マーリンの本質が蟲であることを知っている
「魂の本質を見抜くか、___君の魔眼は、少し厄介だね」
その瞳は、まるで満天の星空のように視えた。無限の宙に原初の花が幾重にも咲き乱れている、まるでフラクタルのように広がる小宇宙。けれどその本質は、ひとつ。
「蟲」
___彼は美しい花に擬態した、虫だ。
わたしの言葉に、花の魔術師マーリンは「正解」と嗤った。

魔眼というものは魔術師の人生を容易く狂わせる。発祥自体が神秘であるがゆえに、適した肉体と脳を持って産まれることができるのは奇跡に等しい。その砂漠の砂の一粒を探し当てるような恵みを、わたしは生まれながらに享受していた。
けれどわたしの瞳の権能は大それたものではない、生物の本質を少しだけ垣間見る程度のもの。神秘を大原則とする魔術師にとって、これほど無粋なものはない。故にひけらかすこともせず、幻を少し見抜く程度と嘘をついて生きてきた。
「その瞳に宿る神秘は、あわいを生きるわたしのような生き物にとっては天敵だよ」
するりと冷たい指が、顔の輪郭を辿るように滑る。細い指が目元を掠める度に、身体が震えた。遊ぶように踊る指が、軽やかな口振りが、享楽を糧とする妖精の性が、いつ気まぐれにわたしの目玉を抉ろうとするかわからない。
その恐怖すら解っているのだろう、わたしの感情を嬲っては悪戯に微笑む半妖精。このログレスの都の輝ける人、アーサー王を擁立した立役者、預言者マーリン。
波打つオパールの髪、理性を惑わす蠱惑の瞳。月灯を映したような人為らざる容姿を持つ魔術師が、妖精の堕とし子であることは有名な話だ。
「君の瞳にはわたしがどんなカタチに見える? ああ、安心したまえ。これは純粋な好奇心だ、嘘偽りなく答えたからといって罰することはしない」
「…」
「警戒しているね、わかるとも。それは人間としては正しい防御反応だ、だけど今は少しいただけない。だから、こうするとしよう」
少年のように微笑んでいるが、これは詰問だ。何もしゃべれずにいるわたしの後ろに、ピクニックに行くような軽やかな足取りで回る。そうしてパチンと、指を鳴らす音がした。
その音と一緒に、濃密な花の香りが弾けた。暴力的な芳香に一瞬で呼吸を奪われる、口から粒子が体内に入り込んで触れたそこから理性を蝕む。くらりと視界揺らぐ、まるで酒を飲んだような酩酊と僅かな多幸感。
これはいけないものだと、咄嗟にローブで口元を覆う。幻影なら魔眼で見破れるのに、瞳を凝らしても眩い春色の花が消えない。それどころか、狭い石塔の内側に蔦を伸ばしてまるでここが一つの楽園であるように命を芽吹かし続ける。
「幻ではないよ、君にはそういった類のものは効き目が薄いようだから」
後ろから伸びてきた白い手がわたしの腕を掴んで、口元から引き剥がす。彼が芽吹かせた可憐な花々とは凡そ似ても似つかない粗雑さだった。
抵抗したが、後ろから抑え込まれては意味を成さない。噎せ返る甘い香りに、じりじりと理性が侵されていく。微力な魔力で抵抗しようとするが上手くいかない。脂汗を額に滲ませて徐々に力を失っていくわたしに、マーリンが囁く。
「わたしがどう視える」
_____蟲が、囁いている。
脳を直接揺さぶるような甘い声に惑わされ、固く閉じていた筈の口が結びを解き始めてしまう。
カチカチと、蜂のような大顎が音を立てている。黒い硬質な皮膚と、短い毛に覆われた体表。小さなガラス片を繋ぎ合わせた様な複眼が、まるで万華鏡のように怯えるわたし顔を映し出して気持ち悪い。その様子を伺うように、異様に長いべん節が揺れていた。
その風体は蟻蜂、末は蠅ノミ蟲か。
直視することも憚れる異形の化物の様相を、つぶさに説明する。魔眼が熱い、説明するために彼をよく見ろと魔力が集中しているのだろう。まるで瞳が灼熱の礫に変わってしまったような、_____ああああああ、痛いいたいたいたいたいたい。あついよ、苦しいよ。
涙を流しながらその正体を暴くわたしを前に、蟲が黒い口角を押し上げてカチカチと顎を鳴らす。蟲に表情などある筈ないなのに、わたしにはそれが喜んでいる様に視えた。
目が覚めると、自分の部屋にいた。王に仕える魔術師たちが暮らす質素な兵舎、…ああ、すべて夢だったのだろうか。魔術の過剰使用で悲鳴を上げる体にムチを打って起き上がり、おぼろげに覚えている記憶を反芻していると、ふと甘い香りがした。
そうして漸く、枕元に置かれた花に気づいた。春の色をした花を目にした瞬間、記憶に被さっていた霧が急速に晴れていく。暗く冷たい石塔、オパールの髪、噎せ返る花の匂いと蟲の化物。
情報の濁流と、そこで受けた辱めを思い出して体が震えた。咄嗟に枕を掴んで花を寝台の上から叩き落とす、心臓がばくばくと脈って呼吸がままならい。逆流しようとする胃液を口を押えて必死に堪えると、「酷いことをする」と呑気な声が聞こえた。
覚えがある声だった、信じられない気持ちで固まるわたしに。そっと花を拾い上げた魔術師は、否…魔術師の幻影が言う。
「西の塔にあるわたしの部屋においで、なあに悪いようにはしないさ」
いいね、と言い含めるようにして残して。指でくるりと弄んだ花をわたしの寝台に寝かす、次の瞬間には溶けるようにして消えた面影。だがその存在は、わたしの心臓に重い影となって絡みついている。
(逆らうことは、できない)
逃げたいと悲鳴を上げるわたしの思考に反して、身体は彼に会うための仕度を始めた。
向かうは西の塔、マーリンに与えられた研究棟だ。分厚い木の扉をくぐると、白い獣が視界の隅を横切る。紫水晶の角を持った雪のように白い体毛の獣、じっとこちらを見つめる瞳には知性の光が瞬いていた。…霊獣だ、それも極めて高位の。
「キャスパリーグ、君がこちらに来るとは珍しい」
吟遊詩人が歌うような声だった。部屋の奥手、幻想的なステンドグラスが透かす灯りの下にスクロールが広がる。羽ペンを羊皮紙に滑らせていた人が、視線をくれずともまるで見ている様にして会話を続ける。
「できれば君には、わたしの作った美しいだけの箱庭で静かに眠っていて欲しいのだけれど」
「フォウ」
「別に虐めていないさ、ただ酷く怯えている味がしたから少しだけ言うことを聞いてくれるように_____おや、」
マーリンが羊皮紙から顔を上げるのと、キャスパリーグと呼ばれた獣がわたしに向かって飛びついてきたのは同時だった。ぽふりとふわふわの白いお腹に顔が埋まる、すると頭の上からまっすぐに伸びていた視えない糸がぷつりと切れるのを感じた。
途端、身体中の制御が戻ってくる。その衝動に耐え切れずよろめいて、後ろに頭をぶつけてしまった。
「___本当に珍しいことがあるものだ」
かたりと、マーリンが席を立つ音が聞こえる。痛む頭を抑えながら座り込むと、わたしの様子を伺うようにうろついていたキャスパリーグが高い声で鳴いた。
そうして膝に前足をついて顔を近づけきたと思えば、何かを確かめるように鼻先を揺らす。だがマーリンが近づいてきたのを知ると、まるで逃げるようにぴょんとわたしの腕の中に飛び込んできた。
腕を足場にくるりと回り居心地の良い体制を見つけたのか、そのまま丸くなってしまう。ここを寝床に定めましたという顔で、小さな顎を腕に乗せて目を閉じる。その様子は霊獣というより、人慣れした犬猫のようだ。困惑しているのはわたしだけではないようで、マーリンも何時もの軽薄さがない声音で言う。
「嘘みたいな話だが、キャスパリーグは君を気に入ったらしい。まさかわたしの術まで食い破ってくれるとは、いやはや君は驚かされることばかりだ」
さらりと言われたが、やはり魔術がかけられていたらしい。特定の条件付けで人の行動を制御する暗示の類だろう、それで先ほどまでの理解できない自分の行動の説明が着く。
「魔術を、かけたんですか」
「そうとも。ああ、でも悲観することはないよ。他ならぬわたしが手ずから施した魔術だ、君のような才能に乏しい魔術師では気づけなくて当然さ」
さらりと喧嘩を売られたような気がするが、反論の余地がない。なにせ目の前に立つ男は、当代随一の魔術師だ。彼が本気で魔術を編めば、わたしはきっと疑うこともできなかった。何も疑念を抱かず、彼の魔術に人生を操られて終えていたことだろう。
なのに彼はそうしなかった。それには理由があるはずだ、…マーリンを見れば、彼は七色の光の中で張り付けた様な笑みを浮かべる。
「苦くて痺れるような、深くとろけるような味わいだがわたしの好かない風味がする…これは恐怖の味だね」
「…」
「まだわたしが怖いのかい、そうならないように君の瞳に制限をかけたのだけど」
「え」
信じられない言葉が聞こえた、どういうことかとマーリンを見る。そこには月を映したような美しい男がいる、…目を凝らしても、それだけ。_____蟲ではない。
「もしかして、」
「ああ、その反応を見るにわたし魔術は上手く機能しているようだね」
「そんな、魔眼に 魔術を施すなんてきいたことが…!」
まるで何でもないという風に語る様子が信じられなくて声を上げれば、マーリンは「ほらそこはわたしだから」と軽く笑って見せる。
「こう見えて当代最高位の魔術師なんだぜ」
___め、めちゃくちゃが過ぎる。
言葉を失うわたしをみて、彼はイタズラが成功した妖精のように笑った。
それは、魔眼への好奇心から始まった関係だった。それなのにキャスパリーグが気まぐれにわたしを気に入ったことで、わたしたちの関係はより複雑になっていく。
マーリンが不在の間、研究棟の管理を任され。彼の作った箱庭から飛び出してきたキャスパリーグの世話をするお仕事、もう危険な戦場にでることはしなくて良い。それなのに給金を上げてくれるというのだから、断る理由がなかった。…正確には、断る理由は封じられたというか。
もし、魔眼に封印術が施されていなかったら断っていた。それを最初に封じてくるのだから、意図していなかったことだとしてもその手腕は流石と言える。
「ねえ、キャスパリーグ」
膝の上で転がっている獣から返事はない。ブラッシングが気持ち良かったのかとろとろと瞼を泳がせて、時折思い出したように尾を振る。キャスパリーグの正体は知れない、マーリンに聞いても教えてくれなかった。知らない方が良いこともあると、言っていたけれどアレはどういう意味なのだろう。
ぼんやりと考えていると、塔の主がご帰還された。音もなく展開される魔法陣からゆらりと現れる輪郭、宮廷最高位の白(フィオナ)のローブを纏うことが許された人はこの都でただひとりだ。
「はあ、疲れた。元々疲労など感じないけれど、あの空気は流石のわたしも息が詰まる」
「お勤めご苦労様です、マーリン様」
「うん …キャスパリーグ、またこっちに来ているのか」
首元のブローチを外すとローブが落ちる、そうして髪を束ねていた紐を解こうとしているが上手くいかないようだ。今日はそれなりに格式を繕う必要があると言っていたので、傍仕えのものが用意した衣装を着たのだろう。重厚な造りの衣装も、オパールの髪に施された複雑な編み方も、どれもマーリンが好まなそうなものだ。
途中で嫌になったのか、絡まった髪をそのままに「やって」と短く言い捨てた。だがキャスパリーグが膝にいるので動けないことを知ると、自分からわたしの前に腰を下ろした。その行動が子どものようで少し驚いたが、大人しく言うことに従う。
「少しそのままにしていてください、細い髪が絡まって」
「面倒なら切ってもいい」
「そんなことを言わないでください」
職人が粋を凝らした銀細工の髪飾りは、きっとそれひとつでわたしの給金何か月分もするのだろう。それを思うと緊張で指が震えて上手くほどけない。じっとしているのが飽きたのか、マーリンがわたしの足に体重を預けてくる。そうするとキャスパリーグの身体に頭が当たるようで、邪魔だと言う様に足でマーリンの頭を蹴った。
本当にこの使い魔は、使い魔であることを疑いたくなるほどに主を嫌っている。マーリンもそれを咎めようとしないので、きっと彼らはずっとこういう関係性で来たのだろう。そこに口を出すような無粋はしないが、さすがに足蹴が過ぎる。そっと手で遮ると、しょうがないなあという風に鳴いて膝の上から飛び降りた。
「随分と懐いたね」
「そうでしょうか」
「うん、こんなことあるんだ」
正直、それはあなたにこそかけたい言葉だ。
いつしかマーリンは、わたしの前では笑わなくなった。だからといって機嫌が悪いわけではない、聞けば言葉を返してくれるし。マーリンから言葉をかけてくることもある。ただ表情と言葉が人間とは思えないほど淡々としているだけ、まるで自動人形かホムンクルスを相手にしているようだった。
だがしばらくすれば慣れた、人間とは順応する生き物だ。それがどういう意図があってのものか解らないが、そうしている時のマーリンは軽薄な笑みを浮かべている時よりも、自然体であるように感じた。
もしこれが本来の彼であるのなら、いつもどれほどのエネルギーを消費してあの“理想の魔術師”を演じているのか。それを思うと、僅かに同情する気持ちが燻って今も指摘することができずにいる。
「とれましたよ」
最後の玉細工を取って、オパールの髪を撫でる。キャスパリーグとよく似た七色の髪は柔らかく、そうして手櫛を入れるだけであっという間になだらかになる。まったく、男の髪にしておくにはもったいない。そうやって黙って髪を撫でられていたマーリンが、不意にぼそりと呟いた。
「君も僕に慣れたよね」
「そ、うですか あまり変わらないと思うのですが」
「僕に怯えなくなった、そうでしょうミワ」
「それはあなたが魔眼を封じているから…」
そのおかげで魔眼が暴走せず、マーリンの本性が視えずにいる。もしそれがなければ、こうしてマーリンの髪を梳くこともなかった。だって蟲に視えるのだ、蟲に髪はないし頭を撫でるというのは…その、無理だ。
ようやく記憶から薄れてきた姿を思い出して苦い顔をする、それを膝に頭を転がしたマーリンがじっと見上げてくる。何を考えているのか解らない瞳は、今も魔術でわたしの心の内を見透かしているのかもいれない。そう思うと居心地がいいものではない、そっと彼の頭を後ろから持ち上げて戻す。
「そうだ、君は僕が蟲に視えるんだ」
「忘れていたんですか」
「覚えている。覚えていたけど、失念していた」
機械的な返事だ。良く解らない上に、風向きが悪い。会話に興味のない素振りをしたくて、マーリンの髪を首筋の辺りで束ねる。結ぶものがないのでわたしの髪紐を解いて、くるりと巻いた。
「最初はその目が気に入ったんだ」
「どうしてですか」
「一番僕の世界に近いから」
「世界?」
「どうして封印したんだろう、意味がないのに」
きゅと、髪紐をリボンに結ぶ。良いですよ、という意味で背を叩けばマーリンがゆるりと立ち上がった。長いオパールの髪は長く、一つに括るとまるで巨大な獣の尾のようだ。
「解こうか」
振り向いた彼が提案する、その顔からは感情と言うものが抜け落ちていて何を考えているのか解らない。
「構いませんが、その場合…あの、退職させていただいても…?」
「フォウ!」
窓辺で休んでいたキャスパリーグがダメ!と言う様に、ひときわ大きい声で鳴いた。いや、そう言われても。あの、難しいです。ぼそぼそと指を擦り合わせるわたしを見て、マーリンがこてんと首を傾げた。
「蟲は嫌い」
「得意な人は少ないかと」
「得意になればいい」
「難しいことをおっしゃる。…最初言ったじゃないですか、わたしの眼はあなたたちにとっては天敵で厄介だって。それなら、わたしは見えていない方が、何かと都合が良いんじゃないですか」
「____そうだね」
なんだろう、この風に腕押ししているような手応えのなさは。会話しているのに、まるで一人で一生懸命返って来ないボールを投げているような心地だ。
それはマーリンも同じようで、自分の言った言葉を確かめるように口元を指でなぞっている。やがて、ぽつぽつと小さな声で言う。
「でも、それだと意味 がない」
「意味ですか」
「…ミワ」
「はい」
呼ばれたので返事をするが続きはなく、またマーリンはわたしの名前を呼んだ。
「ミワ」
「はい?」
「ミワ」
「はい、なんですか」
「ミワ」
「マーリン様、」
「ミワ」
「???」
「ミワ」
「はい」理解できずとも答えれば、それが正しかったのか。マーリンはわたしの頬に触れてゆるりと顔を近づける、魔術を解くつもりなのだろうか。だとすれば、この距離で蟲の顔を見ることになる。それは無理だと、ぎゅうと目を瞑ると、閉じた瞼の下にある眼球を辿るようにマーリンの指がなぞった。
「僕をみて」
それは、子どもの声によく似ていた。
彼は何がしたかったんだろう、その答えは結局死ぬ間際になっても解らなかった。