練紅覇と年上妻
2023/4/15…添削、誤字修正
「お初にお目にかかります、紅覇さま」
恭しく礼拝奉るは、煌帝国の第三皇子。
「お前が、僕の妃ぃ?」
「…」
「先に言っておくけど、僕に取り入っても無駄だよ」
鮮やかな躑躅色の髪に、無花果のような瞳。
天女を思わせる麗しい顔。
「次の皇帝になるのは、炎兄だ」
だがその瞳は、耳にした百の噂よりも御弁に彼と言う為人を語っていた。
強くつよく、滾る炎のように。あるいは聳える水晶の筵のように。ただ孤高に、その絶対的な矜持と崇拝を示していた。
「絶対に」
____ああきっと。その一言に、わたしは恋に落ちたのだ。

「こ、紅覇さまっ!」
「ン〜?」
慌てた様子の女官に、しかし紅覇は動じることはなかった。
蘭の花香が焚かれたこの部屋は、紅覇が所有している数ある宮のひとつだ。その中でも慎ましやかなこの宮は、しかしその豪奢さとは裏腹に最も紅覇が長い時間を過ごしている場所でもある。その宮の最奥に位置するこの部屋には、華やかな模様の刺繍が施された螺鈿布を惜しみなく垂らした寝台が一つだけ置かれていた。そこにゆるりと腰掛けて、第三皇子は叩頭する女官に目もくれずハミングを紡いだ。
「そのような雑事はわたくしどもがっ」
「別にいいよぉ、楽しくてやっているだけだし」
紅覇は慣れた手つきで、黒い髪を編んだ。それは紅覇が気に入っている髪編みで、自分の髪色とは真逆なのに、こうしているとまるでお揃いみたいだなあと子どもの様なことを思う。
「で、ですが、」
「麗々、結紐ちょうだい」
「はい、紅覇さま」
それでも食い下がらない女官を放って、紅覇が最も信頼する臣下の名を口にした。それに応えるようにして、衝立の後ろから術師の女が現れる。見てくれこそ麗しいが、…どこか異形で、歪な。紅覇の従者に、女官たちは顔を引き攣らせて小さな悲鳴を上げる。
その様子が紅覇の眼にはどう映ったのか、それまで淀みなく動いていた指先が止まり、どこか底冷えする様な声が追い打ちをかけるように女官へと浴びせられた。
「ん〜…お前らさあ、皇子の僕が“好き”やってることに口挟み過ぎじゃない」
かたかたと震える女官に、紅覇はニッコリとほほ笑んで告げた。
「そんなに、死刑にされたいのぉ?」
天女の如く美しくいて、それでいてどこか歪に映る笑みを浮かべる紅覇に、等々耐え切れず女官たちは悲鳴ともとれる声を上げて宮を出て行った。ばたばたと品ない足音に、それまで衝立の向こうに控えていた影が我慢ならないというように声をあげる。
「むきぃいいい! なんですの、あの態度っ 許しておけませんわ!!」
「あ〜もういいからさぁ。 落ち着けよ、純々」
髪を振り乱して歯を食いしばる純々と、その後ろで同意する仁々。それを見た紅覇が、麗々から結紐を受け取りながら言う。相変わらず、自分がどう見られているかなど気にした様子も見せない主君にヤキモキしながらも、彼の命令に逆らうわけにはいかない。渋々と言った様子でその場に留まる臣下にからから笑う紅覇に、それにしても。と麗々が続ける。
「起きられるご様子がありませんね、良くお眠りのようです」
「ああ…コイツは、一度寝たら梃子でも起きないからねぇ。いつでも寝首かけるよぉ?」
「まあ、お戯れを」
紅覇の言葉に、麗々がくすくすと笑う。だが確かに、主君の膝で眠る鮮花の顔は穏やかで、傍から見ても深い眠りの底にあることが知れた。
彼女は鮮花、紅覇が抱えている妃のひとりだ。
いくら兄を皇帝に据え、自身の血に連なる者に継承権を与えないと断言したとしても。皇子である紅覇には、子孫を残す義務がある。あの紅明ですら口煩い老臣に折れて妃を抱えている、この時世にあって妃を持たぬ皇子は稀なのだ。
だがもし、そこに特別なことを付け加えるのなら。鮮花は紅覇の抱える妃の中でいて、最も贔屓にされている女であった。
「んっ…」
「あ、起きた」
紅覇が編む髪も七本目になるとしたところ、黒髪の主が微かに声を零した。そうしてむくりと起き上がると、鮮花は眠そうな眼で周りを見渡し「ここ、は…」と掠れた声で呟く。
「僕の奥宮だよ、おはよ〜」
「ああ…紅覇さま、おはようございます」
ぱしぱしと二回瞬きをして、漸く目が覚めてきたのか。鮮花はもう一度紅覇を見ると、はっとした様子で深々と頭を下げた。
「おかえりなさいませ、ご無事の帰還なによりでございます」
「うん。 まあ〜当然なんだけどねぇ」
「皆様も、おかえりなさいませ」
麗々、純々、仁々にも同じように言葉をかけると、彼女たちも深い礼を返してくれた。その様子がいつも通りであることを見て取り、さてと本題の人物に向きなおる。
「___で、本当にお怪我はありませんか」
「お前さ。 ご無事の帰還〜とか言っておいて、いまさらぁ?」
「あれは決まり口上ですので、」
なんともゆるい会話をしながら、鮮花がぺたぺたと紅覇の身体に触れる。そうしてどこにも怪我ないことを確認したのか、鮮花は満足したようにほうと息をつく。
「おかえりなさいませ、紅覇さま」
「……ん、ただいま」
頬を滑る鮮花の手に、紅覇の指が重なる。美姫が嫉妬するほど美しい顔に掌を押し付けるのは引けるが、彼がそれを望むのだから仕方ない。そうして見つめ合っていると、不意に彼の柳眉が何かを見つけたようにぴんと跳ねた。
「お前さ、ちょっと肌荒れてるよ。僕が言ったように手入れしなかっただろ?」
「…あれは、少々面倒というか」
「面倒じゃない、ちゃんとやるぅ〜〜。まったく、鮮花は僕よりおばさんなんだから、日々のケアは確りしてよねぇ」
おばさん。あけすけな言葉だが、しかし彼を咎められるものはいない。
何時の間にか音もなく退室している三人はもとより、紅覇の従者は皆一様にこの皇子を心酔している。居たとしても、咎めはしなかったであろう。そしてそれは鮮花とて、同じこと。
「僕ばっかりずーっと可愛くて綺麗なままじゃ、お前が隣に居辛いだろう」
「…、」
「そう思って色々融通してやってるんだからさ、ちょっとは頑張りを見せてよねぇ」
「はい、貴方様」
重ねた唇に、いつまでもという言葉を溶かして。