ジンとホテルの殺人事件に巻き込まれた
「あなたはどこまで秘密を守ってくれる?」
詰んだ野イチゴをカゴにいれる、光差す森は静かだ。木漏れ日を受けて星屑色の髪がちらちらと瞬く。ジンは静かな男の子だった。お喋りなわたしの相手は煩わしいだろう、だが彼はいつも傍にいてくれる。それがおじいちゃんから命じられたからだとしても、わたしにとって掛け替えのない時間であったことは確かだ。
「ずっと…墓にまで持っていくさ」
「おじいちゃんとそういう約束?」
「ああ 口を滑らせでもしたら、俺が殺される」
「なんかごめんね」
ジンの緑色の瞳が、じっとわたしを見る。真綿で首を絞められるような息苦しさにうぐっと顔を歪めれば、呆れたように溜息をついた。「手前が謝ることじゃねぇだろ」と、わたしの腕からカゴを攫っていく。その手にアカギレがあることに気づいて、傷を指でなぞった。忽ち癒える傷にジンは目を瞠る。わたしは指に口付けて、イタズラが成功した子供みたいな顔で微笑んだ。
「ナイショにしてね」
いつまでも、そうしたらずっと一緒にいられるから。

手渡したチケットを、汚いものを触るように摘まみ上げられた。ナイフのように鋭い舌打ちなんて慣れたものだ、にこにこ笑うわたしにやがて諦めたようにジンは髪を掻き上げた。そしてわたしにチケットを叩き返すと、「仕度しろ」と短く言った。なんだかんだ言って、ジンは優しい。
祖父の代から付き合いのある知人から招待券をもらった。どうやら年頃のくせに浮いた話ひとつもない知人の孫を心配してくれたようだ。だが残念なことに、一緒に行く友人などいる訳もない。だから、浮いた話ひとつもできないのだ。あれ、なんかしょっぱい味がするなあ…。
ご老人の優しさをムダにする訳にもいかない、思い出話を聞かれたら少しだけ嘘を混ぜれば良い。そう思って、家を訪れていたジンを誘ったのだ。国内有数のVIP御用達ホテルの宿泊ご優待券、ここまでならジンもそこまで機嫌を損ねることはなかっただろう。問題はその後、小さく書かれた文字にある。このチケットは、期間限定のナイトプール付きなのだ。
「ねえジン、本気でその格好でプールに入るつもり?」
しっかり浮輪を膨らませて、お気に入りのレース編みになっているオフショルダービキニまで持参しているというのにこの男は!それは、スーツの、上着だけ脱いだ、だけの格好ですね!
「文句あるならいかねぇぞ」
「脱いで」
「チッ やってられるか」
「ぬげーーーーー!」
Uターンで帰宅しようとしているジンの腰に抱き着いてワイシャツをむしり取った。数分後、そこにはプールサイドで起爆寸前の爆弾のような顔をしたジンの姿が。もちろん、海パンとシャツに着替えさせた。プールにも誘ったのだが、当然断られた。結局、わたしは貸し切りプールを独りで楽しむしかないというわけだ。
七色のライトに照らされたオープンプールは、外界から切り離すように木々に囲まれている。今夜は祝福されているようで、夜空の星々が明らかだ。風もなく、水の中にいても過ごしやすい。ナイトマネージャーが気を利かせて置いて行ってくれた光るビニールボールやフラミンゴ、貝殻を装ったビニールボートのインスタ映えすることよ。何枚か無人写真を撮ったところで心が無になり、アイフォンはジンに預けた。自撮りするほどナルシストでもないし、ジンが一緒に写真を撮ってくれるわけもなかったのだ。
「お待たせいたしました、ラバフローとジンのショットです」
「置いておけ」
マネージャーがドリンクを届けてくれたようだ。地を這うようなジンの声に怯えながらも、テーブルに並べてくれる彼女のなんと優しいこと。プールから出て「ありがとうございます」と言えば、ほっとしたように屋内に戻っていった。その後ろ姿があまりに悲惨で、ジンに一言文句を言おうと思ったが…ぼすりと頭から降ってきたバスタオルに言葉を遮られてしまう。
ふわふのバスタオル、ラタン地のサンラウンジャーに腰掛けるジンは変わらずに不機嫌そのものだ。濡れた髪を解いてタオルで拭う。テーブルのラバフローを取ろうとしたら一足先に奪われた。ストローを無視して先に一口飲んでから渡してくる。本当に用心深い男だ、5分ほど経ってようやく手元に戻ってきたラバフローはもう溶けかけている。
「わたし毒程度じゃどうにもならないわ、撃たれても死なないけど」
「ほざいてろ」
「あなたは死ぬけどね、」
「手前ぇより先にくたばってたまるか」
溶けたラバフローを呑みながら、ショットグラス煽るジンを横目で見る。…彼は、わたしが秘密を持たなくて良いこの世でただ一人の友人だ。だから、わたしのことも良く知っている。その上での冗談だと分かってはいるが、彼がいうと本気に聞こえるのだから不思議だ。
だから、だろうか。ふと思ったことがある、でもそれはとても素晴らしい提案で、気づけば揚々と彼にそれを口にしようとしてが、それは夜を切り裂くような悲鳴にかき消される。
「警視庁の佐藤です、少しお話を伺ってもよろしいでしょうか」
打ち返すように断ろうとしたジンを黙らせ、刑事さんに笑顔で答える。どうやらホテルで事件が起こったようだ。ホテルの一室に宿泊していた男性が死んだらしい。そのため、死亡時刻に部屋の外にいた宿泊客に対して、事情聴取を行うという。疾しいこともないので嘘偽りなく刑事に答えれば、どうやら後ろでだんまりを決め込んでいる(いかにも怪しげな)男が気になったらしい。
「失礼、彼は…」
「わたしの付き添いです、我儘言って着いてきてもらったから見ての通り機嫌悪くて」
「すみませんが、彼にも話をきいても?」
(勇気がある人だ)
盛りの付いた熊に自ら挑もうとは。
思わぬ勇者の登場にわたしは聖歌でも歌いたい心地である。
「すみません、話が聞こえていたかもしれませんが、わたしは」
「話すことはねぇ」
「え、あの ですが」
「素性がしりたきゃ名簿でも見るんだな、話しが終わったなら部屋に戻らせてもらう」
「いあ、あの ちょっと!」
「行くぞ」
さっさと立ち上がると、わたしの背を押して先を急かす。
「待ってください、そういう訳には」
「こいつが話しただろ 同じ話を何度も聞く暇があったら、さっさと犯人探しでもしたらどうだ」
「確かにお二人はアリバイが成立しますが、一人一人に話を聞くことに意味がっ」
「言葉にしなきゃ判らねぇのか、仕事中なのは手前ぇだけじゃねえんだよ」
「え、」
「大事な女の体を、これ以上外に置いておけるか」
唖然とする佐藤刑事を置いて、ジンはさっさとわたしを直通エレベーターに押し込んだ。苛立った様子でボタンを押す彼をわざとらしく覗き込む。「大事な女?」小さな声でも届いたようで、「文句があるなら言え」とい吐き捨てる。わたしは肩を竦めて従うしかなかった、にやける口元をバスタオルで隠しながら。
サマードレスに着替えた後、ホテルの支配人が直接訪れた。一応経営者側からの招待客なので気を使ってくれたのだろう。気にしていないことを告げれば安堵したのか、聞けばぽつぽつと事件の内容を教えてくれた。
男性は部屋で自殺していたらしい。単純な自殺で片付けられていなかったのは、部屋が補助鍵でオープンになっていたため。そのため、外部の犯行の可能性があり、その時間部屋の外にいた人間に事情を聴いて回ったようだ。わたしたちは特別室利用なので、一般客とは違い部屋には直通のエレベーターを利用している。それに常に2人で行動していたため、容疑者リストから外れたようだ。
「それもこれも、ゆきちゃん特性メガネのおかげだよ。 これがなかったら、たとえ無罪でも有罪になってたかもね。ジンの人相悪すぎだもの」
「そのお喋りは死んでも治らねぇな」
「お守りなんだから、外しちゃダメだよ」
スラックスとスーツに着替えたジンがポケットを探る。だがそこに何時もあるはずのタバコは没収済みである。髪を掻き乱した所為でゴムが解けてしまった。しょうがないので化粧ポーチから代わりを取り出して、ベッドに乗り上げる。後ろから銀の髪を手で梳いて、項のあたりでひとつに括る。柔らかい髪からはわたしと同じフレグランスの香りがする。メガネを後ろからかけなおしてあげたのに、「おい、煙草返せ」という。
「いや、臭いもの」
「……」
「秘儀っ タバコ吸わなくても大丈夫になるはぐーーーっ」
その時のジンの顔からは、すべての感情が失われているようだった。流石に悪い気がしたので、煙草を吸っている気分になれるアメを与えてみた。気に入ったようでなによりです。___しばらくして、事件は自殺ということで片付けられた。ホテル内に関係者はおらず、被害者の身元を確認したところ数か月前に仕事を辞めて身辺整理をしていた形跡が出たという。そういった行為に至る原因らしきものも出たというので、自殺の筋も通ってしまったのだろう。
「朝倉さん!」
「あ、佐藤刑事 お仕事お疲れ様でした」
パタパタと寄ってきた覚えのある顔を、笑って受け入れる。
「先ほどは申し訳ありませんでした、身体の方は大丈夫ですか」
「はい、元気です。 その件については、わたしのほうが謝らないと… 連れが失礼を、」
「いえ、そんな… 彼も、黒澤さんもおしゃっていましたが、あれが彼のお仕事なのでしょう?」
どうやら宿泊者名簿を見たらしい、少し離れたラウンジのソファに座っているジンを見ながら佐藤さんは続ける。
「付き添い、というか、護衛の方でしょうか すごい気迫で驚きました! 何か格闘技でも」
「一通り経験はあると思いますけど、詳しくは… 小さいころからわたしの傍にいてくれますけど、元々は祖父の部下みたいなもので」
「ステキなご関係ですね」
その言葉は素直に嬉しい。佐藤刑事、中々距離のつめ方がうまい。
「ふふ、ずっとわたしの傍にいるなんて大口叩くから、ちょっと意地悪言ってやろうって思ってまして」
「へえ、どんな?」
「まだずっと未来の話になるかもしれませんけど、いつか___わたしに子どもができたら、その名付け親に」
わたしの言葉を聞いた佐藤刑事が、あらと目元を明るめた。
「どうせなら、わたしだけじゃなくて子どもの面倒を見てもらおうかなあって」
「それは意地悪じゃなくて、プレゼントよ! とても良い考えだと思う、黒澤さんにはもう話したの?」
「まだです、だからナイショですよ?」
指に口付けて首を傾げれば、佐藤刑事は「わかった」とウィンクを返す。喜んでくれるかなあと趣旨を忘れて不安を口にすれば、元気づけるように背を叩いてくれた。それに勇気づけられて、わたしはジンの下に戻る。ねえ、ねえジン__あのね、
いつかその腕に、わたしの子を抱いてほしい。わたしではなく、あなたと同じ時間を“生きられる”子どもを…わたしは一緒にいられないけど、きっとあなたならわたしよりも大事に守ってくれる。ねえ、わたしの銀色の狼さん。わたしはそれを知っているの。