鳴上嵐は魔物を飼っている
「おねえーちゃーんっ!」
「!」
「あ、ことりちゃんや」
水梨ことりといえば、この夢ノ咲学園では“有名な”方のマネージャーだ。マネージャー育成コースのテストケースとして、桜の季節にアイドル科へと招かれた数人の女子生徒。そのひとりが、彼女だ。
ふんわりとしたラインにたっぷりとしたレース。上品な紺のドレスに施された細やかな意匠が、ガラス窓からこぼれる光をうけてちらちらと光る。白いエプロンドレスは、シンプルだが切り替えしや折り目に製作者のこだわりが見え隠れしている。そんな衣装を纏ったことりが、とろんと溶けそうな笑顔でぱたぱたと走り寄って来た。
「なんやことりちゃんかわええなあ〜 ヴィクトリアンメイドさんやね」
「ごきげんようみか先輩、おしさんが作ってくれたんですよ」
「お師さんかあ! やっぱりなあ、この刺繍はそうだと思ったんよ」
えへへと笑うことりにつられて、影片も笑う。
ことりは影片と同じユニットリーダー斎宮宗に良く気に入られていた。ここ最近はこうして手ずから衣装を与えることも多く、手芸部の部室で彼女を見ることは多い。____ことりが仲介したオファーをValkyrieが受領し、その報酬としてことりは斎宮のお人形としてセルフレンタルされる。Win-Winの関係といえばビジネスライクそのものだが、そこにはそれ以上のものがあると影片は感じている。
「で、それをなるちゃんに見せにきたん?」
「うん お姉ちゃんー!」
「 ヒッ」
びゅんとすっとぶように駆けて行ったことりが、鳴上にタックルするようにして抱き付いた。こっそり逃げ出そうとしていたのか、鳴上はよろけ後ろの壁に頭をぶつけている。その顔は真っ青で、見ているだけで可哀そうになる。聞こえて来た引き攣る様な悲鳴が本物なのだと良く解る様子だ。だが、影片は何かアクションを起こすことはなく成り行きを見守った___もちろん、そこには理由がある。
「ふふっ お姉ちゃん、どう? おしさんが今日のは特に完璧に仕上がったから見せびらかしてくるといいって、だからお姉ちゃんのところ一番にきたの」
「へ そ、 そう そうなのねェ とっても可愛いわ! 似合ってるわよォことりちゃん!」
流石はアイドルにして現役モデル、その表情は何時もの“鳴上嵐”そのものだった。だが如何せん、まるで拳銃をつきつけられた犯罪者のようにホールドアップしている両手の所為で色々と台無しだ。美しく天井へとピシッと上がられている両手に、影片は近所の横断歩道を渡る小学生を思いだした。
「ほ、ほんと? お姉ちゃん、ほんと?」
「! ええ、ほほ ほんとよ、 だからことりちゃん、 ちょっとはなれ 」
「うれしい…!」
ぶわりと見えない花が咲き誇るのを、確かに影片は見た。“お姉ちゃん”に褒められて天にも昇る気持ちなのだろう、鳴上の腰に抱き付いたまま小さくぴょんぴょんとことりが跳ねる。その頬は桃色に染まり、傍から見てもことりが嬉しくて堪らないことがわかる。とろんと溶けてしまいそうだった笑みは、今やどろどろだ。
(あ〜こらあ、あかんなあ)
あまり頭が良くないと自負する影片ですら勘付くほどの好意に、機微に敏い鳴上が気づかないわけがない。ちらりと鳴上を見れば、その顔は…見ているだけで同情するほどに真っ赤に染まっている。ワイシャツから覗く太い首元から耳の先まで赤く、いつも余裕と自信に満ちている紫苑の眸は今にも泣き出しそうだ。ふわふわと夢心地でいることりには、きっと鳴上の野太い「うそだろ オイ…」という事実上降参宣言は届いてないに違いない。
これほどに真っ直ぐで両手では抱えきれないような好意を寄せられて、尋常でいられる筈もなくて。
「えーっと、 ことりちゃん、ことりちゃん。 なるちゃんだけやのうて、俺にもお師さんが作った衣装みせてぇ〜 かわいい服みたいわ〜」
「ん! お姉ちゃんが『かわいい』って言ってくれたから、絶対にかわいいよ! です!」
「あん 俺にも言葉くずしてええのに、 あーかわいいわあ〜」
衣装が見たかったのは本当なので、ぱたぱたと寄って来たことりの前に屈んでみる。後ろでは漸く解放された鳴上が壁に腕をついて呼吸を整えていた。まるで校舎を何十周もした後のようだ。その姿に心の中でエールを送り、影片は鳴上に褒められて嬉しそうなことりと他愛のない話をした。
_______「アタシのことはお姉ちゃんって呼んでちょうだい」
そう言ったのは、確かに鳴上からだった。
桜とともに訪れた女子生徒全員にかけたありふれた言葉は、しかしただひとりにとっては“魔法”の言葉だった。
「ほ、ほんとうに…?」
(アラッ)
最後に出会った少女、…何人かの生徒の中でもひときわ小柄で、声の小さな女の子…。ノリの良い返事や、まるで台本を読むような返しではない、本気の戸惑いが声に現れていた。初心な少女、まるで鳴上がステージの上から夢を与えている大衆のような子。素直に可愛らしいと思った、まるで妹のようだと。
「遠慮しなくていいのよォ アイドル科って男ばっかりで心細いでしょう? 女のよしみで、本当のお姉ちゃんだと思ってくれてかまわないわ」
「 …!」
その時、少女の表情が変わった。まるでぶわりと花咲くように抑えきれない喜色を散らして、鳴上にへにゃりと笑って見せたのだ。その時、鳴上の時間は正しく止まった。そんな彼に気づきもせず、たどたどしい声が「お、お姉、ちゃん」と呼ぶ。それにどう返事をしたのか覚えていない、ただ気づいたら少女はふわふわとどこかに行ってしまった。時折止まっては、鳴上をみて。そうして小さく手を振って、またあの…触れたらやけどしてしてしまいそうな笑顔を見せて。
( ……ん?)
上手に声がでなかった。触れた首筋はじっとりと嫌な汗をかいていて、頭の中が沸騰した薬缶のように熱い。ぐるぐるぐつぐつ今にも思考回路が焼き切れてしまいそうな中、唯一鳴上が理解できたのは。…自分の心臓が、いまにもはち切れそうなほどにばくばくと脈打っているということで。
「_________っ」
ありふれた言葉は、少女をただの大衆から“たったひとりのお姫さま”へと変える魔法の呪文だった。
そして呪いの言葉でもあった。
その日から少女が顔を見せることはなかった。遠くで見かけることはあっても、他の女子生徒のように声をかけてくることはない。最初の頃は、(パニックで良く覚えていないこともあり)初めの会話で不快な思いをさせてしまったのだろうかと頭を悩ませたものだ。だがすぐにそうではないと知れた。会話というには業務的過ぎる三度目のやりとりで漸く知った少女の名前は、水梨ことりといった。彼女は良くも悪くも真面目で、そして、優秀な“プロデューサー”だった。
アイドルとの距離は一定。差別はなく、強豪ユニットからやる気のない夢破れた少年まで隔てなく迎えた。初めて鳴上が見た仕事をしていることりの横顔は、まるで別人のようだった。はきはきとした人受けの良さそうな笑み、張のある声とテキパキとした行動。目上への礼節を重んじ、決して踏み込み過ぎないその態度は教師陣はもちろん、現役の芸能関係者の信頼を瞬く間に獲得した。ゆえに誰にでも頼られ、そのうちの“ひとり”であるというだけの鳴上嵐を相手にする時間などあるわけがなかった。
「あの女の子が一番マシ、そこそこ使い物になるよぉ」
瀬名泉をもって、そう言わしめたことり。それがどれほどのことなのか、鳴上は正しく理解しているつもりだ。ああでもそれは、だれも一律平行線で、特別なんてないということ。自分にだけ向けられていると“錯覚”してしまったあれは、夢だったのかもしれない。そう思い始めた鳴上に、しかしことりはそれが違うことを教えてくれる。ことりは、人が捌けたところで鳴上を見つけると___その完璧な笑顔がとろんと溶けるのだ。「お姉ちゃん」と正しい抑揚を踏んでいた声が歪に呼んで、常に三歩の距離を保っていた両足が鳴上とことりの距離をゼロにする。からみつく腕に、痛いほどのまっすぐで全力の“好き”に、鳴上は息を忘れそうになる。
完璧なマネージャーなどいない、鳴上の前では確かにことりはどこか物怖じしている小さな声をした“ただの”少女だった。
全部をかなぐり捨てて、無邪気に好意を寄せてくれることりを掻き抱けたらどれだけ良かっただろう。弱弱しいその両腕では足りない、この腕で、抱きしめてゼロを溶かしてふたりでひとつになりたい。細い吐息を絡めて食べて、その不躾な青いブレザーを脱がしてやりたい。とろんと溶けている瞳に自分だけを写して、もっともっとぐちゃぐちゃになった顔がみてみたい。___その欲求は、暴力に良く似ている。ことりと会う度に凶暴性を増して、何時か彼女がいない時間でも鳴上の心の内で暴れ狂うようになった魔物。それは五分に一回は顔をだして、鳴上の中で無垢な彼女を暴き立てる。___それが現実に顔をだそうとする一瞬、いつだって鳴上を引き止めるは『おねえちゃん』という言葉。
そこに籠められた、沢山の信頼と愛情。
それを思う度に、心臓が止まりそうになる。切ない程、苦しい程、その事実が、鳴上の心を締め上げる。
ことりが求めるのは『男』の鳴上嵐ではなく、『お姉ちゃん』としての鳴上嵐なのだと。
ああやっぱりこれは、“呪い”の言葉。
(_____いわなきゃ、よかった)
触れた唇は、冷たくて。たてた爪の深さだけ、これが現実であることを教えてくれる。大分呼吸は整った、ことりがメイド服で駆け寄って来た時はすわ今日が命日かと思ったが、どうにかまだ生きているようだ。そしてまだちゃんと“お姉ちゃん”としての体裁は保てている。
情けないといっそ笑ってほしかった。男として求められたい癖に、お姉ちゃんとしてしか傍にいられない自分は滑稽だろう。だが、鳴上嵐の心情に気づいたものは皆、あざ笑うことはせず欲望に従えというのだから性質が悪い。そんな中、影片みかが鳴上をフォローしてくれるのはまさに天の救いだ。彼は他の友人たちの様には言わない、ただ“困っているから”鳴上を助けてくれる。その優しさは純粋で、だからこそ、影片の前ではことりもありのままを見せるのだろう。
「あ、これかわいいなあ 俺もこんなんできるようになれたらええのに」
「みか先輩もできますよ、きっと」
「慰めはよしてやあ〜 俺裁縫下手くそなの知っとるやろ。 ああ〜でもええなあ、かわええなあ。なあ、ことりちゃん写真とってもええ?」
よろしいわけないだろう。
「いいよ」
えーーーーーーーーー!!!?
鳴上の心の悲鳴など知らず、影片はいそいそと端末を取り出して撮影準備をする。ことりもことりで撮影しやすいようにと影片に衣装を寄せて近づく。おいおいおいおいおいなにやってんだこのアマ!そんな男に無防備に近づく奴があるか!しかもスカートをそんなに持ち上げたら足が外から丸見えだろ!!
「おお、いいかんじ。 ほな、撮るで〜 お 」
パシャ
きっと写真は、真っ黒に違いない。何時の間にか影片とことりの間にいて、がっしりと影片の端末をわしづかんでいる鳴上。ふたりがきょとんとして見上げる中で、鳴上はどこか強張った表情でいう。
「だ、 ダメでしょォ…撮ったら」
「え、なんで?」
「〜〜〜〜〜っ おっ お姉ちゃんのいうこと聞きなさい! もうォ!」
ぷいっと余所をむく鳴上に、ことりが焦ったように寄ってくる。怒らせたと勘違いしたらしく、可愛らしい謝罪を並べながらぴったりと腰に抱き付いて来ることりに、内心きゅんきゅんしながらも鳴上は必死に顔を引き締めた。ちょっと油断したら変な声がでそうだ。いろいろ複雑な男心を察してくれた影片が同情の視線をくれるが、それに応ええている暇もない。
ああもう、魔物がすぐそこまで来ている。
それ以上はもう、止められない。