夢の中だけ、姿を見せる老人。
___のような真っ白な髪をした、コーンウォールに吹く風のような青年。誰よりもヒトらしくあろうとしている半精霊の魔術師。彼が一度だけ、歌っているのを聞いたことがある。
「 ___ 」
目深く被ったフードで、その横顔を見ることはできなかった。戦場に在って一紡ぎにて数多の命を奪ってきた声が、柔らかな音だけを繰り返す。魔術ではない、ただのハミング。
「なんの歌ですか」
____幼いわたしは好奇心が赴くままに尋ねてしまった。
「まだ起きているのかい、アルトリア。もう眠りなさい、ブラウニーが困ってしまうよ」
「眠れません、今夜は特に冷えているから」
「確かに子どもには少し辛いかもしれないね。どれ、わたしがおまじないをかけてあげよう」
ぱちぱちと焚火が爆ぜる。マーリンが脱いだローブを被せてくれる、薄い布でできているのにとても暖かかった。柔らかい花の香りが、とろりと思考を溶かして。らしくなく彼の袖を引いて、引き留めてしまった。
「さっきの歌、なんですか」
「……子守り歌、 だったかな。うん、”あの子“はそう言っていた」
「マーリンが作ったものではないのですね」
「わたしが? まさか、わたしはそういったものに疎い生き物だと教えただろう」
では、なぜ歌っているのか。訪ねようとした言葉は込み上げてきた眠気に溶けて、欠伸になってしまった。冷たい土の上に転がって「うたって」と言う。理性などないに等しい、微睡の夢の中でのお願いごと。しかしマーリンは掴んだ裾を剥がすことなく腰を落として、歌ってくれた。優しい声のハミング、独特な…聞いたことのない、音。
(…お姫様の、おうた)
____しあわせなお姫様のうただと、思った。
ただそれだけ。その夜のあと、強請ってもマーリンは歌ってくれなかった。甘えることを忘れた時分には尚の事、だから今の今まで思い出すこともなかった。
その懐かしいハミングを、____特異点で、耳にするまでは。

買い物をしていたら、突然腕を掴まれた。その所為で買ったばかりのパンは地面に転がり落ちてしまう、わたしが何をしたというんだ。
「申し訳ありません、すぐに同じものを買い揃えますので」
「え、いえ… その大丈夫です」
掴んだ人は、落ちたパンを拾い集めてくれる。キレイな少年だった、お日様の光をあつめた様な金髪に目が眩んでしまいそうだ。だがすぐに何かに気づいたようで、詫びるような声で言う。
「…すみません、いま持ち合わせが。 近くに主人が宿を取っていますので、そちらまでご同行いただいてもかまわないでしょうか」
「本当に気にしないで、そこまでして頂くのは悪いもの」
「それではわたしの気がすみません、我儘を承知の上でどうか…お願いいたします」
強引な子だなと思ったが、騎士のように傅かれて指先に口付けられたら話は別だ。イケメン…少年…、これは従う以外の道がない。まんまと口車に乗せられて、連れて来られたのは見知った宿屋であった。ほっとして中に入ると「アルトリア!」と声が上がる。
見たことのない外国の少年が走ってきて、イケメン少年に話しかけた。…アルトリア、…女の子の名前だ。え、男の子じゃないのか。そう言われてみれば、慎ましやかではあるが胸のラインが…。
「マスター、彼女がそうです。 彼女は…すみません、お名前をお伺いしていませんでした。わたしはアルトリア、彼はわたしの主人の、」
「リツカです」
「…まあ、これはご丁寧に。わたしはミワといいます」
聞けば、リツカとアルトリアはこの町に来たばかりらしい。
色んな場所に旅をしているようで、パンは彼らの手持ちで返してもらうこととなった。流れでテーブルを囲み、アレソレと話が続く。どうやら他にも連れがいるらしく、こんな辺鄙なところに大所帯で訪れる旅人など珍しいと聞けば。どこか困ったように笑って誤魔化された。
「話を聞くと、君が彼女を引き留めたようだけど。またどうしてそんなことをしたんだい、アルトリア」
ダヴィンチと名乗った少女が、人好きのする笑みで訊ねてくる。そうしえばそうだった、自然にアルトリアへと視線が集まる。アルトリアは口を少し開いたが、閉じて。そうして、言葉を選ぶようにして答えた。
「歌が、きこえまして」
「うた?」
「はい、ある人が一度だけ口ずさんでいた歌です。あなたが歌っていたように聞こえて、つい手を掴んでしまいました」
「歌… これのこと? ____ 」
少しだけフレーズを歌えば、アルトリアは「ええ、それです」と頷いた。
「失礼ですが、ミワはその歌をどこで」
「さあ、わたしも良く知らなくて。行商の人が教えてくれた歌なの」
ウソだ、本当は母が教えてくれた歌。母は魔術師で、きっと故郷に伝わるものなのだと思う。だけど魔術師の存在は薄れてきているし、外の村から来た彼らの目的も解らない今それを素直に告げることは憚られた。
「…そうですか、彼は子守り歌だと」
「その人は、アルトリアの友達なの」
「いえ、友達…というよりは、師…と言う方が、しっくりくるように思います。碌でもない老人でしたが」
「仲が良いのね」
「…わたしにとっては、長い時間を共にしました。彼にとっては微々たるものでしょうが、絆のようなものはあったと思います」
その老人と言うのは、本当に母と同郷の魔術師なのかもしれない。だがその答え合わせは必要ない、そうと頷くだけすると…ゆるりと風が頬を撫でた。魔術によって操られた風が運んできた香りには覚えがあって、嗚呼と立ち上がる。
「ごめんなさい、わたしもう行かないと」
カランとドアベルが鳴いたのは、同じころだと思う。机の上に畳んでおいたローブを手に取れば、アルトリアが「お送りします」と誘いをくれるが大丈夫だと断った。
「お迎えがきたから」
またね、とリツカとダヴィンチにお別れを言う。ドアの前に立ち尽くしている彼は、迎えてくれた宿屋の少女と一言二言交わしている。するりと彼がフードを落とした、柔らかいオパールの髪がぴょんと跳ねて飛び出した。ガラス玉のようなアイリスの瞳が、わたしを見止めて少しだけ揺らいだ。
「お迎えにきてくれたの、ありがとう」
「食材を買うと言っていたのに、パンはどうしたの」
「落としちゃった」
てへと笑ってみるが、彼の表情筋はぴくりとも動かない。…この鉄面皮め、偶には媚びの一つ売ってみてほしいものだ。むすっと頬を膨らませるも、彼は一瞥くれただけですぐに視線を外し「だれ」と言う。
「ああ、彼女たちは」
「マーリン … !」
____え、知り合い?
マーリンの名前を言い当てた。驚いてマーリンの顔を見てみるが、眉一つ動かさない。え、どういう感情なのそれ。わからん…。どうしたものかと自分の立場を考えあぐねていると、マーリンがわたしの腕を掴んだ。次の瞬間には、彼の魔力が循環し魔法を組み上げていく。
…瞬きの間に、家の前に連れて来られてしまった。
突然の転移の魔法、驚いたがそれ以上に気になることがある。
「マーリン、知り合いなの」
「知らない」
「でもあなたのことマーリンって、町の人にはミルディンって名乗っているのに」
さっさと家に入ろうとする彼の手を掴むが、返ってくる言葉は変わらない。
「だから知らない、それに人間の顔なんて一々覚えてない」
「ちょっと、まさかわたしの顔も覚えてないとか言わないわよね」
「ミワは魔術師、人間じゃない」
いや、括り的には人間では…? と思ったが、マーリンに「家に入ろう」と急かされた所為で言葉を返し損ねた。マーリンが扉を開いてくれるわたしたち二人だけの家、ゆっくりと扉が閉まる。その向こうに____七色の髪を靡かせた獣が、泣きそうな顔で佇んでいる気がした。