ギルガメッシュに愛された花は愛に枯れる夢を視る

唇から言祝ぐ詩がエーテルに解けて形となる。盆に満たされた水がぷくりと膨らみ、まるで卵から孵る様にして両翼を広げた精霊鳥が神殿を抜け大空へと旅立った。穏やかな日であった、空は蒼く澄み渡りそよぐ風は優しく頬を撫でる。陽の光を透かしながら彼方を目指す姿を見守っていると、眠っていた獅子が頭を上げた。
「どうしたの、エヌルタ」
だが獅子の主足りえないわたしの言葉は、彼らが従うに足りないようで。どうしたものかと動かない獅子の鬣を指で梳いていると、金鈴の涼やかな音が鳴り響く。この神殿へと続く唯一の入口、幾重にも重ねられた垂布に装飾された鈴は客人の訪れを告げるものだ。そしてわたしの住まいでもあるこの場所を訪れることができる人間は少ない、更に獅子エヌルタが頭を垂れる相手というのなら、このウルクにはひとりだけ。
「いつもより早いお戻りですね、ギルガメッシュ王」
鬱陶しそうに垂布を掻き分けて訪れた美丈夫は、不機嫌な様子を隠すつもりがないようだ。心火の滾る紅玉の瞳がわたしを捉えると険を強め、腕に絡まった垂布を力任せに引きちぎった。
石天井と垂布を繋ぐ金具が抜け落ちて乾いた音を立て、奥に控えていた侍女が何事かと駆け寄ってくる。だがそれは、ギルガメッシュに続くように現れた獅子の唸り声に悲鳴へと変わる。獅子を止めようと立ち上がった体は、しかし横から伸びてきた手に阻まれてしまう。ぐいと力任せに引き寄せられた先、吐息すら触れるほどの距離で激情を滾らせる瞳が真っ直ぐにわたしを射抜いた。
「面倒なことをしてくれたな、ミワ」
「___」
「この程度の謀に、我が気づかぬとでも思ったのか」
続く言葉とともに、わたしの顔を掴むギルガメッシュの手に力が籠る。だがそれ以上に、彼から放たれる重圧が恐ろしい。まるで餓えた魔獣に牙を突きつけられているような恐怖、一瞬でも気を抜けばわたしのようなただの人間は魂ごと食い破られてしまう。
「情けをくれてやる、貴様の言い分を聞かせてみろ。だがつまらなければ殺す。我の興を削げば殺す。一瞬でも愉快な心地にさせたのなら、…そうだな、神殿の奴隷どもで目を瞑ってやろう」
彼の人の怒りは身の内を焦がし、喉を焼きながら呪いの言葉となって吐き出されている。半神半人であるギルガメッシュの言葉は、それというだけで神の啓示に等しい効力を持つ。これは言葉遊びではない、一種の誓約だ。その証というように、ギルガメッシュの言葉に続くようにして獅子たちが動き始めた。
「ここの所遊びに興じさせてやれず鬱屈していたようだからな、二本足は鈍いがまあ気晴らし程度にはなる。重々理解してから言葉を選べよ、____ミワ」
ゆっくりと、命じるように名前を呼ぶ。猛火に熱せられた鏝のように熱い指が、答えを促すようにわたしの唇を力任せになぞった。それでも答えないわたしが癇に障ったのか、急かすように彼が言う。
「黙して死ぬつもりか」
「そうではありません」
けれど。と意を決して、続ける。
「いたい、です」
わたしの言葉に、すこしだけ彼の瞳が揺れた。
「優しく、花を愛でるように扱ってくださいとお伝えしたはず」
「ハッ この程度でどうなると」
「それにあなたは約束すると言いました、望むなら太陽と月のように寄り添うとも」
決定打だった。ギルガメッシュは人ひとり呪い殺しそうな形相で舌を打ち、乱暴にわたしから手を放した。そうして侍女たちに襲い掛かろうと距離を詰めていた獅子たちを呼び戻す。とりあえず目下の危機は去ったようだ、安堵と共に身体の力が抜けて情けなく座り込んでしまう。ほうと吐息を零すことができたのも束の間、ギルガメッシュが乱暴な様子で隣に座り込む。驚いて身を引こうとしたが、彼の手がわたしの肩に回り引き寄せられる方が早い。
「な、」
「暫し慰みものに徹しておけ、そうでもなければ貴様の稚拙な言葉遊びも付き合う気にも起きん」
まるでしょうがないから、と言葉が着きそうな様子に少し呆れた。今のところ、彼は勝手に不機嫌になって殺す殺すと脅したと思えば許すとか言い始めた自己完結の男だ。だけど無意味に命を賭けた綱渡りをする趣味もないので…大人しく、引き寄せられた体を彼に預け、少しだけ頬を寄せる。
それに気を良くしたのか、ギルガメッシュはわたしを膝に乗せるようにして抱え直した。殺気立っていた獅子たちも主の様子に習ったのか、日の当たる場所に伏せて寛ぎ始める。獅子エヌルタがギルガメッシュの背に回り彼を囲うようにして身を伏せると、その体躯に凭れて指でわたしの髪を遊び始めた。
一瞬前まで断頭台斯くやの緊張感に包まれた場所が嘘のようだ、漸くいつも通りの穏やかな時間が神殿に戻って来た。
「つまりまとめると」
「うむ」
「先ほどの伝達を機にわたしが王城(ジグラット)を抜け出して従兄のウトゥクと逢引きし淫蕩に溺れる未来が視えたので、その前に処断しに来た…と」
「先からそう言っているであろう」
「…想像力が豊かですね、我が王」
「阿呆が、未来視だと何度言わせる。我は王として、この地にある可能性の星光を見通し剪定する責務がある、これはその足掛けに過ぎん」
確かに彼が言うように、先ほどの伝達は従兄ウトゥクにあてたもので、近々催される女神イシュタルの祝祭の日取りを訊ねたものだ。彼の母は「天の家」に属する神官であるため、忙しいなら手伝いをしようという助け合いの気持ちを綴ったものだ。
「…もしかして、神の家で催される聖娼の儀を勘違いされたのでは。あれは神官が祈り求めるものに神の力を授ける神聖なもので、決して不義理な行為では ン、」
それまで髪を愛でていた彼の手が、突然わたしの胸を鷲掴みにする。荒々しい痛みこそないが、愛撫とは程遠い力に体が強張ってしまう。
「誰が、誰に、力を授けるだと」
「ですから、神官が民に」
「貴様はもう神官ではない。有象無象の神ではなく、お前が祈り思うはこのウルクの王である我ただひとり。その命は我のために存在し、そのすべてをもって無聊を慰めるためにある」
巻衣の間から差し込まれた手が肌を伝い、今度は慰めるようにして胸の輪郭を撫でた。逆の手が足の柔らかい所に触れて、まるで夜の帳に沈むころを思い出させるように少しだけ爪を立てる。
「そうであろう。そのために我が財を惜しみなく注ぎ磨き上げたこの珠玉を、誰が為に明かすと」
「ン、 ギルガメッシュ、さ」
「この我が、それを許すと思ったか」
爛々と輝く紅玉の瞳の奥。眩く輝く太陽の内側、そこに巣食う夜よりも深く暗闇より遠い海がある。深淵よりも尚暗く深い闇、王としての側面に限りなく肉薄するギルガメッシュという男の欲に呑み込まれそうになる。
そこは心地よいのだろう、そこは穏やかであるのだろう、そこは_____愛に満たされているのだろう。我らが唯一にして絶対の王、ギルガメッシュが魅せる黄金色のまほろば。
だけど、それは、わたしが、わたしの意思に屈するということと同義だ。
「あなたは何かと初夜権を行使するのに」
与えられる甘美な痺れに火照る身体を誤魔化して、きっとギルガメッシュを睨みつける。彼は目をまあるくすると、「嫉妬か」と聞いた。「違います」「いや嫉妬だ」と早口に切り捨てて、とたんに蕩けるように微笑んで見せる。
「愛いやつだ」
「ちがいます」
「そう焦がれずとも良い、我がこの手で愛でる花はただひとつ。他は戯れに過ぎん」
「わたしには違いがわかりません」
「優しくしている」
まるでそれが愛だと錯覚させるように、内側からわたしの身も心も溶かすような言葉を耳元で囁かれる。わたしをゆるやかに抱きしめる腕は、まるで言葉巧みに人を微睡わせる狡猾な蛇そのものだ。
「お前が痛みに泣くことがないように、我の膝の上で果てるように」
「あ、」
「王としてではなく、一人の男として為すべき務めをはたしている。___が、それでも足らないというつもりか、ミワ」
責める様な言葉とは裏腹に、くつくつと愉しそうにギルガメッシュは笑った。
「我相手にここまで欲深く我儘をいう女は、他におるまいなあ」
そうやって愛を語る唇で、彼はわたしに口づけを与える。語られる柔らかな情とは裏腹に、それは呼吸さえ奪い尽くそうとする飢えた獣のよう。涙に濡れた視界の向こう側で、衣の帯をほどく音が聞こえた。
あとは、わたしの身体が彼の命で満たされるだけ。それを愛と呼んでいいのかはわからない。でも確かに、わたしの身体ごと心を嬲る彼の指は優しかった。
