幼稚園で噂される降谷夫妻と娘ちゃん

※-WortSpaceのこれ設定です
ここは、米花町はなまる幼稚園。
わたしがこの幼稚園で働き出してから今年で三年。念願の夢であった保育士に慣れたことは嬉しかったが、最初の一年は現実とのギャップで何度も挫けそうになった。そういう時に慰めてくれたのは子ども達の明るい笑顔だ。まあ、地獄に落としてくれるのもそれなのだが…。何度田舎に帰りたいと、泣き腫らしながらビール片手に夜を越したことか。まあとにかく、今日もわたしは毎日お祭りの様なこの場所で、夢を叶え続けている。
わたしが担当するクラスは年少さん達の集まるひよこ組だ。自転車や車で保護者に送って来て貰った子どもたちを「おはよう」とむかえ、ひいふうとうちのクラスの子を数える。ふむ、あとはーーー。
「おはようございます、先生」
「おはようございます、せんせい!」
「あ、おはようございます_____降谷さん。ひなたちゃん」
降谷さんにご挨拶をして、娘さんに挨拶をする。すると娘さんは、ブルーハワイのような大きな瞳を輝かせて「あい!」と笑った。にぱーっという効果音が聞こえてくるような完璧な笑顔である。
彼女は降谷ひなたちゃん。一見普通のかわいらしい女の子だが、日本人らしからぬ真っ青な瞳をしているので職員の間では有名な子だ。お母さんである降谷さんは黒髪黒目なので、今のところ旦那さん外人説が有力である。だが悲しきかな、まだ誰も旦那さんを見たことがないので真相は謎である。
「今日もよろしくおねがいします」
「はい、大事に預からせていただきます」
「ひなちゃん、先生のいうことよく聞いてくださいね」
「あい! ママ、おしごとがんばってください。ひなはここでいいこにします!」
ピッと手をあげていうひなたちゃん。それに降谷さんが笑えば、えへへとひなたちゃんも笑う。降谷親子は何時もこんな感じだ。二人とも笑顔がそっくりで、降谷さんの口調を真似っこしているひなたちゃんは、見ていて微笑ましいものがある。降谷さんを見送って、ひなたちゃんと教室に入る。
「あ、わたし降谷さんの旦那さん、一度だけ見たことあるわよ」
休憩時間に、同僚と談笑していたら不意にそんな話題になった。
「マジか。どうだった、やっぱり外人?」
「いや、黒髪ですらっと背の高いやせ形の男の人だった。目が青っていうよりグレーっぽくて、こう…顎髭が…」
「へえ、なんか意外ねえ。 目がグレーってことは、ハーフ? じゃあひなたちゃんはクウォーターか」
「あら何の話?」
「降谷さんの旦那さんのはなし」
「あ、それならわたしも見たわよ」
午後から使う資材を運んできた同僚が話しに加わり、当時を思い出す様に言う。
「確か…黒髪で背が高くて」
「そうそう」
「かなりガタイのいいクールな男の人だったわ。 目が綺麗なグリーンアイ!」
「え?」
「はあ?」
「なに?」
_______どっちが、降谷さんの旦那さんだ?いや、実は同一人物?
謎が解けないまま休憩時間が終わった。午後の自由時間、休憩中話題になった所為でついひなたちゃんに寄ってしまった。ひなたちゃんは女の子の友だちと、お絵かきを楽しんでいた。
「ひなたちゃん、なに描いてるの?」
「おっ おえかきですか? きのうみたどらまをかいてます!」
「これは…」
「けいじどらまです!」
ひなたちゃん、チョイスが渋いな。
画用紙に描かれた青い制服の男は、ということは警察官だろうか。黒い服は犯人として、…この青い制服で恐い顔をしている男はなんだろう。
「ひなたちゃん、このひとはこわーい顔してるね」
「あい そのひとはくろまくなのです…」
マジかよ。
「え、警察官さんの中に悪い人がいるの?」
「あい… でもどらまではまだだれもきづいてません… でもだいじょうぶです! ぜったいつかまります、それがけいさつのおしごとだってパパがいってました!」
飛び出してきたホットワードに、おっと思わず食いついてしまう。
「パパが?」
「あい どらまではだれもきづいていませんが、パパならすぐにきづくらしいです。 いっしゅんでみぬいてそのままとりしらべしつでまるはだかにしばっくをぜんぶあらいだしたのちにけいむしょにぶちこむといっておりました! パパはすごいのです!」
「へぇ〜すごいねえ…」
凄い自信だな、降谷パパ。
その後も、一生懸命パパのセールストークは続いた。だが肝心の容姿に関する内容は飛び出してこない。残念だが、降谷さんの旦那さんの目の色がグレーかグリーンかの判定は本日中に下せそうにない。無念である。____そうして日々は続いた。そんな話題もあったことを忘れてしまう頃、不意にこぼれた会話を拾ってしまった。
「ほら… あの子、 降谷さんのところの 」
それは保護者会でのこと。言葉を拾ってしまったのは本当に偶然だった。ちらりと窺えば、数人のお母さんたちが集まって会話をしている。その視線の先にいたのは_____降谷親子だ。
「目の色____」
「____でも、旦那さん一度も____」
「_活動に参加しない__」
「__前、町で男と_」
「もしかして浮気______」
彼女たちを糾弾する権利も、資格も、わたしにはない。わたしたち保育士だって人間で、日々刺激に飢えている。だから、あそこの親子が、あの子どもが、と愚痴をこぼして噂し合うことだってある。それで時に笑って、生きる糧にしているのは確かだ。でも___この、釈然としない気持ちもまた、事実なのだ。
(ひなたちゃんも…降谷さんも、良い人なのに、)
旦那さんがいるとかいないとか、どんなひとなのかとか、そんなに重要なことだろうか。
もちろん、同じように噂をしていた自分にそんなこと言う権利がないのは承知で考えてしまう。片親でも、確りお子さんを育てている人を沢山知っている。両親がいても、…不幸になってしまう子どもだっている。一概にどれが良いとは言えない問題だが、それは何時だってわたしたちの目の前に形として現れる。笑顔のない子ども、痣だらけの体、イジメ…。まるで人が隠している汚い所を垣間見てしまった様で、むかしは何度もトイレで吐いてしまった。今は冷静に対処できるが、それが強くなった結果なのか、単に慣れて鈍感になってしまったのかはわからない。
でも。ひなたちゃんのことは、わかる。
何時も笑顔で、楽しそうで。お母さんとお父さんが大好き。わたしたちが困っていると、いの一番に手伝いを申し出てくれる。動物が大好きな優しい子。ひなたちゃんのお弁当は、煌びやかでこそないが何時だって美味しそうだ。降谷さんのひなたちゃんへの限りない愛情を、感じないことなんて一度もなかった。
(どうしたもんかなー)
こういうことは珍しくない。正直、保護者同士のイザコザなんてわたしたちが出る幕ではないのだ。それに、降谷さん本人がどう思っているのかもしらない。あの人はどうにもぽやぽやしているから、もしかしたらそんな噂しらないかもしれない。いや、知っていても…怒る姿は、あまり想像できないな。結局、時がどうにかしてくれるのを待つしかない。でしゃばった結果、事態が悪い方向にいくこともある。
(そういえば、結局…ひなたちゃんのお父さんは何している人なんだろう)
思いついたら吉日と入園願書を開いてみた。
_____父:降谷 零 XXXX年X月X日 …公務員
名前だけ見れば、本当に日本人にしか思えない。年齢は30歳、ひなたちゃんは27歳の時の子どもらしい。独身や晩婚が増えた今の時代、27歳で子どもを持つのは少し早いような気もする。だが公務員と言う職業を見れば納得がいく。なるほど、安定している。
(緊急連絡先…携帯番号? 勤務先じゃないのか、じゃあ公務員っていっても何している人かはわからないな)
ひなたちゃんからきくに、ひなたちゃんのパパは頭がよくて、運動ができて、料理が上手。それで公務員とか、どこのマンガから飛び出してきた偶像だそれ。同僚が見かけたという二人の男性は、どちらも中々のイケメンと聞く。パーフェクトすぎないか?大丈夫?今時そんなスペック高い男現実に存在しないよ?
謎は深まり…興味は増すばかりである。だが、謎は謎のまま…もうすぐ年中さんに上がる季節だ。再び巡って来た桜の季節、新入園児の手続きやらなんやらでバタバタするのはもはや園の風物詩だ。昨日も残業でなんとか仕事を終えた。眠い体を栄養ドリンクで叩き起こし、クマをコンシーラーで隠し、笑顔で挨拶をする子どもたちを迎えた。
「え、なにあれ」
「ちょっと」
「え、なに? おうふ」
一番子どもたちで溢れかえっている登園ピーク時。外門から響いて来た低いエンジン音に気づいた同僚が、袖を引いて来る。なにかと見れば、…死ぬほど幼稚園にそぐわないスポーツカーがこんにちはしていた。え、なにあれ。車体低っしろ、え、真っ白!エンジン音なにそれ!車に詳しくない人間でも雰囲気でわかるタイプの高級車!車に詳しい方の同僚が「マツダ…RX-7…」と震える声で呟いたが、なにそれなんていう新手の呪文?うえええ、ていうか、え、あの、入ってくる場所間違えていらっしゃいませんか!!!?
突然現れた世界が違う車に、保育士だけではなく他の保護者たちもぽかんとした。すると謎の白いスポーツカーのドアが開く。そうして現れた人物に、わたしたちは再び言葉を失うことになる。え、すさまじいきんいろがみえるのですか!!!?
太陽の光をうけてキラキラと輝く金色の髪は、いつか見たフランス映画のワンシーンを思わせる。遠目から見ても解るすらりと高い身長、均整のとれた体つき…それを包み込むのはまるで彼のために誂た様な、清潔感のあるダークグレーのスーツ。皆が呆然とするなか、その人は車内の誰かに声をかけ、軽々と片手に抱えあげる。あ、あ、黒い髪の、楽しそうに笑うあの子は…!
「降谷さん!!!?」
「! え、あ…はい。降谷です、何時も娘がお世話になっています」
わたしの奇声に驚いて、ビクリと体を震わせた男性が良く通る声であいさつしてくれた。何時の間にか目の前にやってきたのか。わたしの頭二つ分は上にあるキラキラとした金髪。それを際立たせるのは健康的な褐色の肌。黒縁のメガネの向う側には…透き通るような蒼い瞳が覗いていた。
まるで息をする宝石みたいな男が、そこに立っていた。
魂を飛ばして茫然とするわたしに、いち早く現実に戻って来た同僚が肘鉄をいれてくれる。いたい!だが現実に戻って来た。おいおいやべぇのがきたぞ!!!保育士も保護者も関係なく、皆の心境が一致した瞬間だろう。それに気づいているのかいないのか、…降谷の旦那さんを名乗る男は、にこにこと微笑んでいる。あ、タレ目だ。タレ目王子だ。
「い、え___えっと、ひなたちゃんの…お父様ですか」
「はい、ひなたの父です。 何時も集まりに参加できなくて申し訳ありません。言い訳になるのですが、仕事が立て込んでいまして…」
「いえいえそんな! そういう方たっくさんいらっしゃいますから、お気になさらず!!」
やっべテンションあがって変な声でた。
今世紀最大といっても過言ではないイケメンを前に、わたしは汗ダラダラである。だがタレ目王子は穏やかに微笑んで「そう言っていただけると、助かります」という。うう˝ぐっ…!その謙虚で控えめなところもポイントたけぇぞ…!わたしがぐうと唇を噛んでいると、降谷さんの腕に抱かれたひなたちゃんがはてはてと首を傾げている。どうしたのひなたちゃん。
「パパきょうなんかちがいます、きょうはママのまねっこするんですか?」
「はい。 恥ずかしいので、ママには内緒にしてくださいね?」
「あい、わかりました」
ピッと敬礼するひなたちゃんを、良い子だと降谷さんが誉めた。いやだ、わたしもそのゲロ甘ボイスで褒めて欲しy じゃなくて。
「で、ではお預かりします」
「パパ、ようちえんおくってくれてありがとうございます!」
「ああ、先生の言うことをよく聞いて、行儀よくするんだよ。ひな、」
「あい! おしごとがんばってください!」
にぱーっと笑うひなたちゃんの頭を撫でると、降谷さんは爽やかな笑顔とともに去って行った。まるで台風が過ぎだったような心地だ。未だ衝撃抜けやらずぼうとしていると、ひなたちゃんに「せんせい、だいじょうぶですか?」と聞かれてしまった。はっわたしはだれ!?いやわたしは保育士、ここは保育園!
「ひ、ひなたちゃんのパパ凄いね…なんていうか、迫力が」
「パパはかっこいいですー!」
確かに、完璧なタレ目王子だった。思い返すとジワジワと衝撃が込み上げる。ちょっと待て。かなり若く見えたから王子なんてあだ名つけたが、よくよく考えるとあの人30歳のはずだよな!?童顔すぎるだろ!それでタレ目とか完全に乙女を殺しにきてる…!あ、良く見るとひなたちゃんタレ目。どうやらひなたちゃんの目はまるっとお父さん似のようだ。パパ大好きオーラ全開で話しかけてくれるひなたちゃんを見ていたら少し落ち着いた。ふと、隅でこそこそと話す保護者たちが目についた。その顔触れには覚えがあり、彼女たちがどんな話をしているのかなんて考えるまでもない。
(まあ、気持ちはわかる)
すこしの同情を彼女たちに。さて今日も忙しい日々が始まる。色々格差を感じて泣きたくなってきたが、そんなこと子ども達には関係ない。今日も一日、笑顔でがんばりましょう!