りなくなる前に会いに来ると良い。この程度のことは、僕にとっては何の障りでもなんでもないのだから」
「…はい、 はい、ありがとうございます マレウス様!」
重ねた手を握り締めれば、マレウス様は少し目を丸くした。だがすぐに柔らかくほどいて、楽しそうに「ああ」と笑った。握り返してくれる手の、なんて暖かいことだろう。初めてあった日を思い出す、冷たい夜の世界で迷子になっていたわたしを拾ってくれた、暖かくて…優しい手。
親にすら見捨てられたわたしを拾ってくれたのは、茨の国の王様だった。
ああこの人生は、なんてステキな御伽噺だろうか。