大樹の節

「ことり」
先生に呼ばれて足を止める。麗らかな大樹の節に青獅子の学級(ルーヴェンクラッセ)の担任となった男の人は、元傭兵だという。青緑の髪に澄んだ青い瞳のその人は表情に乏しく何を考えているのか今一くみ取れない…不思議な人だ。
「はい、なんでしょうか?」
「今週のグループ課題を頼む、厩舎の管理だ」
「わたしを、ですか…?」
手渡された厩舎の鍵を受け取るも、疑問が口をついてしまった。青獅子の学級には多くの生徒が在学しており、こういった奉仕の仕事は級長をはじめとした成績の良い生徒に任させることが多い。
「ああ、お前にしかできないことだ」
「? わかりました、本日からでよろしいですか」
「頼む」
「はい あ、先生、わたし以外は誰が____」
かけた言葉は、修道院の壁に吸い込まれて消えてしまった。気づけば先生の背中が豆粒ほど遠くに行ってしまっている。流石元傭兵、行動が早くていらっしゃる。…グループ課題は、基本的に二人一組で取り組む。わたしの他に、もうひとり宛がわれた子がいるはずだ。誰だろう、女の子だといいなあ。そんなことを思いながらふらふらと厩舎に向かった。
だが、数分足らずでわたしはこの行為を後悔することになる。厩舎の前に悠然と佇む男性を見つけてしまった瞬間から、どっと後悔の嵐がわたしの心を襲う。冗談でしょう、困惑から一歩も踏み出せなくなっているわたしを、その人は目敏く見つけると、若葉を青々と照らす日の光のような笑顔で迎えてくれた。
「ああ、そこにいたのか。気づかなくて済まない、…君とこうして話すのはこれが初めてだな。 先生に聞いていると思うが、今週君と一緒にグループ課題を受けたディミトリ=アレクサンドル=ブレーダッドだ。 よろしく頼む」
「…ことり=水梨と申します、 で、 殿下」
庶民のわたしが、なぜ!どうして!母国の王子とう、ううううう馬の世話を!!?
そんな不敬許されるのか、いや、許されるわけがない。頭の中でちいさなわたしが絶叫している。それなのに、殿下は楽しそうに「用具入れの鍵を持ってきてくれたのか、助かる!」と、わたしの手から鍵をさらい、さっさと踵を返してしまう。わたしがついてきていないことを悟ると、振り返りこっちだと眩い笑顔で道を示してくれた。…………え、 これ、 … え、本当にやるの…?
「いいいいいけません殿下っ わたしがやります、わたしがやりますからお休みなさっててください!」
「そういう訳にはいかない、俺もこの課題を先生から任されているんだ。 君一人に任せて休むことはできない、休む時は当然君も一緒だ」
「そういうわけにはまいりません、フォークを置いてください!」
「…まだ知り合って間もない君にこういうことを言うのは酷かもしれないが、この修道院にいる間は俺はただの生徒だ。そして君とは、同じ学級の仲間でいたいと思っている。どうか対等に扱ってほしい」
「う、 …」
金の髪がさらりと額から零れ落ちて、憂いを帯びる碧眼の瞳。顔面凶器、という言葉が頭をよぎる。うちの王子様は甘えるのがお上手でいらっしゃる。だがここで頷いてしまっては、今日から王都に足をむけて寝られないというもの。難しい顔ででも、ですが、と一人問答するわたしは、自分の髪を馬が食べようとしていることも、それに気づいたディミトリ殿下が優しく制してくれたことも知らず。カッと頭に過った妥協案を口にする。
「役割分担っいたしましょう!」
殿下には馬体の確認と、馬場への移動をお願いした。これが、わたしが許容できる最低限の範囲だ。ディミトリ殿下はわたしの負担が大きいと、役割分担に不満を漏らしていたが、実は理にかなっている。わたしは体が大きくないので、馬体の確認や誘導には不向きなのだ。厩舎の掃除は力仕事だが、士官になる前から馴染みのある仕事で手順は分かっている。少し時間はかかるだろうが、こちらの方が向いている。
「…驚いた、君は仕事が早いんだな ことり」
「殿下」
二つ目の馬房の掃除し終えたころ、殿下がひょっこりと現れた。馬たちは馬場で慣らしを終えたらしく、様子を見に来たということだ。
「一頭、戻りたそうにしているんがいるんだが」
「どの子でしょうか」
「栗毛の雌だ、この馬房にいた馬だな」
「そちらは掃除を終えているので、戻して大丈夫です」
「わかった、連れてこよう」
殿下と一緒にとろとろ戻ってきた子は、この馬房で一番のお姉さんだった。馬房に入ると睫毛を震わせて、ほっとしたようにくつろぎ始める。その首筋を撫でていると「慣れているな」と、ディミトリ殿下が少し意外そうな声色で呟いた。
「正直にいうと、すこし意地悪をした」
「意地悪、ですか」
「ああ、役割分担をした時、君は明らか俺より多くの仕事を自分に割り振った。課題にも時間という制約があり、その中ですべてを十全に熟さなければいけない。 君は怒るだろうが、…君にはそれは無理だろうと思ったんだ。でも一歩も譲るつもりはないという顔をしていたから、後で困っているところを手伝ってしまえばいいと」
「お掃除は得意です」
「ハハッ そのようだな、侮ってすまなかった」
溌溂と笑う殿下を見ていると毒気も抜かれてしまう。馬が許してやりなよ、とでもいうように鼻先で突いてくる。わかっていますよ、わかっていますとも。ディミトリ殿下の言うことは最もだし、今回のことはわたしに否がある。黙って馬の好きなようにさせていると、殿下が呆れたように「時には叱ることも大事だぞ」という。
「ええ ええ、そうですね。でも、大丈夫です」
「…そうか」
「甘えてくれるのは、嬉しいので」
その日の課題は、無事に日が暮れる前に終えることができた。最初はどうなることかと思ったが、わたしは無事に王都の方角を気にすることなく眠りにつけた。最後の日も滞りなく終了し、先生の厩舎の鍵をお返しした。先生は成果報告に「そうか」と返すだけだった。
「今週のグループ課題を頼む、草むしりだ」
「…はい、今週は誰とでしょうか?」
翌週、当然のように現れた先生にそう告げられた。今度はきちんと最初に尋ねたが、先生は「行けばわかる」としか言わず、気づけばあっという間に豆粒に。まさかなあ、そんなわけなあ。ととろとろ庭に向かうと、そこにはいつかと同じようにきらきらと輝く金髪が揺れていた。碧眼がわたしを見つけて、当然のように迎えてくれる。
「今週もよろしく頼む、ことり」
「…はい、殿下」
ぺこりとお辞儀をするわたしは、この数分後殿下ではなく名前で呼んでほしいという無茶ぶりをされるとはつゆに思っていなかっただろう。やっぱり母国の王子と同じ課題はしたくない。