V:Forgiveness is a gift you give yourself
「ことりはどこ」
「お前には会いたくないそうだ、セナ!」
アークエイル本部にて。任務返りのチアキを迎えたのは無視できないオーラを纏い仁王立つセナだった。だらだらと後ろで冷汗をかいていたタカミネは、チアキの予想通りの反応に絶望した。堪忍袋の緒が切れたセナが無神経なチアキに襲いかかる___!
「おちついてイズミちゃん! あーもうことりちゃんに会いたくて堪らないのは解るけど、チアキくんにあたっちゃダメよ」
「放してなるくん! っていうか解ったような口きかないでくれるぅ べつにことりなんてどうでもいいし、俺はコイツの白々しさがウザすぎて我慢できないだけだからぁ!」
「はいはい〜 こっちでお姉ちゃんとクールダウンしましょうね」
「なるくん!!!」
(通り魔みたいだ…)
ずるずるとセナを連れ出すアラシを見送りながらそんな感想を出だしていると、後ろから意外な人物が現れた。
「きぃ〜ちゃった」
「リツ先輩」
「おかえり〜みどりくん。 ちょっとみどりくんの同契者借りるよ」
ひらひらと手を振りながらリツがいう。借りるといいながら、こちらの承諾を求めていない態度にむっとした。リツはセナに襲われてぼろぼろの姿で座り込むチアキの傍で膝を折った。
「ねえ、あのさ〜セッちゃんああいう子だからからかってイジメたくなるのは良くわかるけど“自粛”してる方からするとさ、けっこ〜不愉快なんだよねぇ」
「自粛、か」
「そう。 セっちゃんをイジメていいのもからかっていいのも、今はもうたったひとりの権利なの。 どういう意味かわかんない程、アンタ馬鹿じゃないでしょ?」
リツの言葉に、チアキは少しだけ目を丸くした。
「…驚いた。お前たちは容認しているのか」
リツは笑みを深めた。それがなによりの答えであり、チアキはその先を促すことはなかった。
「藪蛇も馬に蹴られるのもごめんだな。 次からは気をつけよう」
「いいよ〜今回は見逃してあげる。 その代わりに、さっきのこと詳しく教えてよ。 …会いたくないってさ、どういうこと?」
「……」
チアキは沈黙する。___会いたくない、ことりがそう直接的に口にしたわけではない。だが任務終了後、帰還している際に突然「降ろしてくれ」と言ったのだ。用事があるのかと問えば、返って来たのは沈黙であった。やがてどうにか聞きだせた理由と言えば、「ひとりになりたい」という平凡な理由。どうしてひとりになりたいのか、その追及はどこか苦しそうな顔をしていることりには酷と言えた。
「…ことりは、余程の理由がない限りお前たちの傍を離れようとしない。 それが単独で任務に赴き、ほっといてくれと言うんだ。 これ以上追及する権利は俺にはない」
「ふーーーん… でも俺たちにはあるよね、ことりはどこ〜?」
「知らん、知っていたとしても“ことりのエディルレイド“であるという理由だけで、教えられないな」
リツの紅玉の瞳が剣呑な色を宿す。それは明確な線引きだった、リツはチアキという男をそれなりに解っている。チアキはリツと同じだ。飄々と振舞う裏で策を凝らし、目的の一手を遂げるための準備を怠らない。この男は正義だの義務だの嘯いて、エディルレイドのことなんてどうでもいいのだ。彼が目指すものは、何時だって“人間の”ヒーローだ。
「…まあ、いいや。 俺もそろそろ寝たいしね〜」
くわりと欠伸をしてリツは背を向ける。ひらひらと手を振りながらも、その目は鋭く“自分が見ていることを忘れるな”と警告するようであった。それを見届けたあと、チアキは小さく肩をすくめて「タカミネ」という。タカミネは何時もの陰鬱な顔で、____後ろ手で構えていたアーミーナイフを収めた。
「…死にたいのは勝手ですけど、俺を巻き込まないでくれますか…?」
「すまん。ちょっと動揺した」
「はあ? …はあ、もう良いです っていうか、ことりさんがどこに行ったか知らない癖にあんなブラフ…」
「あのくらいで調度いいだろう。 リツはあれでいて、かなりことりを気に入っているからな。 これで俺にもタカミネにも迂闊に手を出せんさ」
リツは、サクマ一族の最終血統。このアークエイルにおいて、サクマの名を知らぬ者はない。エディルレイドの中でも最強の力を持つ血統…七煌宝珠。その七つある血統のうちのひとつが、サクマ一族だ。虚属性(ジン=バーチュアル)によって構成された同種に対しても排他的な一族であり、常闇と共に現れ歩いた跡にはひとつの命も残らないといわれる“災厄”のエディルレイド。___その存在は、エディルレイドでありながらアークエイルのブラックリストに名を連ねていた。
「とある盗賊くずれの男が、強力な虚属性のエディルレイドと同契していることがわかったらしい。そのエディルレイドは黒曜の髪に紅玉の瞳、臍にあたりに尖晶石(スピネル)の核石があったという」
「…リツ先輩と、同じ…」
「伝承によればサクマ一族は、常に兄弟の頭目が率いているという。恐らく、リツが散々殺したがっている兄の方だろうな。 どういう理由(わけ)かは知らんが、兄弟ケンカの真っ最中のようだ」
「…兄弟で、殺し合うって…どんな感じなんだろう…」
タカミネには兄妹はもちろん、家族と呼べる存在はいない。
そもそも、エディルレイドはその誕生からして、人間がいう“家族”というものを必要としない。エディルレイドの一般的な繁殖方法は単為生殖。男女関係なく、ひとりで子を孕み産むのだ。その他にもいくつか繁殖方法はあるが、少なくともタカミネはそうやって誕生した。産まれた時見たのは、おそらく自分を産んだのであろうエディルレイドの死体と、深く暗い森の中ひとりぼっちの自分。親も兄弟も、タカミネにとっては子どもの夢物語と同じだ。夢の中にしか在りえない____望んだことも、ないけれど。
「まあ、とにかく。 早めにことりを連れ戻した方がいいだろうな。リツの他にも、ことりのエディルレイドは問題児が多い。あれを制御(セーブ)できるのは、同契者であることりだけだ」
「…そうですね ……俺、行きますか?」
「いや暫くは俺の傍に居てくれ。 リツのこともある、お前に万が一があっては堪らん」
とんと胸のあたりを拳で叩かれ、タカミネは複雑な表情をする。だが既に次の目的にむかっているチアキはそんなものどこに吹く風だ。____全く、どうしてこんな男を同契者に選んでしまったのか。いや色々理由があったのだけでども。_____後悔なんて毎日している。でも反省したことは一度だってない。
(…きっと、あの人たちも同じだ…)
リツも、アラシも、ツカサも。理由があって、思いがあってことりを同契者に選んだ。同契はエディルレイドにとって何にも代えがたいものだ。それを、既にエディルレイドを…この世でたった一人を選んだ人間と交わすのは、いったいどういう心地であったのか。唯一無二にはなれないと解っていて、それでも傍に在ることを選ぶほどの理由はなんなのだろうか。
そして、セナは____自分と言うものがありながら、複数のエディルレイドと同契したことりをどう思っているのか。
(……、)
その理由をタカミネは知らない。そしてこの先ずっと、その理由を知ることはないだろう。
____「かさくんと同契して、ことり!」
それは自分で言いだしたことだった。
あの時の自分は、どちらかといえばことりのことを体の良い盾だと思っていた。エディルレイドの寿命は人間のそれよりもずっと長い。その長い人生の中で、たまたま偶然最初の同契者であったのがことりであった。それだけのはなし、
長く封印され、煌珠の民として身の振舞い方も知らなかったツカサを守るためにはそうするのが一番であった。エディルレイドはその価値が希少であるほどに、求める人間にとって同契者は邪魔者以外の何物でもない。エディルレイドは一人の人間としか同契を結ばないから、“人のもの”になると途端に価値を失う。だから人間は、まず人間同士で殺し合う。…ツカサを守るためにも、あの時のセナにこれ以上の方法はなかった。
アラシの時だってそうだ。その能力から、孤独な思いを強いられてきた彼を見ているだけなのは歯がゆかった。同契することで能力が安定するなら、それ以上のことはない。そして最初の同契者を失ってから同契に消極的であったアラシが、漸く望んだ相手が…ことりだった。アラシはセナに遠慮したが、それは必要のないことだ。セナにとって、人間なんて代えの利く道具と同じ。たったひとりに固執する必要なんてない。
再会して、ことりの隣にリツがいた。知っている顔に驚いたが、それ以上に…リツがことりと同契したという事実が受け入れられなかった。どうして、なんで自分に相談もなくそんなことをしてしまったのか。問い詰める言葉は、しかしひとつも言葉になることはなかった。説明されて、それが必要に迫られてのことは理解できた。リツ自身を、ことりを守るためには仕方のないことだった。____だけど、納得なんてできるはずがなかった。癇癪を起したセナにことりは一日中連れ添った、理由を聞かず傍にいてくれた。リツはそんなセナを理解できないと問い詰めた、その根底には自分と同じ…セナも人間なんて道具程度にしか思ってないと言う前提があった。
前提が、崩れていたことを。今更ながら思い知らされた。
その時にはもう、いやずっと前から。セナにとって、ことりは道具なんかじゃなかった。
この世でたったひとりの、かけがえのないひとだった。
(…失いたく、ない)
そんなこと、ゆうくん以外に感じたことはなかった。セナにとって大事なのは、ゆうくん。その次に生まれた場所と縁の深い同種たち。その他はみな同じ、価値のない邪魔なガラクタだ。ことりもその一つのはずだった、でもことりは他のガラクタとは違った。なにが違ったのか言葉にすることは難しい、でも違ったのだ。
自分が倦厭される性格であることをセナは自負している。だがそれは些細な事だ、高い能力と性質に裏付けられた矜持は折れることはない。そんなセナに、ことりは呆れることも憤ることもなかった。どんなことを言っても、どんなことをしても…そのせいで、自分が死にかけても…ことりはセナを受け入れた。許した。何もセナは悪くないと、そのままでいいと抱きしめてくれる。そんな筈はないのに、間違っているから___間違っていたから、ゆうくんも王さまも、セナの傍からいなくなってしまったのに。
…漸く再会したマコトは、セナに「変わった」と言った。ありがとうと、もう十分だと。その時に実感したのだ、ああ全部________ことりのせいだ。頑なだった自分が変ってしまったのも、全ての滞っていた流れが在るべき方向へ流れ始めたのも。ことりがいたから、____ことりと、出会ってからこそだ。
認められるからこそ、人は変れる。自分がこの先どんな風になっても、愛が失われないことを知っているから何者にでもなれるのだ。ことりがそれを教えてくれた。ことりだけが、…セナを、愛してくれた。
___でもことりは、セナだけを愛しているわけではなかった。
ことりは、盗賊であった。それは常軌を逸した『所有欲』が根底にある。自分のものにしたいのではない、彼女は常にお気に入りをあらゆる手段で自分のものにしてきたのだ。だが飽きやすく、すぐに捨てる。そして次を求める。その終わりのないサイクルに果てはなく、その最中にたまたま偶然…セナがいただけのこと。
ことりにとって、セナは珍しい宝石以上の存在にはれない。ことりがセナを守るのも、愛しているのも…女王のように扱うのも、全てはセナという“宝石”を手元に所有するための手段でしかない。
そう思い知らされた時、待っていたのは絶望だった。責められる筈がない、だってセナも同じようにことりを見ていたのだから。セナにとってことりが道具であったように、ことりにとってセナは…モノでしかなかった。
(…あさ、)
閉め忘れたカーテンから日光がこぼれる。何時からそうしていたのか覚えていない、アラシが傍にいた様な気がするが姿が見えない。自室に戻ったのだろう。
時計をみると出勤まで時間があった。休むわけにはいかない、ここではセナは『ことりのエディルレイド』として認識されている。セナの評価は、そのままことりの評価になるのだ。ことりの評判を落とす様なことは、セナの本意ではない。
(…お風呂に入って、着替えて…ああ、一応食事しないと、お腹すいてないけど仕事中倒れるわけにもいかないし。 それで、仕事して、お昼食べて、戻ってきたら掃除して…)
…何時まで、そうして繰りかえせばいい…?
カーテンを握り締めた手に力が籠もる。馬鹿みたいに揺れる涙腺を堪えて、ぎちりと唇を噛む。泣くな、泣くな、泣くな。それは卑怯者がすることだ。
ずっと一人だった。一人が楽だった、今更どうということはない。ことりがいないというだけで、寂しいなんて思う資格は自分にはない。
(…いつまで、続ければいいの)
絶望しても、セナの中に芽生えた気持ちはなくならなかった。すっぱりと諦めることもできず、惨めにことりの傍に居続けたのは打算があったからだ。いつかセナと同じ様に、ことりも…ことりの気持ちも、変る時がくるかもしれないと。子どもみたいに夢見て、未来を妄想して。図々しくことりの傍に居続けた。これはその報いなのかもしれない、
けれど、まだ傍にいたいと願う。
この気持ちは怖ろしく貪欲で、果てがなかった。
ちかちかと太陽が光る。光がまぶしくて、セナは乱暴にカーテンを閉めようとした。だけど、ふと見上げた向う光をうける街並みがあまりにも美しくて手が止まる。ああ、そうだ____
(ことり、こういうの好きだよね)
まだセナとことりがふたりきりであったころ。目が覚めるとことりがいないことが多々あった。呆れて探せば、彼女はいつも屋根の上にいた。意味がわからなくて聞けば、ことりは「好き」だという。朝、太陽が昇ってその光をうけて輝き出す街をみるのが好きだと。人間の営みが始まる様子を眺める時間が、子どもの頃から好きなのだと。
あまり自分の事を語らないことりが、セナに教えてくれた数少ないことのひとつ。それから、気づけばセナも朝早く目が覚める様になっていた。ことりの姿はないけれど、窓の向うで日の差す街をみるようになっていた。時折、小さなことりが生まれ育った町の屋根に上ってどんな気持ちでこの光景を見ていたのか夢想しながら…それは思えば、幸福な時間だった。
(…ことり、どこにいるの)
誰といるの、その心にまだ…俺はいる?
悪い想像は止まらなくて、いつだってセナの心の中をぐるぐると渦を巻く。この時間は行為は、無意味でないかとセナは自分に問いかける。ことりは俺のことを愛してくれない、モノ以上に見てくれない。ならいっそ、そのままでいる方が良いとセナの腕を引き止めるのは、何時だって自分自身だ。恐いのは何時だって、ことりが自分に興味を失くすこと。____こんなズルくて汚い自分を、ことりが愛してくれるわけない。だけど人のものになるのはもっと許せない、そんなことになるのならいっそ、ことりをこの手で殺してしまいたい!
人は認めてくれるから変ることができる。セナがそうであったように、セナにとってそれがことりであったように。セナにとってのことりに、セナはなりたかった。そして叶うなら、同じようにセナを…
(ダメだ、このままじゃ)
それでは、前の自分と同じだ。忌わしくも、愛おしい過去の自分。これではまた、失う。そんなのは絶対に許せない____!
セナはクローゼットを開き、毟る様にして着替える。髪を束ね、靴を履いて、そうして部屋から飛び出した。じっとしていてはダメだ。何時だって動けないセナを、ことりは迎えに来てくれた。だから今度は、自分の番だ。大事にしたいのはセナの気持ちじゃない、だってそれは何時だってことりが大事にしてくれた。だから今度は自分の番、
「…はあーーーーーーー」
朝の、少しつめたい空気が好きだ。夜があけて空が明るくなって、オレンジ色の光に照らされて少しずつ人が眠りから覚める瞬間。その世界は美しく、同じ顔を見せることは一度としてない。今のこの瞬間だけの宝物がそこにはあった。
(…あー、落ち着く)
それはことりが小さいころからの習慣だった。こうして屋根の上に寝転んでいると、面倒なことを一切合切忘れられる。ここしばらく荒れていた心情が、驚くほど安らぐ。
結局…セナたちのもとに帰れなかった。チアキはそんな自分を責めることはなかったが、それがむしろことりの心を掻きたてる。物事とはシンプルで、考えるほど複雑にはできていない。きっとことりの考えている全ては無用の長物であり、時間の無駄なのだろう。
アラシはきっと「想像以上に男前」だと歓迎してくれるだろうし。ツカサは「いままでどこでなにをしていたんですか」と叱るだろう。リツは「男になった感想は?」と絡んでくるに違いない。では…セナは_____?
ざわりと胸の辺りが騒ぎ始める。ああそうだ、そういえば彼も…一度としてことりの思う通りに動いてくれたことはない。ひとりで百面相して、変らない風景にひとり何時も違う姿を見せてくれる。その驚くほど自分勝手な様子に戸惑いもした、呆れたこともある。だが退屈だと感じたことは、決してない。
思い起こせば、くすりと笑みがこぼれる。彼は何時だって一生懸命で、全力でことりに向かい合って来る。他人にそれほど気力を裂くのは無駄だろうに、それを指摘するとまた顔を真っ赤にして怒るのだ。なんともいじらしいじゃないか、思えば始まりもセナのそう言う所に惚れたからだった。
それでも、気づけばそんな彼を不憫に思って。少しでも穏やかでいられるようにと振舞ったが、どうにも上手くいかない。根無し草で犯罪に足を突っ込んでいたことりがエディルレイド完全保護協会などという国家機関に身を置くのもそのためだ。長い時間を逃走と戦闘に身を置いていたセナの心が、少しでも安らげばいいと。らしくもなく、願いをこめた。
(人間の寿命何て、しれてる)
人間嫌いのセナが、自分が死んだあとも穏やかでいられるようにしたかった。そういえば、誰かのためにそんな風に動いたのは初めての事だった。こんな誰から見てもわかる“特別扱い”、リツに指摘される前に気づくべきだったのかもしれない。
以前、友人の盗賊に言われたことを思いだす。「肩入れしすぎると引けなくなるよ」…それは、自分自身に言っていることだと思ったが、違う。あの時からすでに、自分はセナを特別扱いしていたのだ。付き合いの長い友人には、それが一目瞭然だったのだろう。ちょっと恥ずかしい。
どうすればいいのだろう。こんなこと経験がないからわからない。セナを守りたい、セナを泣かせたくない、セナに笑ってほしい。____そうやってセナを守るために、自分ができることはなんだろうか。
ことりにはなにもない。生まれ育った故郷も、無条件で受け入れてくれる家族も、仲間もない。あるのは誰かを傷つけ、奪い、そうして圧倒する暴力だけ。その絶対的な悪を、守るためのものと強さだと言ってくれた“人”に、なにを返すことができる。
(_____なんか、つかれた)
らしくないことは百も承知だ。でも、行動せずにはいられない。この気持ちを、人はなんと定義するのだろう。
暫くぼうとしていると不意に変な音がした。それは聞いた事のあるような、ないような音で。でも何故か聞き間違いだと思う自分がいて。…ん?と思ったときには、考えるより先に動いていた。がばりと自分が登って来た梯子を見れば、____銀の髪が視界いっぱいにひろがった。
「うわああああっ ちょっ行き成りでてこないで、 あ 」
「っ セナ____!」
梯子から足を滑らせたセナに手を伸ばす。思い切り抱き寄せてしまうと、懐かしい匂いが肺いっぱいに広がった。ことりの頭にぎゅうと抱き付いたセナが「…ご、ごめん…」と蚊の鳴くような声で謝ってくれる。本当に、心臓が止まるかと思った。
「セナ、どうしてここに…」
梯子から抱き上げて屋根の上に降ろすと、セナはくたりと座り込んだ。また落ちて貰っては困るので、体を支えながら訊けば銀の髪がびくりと揺れる。
「っ あのさあ、それが久しぶりにあったエディルレイドに同契者(プレジャー)がかける言葉ぁ? ありえない、無神経すぎっ ちょ〜ウザい!」
「え、ごめん」
「簡単に謝るくらいなら置いてかないでよねぇ! こっちがどんな思いで待ってたか解る? 解りっこないよね、解ったとか軽率に口にしようものならひっぱたくからぁ!」
ぎっと見上げてくる天青色の瞳に、咄嗟に口にしようとした謝罪を慌てて呑み込む。どうやら相当お冠の様だ、「わかった」と言ってとんとんと背を叩けばセナが不自然に震える。
「セナ?」
「……そ、 それだけ…?」
「え」
「……」
眸がきょろきょろと忙しなく動いて、そしてじっとことりを見上げてくる。なにかを訴えているが上手に拾えない、沈黙ばかりが流れて、気づけばセナが呆れたように溜息をついた。
「もぅいいよ! ことりに期待した俺が馬鹿だったぁ この朴念仁!」
「え、ひどい」
「そう思うなら少しは反省しな。そんなんじゃ何時かなるくんたちに呆れてられちゃうからさあ」
返す言葉もない。ぽんと手を叩かれたので、大人しく体を支えていた手を緩める。放しても大丈夫という合図だろうが、こちらとしてはそうかと頷くわけにもいかないのだ。セナはそんな態度に煮え切らない顔をしていたが、ある程度は譲歩してほしい。話題を変えてしまおう、
「…良く、ここがわかったね」
「? わかるよぉ 俺を誰だと思ってるの」
「天下のセナさん」
「それはバカにしてるっていうの、ちょうウザい! …ことりは、好きでしょうこういう景色。いつも町で一番高くて見晴らしの良い場所で見てるよねぇ」
陽の光をうけて、きらきらと銀の髪が輝く。その姿は、今まで見て来たどの宝石よりも美しかった。呼吸を忘れてしまいそうになるほど、胸が締め付けられる。
「いくつか当たりをつけて来たんだけど、まさか最初で見つかるとは思わなかったよねぇ。 ことり、単純すぎ! そんなんじゃ敵にもすぐ見つかって殺されちゃうからさあ、次からはちゃんと俺をどうこうさ せ、 」
気づいたら、セナの言葉を遮って、その華奢な体を抱きしめていた。あれ、なにしてるんだろう。どうしてこんなこと。そう思うのに、体は言うことを聞かない。放さなければと思うほど、逃がさないように強くつよくセナを抱きしめてしまう。ふわふわの銀の髪に顔を埋めて、柔かい体を抱きしめて、ずっとこうしていたいと思ってしまう。
「_______ !??」
「…セナ、」
恐らくパニック状態だろう。セナの小さな体が不自然に強張ってがちがちだ。かわいそうにも思えたが、こちらも放せそうにないから仕方がない。…セナを抱きしめたまま、屋根の上に寝転がる。
「っ ちょ___!」
「日焼けしないように中入って、少し眠らせてよ」
「は、はあ!? こんな場所でっありえないんだけど!?」
暴れる前に外套の中に引き摺りこんでぽんぽんと背を叩く。先ほどより優しく、でも決して逃がさないように抱きしめて、そうと瞼を閉じた。するとセナも諦めたのか、大人しく体に寄り添ってくれる。
「我儘… 一生、恩にきてよねぇ」
「…うん。 一生、かけるよ」
それで君が、傍にいてくれるなら。
「____で、戻って来るとか」
アークエイル練習場。リングの外でリツがいう。隣にはアラシとツカサがおり、リングの上では同契したことりとセナがいる。
「ことりもほどほど単純だよね〜。 てか、セっちゃん乙女思考すぎで笑える。実は最初から男じゃなくて女だったんじゃない〜?」
≪っなあ〜〜! ちょうウザい!なに様のつもりなのくまくん!≫
「セナ落ち着いて、波長が乱れる」
「あらあら、茶化しちゃダメよリツちゃん。良いじゃない、こうしてことりちゃんも戻って来て、イズミちゃんもご機嫌。ハッピーエンドだわぁ」
「…というか、私は前から疑問に思っていたのですが」
どうにか背伸びしてリング上に顔を出している末っ子に視線が集まる。
「結局、お姉さまはセナ先輩のことをどう思ってらっしゃるのですか?」
突然の爆弾投下に、場がしんと静まり返る。アラシはあらと口元を抑え、リツは良くやったとグーサイン。ことりは表情からは窺い知れないが動揺しているに違いないし、固まっていたセナがじわじわと言葉を呑み込んで小刻みに震えだす。
≪っこ、 このクソガキィィイ!! 永久凍土に沈めてやる!!≫
「ヒッ せせせせ セナ先輩!??」
「いや良くやった、やっぱりス〜ちゃんは最高だよ。俺、ス〜ちゃんなら何時かやってくれるって信じてたんだよね〜」
「もうこういう野暮はあんま好きじゃなんだけど… まあ、ことりちゃん鈍感さんだからこの位で調度いいのかしら。 変に気を使ってたアタシがバカみたいじゃない」
「私は! ただお姉さまがセナ先輩を友人のように思っているのか、特別な信頼があるのか聞きたかったけでっ…!」
暴走しているセナの戦闘形態を逆手で宥めながら、ことりはちらりとセナを見る。同契状態のセナはうっすらとしていてことりにしか見えない。気づいたセナがぐぬぬと噛んでいた唇を緩め、警戒した猫のように≪な、 なにぃ…? 文句でもあるの?≫という。
「…いや、でも」
≪?≫
「特別っていうのは、いい加減認めないとなあ…て」
次の瞬間、同契が解けた。え、と思ったのはことりだけじゃない。ぺたんと座り込んだセナも、何が起きたのか全く分かってないという表情で頭の上に沢山のクエスチョンマークを浮かべていた。
「セナ、大丈夫か…?」
「っ ヒっ」
びくっと震えて距離を取られた。え、逃げ、 え?
困惑することりの前で、自分がしたことを反芻したのかセナの顔がふるふと震えだす。雪のように白い肌がリンゴのように真っ赤に染まり、見開かれた天青色の瞳に涙が溜まる。
「ば ババ バッカじゃないのぉぉぉぉおおおお!!!!!!」
アークエイルにセナの怒声が響き渡った。
餓死寸前であったところにぽんと与えられた突然の供給。あっという間にキャパオーバーを迎え、ぎゃんぎゃんと泣き始めたセナ。意味が解らないという顔で狼狽することりの様子は、見ていてなかなかに痛快であった。
「いっそLoveかLikeかも言わせた方が良いんじゃない〜?」
「止めときなさい、イズミちゃん死んじゃうから」
「は、 はわわわ これがRomanceっ…! 小説にあったエディルレイドと人間の禁断のLoveなのですね…!」
「ちょっとまってツカサちゃん、あなた民族研究科で何を教わってるのかしら。アタシも連れてって頂戴」
まるで自分の事のように浮かれるツカサの肩を、真顔のアラシががっと掴んだ。そんな二人を余所に、リツはリングの上にいる二人を見つめた。そうして小さく微笑みを浮かべた。