狗神クロコと龍神アカシと巫女見習い
「緒戸、もう帰るの?」
「えっ」
鞄を抱え、そそくさと帰ろうとしていた緒戸は、友人の言葉にびくりと震える。じっと見つめてくる無垢な視線から、きしきしとぎこちない動きで視線をずらした。
「う、うん…。今日は、早く帰る様にって、」
「あー、緒戸の家、厳しいもんね」
ごにょごにょと呟いた言葉は、しかし友人たちに伝わったらしい。眉を八の字にして笑う友人に、緒戸はこくこくと頷いた。
「過保護だよね、今時」
「仕方ないよ。緒戸家さ、ご両親海外でしょ。家で面倒してくれるの、親戚の人___だっけ?」
「う、うん…」
「じゃあ文句言えないか」
同情するように頷く友人に、緒戸はなんともいえない笑みを浮かべる。冷静こそ装っているが、内心は何時『嘘』がバレるのかと気が気ではない。
「じゃあ…今日も着てるの?親戚のオニーサン」
「うん」
「あ、あのイケメン」
「一時期、騒然となったよね。まさか噂の過保護な緒戸の親戚とは」
「…うん」
とたんに黄色を帯びる友人たちに、緒戸は苦い思い出を回想する。
あれは、緒戸の過保護な『親戚』が勝手に迎えに来たときのことだ。門前に立つ麗人に、学校は騒然となった。女子中学生の憧れでもある(自称)大学生の大人の男性。それだけでも噂の的には十分なのに、いささか緒戸の『親戚』は顔が良すぎだ。
「いいなー。わたしもあんな親戚欲しい」
「ねー緒戸、今度紹介してよ!」
「う、うん…きいてみる…あ、あの、時間だから、じゃあね」
反応しづらい話題に、緒戸は逃げる様にして教室を後にした。「バイバーイ」と手を振ってくれる友人に手を振りかえしながら、ぱたぱたと廊下を走る。下駄箱でローファーに履き替え、とんとんと床を叩いた。そうしていると、ざわりという女性とのざわめきが聞こえて来た。ぱっと顔を上げれば、正門に覚えのある真っ赤な髪を認めて緒戸は内心げっそりとした。
だからといって逃げる訳にもいかない。ならば、とっとと澄ましてしまおう。
緒戸はぐっと顔を引き締め、駆け足で正門へと向かった。色めき立つ男女の間を抜けて暫く、緒戸が声をかけるよりも先に赤い髪の主が振り向く。
「ああ___おかえり、緒戸」
ぱたんと、手元の文庫を閉じると、彼はそう言って柔和に笑って見せた。
その笑みに甲高い声が上がる。ああもう、わかってやってるでしょう!そんな不満が思わず顔に出てしまう。だが、彼は赤い目を優しく眇めるだけだ。
「今日はいつもより早いな。そんな急がなくても、夕飯は逃げたりしないぞ」
「べ、べつにお腹が空いているわけじゃっ」
「なるほど。なら、今日は満月堂の学生割引の日だが、たいやきクレープはお預けと言うことで…」
「あー!」
思わず大声をあげてワイシャツにしがみ付いた。あ、っと思った時には遅く、彼は酷く意地の悪い笑顔を浮かべていた。緒戸の顔にかっと熱が灯る。
「と、とにかく征十…お兄ちゃん。家に帰ろう、」
「そうだな。テツヤも待ちくたびれているだろうし」
「…」
「そうふてくされるな。たいやきクレープは奢ってやる」
「……」
ちらっと征十郎を見ると、彼はふわりと笑った。よしよしと頭を撫でる手に、緒戸ははあと深く溜息をつく。___これは、明日なんと言い訳をしよう。
「緒戸さんは悪くありません。全て、赤司くんが悪いです」
ぴしゃりと打つように言い切った黒子に、征十郎がむっと眉を寄せる。
「なんだテツヤ、僕に対して随分な言い様じゃないか」
「護衛のためと銘打って、ボクに黙って緒戸さんとタイヤキデートしてきた人は黙ってて下さい」
(なぜそれをっ!?てかデートじゃないしっ)
「さて、緒戸さん。ボクが言いたい事はわかりますか?」
仁王立つ黒子のその目は、何時もとは違う厳しい色を含んでいた。
思わずぴっと背が伸びる、どきどきがくがくしながら、緒戸は震える声で「はい」と答えた。
「緒戸さん、あなたは自分がどういう体質が忘れたんですか」
「い、いえ。わたしは、霊媒体質、で」
「そうです。では、そんなキミにとってボク達はなんですか」
「わ、悪い霊から守ってくれる___守り神さま、です」
言い終ると同時に、ふわりと不思議な香りが漂って来た。遠い昔、どこかで嗅いだ事のあるような香りに振り向けば、縁側で微睡んでいた征十郎が何時の間にか現れた煙管をくゆらせながら言った。
「正確には少し違う。葦原(あしはら)の巫女・色紙緒戸と誓約を交わし、この身の寄与を諾とした天津神だ」
そこには既に、親戚としての『征十郎』はおらず貴き天津神の一柱が降臨していた。
さわりと揺れる夕焼け色の髪に、同じ色であった瞳は左だけが鮮やかな金に姿を変えていた。異国情緒な煌びやかな衣を纏い、優美な竜の角を頂くもの。
「まったく、回りくどい人だ…」
次いで、再び懐かしい香りが漂う。
振り向いた時には、それまで緒戸に説教をしていた過保護な『テツヤ』は消えていた。代わりに、姿を現したのは赤司と同じく高天原に住まう天津神の一柱。鮮やかな水色の髪と瞳、涼やかな水晶の装飾がちりりと鳴る。白と青を基調に、狩衣に良く似た衣装を纏う、水面の月を虚実と成すもの。
「素直に『危なっかしい上に心配で、見てられなかった』と言ったらどうですか」
「クス それをいうのならテツヤも随分だろう」
「…食えないですね、君は。何時の次代も、」
綺麗な二柱の神を前に、緒戸はぼんやりと考えた。
本当に、二柱は美しい神だ。こんな二柱と契約ができた緒戸は、まさに幸運だったといってもいい。
龍神『赤司』と狗神『黒子』
この二柱は、奇跡之神と呼ばれる日本神話の中でも名の知れた神だ。
その姿は、日本書紀の天地開闢から語られており、歴史だけなら天照大御神やイザナミ・イザナギよりも古い。
「ところで、緒戸さん」
「は、はいっ!」
「学校から帰って来てお疲れの所悪いのですが、…仕事です」
黒子が言うと、その足元がぬたりと波打った。そうして足暗がりから現れたのは、白と黒の体毛の小さな犬だ。その瞳は黒子と同じ鮮やかな水色で、首元に水晶の飾りを着けている。もちろんただの犬ではない、黒子の神使____お手伝いみたいなものだ。名前を『二号』という。
「現場は既に二号たちが下見をしてくれています。汚染源も確定済み、マニュアルに沿った祓いと禊ぎをすれば、仕事は終了です」
黒子が屈み、二号の首元から水晶の欠片を外した。すると二号が「わん」と鳴いて飛びあがる。飛び上がった体は、とぷんと黒子の足暗がりに溶けてしまった。
「実に甲斐のない仕事だな」
「赤司くんにして『甲斐がある』と言わしめる仕事を、ボクが緒戸さんに回すわけないでしょう」
つまらなそうな赤司に、黒子が呆れたように言った。そんな黒子に「過保護なことだ」と赤司がのたまう。だが、黒子は気にした様子もなく持っていた水晶を掌に転がし、ふうと息を吹きかけた。
「では、まず軽い説明を行います。緒戸さん、準備は良いですか?」
「はいっ」
息の吹き抜けた先で、ぴきぴきと咲き誇る水晶の大鏡。緒戸は見慣れてしまった黒子の神威を前にきっと眉を上げた。
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