くろこのばすけ | ナノ

龍神赤司征十郎と霊感少女のおはなし


「ギャーッ!」

私の絶叫に呼応するように、背後で黒い獣が啼いた。
草木の間に体をねじ込む様にして逃げている私に対して、影は周りの木々をなぎ倒して追ってくる。そのスピードと轟音たるや恐怖以外の何物でもない!卸し立ての制服が小枝や草に引っ掛かり小さな裂けを作っている。その音に眉間を寄せている様な余裕は既に無かった。

「はあっ__しつこいっ…!」

迫りくる茂りを大きく腕で払いながら苛立ちと共に吐き捨てる。逃走の恐怖は逃げていることだけではない、『何時までこうしていれば良いのか』…そんな内なる恐怖が、何よりも生々しく私の精神を削る。
そんな私に気づいている様に、追ってくる獣が天を突く様な咆哮を上げる。ビリビリと鼓膜を裂くようなそれにビクリと肩が跳ねる___これだけの大声がしていようとも、誰も気づかないのだ。

(だって…アレは、)
誰にも(ふつうは)視えないモノだから____


グルルルァァアアアア___!!!
獣の雄叫びが大きくなる。地を這う黒い霧に包まれた多足がスピードを上げて私を追い詰める。自分の背に迫る色濃い気配に奥歯がガチガチと鳴り始める。恐い、恐い怖いこわいこわいこわい…!

「…たす、けてよっ」

涙で滲み始めた視界に求める赤がちらつく。

「助けてっ___赤司ィ―――――!!」

鎮守の森に私の声が響き渡った。それに重なる様にして幽玄の鈴の音が凛と響き渡る。

「!」
『屈め、緒戸』

頭の中に直接響いてくるその声に、私は理解するよりも早く両手で頭を抱えていた。
限界を超えて走っていた足を止めぐっと体を丸めた瞬間、視界の隅で朱色の比礼が棚引いた。次の瞬間、シャキンッ___聞きなれた、鋭利な切断音が響いた。

殺し切れなかった勢いで土の上をごろんと転がりながら、がばりと顔をあげる。土で汚れボサボサになった髪の合間からでも、彼の姿は確り視える。
ふわりと広がる猩々緋の裳、襟から覗く真白な項に短く切りそろえられた真紅の髪。視たものの目を、心を、時を奪う様な、毛先まで一分も変わらない赤。ゆるりと舞う様にして私を映した瞳は____太陽を切り取ったような金糸雀色。私が大好きな色だ、

無意識にほうと怒っていた肩から力が抜ける。そんな私に彼…赤司は少し不快そうに眉を吊り上げたが、もぞりと動いた気配に開きかけた口は私ではないものへと向けられた。

「…往生際の悪い」

獣の咆哮に負けない位、低く地を這う様な冷たい声が言う。自分に言われた訳でもないのにぞくりが背が震えた。でも赤司と獣では決定的に違うものがある、彼の言葉に獣の言葉にはない気品____隠しきれない神威が、纏っていた。

「緒戸、お前は何時もいつもどうしてこう余分なモノを僕の所に持ち込むんだ」
「え、あ、ごめん」
「僕の記憶が正しければ数日前にも同じ忠告をした筈だが」

黒い獣を卑下しながらまるで私を見ている様に紡がれる責めの言葉は、私の心にグサグサと容赦なく突き刺さる。全く持って赤司の言う通りであることに、今度は違う意味で冷や汗を掻きながら、私は異様な存在感を放つ背から視線を外して「ごめんなさい」と蚊の鳴くような声で呟いた。

「…今度同じことをしたら、それは僕への反感と見なす。解ったな、緒戸」
「イエス、マイロードッ!」
「僕は冗談が嫌いだ」

ビシッと決めた敬礼はお気に召さなかったようだ。
慌てて地面に額を擦り合わせて「招致仕りました!」と叫ぶと、赤司は渋々と言った風に嘆息する。そして、射るようなあの眼光で多足の全てを切断された獣を見る。それは黒い大きな塊のように一見できるが、良く見るとそれは牛ほどある犬が肥大化した末の姿であることが解る。まるで可笑しな伝染病にかかったかのように、あちこちが無尽蔵に肥大化した所為でまるで肉の塊のように見えるのだ。それが地面をもがくようにのたうち、必死に逃げようと切れた足を動かしている。先ほどまで私を喰おうと大きく開かれていた咢は、ガチガチと震え情けない声を零していた。まるで別物のその姿に息を呑みながら、私はするりと視線を赤司に移した。そして理解する、そう赤司の前では仕方のないことだと。

「醜い……一体、何人食べた。悪魂も善魂も見境なく食い散らかすから、ほら…酷い腫れ(ケガレ)だ。幾ら犬だからといって、見境が無さ過ぎだろう」

ぼうと赤司の目に円環の光が宿る。同時に纏う空気が色濃くなった、まるでアルコールの様に触れた先から何かを消毒する様なピリリとした空気を私を知っている。これは神気、赤司の力そのものなのだ。

「神が定めた戒律も守れないとは、愚かなものだな」

その言葉に反論する様に獣が吼えた。私には何を言っているのか解らなかったが、きっと赤司には解っている。そんな私の考えを肯定する様に、赤司が吐息を零した。

「言う事を聞かない犬は嫌いだ」

挑発を含む赤司の声に獣が吼える。ぐわりと狂気をむき出しにした咢が赤司に襲い掛かった。びっしりと生え揃った小さな犬歯を前にしても、赤司は眉1つ動かさない。咄嗟に彼を庇おうと飛び出た私の手が彼の衣服を掴むより_____赤司がそれを言う方が早かった。



「頭が高いぞ、犬畜生が」



バツンッ__と、再び大きな切断音が響いた。赤司の言葉尻が終わると共に、真っ二つに獣が割ける。まるで左右から見えない刃に押し切られたように、黒い霧に覆われた醜い塊縦二つに切断されたのだ。
私と、獣が、唖然とする中、赤司はついと手掌を払った。同時に再びバツンッという音が響き、獣の体が更に横に割かれた。力無く大地に墜ちる獣を前に、やはり赤司は顔色一つ変えなかった。まるで子供が鋏で画用紙を切っただけとでも言う様な顔に、私は何も言えなかった。

「______で、何をしに来たんだ。緒戸、」
「えっ!?」

唐突に向けられた言葉にぎくりとした。無意識に握っていた赤司の袖をぎゅーっと握りしめながら、私は必死に言葉を選ぶ。

「えっとね、学校帰りに果実の神さまに会って、」
「実渕か」
「葉っぱのピク●ンもどきが『遊んでけよー』って誘ってくれて」
「……葉山のことか」
「根っこの神さまが赤司はあっちにいるぞーって」
「根武…」

「で、来たら何故かあの獣に追われてました」
「どうしたらそうなる」

真顔で赤司に追撃されるも、私はへらっと笑って誤魔化す。いや、説明できない理由があるわけではない。ただ単に、私も追われた理由が解らないのだ。私はただ赤司を探して鎮守の森___赤司の治める森を歩いていただけなのに。

むーんっと顔を顰めて考える私を、赤司の目が静かに見据えた。その目は目を奪われるような朱色と眩い金色のオッドアイ。子どもの頃一目惚れした美しくも、抜き身の刃の様な鋭さと禁忌を思わせる瞳だ。

「……この森は、僕が治めて随分と経つ」
「? うん、確かもう千年以上だっけ」
「そうだ。神性の強い場には良いものも悪いものも寄せられる。そして、力ある神は弱きものにとって畏敬となるが、同時に浅慮な彼奴らには餌として映ることもある」

赤司は神さまの中でも上位の位を戴く龍神様だ。
今は人の形をしているが、本来の姿は真っ赤な鱗を持つ龍で空を駆けることができる。赤い髪の合間、本来耳があるべき場所から伸びる二本の丈夫そうな角は、そんな彼の隠しきれない本性の証だ。

「まあ、所詮畜生だ。僕に忠誠を誓えない屑が、僕を倒せるわけが無いが…」
(自分で言っちゃったよ…)
「お前は別だろう」

不意に溢された私を示す言葉に、私は誘われる様に赤司を見た。彼の左右で違う色を持つ瞳が、真っ直ぐに私を見ている。

「長くこの森に…僕に関わったお前の体には、より純粋な神気が蓄積されている。加えて、畜生に対抗手段を持たない非力なお前は格好の餌ということだ」
「ちょっ…!? ちょっと待って、つまり私が赤司といるとこれからずっとあんなのに襲われるってこと…!」
「そう言っている」

まるで見えない金槌に頭を叩きつかれた様な気分だった。
とてつもない衝撃と不安がぐわんぐわんと視界を揺らす。そんな気持ちの悪い感覚に襲われながらぎゅうと赤司の裾を握る私を、温度のないオッドアイが見つめる。その目は酷く何を訴えようとしていたが、それを赤司が言葉にしたことはただの一度もなかった。喉元まで競り上がってくるたったの一言を、赤司はそっと飲み込む。

「緒戸、___」
「わかった。じゃあ、これからまたあーいうの襲われたら、真っ直ぐに赤司の所来るね!」

「は」
「え」

ぐっと握りこぶしと共に宣誓した私を、赤司が酷く言葉にしがたい目で見降ろして来る。何か不味い事をしてしまったのだろうか?と内心焦る私に、赤司は「それは」と言う。

「それは、お前が連れて来たアレを僕にどうにかしろという事か…?」
「うん。だって私、見鬼はあるけどお祓いの才能はないもん」
「身に付けろ」
「それより赤司が倒しちゃった方が早いでしょ。パパッと片手で一発じゃない」

そういってもういない獣がいた場所を指さす私に、赤司は落胆するように肩をすくめた。その様子にむっとして私は言葉を巻いた。

「良いじゃないっ…赤司のケチ」
「お前がここに来なければ良い話だろう」

「そしたら赤司に会えないじゃないっそれはダメっ___はっ!」

咄嗟に口を覆うも遅い、既に言葉は口から出てしまった後だ。
ぶわりと顔を真っ赤にする私を、赤司は黙って見えている。それは何時もの事だけど今回はどうにも耐え難くて、私は慌てて弁明を口にする。


「ちが、違うからっ別に赤司に会いたくてとかじゃなくて、そのここにはいっぱい友達いるしっそれに景色も良いから離れがたいっていうか、その〜〜〜っ」


そこまで言ってもじょもじょと沈黙し、顔を伏せてしまった私に赤司は解りやすい溜息をつく。それにびくりと私が震えてしまったが、予想外にも次に掛けられた言葉は優しい内容であった。

「解った」
「え…?」
「解ったと言っている。そんなにこの森が好きならいつまでもいれば良い、遠慮はいらない。だが、勝手に出歩くな。そこらで死なれると迷惑だ、」
「うぇっでも、赤司に会いたい時はどうすれば…」

「僕が迎えに行く」

赤司の言葉に、私は目を見開いた。

「それなら問題ないだろう」
「…そんなの、解るの…?」
「僕を誰だと思っている、その位はできて当然だ」

常勝を司る神さまは当然のように言った。あまりに唐突すぎる展開に着いて行けず、パクパクと鯉のように口を動かす私を見て____赤司がくすりと笑う。

(!!? わらっ…!)
「緒戸、随分と薄汚れているな。まるで年甲斐もなく泥遊びをしてきたみたいだ」
「! こ、これはアイツから逃げている時に…」
「今日はもう帰れ、明日も学校とやらがあるんだろう」

(そうだけど…)

赤司の言葉に私はゆるりと自分の姿を見た。少し前まではピカピカだったセーラー服だが、今は土と泥でぐちゃぐちゃだ。見ると所々枝に引っ掛けた様で裂け目までできている。そんな姿がなんだか使用に情けなくて、気づけばじわりと目尻に涙が浮かんでいた。

(折角、制服姿…赤司に見せようと思ったのに、)

赤司と私が出会ったのは、私が3歳くらいの頃だ。
その時には既に、私には普通の人には視えないものが視えていた。その所為で苛められたり、命の危険にさらされた私を守ってくれたのが赤司だ。気づけば当たり前の様に傍にいて、助けてくれた綺麗な赤い神さま。私の、私だけの龍。

…ぎゅうと、無言で赤司の裾を握る。その手に冷たい何かが重なった。パッと顔を上げると、私の手を赤司がそっと裳から離していた。私の手とは違う、真白で指の長い大きな手。私の手はあれから随分と大きくなったけど、やっぱりまだ赤司の手には追いつかない。

「明日はもう少し真面な姿を見せろ、これはあまりに酷い」
「…無理だよ、スカート、切れちゃったし…」

「切れた、…お前は一体、何を言っている」

可笑しなことをいう赤司に小首を傾げる。赤司にはこのぼろぼろのセーラー服が見えないんだろうか、そう思ってスカートを見せる様に摘まみ上げて漸く私は身に起こった異変に気付いた。

「うそ…綺麗に、」

持ち上げたスカートには裂け目どころか、糸のほつれ1つなかった。泥の染みも何もかも消えて、卸した時よりもずっと綺麗になったセーラー服を一通り見てから、私は弾かれる様に赤司を見上げた。

「あかっ、赤司がやったの!?」
「なんのことだ」
「だだ、だってセーラー服!綺麗になってる!」
「知らない」

詰め寄る私に赤司はぷいと顔を背けてしまう。そして負けずと追撃しようとする私を察したのか、さっさと背を向けて歩き出してしまった。

「あ、あか、赤司!」
「僕は知らない」
「そ、そんな…」
「僕は何も知らないし見ていない。緒戸は初めからそれを着ていた。例え、お前がそうでないと思っても、僕には初めからお前はそう見えていた。だからそうなった、それだけの話だ」

そう言うだけ言って、赤司はさっさと山を下りはじめる。
その背を呆然と見ていた私は、やがてじわじわと込み上げていた嬉々ににやける口元を慌てて隠した。つ、つまりは…そういうこと、なのだろう。

(なんて解りにくい…でも、そうなんだよね、赤司)

「何をしている緒戸、置いて行くぞ」

相変わらずの仏頂面で命令する赤い龍に、私はとびきりの笑顔で答えた。
跳ねるようにしてローファーで踏んだ土は柔らかく、土を隠す葉は鮮やかな新緑の色を宿している。もう少しすれば葉の合間には色とりどりの花が咲き、やがて実となり新たな息吹をこの山に芽吹かせるのだろう。

赤司の山は、そうやって何時までも栄えるのだ。

「赤司」
「なんだ」

私を置いて、どこまでも。
少しだけ心を指す寂しさを押し殺して、私は果てしない未来に続く赤司へ言葉を贈る。

「助けてくれて、ありがとう」

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