くろこのばすけ | ナノ

霊媒体質の赤司征十郎


僕には、昔から人とは違うモノが見えた。
それは道の真ん中にいたり、生垣からこちらを覗いていたりする。見た事のない有機物が混ざり合ったものや、人が溶けてしまったようなもの…それらは僕を見ると決まって走ってくる。まるで、家の猫が鼠や鳥を見つけた時のような目をして僕を“食べよう”としてくるんだ。

初めてそうなった時、僕は家中に縋った。『恐いものがいる』そう泣き叫ぶ僕を、家中の女性たちは駄々子をあやす様に扱った。…当然だ、彼らにはアレが見えないのだから。嘘つき呼ばわりされても一向にかまわなかった、だって誰かしらといればアレは僕を追ってこないから。そうやって、僕は誰にも理解されない世界で、独りぼっちで鬼ごっこし続けた。捕まったら最後、僕はあの『恐いもの』に食べられてしまう、後戻りのできない鬼事。

ずっとそうやって生きて行くと思っていた。こんな世界でしか生きられないんだと、諦めていた。
…君が、来るまでは。

「っ___」

ビクリと、体を震わせた僕に家中の女性は訝しげな顔を向けてくる。嗚呼…彼女には視えていないのだ。

「如何なさいましたか、征十郎様」

困った様に笑う若い女中の考えている事は容易に解る。…面倒だと言っているんだ、また僕の“持病”が始またって。悲しいけど、それは仕方ない事だ。だって彼女たちは視えてないから、きっと…視えてる、僕が悪い。

「…あ、あそびに…いってくる」
「…どちらに?」
「えっと、」

子どもが大人に対して好き勝手に物を言えることは普通だろう。でも、僕はそれが得意じゃなかった。それはきっと、出自とか…視えないものが視える所為なのだろう。僕は偽りだけの現世でない、人の本質でむせ返ったもう一つの“世界”を知っていた。…子どもが、子どもであるからといって無条件に愛されないことを知っていた。だから、僕は他者を容易に頼れない___傍から見れば、面倒な子どもだったんだ。

「__××、失礼します」

不意に、襖が開いた。一応、中にいる女中に声を掛けたみたいだったが、僕は驚いてまた肩を震わせてしまう。…家で働いてくれている女中は、みな音を立てずに移動する行動する…まるで『恐いもの』みたいに。それが僕は大嫌いだった。

「___では、__」
「はい、__わかりました、征十郎様」

「!」

「色紙様がいらしたそうですが、お会いになられますか?」

予想外の吉報に、僕は一瞬の喉を詰まらせた。でもその後すぐに会うことを女中に告げれば、僕一人では出して貰えない襖を開けて外へと出してくれる。あ、良かった…。ほうとする胸を隠して、僕は気づかれない様に速足で部屋を抜け出した。

パタンッと襖が閉まる手前、部屋の戸棚からこちらを見据える瞳が抉る様に僕を見た。僕はそれに気づかないふりをした。

「! 緒戸」
「…?」

大きな部屋の真ん中でぼうと庭を見る緒戸を見つけた。彼女が振り返った時、僕はもう耐えられなくなって女中を置いて走った。飛び掛かるように抱きつけば僕と同じくらいしかない緒戸の体はぺっしゃんこになってしまう。べちゃっと畳に2人で倒れた時、女中が後ろで「はしたないですよ!」と叫んでいた。普段なら気圧されてしまうそれも、込み上げる嬉しさに霧散する。

「緒戸っ緒戸緒戸」
「むぐっ…セージュ…おもい」

セージュ、それは緒戸が決まって僕を呼ぶときに使う言葉だ。幼い緒戸に、僕の『征十郎』なんて仰々しい名前は呼びづらかったようで何時も『セージュ』になってしまう。…僕はその呼び名を殊の外気に入っていた。

だから、嫌そうに眉を寄せる緒戸にわき目もふらず、ぐりぐりと頭を押し付ける。止めてと僕を押し返して来る手にはもう慣れたものだ、それに負けない力で緒戸の亜麻色の髪に顔を埋めると更に抵抗された。でも負けない。

「ゆう、いつまでいる?おとまりする?」
「しない、ままはなしするだけっていってたもん」

緒戸と僕は、所謂親戚というやつだ。
緒戸の父親と僕の母さんが兄妹、義姉妹である緒戸の母親と母さんは贔屓目を抜いてもかなり仲が良いと言える。母さんが僕を妊娠してからは緒戸の母親が、続くように緒戸を妊娠してからは母さんが会えなくなり、その反動を埋める様に2人は頻繁に会っていた。だから…その子である僕と緒戸が顔を合わせるまでにそう時間はかからなかった。

「おとまりしよう、ぼくがいうから」
「あしたほいくえんあるもん」

時間が掛ったのは、理由がある。__僕の出生が、入り組んだ家だから。
僕の父さんは、かなり名の知れた旧家の生まれでその子である僕は跡継ぎとして大事に大事に…家と言う箱の中、真綿に包まれるようにして育てられた。
周りは大人ばかりで、同世代の子には偶に開かれる盛大な祝い事でしか会ったことが無かった。それにしたって、互いに子供らしい馴れ合いは無い…跡継ぎとしての顔見せと挨拶だけのもので、僕はただ黙って大人しくしていることを求められた。僕はそれに忠実に従った、それが普通だと思っていた。…普通でない事を知ったのは、緒戸に会ってからだった。

緒戸は、そう言う意味で僕が初めて主体的に関わった子どもだった。正確には、関わることを許された…子どもだった。

その時、既に緒戸は多くの子どもを知っていた。だから僕と話をすると良く難しい顔をする、…偶に居眠りすることもあるけど、僕の話を何でも聞いて、僕の質問に何でも答えてくれる緒戸を僕が一方的に懸想するまで時間はかからなかった。…だが、この懸想にはもう1つ理由があった。代えがたい理由が、

「…」

ゆるりと視線をずらした先、庭の生垣にアレがいた。まるで何時だか緒戸と見たパニック映画に出て来たような…融解した黒くて、どろどろした…『恐いもの』。それは僕にしか聞こえない…まるでひき潰された様な声を上げながらこちらへ這い寄って来る。どろりと纏わりつく様な視線にぶるりと背筋を震わせると、それは弾かれたように凄まじいスピードで僕の方へと這いずって来た。

(まただ)

アレらは僕が『恐い』と思うと襲ってくる。それはきっと、心の隙…の様なものなのだろう。それを狙って、アレらは僕を食らおうと襲ってくる。

蛇の様に迫ってくるアレを前にして、僕はぎゅっと目を瞑って___緒戸に抱きついた。緒戸に抱きつくと、淡い花の香りがした。

…ゆるりと視線を上げると、アレはぴたりと縁側で止まっていた。まるで時が止まったように這いずる姿で固まっている…それを見て、僕は更に強く緒戸を抱きしめた。ゆるりと口から手でも出す様にして伸びて来た触手、だがそれは僕に届く前に視えない何かに焼けてしまう。黒い体が灰になって崩れて行く。ちりりと走る白い閃光にアレは暫し沈黙を置いたあと、ゆるりと後退し…生垣の向うへと消える。

その様子に僕は漸く息ができた。良かった、これで『恐いもの』はもういない。

「せーじゅ?」

僕に抱きつかれていた緒戸が不思議そうに僕を見た。その様子にはっとする、…緒戸の上に伸し掛かったままだった…

「ごめんね、おもい?」
「おもい」

ぶすっと答えながらも、それ以上何も言ってこない緒戸。それにどうしようかと困っていると、緒戸がぼそりと…控えている女中には聞こえない程度の声で言う。

「こわいのいなくなった?」
「!」

その言葉に、僕は泣きたくなった。…いや、もう泣いていたかもしれない。
ぽすりと緒戸の隣に頭を着けて「うん」と笑った僕は、きっととってもだらしない顔をしてるんだろうな。そう思いながらも嬉しいのが止まらなくて、くすくすと笑えば緒戸が眠たそうに欠伸をする。

「…おひるね、する?」
「するー…」

ごろんと緒戸が寝転がった拍子に僕が落ちてしまった。でも、まるで温度を求めて擦り寄ってくる猫みたいに、緒戸が僕の体に沿うように丸くなる。だから僕もそれに習って丸くなった。見ればもう緒戸はすやすやと寝息を立てていて、その様子に漸く緊張が解けた僕にも眠気が押し寄せた。…意識が落ちてしまう前に、ぎゅうと緒戸の手首を握り締めた。…僕が眠っている間に、どこかにいきませんように。

(緒戸、)

願って、眠りに落ちた。


緒戸の傍に居ると、なぜか『恐いもの』は襲ってこない。
僕がそれに気づいたのは緒戸と出会って間もなくしてからだ。それが偶々なのか、緒戸本人に帰来しているものなのかは解らない。でも、緒戸といると『恐いもの』は何処かに行ってくれた。それだけじゃない。緒戸が傍に居ると決まって恐い夢は見ない、何時も甘く蕩ける様な夢が見れた。だから僕は緒戸が大好きだった、


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