アンダンテ | ナノ


 どうにも厄介な女に当たってしまった、と思うのに大した時間はかからなかった。


episode.3
「透明な罪と悪に塗れながら」
side:安室 透



「――そうですか……。例の物を間違いなく持ってきていただけるのであれば、ええ、構いませんよ」
「――……ぃ、……」
「――分かりました。では、後ほど」
 
 通話を終えたらしい彼女をハンドルを握りながら横目で見れば、携帯を耳から離してはいるものの何事かを考えているようだった。黒の手袋で覆われた指先に握られたペンでいつも持ち歩いているらしいメモ張をトン、トンと軽く叩いている。……珍しい。彼女が自身のお目付け役、要は監視役として僕をみていること半年余り。多い時には週に二、三度、最低でも二週間に一度は顔を合わせている中で、彼女のそういった仕草を目にするのは初めてだった。

「何か問題でも?」

 そう口にした僕に彼女――ロゼは動きを止めた。ロゼ? と窺うように彼女の名を呼べば今度は返ってきた声。

「取り引き相手が場所を変えたいと言ってきました」

 ああ、それで……。通話中の彼女の言葉から大方そんなところだろうと思っていたが、その事が示すことを考えると彼女が微かに面倒くさげにしているのも分かるというものだ。取り引き直前になって場所を変えたいということは、つまり罠を仕掛けていると言っているようなもの。

 一人で来い、というのがこちらの条件だったはず。なら、一人ではなく腕っぷしに自信のある数人を引き連れてきている可能性が高い。今回の場合はおそらく、取り引き相手がロゼという女であることから強気に出たのだろう。あちらもこちらがロゼ一人で来るわけがないことは想定済みだろうに、それでも勝算があるというのか。

 愚かな奴。彼女はコードネームを戴く幹部の一員であり、それだけでも十分警戒するにあたるというのに、僕が見てきた今までからして彼女は間違いなく厄介な女だった。

「応援を呼ぶんですか?」
「いえ……、時間まで間もなくですし、応援を呼んだところで時間までには到着しないでしょう」
「……どうします?」

 一旦引いて出直しますか、との意味も込めて彼女に問えば「予定通り、行きましょう」と返ってきた。……そう返ってくるとは思っていたが、やれやれと微かに笑みを浮かべてみせる。変更先に向かおうと車のハンドルを右に切る。先程までぽつぽつと小降りだった雨が強くなってきた為にワイパーを作動させた。窓にぶつかった雨がぱらぱらと音を出しては流れていく。

「大丈夫なんですよね」
「幸い、相手が指定してきた場所は以前、別の人物との取り引きで使用したことがあります。その時は私が交渉人ではありませんでしたが、今の貴方のように付き添いで行きましたので、」

 どこに何があったかは把握していますし、どこなら身を潜められるか、潜められるなら最大何人かを今計算しています――。事も無げにそう続けたロゼに、本当に自分は厄介な女をお目付け役として戴いたものだと思わざるを得ない。これがいずれ吉と出るか凶と出るか……。

 ロゼ――、世界各国の警察機構、諜報機関がこぞってその実態を探っている組織の女性幹部の一人。彼女自身から教えて貰ったわけではないが名前も分かってはいる。暁由良、おそらくは偽名だろう。とある資産家で美術館のオーナーの秘書を務めているという話だ。そして、その資産家でありオーナーでもある人物もまた、この組織の一員、しかも中枢部に食い込んでいる古参の幹部であるがために彼女の行動にも自由がきくらしかった。

 これでロゼが愚かであったなら、彼女を利用して深くに探りを入れ、手に入れた情報を自身が“本来所属する組織”へと流せただろう。だが、流石は世界規模で活動している組織の幹部クラス……。愚かであるはずがない。対極だ。

「もし相手が仲間を連れてきているようなら、数は四人から六人といったところでしょうか。スナイパーを雇っているとなると面倒ですが、この天気ですし無いものと考えて行動して良さそうです」
「そして、僕は試されているものと考えていいわけですね」

 組織のメンバーに連絡を入れ、行動の了承を得た後で後部座席から取ったバッグの中身を何やら確認している彼女にそう言うも、こちらには目もくれなかった。それどころか、「青になりましたよ」と指摘され、アクセルを踏む。

 ぱらぱらと徐々に強さを増しているように感じる雨。既に夜の七時を回っており、ライトで照らし出される道路は黒く塗り潰されている。そんな中、視界を掠めていった鈍い光。彼女が座る助手席に目をやれば、

「裏切りには、死あるのみ――ですので」

 弾丸が装填されただろう銀の輝きが彼女を彩る黒に映えていた。


 ***


 取り引き相手に指定された変更場所、今はもう使われていない倉庫の裏を歩く。車はここから少し離れた場所に置いてきた。己が武器は自身の拳と、手にした一丁の拳銃、それからスタンガン。行動を開始してからまだ何も大きな物音がしてこないことから、同じような軽装備で表の方へ回った彼女の方も上手くやっているようだった。

 ザァ――ッと降り止むどころか更に強さを増した雨音に紛れるように移動しては、物陰を慎重に探る。そして見つけた長身痩躯な男。もう既に三人は気絶させて縛ってあるし、こちら側にいるのはこの男で最後とみて良さそうだ。背後を気にも留めず、取り引き場所である一点しか見ていない。インカムを付けるか無線を持つかしたらどうなんだ。連絡を取り合っていれば仲間との通信が途絶えたことで察する何かもあるだろうに。

「金で急遽集めた、ただのごろつき……といったところなんでしょうね」
「誰だッ!? ッ……」

 ドサッと雨に濡れていない乾いた地面に倒れ伏した男を見下ろしたまま、ロゼへと連絡を入れる。雨音で時折聞き取りにくかったが、どうやら彼女の方も二人を片したらしく、現在取り引き相手と対峙しているとのことだった。

 ロゼがただのごろつき相手に手間取るわけもないな……。

 記憶力に優れ、銃の腕もなかなかのもの。おそらく彼女の武器はそれだけではないはず。探りを入れようにも上手く躱され、彼女自身のことについて今自分が持ち得ているものは全て彼女の目を盗んで他の構成員から聞きだしたものだ。彼女も他の奴らのように、この容姿に引っかかってくれるか、煽てに乗ってくれるか、鎌掛けに引っかかってくれればいいものを。

 彼女は、僕が優れた働きをし、使えると判断しているにもかかわらず一切贔屓にすることなく、ありのままの事実のみを上に報告する。評価も全て上任せ。それに加え、記憶力が半端なく良い為に、下手な事を言えないというのも彼女が僕にとって厄介である所以だった。

 そして、今新たに見つけたもの――。
 やはりロゼには僕を贔屓にしてもらうか、僕に無理矢理落とされてもらうかした方が後々何かと都合が良さそうだ。もしくは何か彼女の弱味か秘密を握るか。本当に中枢幹部と深い関わりがあるのなら殊更。

「ロゼ」

 大降りの雨に彼女の下まで声が通りそうにない。インカムを通して彼女の名前を呼んだ。

「――……もう終わりましたよ」

 倉庫内から外へと逃げたらしい取り引き相手は僕が彼女の下へ着いた時には既に事切れた後だった。見るに足に一発、眉間に一発。彼女の手にはサイレンサー付きの銃。

「……流石はロゼ」 

 死体となった男の下へ、雨に濡れるのも構わず歩み寄っていくロゼの背中にそんな言葉を投げかける。それは本心でもあり、ある種の洗礼でもあった。やはり貴方もあの組織の一員。人を手に掛けることを何とも思わず――……。

「まだ死ぬには早い方でした」

 隣にビルがあるおかげで残っている街灯が色を濃くしたコンクリートとは明らかに異なる色彩を照らし出している。その色は、赤。紛れもない、死んだ男の血だ。その傍らに膝をついたロゼが零した言葉。

 少しノイズの入ったその言葉に目を瞬かせる。

「裏切りには死、あるのみ――。これは構成員だけではなく、取り引き相手にも言えます。組織に関わった者全てに通用すると言っていい。刃向われたのであれば、消す他ありません。……こちらの情報漏洩を防ぐためにも」

 殺した男の衣服から目当ての物を探り当てたらしいロゼがこちらを向くことなく言葉を続ける。それに歩み寄るようにして自身も大降りの雨に打たれていく。バシャ、と派手な音がした。

「大人しくしていれば、組織はまだ利用価値のあったこの男を殺しはしませんでした。忠実でいたならば、まだ身の安全は確保され、手にした大金で贅沢な暮らしを送れていたというのに」

 雨の匂いに混じって微かに血の臭いがする。

「……哀れな人」

 ぽつり、と小さく掻き消えそうな声でそう零した彼女が立ち上がり、敷地内から出て行こうとするのに無言でついて行く。絶命時に開き切っていただろう男の瞳は穏やかに閉じられていた。


 ***


 燃え盛る橙色を遠目に確認して、先程購入したばかりの温かい缶コーヒーを開ける。ずぶ濡れの格好では風邪を引くと、あらかじめ用意してあった服に僕も彼女も着替え、髪をタオルで拭いきったところで車内で一息ついていた。

 あの後、証拠隠滅の為に倉庫に爆薬を仕掛けた上で念には念を入れガソリンを撒き、この雨の中でも炎上するように火を放ったのだ。放ったのは僕自身。これはおそらく、僕が本当に人を殺せるか――という試験でもあった。彼女はそんなこと一言も言いはしなかったが、雑魚の処理をすべきは間違いなく僕だったろう。彼女を通じて上に報告がいく事を考えれば、僕が火を放ったことは今後有利に働くに違いない。

「……身元不明の遺体が七つ。確認が取れました」
「それは警察からですか?」

 誰かからの連絡を待っていた彼女に問いかける。ラジオもテレビニュースもかけているが、まだその情報は出ていない。速報にしても早い。その情報源がマスコミではなく、もし現場に携わっているだろう警察からだというのなら由々しき事態だ。奴らの仲間もしくは協力者が警察内部にも潜んでいるということに他ならない。

 何てことのないように探りを入れるも、やはり彼女は手厳しい。

「あまり深くを探らない方が賢明ですよ。……今はまだ」
「それはどういう意味です」
「せめてコードネームを戴いてからにしては」
「……あなたは僕がコードネームを戴けると確信していらっしゃるようだ」
「それはそうでしょう。貴方もそうなのでは?」

 あっけらかんとした口調でそう返されて、言葉に詰まる。「物は回収出来ましたし、後始末も終わりました。今日のところは帰りましょう」と言いつつ、いつもの如く手にしたペンでメモに事の顛末を書き記している彼女を見ていた。

 確かな年齢は分からないが、自身とそこまで年は離れていないだろう女。何がきっかけで組織に入り、どれくらいの間、組織に関わってきたのか。ロゼというれっきとしたコードネームを戴く幹部クラスでありながら、他の幹部連中とは違って威圧的ではなく、どちらかと言えば温厚。ただ、受けた任務に関しては容赦がない。表情を頻繁に変えることはないが、無表情というわけでも、無感情というわけでもない。

 ただ、どうにも読みにくい。
 先程の言動といい、今といい……。

 ……それでこそ暴きがいがあるというものか。

「ッフ、僕が昇進したらその時は祝って下さいね」

 甘い笑みと共にそんな言葉をロゼに放てば、無言と怪訝そうな顔つきが返ってきてそれにもまた笑めばフイッと彼女は顔を逸らした。まだ中身の残っている缶を置く。コンと軽い音がした。消防と警察のサイレン、少しずつ弱まっている雨音をかき混ぜるかのように車を発進させる。

 焦る必要はない。
 自身と同じく潜入している仲間もいる。
 犠牲を払おうとも、長い年月を掛けてお前たちの懐深くに潜り込んでやるさ。ボスの尻尾を掴むほどに深く、深くに――。

 拭いきれなかった水滴が一滴、髪から流れ、頬に落ちてくる。指先で拭い取ったそれは冷たく、柔らかに消え去った。

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