迫害されたマーリンを拾ってしまったはなし

…善意、だったのだ。完全に自己満足の。
この戦が尽きない枯れた島で、魔術師として生まれたのは幸福だった。ヒトの目を憚りこっそりと生きていくには、この島は神秘に余りある。独り身となった時はそれなりに寂しかったが、使い魔がいたおかげで乗り切れた。今日も僅かな糧を得るためにウェールズの深い森を探索していたら、目を疑うような光景を見た。
薄汚れた男たちが、不自然に集まっていた。遠目からでも彼らが頭を情欲でいっぱいにしている様子が分かったので回避しようした。だけどその腕に捕まれた足が驚くほど幼いのが見えて、踵を返そうとした足は気づけば土を蹴っていた。使い魔が止めるのも振り払って「コラー!」という怒号と共に飛び蹴りをかまし、幻術で作り出した魔獣をけしかける。男たちは服を着るのも忘れてマヌケに逃げて行った。その場に残ったのは、血と魚介が混ざって腐ったような酷い匂いと。
好きように嬲られていた小さな子ども、
その子は一見して少女を見間違うほどに美しい___少年、だった。
「大丈夫、じゃないと思うけど。あっちに湖があるから、そこまで歩ける?」
「___、」
「わたしはミワ、あなたは?」
「__」
少年はなにも答えない。灰色の髪に隠れた瞳はぼんやりと空を眺めており、わたしの存在を認識しているのかも怪しい。…こんな風になれば、当然か。骨と皮だけの細い体には男たちの暴行の跡が見えた、しかも一度や二度でないのだろう。治りかけた古い切り傷や火傷の跡も見えて、目を逸らしてしまいたくなる。
それをぐっと堪え、少年に纏っていたローブを被せた。使い魔に手伝ってもらってぐったりとしている少年を湖畔へと運ぶ、その時に手に白いものが付いて気分が悪い。でも、そんなもので体中を汚された少年はもっと気持ちが悪いに違いなかった。
「待ってて」
湖の精霊たちに礼をして、水を少しだけ分けてもらう。今日は日が出ているので、今のうちに汚れを落としてしまうのが良いだろう。拙い治癒の魔術を施しながら彼の汚れを拭った。そうして灰色の髪を水に溶かすと、それが元は違う色をしていることを知る。…光の加減で、虹色に輝くオパールを溶かしたような髪。
(…きれい、)
ほうと、溜息がこぼれた。そんな浮かれた気持ちを見抜いたように、薄紫色の瞳がわたしを見た。ドキリと心臓が跳ねる、次の瞬間____少年の体が崩れた。正しく言えば、少年の体を形作っていた器が崩壊した、霞が晴れるようにして少年が座っていた場所には…小さな獣が、蹲っていた。
「これはこれは、珍しい半魔(ダムピール)でございます」
ぽかんとするわたしに、使い魔のカラスが鳴いた。
「夢魔と人間の子ども、精力が尽きて本来の姿に戻ったのでありましょう」
「はわわ」
「月と地球の狭間にて生きる精霊は姿を持たず、人として天使と魔物の性質を受け継いだ歪みは彼を獣として産み落としたのでしょう」
「はわわ」
「むむむ いけませんミワさま! いくら動物好きだからといってそんな性質の悪いものを拾っては、面倒は誰が見るのです! 愛玩する獣が欲しいとは言っておりましたがそれならばわたしで十ぶ、 お捨てなされ、いますぐにそんなものはお捨てなされ!」
テレレテッテレーン ミワ は オオカミ の 子ども を 拾った !

その後のはなしをしよう。
生まれてすぐ”人間“であることを求められた彼は、栄養にならない人間が必要とする食事を義務付けれ、妖精として存在することを禁止された。棄てられた後も母からの教えを厳守しており、それが栄養失調の原因となったようだ。使い魔が言うに、夢魔の食事は人間の”夢“。具体的に言うと人が夢を視る時に脳に生じる分泌物、それ以外にも糧があるらしいが「ミワさまに言えませぬ」と教えてもらえなかった。
外部から他人の脳に魔力を同調させ夢の“種”だけを食べる方法がスマートらしいが。限界まで衰弱した少年には難しく、彼に栄養を与えるには原始的な食事方法が望ましい。___すなわち、捕食。獣が肉を食う様に、夢魔は蟲のようにして人間を摂取する。
「さすがにわたしの身体で試すのはイヤだから、ホムンクルス作ってみた」
「___」
「とりあえず食べてみようか」
使い魔の説明を受けながら、虹色の狼はくんと匂いを嗅いでホムンクルスに噛みついた。…そこからはグロテスク映像だったので、簡単にご説明しよう。
夢魔のなかでも、ことインキュバスの性質は虫に例えられることが多い。その食事風景は、さながら…蜘蛛のようであった。伝説に聞く吸血種のように獲物の首筋に噛みついて、特殊な消化液を流し込む。そうして溶かして食べやすくした魔術回路から、根こそぎ精気(オド)を啜り尽くす。
「…うえっ グロい」
「だから自分のホムンクルスを使うのは止めなされと言ったのです!」
根こそぎ精気を吸われたわたしのホムンクルスは一瞬で天命を迎えた、ありがとう。食事を摂った狼は活力を取り戻したのか、花の香りがする魔力を散らして人の姿に戻った。薄汚れた姿ではない、月の妖精を模したような姿。
「元気でた?」
「……、」
何もしゃべらない、虚ろな表情のまま座り尽くす少年。どうしたものかと思っていると、使い魔がふむと頭を捻った。
「夢魔は高次の生命体です、いくら肉の器を得てこの世界のテクスチャに存在を固定化しているとはいえ…部品が足りない絡繰りのようなものです。この世界における人間として振舞うには圧倒的にエネルギーが足りない“人でなし”です」
「随分と酷いこというわね」
「捨てましょう」
「結論に結び付けない!」
使い魔は愛情を持って火あぶりの刑にした。もちろん本気ではないので直ぐに引っ込めたが、…その光景をぼんやりと見ていた彼に少しだけ近づいて尋ねる。
「ねえ、お母さんにはなんて呼ばれていたの。暮らしていた記憶があるなら、名前はあるでしょう」
「…… マーリン」
漸く聞こえた彼の声は、思っていたよりもずっと……。いや、これは秘密にしておこう。
マーリン、それが拾った狼の名前だった。夢魔の性質にもれず、彼にはいくつかの姿があった。本性である虹色の獣の姿、星の生命体に限りなく寄せたヒトの姿。他にも女の人やドラゴンにもなれるというのだから、夢魔と言うのは羨ましい生き物である。妖精ゆえに魔術の腕も素晴らしかった。それまでは禁止されていたことが嘘のように、彼はわたしの家の魔術書を読み漁りあらゆる魔術を指先一つで操って見せた。餅は餅屋と言うが…これは少し自信を無くす。
「わたしの方が人間として先輩なのだから、お姉ちゃんって呼んでも良いのよ」
「……」
「ちょっと無視しないでよ! 弟の癖に!」
マーリンは生意気だった、それは単に感情がないから。何も感じてないからと使い魔は言うが、それにしたって生意気だ!わたしみたいに感情豊かな生き物が目の前にいるのに、…いわばわたしは手本ではないか。魔術は学ぶくせに、人間について彼はちっとも学ぼうとしない。
「ミワ、お腹空いた」
「ヤ」
くんとローブを掴まれた。この野郎…と、じろりと睨みつけるがマーリンは眉一つ動かさない。
マーリンが自分からわたしに関わることはない。わたしが命令することには使い魔のように従うが、それ以外の時間は人形のように動かない。彼がわたしのところに自分から来るといえば、食事の催促のときだけ。
(弟っていうより、やっぱりペットって感じだな…)
「ミワ」
「ペットなら狼の姿で暮らしてよ、人の姿にしたいなら弟みたいに愛想をみせて!」
「ミワ …おねがい?」
コイツ、こてんと首を傾げておねだりする…だと…。
ピシャンと雷で撃たれたような衝撃だった。気づいたら、またホムンクルス作って与えてしまっていた。はわわ、弟とは斯様にも恐ろしい生き物だったとは…。
「そろそろクモみたいな食事じゃなくて、夢魔としてスマートに食事ができるようにしなさいよ」
「……ミワ、」
なんというか、人格を付与していない魔術回路とはいえ。自分と同じ姿をしたホムンクルスが食われているのを見るのは、精神衛生に悪い…。既にマーリンに吸い尽くされ、死んだわたし。白い首筋は肩の肉ごと齧り取られて、マーリンの口元は血塗れだった。これが野イチゴだったらもっとファンシーだったのに。
「どうしてホムンクルスに服を着せるの、意味ないのに」
「うるさいうるさい」
「最初は着せてなかった」
「うるさいうるさい! あんまり言うともう食事(ホムンクルス)作ってあげないから!」
それだけ言うと、マーリンはぴたりと口を閉じた。口元をキレイにするように言えば、マーリンは大人しくホムンクルスの上から退いた。死んだホムンクルスは何時も火にくべている、マーリンがそれを見て「もったいない」とぼそりと呟いた。…まるでまだ可食部があるような言い方だ、魔術回路は全て吸い尽くしたというのにこの体のどこにまだ夢魔が食べれる要素があるのか。
(というか、そろそろ…ちょっとな、)
昔はそれほど気にしていなかったが、時の流れとは残酷なもので。わたしは少女のあわいを抜けようとしているし、マーリンは何時の間にかわたしの背を追い越した。
以前は素っ裸でマーリンに渡していたホムンクルスだが、一応服を着せたくなるというもの。まあね、まだ小さいけど…胸もその内大きくなる、うん。お母さんも大きかったし。…つまり、それなりに羞恥心と言うのが生まれてしまったのだ。年齢操作をすることも考えたが、わたしが扱えるホムンクルス製造は祖母が残した錬金術ベースの複製(クローン)鋳造のみ。どうしても、今のわたしの身体をベースとしてしまう。
「ということで、なんとかしてほしい」
「ミワ様…だからあんな人でなしは捨てた方が良いとわたしは何度も何度も申したでしょう。百害あって一利なし、いまからでも遅くありません。元々あった場所に捨ててきましょう」
「もう!」
使い魔は愛情を持って火あぶりに(割愛)。臍を曲げた使い魔が、冬の空に「ミワ様のばかー!」っといって消えてしまった。まあ、いずれ戻ってくるだろう。戸をいつまでも開けているのは寒くて閉じようとしたが、さくりと雪を踏む音に視線をやる。
「マーリン、おかえりなさい」
「…ただいま」
機械的なただいまであったが、返すようになっただけでも上出来か。腰にランタンを下げて綿を入れたコートを被ったマーリンは、髪の色もあって雪の精霊のようだった。家に入る前に雪を落とす、その腕には薪が抱えられていた。裏の倉庫から取ってきてくれたのだろう。
「ありがとう、星詠み的に今年の冬は冷えそうだから、何時もより多めに薪を蓄えて置いた方がいいかもね」
「…鴉は」
「どっかいっちゃった、ケンカしたの」
受け取った薪をストックに入れる、暖炉は今の薪でもう少し持ちそうだ。チェアにかけていたストールを纏い、マーリンの分も渡す。寒い熱いは人並みに感じるようで、本人は平然としているが寒い方が苦手そうだった。
「ケンカすると鴉を火にくべるのはどうして」
「人聞きが悪いな〜 本気じゃないわよ、ふりよ。ふり、あんまり生意気言うからカチンときたの」
「鴉はいつも嫌がってるよ」
「あの子が嫌がっていることがわかるなんて驚いたわ」
嫌味ではない、純粋に。ストールを被ったマーリンはわたしの横に座って「どうして」と続けてくる。
…そうやってきかれると困る。うーん、まあマーリンにしてみれば無意味なやり取りなのだろう。彼は感情がなく、妖精ゆえか時に酷く達観している。人の世に対して客観的、というか。他人事で、檻の外から眺めているような。それがとても冷たくて、わたしは人の容をした氷の塊を相手にしている様に感じることがある。
「…愛ゆえよ。愛ゆえ、マーリンには難しいかもね」
「愛していれば、相手が嫌がることをしても良いの」
「それは関係性によるんじゃない? ちゃんと信頼関係のある相手ならしても良いと思うけど、突然知らない他人にされたらイヤだもの」
「ああ…、」
少しだけ得心が言ったような相槌だった。…まあ、マーリンと出会った時のことを思えば、彼にとって比較的わかりやすい感情の機微だったのかもしれない。彼の横顔をちらりと見る、美しい月下美人がそこにはいた。あの強姦魔たちに同調するわけでもないし、最低のクズだという考えは変わらないが…少しだけ同情もする。
人外の…美しい生き物が目の前にいて、命じれば従い抵抗することしらない。人生で何度も起こりえない絶好のシチュエーションにあって、原初の欲望に逆らえる人間がどれほどか。…太陽に近づいたばかりに地に落ちた、彼のイカロスとは言わないが、本当に人の欲とは限りないものである。
「ミワは…そうすることで鴉との関係性が、今と違うものになってしまっても何も感じない」
「感じなくは…ないと思うけれど。なに、今日はすごく喋るわね」
「命じれば止める」
「別に止めない、きっと良いことだと思うもの」
笑って見せれば、マーリンは何かを言おうとして口を開けたが。結局何も言わなかった、暖炉で弾ける薪を視ながらうんと考える。
「そうね、たぶんだけど。そうしても関係は変わらないって…確信があるから、かな。それに本当にイヤなときは、どういう風に言われるかもわかっているし。二人だけのコミュニケーションになってる、感覚かも」
「コミュニケーションは生物同士の関係を円滑にすることを目的に行うものだと」
「一般的にはね。でもこれもコミュニケーションだと思うわ、…なんか話してたら、酷いことをした気がしてきた」
「…」
ちらりと屋根を見上げる、うん。羽音は聞こえない、きっとまだ夜のドライブを楽しんでいるのだろう。
「戻ってきたら、ごめんなさいって謝るわ」
「それは否を認めたということ」
「それもあるけど… あの子ならイヤなことはイヤっていうし、ごめんなさいって言えば許してくれる。そういう関係だって思っている」
「…」
「甘えていたのかも。だからって限度があるわよね、死んじゃうかもしれないことはダメ」
「……関係性が、」
ぽそりと、マーリンが呟いた。
「関係性があれば、相手が拒否するであろうことをしても許される。相手がどんな反応をするか分からなくても、本当に嫌ななことならそう言ってくれる。もし拒絶されたとしても、謝罪し相手がそれを許容した結果元の関係に戻れる確信があるのなら…それは十分な関係性、愛していると仮定できる」
「…なんか難しいこと考えてるのね」
改めて言葉にすると人間とは面倒な生き物だなあ、…そろそろ薪を足そうか。立ち上がろうと床に付いた手に白い指が絡まった。それがマーリンの手だと認識するのに時間はかからなくて、何かと振り返る前にぐんと後ろに突き飛ばされる。
見慣れた天井だった、冬の音のない静かな夜だから薄暗い視界の中で薄紫色の瞳だけがひどく煌めいて見える。___マーリンに押し倒される。
さらりと頬に触れた虹色の髪先が、現実を突き付けてくるナイフのように冷たく感じた。
「マー、リ」
彼は何も言わない。するりと指がわたしの首元を探る、触れた指が酷く冷たくて反射的にすぼめてしまったが。マーリンはまるで他人事のように「あたたかい」と言って、ぐいと服を掻いてむき出しになった頸に齧りついた。

ホムンクルスはいつも冷たかった。彼女と同じだけど、違うもの。冷たい人形は彼女のように微笑まない、泣かない、怒らない、___あるのは虚無。井戸の底を覗き込む様な暗くて冷たく空だけ。滴る血は彼女のものじゃない、牙を突きつけるだけで破ける肌も、鼓動を失っていく心臓の音も、…僕が、捕食した命も、彼女のものじゃない。
(まるで、)
___まいにち彼女を殺す、練習をしているみたいだ。
だけど命で満たされるはずの腹は、「おかえり」と迎えてくれる彼女にこそ満たされる気がした。
僕はそういう生き物ではないはずなのに。
ホムンクルスのミワを食べるより、生きているミワに触れたい。ホムンクルスのミワの肉を裂くよりも、生きているミワに抱きしめてほしい。ホムンクルスのミワではなくて____、生きている君を、魂の裏側まで暴いてしまいたい。
その熱情に駆られたのは幾つの頃か。ミワの目を盗んで、ホムンクルスの死体を盗んだ。薄暗い倉庫の中で、彼女と瓜二つのホムンクルスに欲を撒き散らした。食事よりも、ずっと腹が満たされる気がした。脳が、魂が、妖精としての性に、命が灯った。
生きている、僕は。生きている、わたしは。
_____その行為を通して、僕は漸くただしくこの世界に生まれた気がした。
身体を満たす快感と、脳を満たす圧倒的な刺激。音のない心臓に直接命を吹き込まれたような感覚。酩酊する世界に、ほうと呆けている姿を……鴉に、見られた。
鴉は「汚い生き物だ」と、僕のことを言った。
それは決してミワに見せるなと、そうしたら目玉を穿って喉を裂いてやると。
漠然と理解した。蘇る幼いころの記憶、何度なく受け入れた人の欲望。___あれは、酷い味がした。雑味が多くて、一方的な泥を煮詰めた様な淀んだ感情(あじ)。ミワは、アレは良くないものだと言った。だから…コレをしたら、ミワはもうおかえりって言ってくれないかもしれない。
(コレをしたい)
___妖精の僕がいう。
(アレがほしい)
___人間の僕がいう。
___________彼女を食べてしまいたい。
髪の一筋だって、誰にも譲りたくない。