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通りすがりの白澤によるメンタル・ケア


「今日はまた一段と良く食べるね。なになに生理前?」
「…」

ニコニコと笑顔で寄ってくる横面を張り倒せたらどれだけよかっただろう。
だが残念なことに、眼の前の男はいち鬼神である鮮花とは比べ物にならない高位の存在であり、またそんなこと慣れきっている男だった。以前一度、怒りにまかせて彼を殴ったことがある。謝らなければとおもったが、男は平然とした顔で起き上がり何でもない顔でまた言い寄ってきたのだ。その経験は、酷く胸糞悪く、鮮花の記憶に残っている。

「…わかってるなら近づかないでください。また殴りますよ」
「うーん。鮮花ちゃんみたいなかわいい子に殴られるなら大歓迎。良かれば殴りやすいように頬を差し出そうか?」

そう言って、右頬を差し出して見せる男…白澤に、鮮花は苦々しく笑った。

「面白いですね、…もし殴ったら今度は左の頬を差し出してくれるんですか?」
「鮮花ちゃん相手になら毅然と。僕、君相手ならイエス・キリスト並みになんでも許せるんだ」
「ふふ」

変なの。
小さく笑えば、白澤はバーテーブルに頬杖をつきながら少しだけ目を眇めた。

「あなたほどリップ・サービスの上手い神獣はいないでしょうね」
「それって誉め言葉ー?」
「尊敬の言葉です。わたしはそういうの、あまり上手くできませんから」

だから失敗する。
脳裏に浮かぶ光景に気が遠くなった。忘れていたお箸を厚焼き卵に伸ばした。三大欲求とは良くいったものだ。食欲・性欲・睡眠欲、これはどれも体よく嫌な記憶や思いを忘れさせてくれる。それは一時的なものでしかないけれど、その日働ける気力をくれるならそれで十分だ。とくに食欲に鮮花は固執していた。食欲は性欲と同じ快楽を得ることができる。すべてをさらけ出して、無防備に何かを貪ることができる。

「食事はね、セックスと同等の快楽が得られる行為なんだよ」

白澤の言葉に、鮮花の箸が止まる。目を丸くして白澤を見る鮮花に、彼は薄い笑みを浮かべながら続けた。

「脳の中にある食欲と性欲の中枢が近いからだよ。だから、もし好みの女の子がいたら雰囲気づくりのディナーはそこそこなのが良い。お腹いっぱいになっちゃたら、折角ベッドに押し倒せても彼女はすやすや夢の中だからね」
「…そうやって、白澤さまは何時もナンパを?」
「僕はそんな姑息な手は使わないよ!」

白澤はけらけらと笑った。

「そんなことしなくても、女の子は僕に夢中だからね。もちろん僕も、彼女たちに夢中」
「はあ…」
「あ、からあげもーらい」

花を模した子皿から白澤がからあげを摘まみ取る。はぐりとそれに噛み付いて親指の油を舐めた。

「ちなみに、からあげはレモンと一緒に食べると良いよ。レモンに入っているクエン酸は胃の動きを促進するし、消化を手助けしてくれる」
「へえ…」
「でもこれだけ暴食しちゃったなら、鮮花ちゃんに必要なのはこっちかな」

「はい」と白澤は白衣のポケットから取り出したものを鮮花の前に置いた。
スーパーボール程の笹の葉で包まれ、竜の髭で寿司折結びにされた小包み。某森の妖精を彷彿とされるそれをまじまじと見れば、白澤はにっこりと笑って答えをくれた。

「八味地黄丸(バーウェイディハングウァン)だよ」
「ばーうぇい、でぃ、はあー?」

たどたどしく繰り返しながら小首を傾げると、何故か白澤は小刻みに震えながら机につっぷしてしまった。不審な様子に困惑する鮮花に、白澤は弱弱しい声で続ける。

「つ、つまり胃薬だよ。食べ過ぎに効くから、飲みな…」
「胃薬、」
「そう。鮮花ちゃん、陽虚の気があるしこれが一番良いと思うよ」

またもや飛び出した専門用語にもはや何も言えなかった。
白澤は東洋薬学の第一人者だ。誰に長く生きていない神獣としての経験は勿論、その森羅万象を司るとされる知識で、昔も今も様々な漢方を研究・開発している。それと同じく権威で知られている鮮花の上司・鬼灯だが、彼の煎じる漢方は地獄のそれだ。黒魔術だ。対して、白澤はそこは天界の獣。草や根を初めとした、比較的一般に食べられるものをメインにしている。

鮮花は鬼だが、そこらの鬼神のように脳吸い鳥の卵などを好まない。レバーよりかササミ派、血生臭くないさっぱりしたものが好きだ。なので、白澤煎じた漢方となれば鮮花にとってこれ以上のものはない。

「…ありがとう、ございます」

こぼれた言葉は、ぽそぽそとしていて白澤に届ける気の感じれないそれだった。
だが隣にいた白澤は「どういたしまして」と返してくれて、鮮花は小さく綻ぶように微笑んだ。

「! 鮮花ちゃ、んっいま」
「え?」

いやに焦った白澤の声に何かと振り向くも、彼はぱくぱくと口を動かすばかりで何も言わない。やがて「いや、…なんでもないよ」と項垂れてしまった。

「えっと、僕そろそろ帰るよ。邪魔しちゃってごめんね」
「あ、あのお代を」
「いいって。野暮なこといわないの」

立ち上がろうとした鮮花を掌で制し、白澤はゆるりと戸口に向かった。その手が取っ手にかかり、鮮花の心に妙な焦燥が生まれる。なにかいわないと、そんな気持ちに急かされて感情のままの言葉が飛び出した。

「あ、あの!」
「んー?」
「お礼は、後程いたします…!」

鮮花の言葉に、白澤はきょとんと目を丸くした。その後、目尻の紅化粧を満月のように丸める。

「真面目だな、鮮花ちゃんは」
「う、」
「もっと肩の力抜いて。そんなんだから毎回そうやって爆発しちゃうんだよ、何事にも真摯なのは良い事だし、君の長所だけど…適度なガス抜きは必要じゃない?」
「…」
「だからさ、うちにおいでよ」

思いがけない言葉に、鮮花は俯きかけていた面を上げた。

「極楽満月。お客さんはだいたいお昼に捌けるから、夜はヒマなんだ。鬼神(きみ)たちの定時位なら何時もで空いている」
「…、」
「取り敢えずまたそうやって爆発するまえにおいで。なんなら、陽虚に効く漢方も処方してあげるよ?」
「は、白澤さ、」

「ついでに、鮮花ちゃんのここの荷物も見せてくれると嬉しいな」

ここ。そういって、白澤は人差し指でとんとんと自分の胸を叩いて見せた。

「何千年も生きてる神獣相手に遠慮なんてしちゃダメだよー。僕はこう見えて、君よりずーっと人生の先輩だ。例え君が千の悩みを口にしたところで何も苦じゃない」
「…」
「頼りなよ。…少なくとも僕は、君に大いに頼って欲しいと思っている。誰より適任であるとも、ね」

言って、あざとくウィンクしてみせる白澤に、鮮花はゆっくり瞬きをしたあと呟いた。

「…おじいちゃん」
「おーっと、その言葉は聞きづてならないな。お兄さんと呼びなさい、僕はまだまだ現役だよ」
「知ってます」

早口に紡いで、鮮花はちらりと白澤を見た。黒髪に頭巾を被った神獣は少し面を食らった様な顔でこちらを見ていた。そうして本人を目にすると妙な恥ずかしさが込み上げたが、ぐっとそれを呑みこんで、火照った頬に知らないふりをして鮮花は言った。

「わ、わたしの荷物は…とーっても重いですよっ」
「っ!」
「生半可な気持ちじゃ、あなたまで呑みこまれて鬱になっちゃうんですからねっわかってるんですかっ」

ああああ、なんか言いたかったことと違うううううう。

混乱が困惑を呼び、パニックに呑みこまれてしまった。あわわわわと狼狽える鮮花を見て、唖然としていた白澤は逆に冷静さを取り戻した。ぽかんとしていた口をにいと吊り上げる様子に気づき、鮮花もはたと彼を見る。

「上等」
「!」
「僕がまだまだ若いおにーさんって所、見せてあげるよ」

自信満々。表情や言葉の端端ににじみ出るそれに、鮮花はピシリと硬直した。それは白澤という美しい獣に、誂たように似合っていた。

「待ってるよ、鮮花ちゃん」

居酒屋の戸が閉まる前に「再見(サイチェン)」と言い残して、白澤は去った。鮮花はしばらく呆然と、その面影を見つめた。







正気に戻ったころ、顔は熱湯のように熱くて。掻き毟る様な空腹はどこかに消え去っていた。

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