アンダンテ | ナノ


 分かっていたのは、こうしなければ生きていけないという――ただ、それだけだった。


episode.1
「忘れることのない世界を抱きしめる」



 安室透と名乗った青年のお目付け役を任せられてから約三ヶ月が経った。ここに入ってきたばかりの彼に単独任務や重要任務が下ることはなく、今のところ彼に回ってきている仕事は、先に入っていたこれまた下っ端と呼べる者たちとの合同任務ばかり。それも任務と呼べるか怪しい程に簡単な。こちらが動向を探っている人物の周辺の聞き込み調査や取り引き場所の第一段階の下見、盗聴器類の取り付けや回収といったものだ。

 実力を測るためのものというよりも、新人である彼らをみているという面での意味合いが強い。組織の命に忠実に従うか、余計なことをしないか、想定外の出来事が起きた時にどうするか、怪しい動きをしないか、そして「外」と連絡を取らないか。

 私を始め、彼ら下っ端と呼べる者をみている者は複数いる。中には上に報告を上げず、自らの判断で自分が監視を担当している者の使える、使えないのジャッジを下し、使えないと判断した者はさっさと処分してしまうメンバーもいる。監視を任されるということはある程度の実力があり、上からの信用を勝ち取っているということだし、今まで「勝手に新人を処分したから」という理由で罰されたり、お咎めを受けたという話は聞いたことがなかった。寧ろ、どう見ても使えないようならさっさと処分してしまえともいう話だ。

 当然、彼らが何か見過ごせないようなヘマをやらかせばそれは処分してしまえ、ではなく、処分しろに変わる。

「ロゼ」
「どうでしたか」
「何も問題はありませんよ。彼が落としてしまった物はきちんと回収してきましたから」
「そうですか。それはよかった」

 そう、よかった。本当に。 
 盗聴器が内臓されたあれを回収出来ず、ターゲットにもし存在を気付かれでもしていたら私がみているこの人――安室透もどうなっていたことか。

 夕焼けの照り返しで赤く見える雑居ビルの影でふっと息を吐き出した。その後で事の顛末をさらさらとメモに記していく。これは表の仕事のクセでもあった。一通り書き出したところでメモを閉じ、差し出された物を受け取る。

「ところで、彼の方はどうなったんです?」
「……あの人は自分でジャッジを下す人ですし、とても神経質だからあの手のミスは一番許せないみたいですよ」
「そうですか……」

 今回、目の前の青年、安室透ともう一人に回ってきた仕事はこちらが予め家の中に仕掛けておいた盗聴器と発信機の回収。ターゲットにしていた人物もその家族も今日一日は遠くに出掛けていて家の中はがら空きの予定であったし、仕掛けていた物はコンセントの中に埋め込むような回収に手間取るタイプのものでもなく回収は容易に出来るはずだった。だったのだが、唐突にそのターゲットが帰って来たのだ。

 そのことにいち早く気付いた安室透は自らの持ち場にあった物は全て回収した上でターゲットが家の中に入ってくる前に外に出た。もう一人の方は回収して外に逃げることが間に合わず、家の中に身を潜めたまでは良かったが、彼の場合はあろうことかターゲットにその姿を見られてしまった。

 ターゲットの怒鳴り声と共に慌てて出てきた彼を捕まえ、回収した物を数えてみると一つ足りない。蒼褪めた彼が震え声で、ひとつ落としてきてしまったと言った時には、彼の行く末は決まっていたようなものだ。今回、現場で二人をみていたのは私だが、彼の方のお目付け役となっているメンバーに携帯で連絡を取れば淡々とした声音で「すぐに始末する」と返ってきた。

 今頃はもう……。
 ミスは許されず、ヘマをすれば罰せられる。これは新人だろうが幹部だろうが変わりはしない。それなりに実績を積み重ねていればその後の働き次第という猶予が与えられるくらいだろう。

「あなたは自分でジャッジを下すことはないんですか?」
「ジャッジを下してほしいんですか」
「いえ、そういうわけではありませんが……」
「貴方は使える人ですよ。私から見れば」

 車を停めている場所へ歩きながら答える。
 カツ、カツと自身の靴音が響く。

 出逢った時、使えるだろう人間だと思ったけれど、予想以上に安室透は使える人間だった。簡単な任務の成功は元より、それにオマケを付けて返してくる。今回の任務における尻拭いの仕方にしてもそう。もう一人が落としてしまった物を回収してくるだけで良かったのに、さらっとターゲットが何に対してどの程度警戒しているのか等を調査してきたのだから。表では探偵業を始めたというから洞察力や聞き込み能力に長けているのは違いない。

 それに、安室透が使える人間であることは当然ともいえるのかもしれない。何といってもこの人は――……。
 
「昇進も早いのでは」
「昇進、というとあなたのようにコードネームを戴けるということですか」
「そうですね……」

 “バーボン”という、コードネームを戴けるでしょう。
 そんな言葉を呑み込んで、助手席のドアを開ける。運転席には当然のように安室透が腰を下ろした。とりあえず出して下さいと彼に告げて、携帯で番号を打ち込む。電話帳には万が一の為、誰の名前も登録していなかった。

「――……了解」 
「行き先は決まりましたか?」
 
 通話を終えたと同時に尋ねてきた彼に行き先を告げる。分かりました、と返してきた彼に運転は任せて、瞼を焼いていくような夕焼けの眩しさに懐からサングラスを取り出した。掛けた途端、薄暗くなる景色にそっと目を細める。

 サングラスの色は黒。自身が着込んでいるシャツも上着も黒。パンツも靴も黒。指先から手首までを覆う手袋も黒。髪を束ねているリボンと首元のリボン、上着の七分の当たりで折り返されている袖先のワインレッド。暗い色に支配されている。夜が来れば濃さは更に増し、一層闇に溶け込みやすくなるというものだ。

 夕方。黄昏時。逢魔が時。そう称されるだけあって、この時間帯はあまり良い感じがしない。先に長い夜が待ち受けるこの時間帯は。

「ロゼ、あなたは報告に上がって今日は終わりなんでしょう」

 何故、そう断言出来るのだろうと一瞬考えて“探偵”である彼が私の行動の先を読んでくるのはもう今までに何度もあったなと思い当たった。

「ディナーに行きましょう」
「………………」
「無言はやめてくれませんか」
「……先日行きませんでしたか」
「行きましたね」


 ――僕があなたの腕を半ば強引に引いて。


 そう飄々と口にした彼にどうしたものかなと考えを巡らせる。

 お目付け役であり、コードネームを戴く私のお気に入りになれば何かと便利だと踏んでいるのか安室透は私に仕事外でも声を掛けてくる。最初にこんなことでは点数稼ぎにもならないと突っ返した私に、彼は笑みを浮かべながら分かっていますと言った。実際、それは事実で私は彼のことはみているだけで、彼の評価というのは全て上に任せている。だから、私に媚びを売っても、例え賄賂のような物を渡しても、接待をしても無駄だというのに。

「行ってくれますよね、」

 この人が何を想って、私を誘うのか私は測りかねていた。
 彼の誘いを突き放さない自分のことは分かりきっていたけれど。

 元に戻るまで――この男、安室透が“元の場所”に戻るまでに興味を持ってしまったせいだ。彼を通して想い出されるものが嫌だったはずなのに。
 私がこちらに来て十年。もう戻れはしないところまで堕ちた。望みなど五年前、人を撃ち殺した時に捨ててしまった。だからこそ、かもしれない。

 サングラス越し、こちらに視線を寄越した彼と目が合った。

「ロゼ」

 それならば、行く末を見てみたいと思ったのは。

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