アンダンテ | ナノ


 恐ろしさから、逃げたかった。


episode.9
「いつかはいつも鮮やかなまま」



 カン、カン、カン、カン……。小さいながら、踏切の閉まる音が聞こえる。電車が来ることを知らせるアナウンスも微かに耳に届いていた。
 十センチ程、開けた窓から入り込んでくる秋口の風は少しだけ冷たい。街行く人々の服装も、長袖が増えてきたように思える。太陽が出ている今は、半袖の者と長袖の者とで半々といったところだろうか。

 駅から程近いビルの五階の空き部屋。望遠鏡片手に外を眺めていた視線を室内へと移す。長い間、部屋に置かれたままだったろう机の上。埃を払い、先程置いたパソコンの画面の一点が赤くチカチカと点滅している。それは少しずつ移動していて、数分、それを眺めていればやがて動きが止まった。点が示すのは自身が今いるビルの隣の、建物――そして、彼らも当然、“上”を取ったらしい。

 窓際に立ち、カーテンの影に隠れるようにして、道路を挟んで右斜め向かいのビル、その四階のとある部屋にレンズを向ける。
 太陽があるとはいえ、そこまで陽射しが強くない為か無防備にも下ろされてはいないブラインド。薄らとカーテン越しに見えるのは椅子に座る壮年の男一人に、その向かいに恐らくは数人の男たち。

 私の耳に届いた情報が確かなら、あと十五分程であの壮年の男が部屋に一人になる。
 彼らの任務内容を考えれば、そこを逃せば暫く機会はやって来ない。――あの男を殺すための絶好の機会は。

「…………」 

 今回、任務を託された“彼ら”。
 奴らをみていろ――上から下った命。それが今回、私に命じられた仕事だった。

 あの三人を思えば、とても失敗するとは思わない。三人のうち二人は“あちら”側とはいえ、あの二人には躊躇いがない。人の命を奪う、その行動に。私たちの、“こちら”側の者として。

 褐色肌に青い瞳の青年は、まだ息のあった者がいた場所に静かに火を放った。傍らでみていた私に、どうしてか微かに笑って。
 黒いニット帽に長い黒髪を持った男は、たった一発で、たった一瞬で命の灯を消し去った。それがさも当然というように。

 そんな二人がいて、もう一人、コードネームを冠する男がいて失敗など有り得ない。有り得てはならない。というのに、私に命が下った理由(わけ)。
 それは彼らが“与えられた名”のせいかもしれなかった。あの方はひどく慎重な人だから。あの方が、あの方自身の意図を言葉にして下へと伝えることはほとんどない。命令の多くが端的な指示ばかりで、そこに理由が添えられていることは少ない。
 だから、今回も何故みていろというのか。それは自分で考える必要があった。

 ……考えなくても、命令を忠実に実行しさえすればいいんだろうけれど。
 今回、私に求められているのは、きっとそれだけ。

 上やあの方とは別に、彼ら二人を、特に、ニット帽を被った長い黒髪の男の動向を鋭く睨んでいる人間を知っている。

 昨日、組織の施設内で出くわした長い銀髪の男。彼の横を通り過ぎようとしたけれど、それは叶わず、呼ばれた名と強く掴まれた腕。掴んで引き留める、なんてそんな生易しい力ではなく、掴まれた箇所はうっすらと痕になってしまった。
 身体的な痛みに眉を寄せた私に構うことなく、私に下った命を知ったのだろうジンは一言、言葉を落として去っていった。


 ――やらかしたら寄越せ。


 何を、誰をなんて愚問もいいところだ。
 ジンに掴まれた左腕をさする。さする右手から続く腕。あの青年に“私が知っている”と告げた――正確には匂わせた日に掴まれた自身の右腕。痕も痛みもないそれに視線をやって、小さく自嘲した。

 十年前、父に拾われたあの時に予感があった。
 七年前、ジンに出会って知った。
 五年前、人を撃ち殺したあの瞬間に理解した。
 二年前、彼女に出会って確信した。 


 もう戻れない――と。


「あなたは脆い人ですね、ロゼ」  


 本当に脆かったならきっと私はここにいない。

 パソコンの点滅は止まったままだ。空き部屋か、それとも掃除中にでもしたトイレか。何にせよ、彼らが狙撃しやすく、かつ、見つかりにくく逃亡しやすい場所を陣取っていることは間違いない。都会から少しズレた場所といえど、昼過ぎの街中で殺しに狙撃という手段はいかがなものかと思うも、頭の切れる三人の判断だ。犯人を特定されずに終えることも任務の一環とすれば、成功率を考えた際、恐らくは狙撃が最善策と取ったのだろう。
 彼ら三人はこれが初の合同任務だと聞いている。互いにどの程度の実力があるのか把握しているかまでは分からない。分からないけれど、スナイパーとしての実力なら申し分ない男が一人、確実にいるのだ。狙撃が失敗することは有り得ない。

 彼ら。
 安室透、諸星大、それから――スコッチ。

 狙撃手と観測手で基本二人一組のスナイパーは、諸星大と恐らくスコッチ。
 実力を考えれば、ベテランが担う観測手は諸星大の方だと思うけれど、“二度目”が許されない今回の暗殺には確実に獲物を仕留められる方を狙撃手に据えるだろう。スコッチも、諸星大のスナイパーとしての腕前は知っているだろうから、狙撃手は彼である可能性が高い。スコッチもスコッチで射撃の腕はいいけれど、やはり諸星大には劣ると聞く。

 隣のビルにいるのが二人だけだとするなら、もう一人の方は……。

 下げていた望遠鏡を掲げて、レンズを覗く。
 実行時刻だろう時間まではあと五分を切っているも、まだ室内にはターゲットの他にも複数人の影がある。

「……陽動かな」

 あちらが勝手に動かないのであれば、ターゲットを一人にするためにはこちらが動く必要がある。きっとその為の、彼。
 そしてその推測は正しかったらしい。数分もしないうちにターゲットの部屋にいる男たちの動作が忙しなくなったように見える。ここからでは室内の様子を全て見ることは叶わないが、何人かは部屋を出ていったようだ。ターゲットの側近と思われる男もまた、携帯を片手に、窓際の椅子に座っていたターゲットといくつか言葉を交わして背を向けて行った。

 レンズを覗き続けていれば、唐突にターゲットが立ち上がった。目の前に誰かがやって来たらしい。誰かが、なんて分かりきったことだろう。ターゲットの方はどうするのかと思っていれば、男は懐から拳銃を取り出した。何事かを口にしているらしいが、当然聞こえるわけもない。ただ、今まで何度も見てきた光景と同じその様に目を細めた。

 ……抗っても、逃れられるわけがないのに。


 ――その時は一瞬だった。


 息をするように始まって、気付けば終わっている。そんな無駄のない連携、洗練された殺し。

 遠隔操作によるものか、シャッと少しばかり開かれたカーテン。
 目の前にいる誰かに何かを言われたのか、驚きの表情を浮かべたターゲットが窓の外を振り返る。その眉間に寸分違わず撃ち込まれた弾丸。ガラスが飛び散ったと同時に、どこかから爆発音が上がる。外から微かに聞こえる悲鳴。机に倒れ込んだターゲット。その首に伸ばされる黒い手袋を嵌めた誰かの手。帽子を目深に被ったその人物。顔こそ見えないものの、流れる髪は柔らかな色をしていた。

 脈を確認し終えたのだろう彼は、留まることなく、その場から去っていった。彼が出て行ってから数分程が経って、ようやく黒服の男が二人、部屋に走り込んでくる。机の上の事切れた男と開けられたカーテン、割れた窓ガラスに事態を理解したのか、一人が慌てたように踵を返していく。もう一人の側近と思われる男が携帯を取り出したのを見て、望遠鏡を下ろした。

 今回のことが表沙汰になることはきっとない。
 あちらの関係者側は、男が死んだことをまだ隠していたいはず。隠していたいのだから、当然、殺されたなんて口外するはずがない。例え、誰かが犯行の瞬間を見ていたとして、何処かへリークしたとしても、こちらが動く前にあちらの関係者がその者の口を封じるだろう。
 報道されるとしても、とある街外れのビルで爆発騒ぎがあったと地元紙に載るか載らないかくらいだ。人が一人死んだことも、それが殺人であったことも、表の人々が知ることはない。

 ……こちら側の人間が、まともな死に方なんて出来るわけもない。
 だから、彼がこちらへ来なければいい。
 屍になったあの人と、鮮明に焼けついた小さなオレンジ色が、青の瞳の青年に重なっていくようで――……。
 
「……それは、」


 嫌だな。
 ――なんて、声にすることは出来なかった。喉の奥につっかえたまま。


 パソコンの方を見れば、もう既に彼らは隣のビルを後にしている。赤の点滅は最寄の駅に向かっているらしかった。
 車では特定されかねないと踏んで、敢えて移動手段を電車にしたんだろうけれど……。彼ら三人が一緒にいたら目立つんじゃないの、という戯言を呑み込んで、自身もここを去るべくパソコンを閉じた。


 ***

 
「貴方がたは電車でいらしていたのでは」
「まあ、そう固いこと言わないでくれよ、ロゼ」

 爽やかな声でそう口にした男の名はスコッチ。彼もまた、最近になってコードネームを戴いた人間だった。彼をみていたメンバーが、なかなか使えると満足げにしていたことを思い出す。

「乗り継ぐの大変だったからさ。助かった」
「……そうですか」
「コイツも女の子に付けられてたしな」

 コイツ、とスコッチに呼ばれた男は、後部座席で腕を組んで大人しく座っているらしかった。ミラー越しに見れば、その瞼は伏せられている。

「…………女の子?」
「……何だ?」

 何か引っかかりを覚えて、思わず呟けば、思いがけず諸星大から返事が返ってきた。それに小さく、いえ、と返す。
 
「本当に、ロゼが“たまたま”近くにいらしゃってよかったですね」

 よくもいけしゃあしゃあとそんなことを……。
 声のした方へと視線をやれば、当然のように私の車を運転している安室透の姿があった。七分丈のブラウンの上着から伸びた褐色の腕の先、ハンドルを握る手に手袋は見当たらない。サングラス越しの私の視線に気付いたのか、それとも、私が苦く思っていることを汲んでか、彼の顔に浮かべられた微かな笑み。
 その表情から逃げるように、視線を助手席側の外の景色へと移した。



『――そちらから確認出来ましたか?』

 十分程前、スナイパー二人と、犯行現場から姿をくらました安室透に続く形でビルを後にした私の下へ、タイミングを計ったかのように彼から電話が掛かってきた。十コール以上は待っただろうに、電話口の彼はそんなことを気にする風でもなく、ごく自然に、いつもと同じ、柔らかな口調でそんな言葉を口にしたのだ。

「……気付いてらしたとは」 
『スコッチは気付いていませんでしたがね……』

 発信機の存在に。
 私が、ロゼがみていることに。

 先程、爆発が起きたあのビルの周辺が少し騒がしくなってきたらしい。後ろの方から微かにサイレンの音が聞こえる。何も知らない通行人あたりから通報を受けたのだろう、警察や救急車両がやってきたようだ。あちらにとってはいい迷惑に違いない。

『僕らはまだ信用されていないらしい。まったく、嘆かわしい話ですよ』

 ちっとも嘆かわしいと思ってなさそうな声にほんの少し呆れる。

『失敗は許されないが、失敗しないこともまた逆に疑われる要因になるとは、』


「何とも難しい話ですね、――ロゼ?」


 電話口の声と同じものが、携帯を当てていない左側の方から聞こえた。
 歩いていた足を止めて、視線をやった先。二、三メートルの距離。
 帽子を目深に被った、自身と同じように携帯を耳に当てた青年が一人。

 穏やかな日差しの下、ゆるりと少し冷たい風が横切っていく。
 踏切の閉まる音。駅のアナウンス。先程より近くで聞こえるサイレン音。

 青年が顔を覗かせるように、空いている指先で帽子のつばを持ち上げた。露わになる、悪戯っぽく笑んだその表情。

 
「――バーボン」


 小さな声だったのに、はっきりと音になったそれに目の前の青年が笑みを深めたのを見た。蠱惑的なその表情(かお)に、いつもよりも薄く見える彼の瞳の青。

「ようやく、名前を呼んでくれましたか」

 携帯を下ろして、私の方へと歩いてきた彼は、続けて、僕の名前はあなたの頭の中から消されたのかと思ってましたと口にした。

「まあ、名前なんてどうでもいいんですけどね」

 皮肉気に落とされた言葉に、少しだけ考えてから、そうですねと返す。名など、縛るものでしかない。私の返しに何故か瞳を瞬かさせた彼を置き去りに、止めていた足を動かした。

「……この後、彼らと落ち合わないんですか」
「任務は成功して連絡は取り合いましたし、特に予定はしていませんが、……ロゼは車ですか」

 ラフな格好をした彼が、自然な足取りで私の横に並んで、そんな言葉を落とした。ほぼ確信めいた口ぶりに嫌な予感がして、隣の青年を見上げれば、

「僕に送らせてくれますよね?」

 人好きのする笑みと共に、私が何かを発する前に放たれてしまったもの。否とも応とも言えずに眉間に皺を寄せていると、彼は私を慰めるかのように、ロゼと私の名を呼んだ。

「……私は貴方と距離を取りたいと言ったはずですが」
「僕もあなたを諦めませんと言ったはずですよ」

 貴方の“本当”を知っていると暗に告げたのに。
 貴方だからダメだと言ったのに。

「あなたが以前よく口にしていた、せめてコードネームを戴いてからにしては、という言葉を覚えていますよね?」
「…………」
「こうして、僕はあなたと同じ立場になったんです。――これからはもっと深く知ることも許されるんでしょう?」

 知れば知ってしまうほど、こちらに染まってしまうのに。
 
「ロゼ」

 止まった足に、合わさった瞳。
 街行く人々の声が、意識の遠くにあるよう。

 あの人が死んでから、ますます彼の声に温度を感じるようになってしまって戸惑いを隠せない。

 どうしてこの人をこちらへ引きずりたくないのか。どうしてこの人が、“私と同じように”なってしまうかもしれないことを考えて、それを嫌だと思うのか。そもそも、私と同じようにって何……。

 理解が出来ない。
 自分の思考も、彼が私と関わり続けようとすることも、ざわざわと落ち着かないのも、何一つ。

 あの人は私に優しかった。
 あの、善良な人間である彼女も、宮野明美もいつか死ぬ――。寿命などではない。“この世界”が、正常である限り。
 なら、この人も――……。 

「……あなたが何を考えているかは分かりませんが、」

 黙ったままの私に、目の前の青年が小さく肩を竦めた。
 街のざわめきの中にいるというのに、彼の声はまっすぐに届く。

「互いに監視といきませんか」

 監視……?
 訝しげに眉を顰めると、まあ、聞いてくださいと彼の口から続きが紡がれていく。

「僕があなたを監視する理由はひとまず“興味があるから”として、あなたは“僕が、あなたが思っているようにならない”ことの証明のために」


 それだったら、いいでしょう?


 名案と言わんばかりの、拒否を最初から受け付けていないような、そんな言い方。すぐに返す言葉が思いつかない。……私が彼に、彼の正体を知っていると暗に告げたあの日から今日までの二月近く、彼と会うことはなかった。養父に呼ばれ、少し日本を離れていたのもあるけれど、彼の方から連絡が来ることもなくて、私も彼に連絡をすることもなかったから。

 まさか、その間に幹部に昇進してしまうなんて。
 
「私は、……」

 言い掛けて、言葉の先がないことに気付いて口を噤む。
 私の目の前に立つ、クリーム色の髪に、青の瞳を持った褐色肌の青年。その表情の柔らかさ。その声のあたたかさ。
 
 この人の“最期”を知らない。未来を知らない。
 彼が“元の場所”に戻るまでに興味があった。あったけれど、戻れるのかは分からない。行く末を見てみたいと思った。でも、“こちら”に堕ちるのなら見なくていいと思ってしまった。 

「……貴方は私に嘘を吐かないんでしたね」

 その言葉が既に嘘だと知っている。


「――なら、違えないで下さい」


 貴方の言葉を。
 私が思っているようにはならないという――その言葉を。

 目の前の人が面白がるように喉を鳴らす。日が暮れるにつれ、伸びていく影。
 その様に、彼が、同胞となったことを知った。



 車を停めた場所へと向かえば、車の傍らにギターケースを背負った二人の男が立っていた。恐らくは先にバーボンが場所の目星を付けて、彼らにメールでも送っていたんだろう。
 何も言わずに、車の鍵を開けたのがほんの数分前のことだった。

 
 ***


 警察と救急車両の赤い光を遠目に、私たちを乗せた車は走り去って、そのまま車に揺られて一時間と少し。見慣れた街の一角に辿り着いた。
 自分の車に、自分以外の人間が乗ることがひどく久しぶりで、乗っている車が他人のもののようにすら思えたものだ。

 車が止まって、三人の男がドアを開けて外へと出て行く。
 バタン、と立て続けに音が響いた。
 微かなエンジン音を感じながら、一人になった車内で、小さく息を吐き出す。簡単に書き終えたメモとペンを膝に置いたまま、掛けていたサングラスを外した。

 今回の犯行は実に念入りに計画されたものらしかった。
 スコッチも口を閉じ、静かになった車の中で、詳細が知りたいですか? と尋ねてきたバーボン。何も言わずにいたら、彼は勝手に語りだしたのだ。
 私を通して、“上”に伝わるようにしたかったのか、それとも、他に意図があったのかは分からない。ただ、語られたそれらは私の頭の中に収まった。
 
 あの男を殺してこいと命を下されて間もないうちから、脅迫状や不審物を送り続け、疲弊させながらもあちらにその状況を慣れさせ、標的に一人でいても平気だという認識を植え付けたのだという。実行を今日にしたのは、一番油断が生まれる頃だと踏んだから。あの場所にしたのは、向かいのビルから狙撃しやすいことと、“丁度”ブラインドが下りないという故障を起こしていたこと、それからカーテンの遠隔操作が可能であったこと、重ねて、建物の構造上、陽動すれば――犯行現場から少し離れた場所で爆発でも起こせば――標的以外の人間を足止めしやすかったことが理由だという。

 最後は僕が向けた拳銃にばかり気を取られていたようで、スナイパーからすれば狙いやすい獲物だったでしょうね。事がスムーズに運んでよかったです、と何でもないことのように言ったバーボンに、どこまでが彼の手の内だったのか聞くことはしなかった。あの男が驚いたように外を振り返った、その直前にバーボンが男に何を言ったのかも。

 狙撃の瞬間、ターゲットと同じ部屋にいたにもかかわらず、彼の方は掠り傷ひとつ負っていない。飛散するガラスの破片の角度も分かった上で、最適な位置にいたのだろう。

 ……コードネームを与えられるのも頷ける話だ。
 ペンとメモを仕舞って、何となしに外を眺めながら運転手を待つ。そして待つこと数分、コンコンと軽く叩かれた窓。
 
「飲み物を買ってきますが、何がいいですか?」

 窓を開けると、落とされる柔らかな声と覗く青。その色はさっきよりも濃く思える。
 瞳の色は、光の当たり具合で薄く見えたり、濃く見えたりするものだが、彼のそれは特に明度の差が分かりやすいように感じている。

「……特には」
「でしたら、適当に買ってきますね」

 私が要らないと言葉を重ねるよりも早く、彼は近くの自動販売機の方へ歩いていってしまっていた。

 仕方なしに彼の後ろ姿を見送っていると、傍らに感じた人の気配。暗めのジーンズにグレーの上着、それから背負われた黒のギターケース。どうやら一人だけらしい。ドアミラーを一瞥すれば、ニット帽を被った髪の長い男の後ろ姿が遠くに見えた。馴れ合いを好むようにも見えなかったし、らしいと言えばらしいんだろう。

 外よりは冷たい空気が、開けられたままの窓から流れ出て、外からはどこかから聞こえてくる鳥の声や、子どもの声、風の唸る音が入り込んでくる。
 そんな中で、

「もう付けませんよ」

 何も言うことなく、私を見ているだろうスコッチに告げる。

 バーボンはスコッチが、発信機の存在に、私がみていることに気付いていないと言っていた。それはきっとその通りだったんだろう。でも、私が目の前に現れたとなれば流石に気付かないわけがない。自分に、発信機が付けられていたことに。バーボンとスコッチ、それから諸星大――ライ。スコッチは分かっているはず。ウイスキーの名を冠する彼ら三人の中であれば、自分に一番隙があったと――。

 反応がないことに彼の方を見上げれば、先ほどまでの車内で見られた朗らかな笑みは奥に引っ込められていた。短髪に顎に生やされた髭が特徴的な男、スコッチ。こちらを見下ろすその顔に、狼っぽいななんてことを思う。

「今回は、確実に仕留めていただく必要がありましたから」
「……俺たちじゃ、仕留められないとでも思っていたのか?」
「いいえ」
「なら、」
「……逆に、何かみられて困ることでも?」

 バーボンやライが焦るのならまだ分かる。彼らは“あちら”の人間だから。……二人がこの程度で焦るとは思えないけれど。食い下がってくるスコッチに首を傾げた。スコッチが食い下がる理由を考えて、可能性の一つとして、彼も“あちら”側だとしたら――なんて考えて瞬く。

 ……スコッチ?
 …………“あちら”側?

 ライが女の子に付けられていたと聞いた時と同じ。引っかかりを覚えるのに、それが何だか分からない。そのことがとても不快に思えた。

「別に困ることはないが……」

 濁すように言葉を途切れさせたスコッチに、上が、あの方が、どうして彼らをみていろと言ったのかを考える。

 おそらくは、安室透の言った通り、彼らが失敗しないから。安室透と諸星大の二人が出来すぎるから。だから、“疑われた”と同時に――“試された”。もしも、二人が組織に入り込んだ鼠だったとして、幹部になったことで我々に認められたと油断したら、もしかしたらボロを出すかもしれないと。私がみていることを知らなければ、もしかしたらターゲットを逃すかもしれないと。実際、彼ら二人は“あちら”の人間だから、今までの任務の中で、こちらに知られることなく、ターゲットを逃したこともあったかもしれない。これからも、あるのかもしれない。

 私がみていることに気付いていたバーボン。
 今回の殺しがフェイクだった可能性は低い。私がみていることに気付きながら、もしターゲットを殺したふりをして生かしていたとするのなら、思わず拍手を送りたいくらいだ。

 そう思ったあとで、でも……、と思う。

 でも、もし、可能ならいいなって。
 誰かを殺めることに何も感じないのか――なんて聞かないから。聞けないから、だから、出来るなら、その手が血に染まることが多くなければいい。
 ……ターゲットの男が死亡しているとして、実際に殺したのはスナイパーのどちらかで、今回は彼が直接、手を汚したわけじゃないのにね。

「あんまり信用がないと、悲しいんですよ」

 私とスコッチの間に割って入ってきた声に、その主を見る。絡んだ視線。私に微かに笑んだあとで、そうでしょう? スコッチとどこか諭すように彼は続けた。
 バーボンの言葉を受けたスコッチの顔は、何故かバーボンを訝しむようなそれだった。

「それに、あなたは知らないかもしれませんが、彼女は自分の独断では滅多に動きませんよ」
「……だから、ロゼを責めるのはやめろっていうのか」
「ええ、まあ」
 
 そう言って、おどけるように肩を竦めさせたバーボンは、私に飲み物を差し出しながら、

「上からの命だったんでしょう? ロゼ」

 きっとそんなことはスコッチも理解しているだろうに、わざわざそう言ってみせる、その意図は何だろう。
 無言のまま、受け取ったのは水分補給にはこれ! とシールが貼られたスポーツドリンク。少し雫が滴って、手袋が濡れる感触がした。

「熱中症になるといけないので」

 私がどうしてと尋ねる前に落とされたもの。あまりに自然だったから、そうですかと言葉を返すことしか出来なかった。
 ……熱中症になるといけない。 
 こちらへ背を向け、スコッチと何事かを話している彼の姿。どことなく、二人が親密なように思えて、スコッチももしかしたらと考えて、それ以上を遮った。

 開けていた窓を閉めると、途端に冷気が肌を撫でつけていく。
 水滴がぽとりと服の上へと落ちて、服の色を濃いものへと変える。

 ボトルに目をやって、キャップへと指を掛ける。
 喉へと流し込んだそれは仄かに甘く。

 嫌だな、なんて小さな呟きが零れ落ちていった。

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