アンダンテ | ナノ


 握ったのは自らの意思。どんな理由があろうとも、そのことに変わりはない。


episode.4
「花のようにはめぐれない」



 賑やかな室内。正装やそれに近い服装に身を包んだ大人たちが幾つかのグループに分かれるようにして談笑を繰り広げている。料理の匂いにお酒の香り、混じり合う煙草や香水の匂い。滑らかな旋律を奏でるピアノの音。耳に入ってくる異国の言葉。多くの女性が身に着けているアクセサリーの類がシャンデリアの灯りで美しさを競い合うかのように輝いていた。

 近くの女性の胸元にはダイヤモンドが、その傍らの女性の首元には真珠が飾られている。視線を会場内にさっと散らせて確認出来るだけでもサファイアにルビー、アクアマリン、エメラルドと光沢溢れる様々な色彩があった。女性たちが身に纏っているドレスの色も実に様々でちかちかと眩しさも覚える。彼女たちの大半が欧米の者たちであるために瞳の色、髪の色も混ぜ合わせれば派手の一言以外、目の前の光景を表す言葉が見つかりそうにない。

 会場内の男性の大半が身に纏う黒では中和しきれない派手さだった。

「由良」

 穏やかな男の声にそちらへ寄る。自身の名前の響きは日本人から呼ばれるそれと変わりないものの、彼が口にしている言葉は日本語ではない。上質のスーツに身を包んだ、長身でそこそこがっちりとした体つきの男。年は五十を過ぎたあたり。灰色の髪に薄い青の瞳。柔く細められた双眸に少しだけ苦笑が漏れる。パイプは多い方が良い、と考える養父はこうしてパーティーがある度に秘書である方の私を紹介して回るのだ。“暁 由良”という名の私を。

 資産家であり美術館のオーナーをも務めている私の父。養父。表の仕事として父の秘書を宛てがわられている私がこうして父が呼ばれたパーティーに同伴することは珍しくはなかった。父の養女としてではなくオーナーの秘書として。

「君に会わせるのは初めてだろう? 私のもう一人の秘書だ」
「名前だけは聞いているよ。何でも社交場に連れてくるのは決まってこの子の方らしいじゃないか」
「アレは仕事は出来ても愛想がなくてね」
「彼の方も可哀想に」

 父と相手の会話を聞きながらタイミングを計らって挨拶をする。この人は以前から父の話に出てきていた美術商だった。裏では闇オークションを開催しているとも噂されている。実際、それは事実であるし、美術品コレクターである父も利用したことがあるという。今この会場内にいる人物のほとんどにはそういった闇の部分の噂が絶えない。権力も金も地位もあるからこそ、白とも黒とも取れない者ばかりが集まっている。

 自身の横で穏やかな声で、優しげな表情で、楽しげに言葉を零す養父もそう。養父の場合は黒も黒だけれど。表面上は優しいおじさんだというのに、裏では犯罪に手を染めることに躊躇いのない狂気が見え隠れする人間だ。

「この子を見て思い出したんだが、今度仕事がてら久しぶりに日本へ行くんだ」
「なら、私のおすすめの店を教えてやろう」
「君のおすすめは怪しいな……」
「何を言う。ちゃんとした店だぞ、今回は。日本の財閥に鈴木という――……」

 他愛もない会話。こちらに話を振られれば適当な答えを返し、相槌を打つ。興味がないなんてそんな事はおくびにも見せない。

 秘書となって四年。と言っても、私の場合は裏の仕事に対するカモフラージュの意味合いが強く、正確に私の表の仕事を表すなら臨時秘書だとか、副秘書、秘書補佐といったものだろう。父やベルモットのように表の仕事もしっかりこなしながら、なんて器用なことは出来そうにもない。呼ばれた時、必要とされた時にはその役割を果たすために動くけれども。その為に持ち歩くようになったメモとペンは今も自身の懐に収まっている。

 表の仕事が他のメンバーに比べて少なく、そして雇い主である養父もまた組織の一員であることから行動に自由がきく。そういった面で、私は組織に関わる人物の監視や新入りの面倒をみるといった長期任務を任されることが多かった。私が組織の構成員の中でも年少であるために、他のメンバーが面倒くさがってやらないことを押し付けられているとも言える。

 目の前の和やかな雑談に交じりながらも頭の奥は冷えたままで、由良と名を呼ばれることの感じない違和感に「由良」は間違いなく「私」だと思い知らされる。

 “暁由良”は表の仕事用の名前。
 “ロゼ”は裏の仕事用の名前。
 “結城奏”は組織に縛られた名前。

 どの名前を名乗っても、どの名前で呼ばれても暗い影が纏わりついてそれはどうしたって消えそうにもない。父は私を、養女を迎えたことは公表しておらず、迎えられた“結城 奏”の顔を知る人間は少ない。秘書である「暁由良」が「結城奏」であり、そして「結城奏」が「ロゼ」だと知る人間も少ない。

 意思を持って調べられれば簡単に知られることではあるものの、暁由良の縛りを強くして仕事同様、結城奏のカモフラージュ的役割を果たしていることで二人が同一人物かもしれないという考えにまず至らないだろう。海外では養父の姓を名乗っていることもあって、結城奏の存在は更に薄れている。

 だから、結城奏は自由だった。
 組織に本名を知られている以上、本物とは言い難くても。

 ……その名で呼ばれることが、その名を名乗ることがほとんど無くても。

 世間では彼の秘書で通っている私が、彼の家にいたり、やけに親密なことは噂を呼び、一番有力なのが愛人説だというのだから何とも薄気味悪い話だ。父のことは今でも恩人だと思っているし、好いてもいる。愛人という事実はないけれど。でも、もしかしたら、そちらの方がまだ良かったのかもしれない――そんなことを思って、内心で嘲る。

 嵌めたままの黒い手袋。
 隠し持っている銃。
 人を撃つことに躊躇いはない。 

 自身の胸元にひとつ置かれたアメジストもまた、私を嘲笑うかのように輝いた気がした。


 ***


 夜も深まってきた頃、パーティーはお開きとなった。帰路へ着く者もいれば、親しい者同士、もしくは更に交流を深めたい同士で二次会へと赴く者もいる。程良く酔った紳士淑女の方々の話し声が徐々に薄まっていき、あれ程煌びやかであった会場からひとつ、またひとつと色が消えていく。シャンデリアの灯りだけは煌々と輝き続けており、まるでこれからは人間ではなく、また違う別の何かの為のパーティーを開こうとしているかのよう。

 会場内の人間が両手で数えるくらいになるまで“身内”である二人と表面上は和やかに話しこんでいた父に名前を呼ばれ、そのまま扉へと足を向けた彼の後についていく。外では既に運転手ともう一人の秘書である男が車と共に待機しており、父の為に車のドアを開けた。父が乗り込むと運転手の手によってバタン、と閉められる。そのドアを見つめていれば開けられた窓から父が顔を出した。

「それじゃあ、由良。分かっているね?」
「はい。問題ありません。ご心配なく」
「なら、いいんだ。君が役に立っているようで嬉しいよ」

 曖昧な言葉。隠された部分を汲み取って返事をすれば、父が柔らかく表情を緩めるものだから私も小さく笑みを浮かべる。目の前の人が自身をこちら側へ引き込んだ張本人だとしても、私はこの人を恨んだり、憎んだり、負の感情でみることは出来なかった。「あの方」をまるで教祖のように崇め、心酔している私の父。養父。私はそんな彼に「あの方」の役に立つように育てられた。私が彼の満足するように「あの方」の役に立っていれば父は心から嬉しそうにするのだ。

 それが、嬉しい。
 それが、……哀しい。

 期待に沿えている。けれど、沿えてはいない。そんな胸の内を隠して一歩足を引く。私のお気を付けて、という言葉に軽く振り返された手を合図に窓が閉められ、車が動き出した。その後姿に頭を下げ、踵を返す。

 表玄関の前を通り過ぎ、建物の壁に沿う形で歩いていく。生温い温度を纏った風が建物と建物の間を縫うように吹き、音を奏でては消える。乱れた髪もそのままに歩いていけばやがて裏玄関へと辿り着いた。誰もいない。灯りはついているものの、その明度は落ちており薄暗く、周囲はひっそりと静まっていた。裏玄関へと続く門へとそのまま向かう。表玄関と違って、噴水や綺麗に切り揃えられた木々や花々が陣取っていないこちらは随分と玄関から門までの距離が近い。

 石畳の路を抜け、今夜開かれていたパーティー会場である建物の敷地外へ出る。門から少し離れたところ、普段から人通りも灯りも少ないこの場所に佇むものを目にして足を止めた。

 門の両脇に掲げられているランプが怪しげに揺れている。
 佇むものに背を凭れ、煙を吐き出す人がいる。
 私の気配を感じ取ったかのように、伏せられていた顔が上げられる。

「ッ……」

 ピッと本能に訴える一瞬の鋭い恐怖。
 尖った矛先を突き付けられるような感覚でもって、その人の視線を受ける。ひゅっと飲んだ息を心持ちゆっくり吐き出して、それから足を動かした。

 ここのところ、青い瞳に甘い顔をした青年を始め、こちらの世界に踏み入れて間もない者たちをみていることが多かったからか、目の前の男から向けられる“鋭さ”が余計に尖って感じられる。先程まで開かれていたパーティーにもこちら側の人間はいたものの、目の前の男とは違って彼らは牙を隠すことに長けていた。私の一挙一動を睨み付けるかの如く降り注ぐ男からの視線を払うように乱れてしまった髪に手をやる。
 
 ワインレッドのリボンを解いて、両手で髪を纏めている間、口に銜える。適当に纏めた髪にベルベットの滑らかさを巻き付けて結び直す。そんな動作さえ見られているのには気付いていたけれど気付いていないふりで顔を男の方へ向けた。

 薄暗い中、瞳の色が分かるくらいまで近づいた距離。深い緑色をしたそれはぞっとする程に温度がなく、感情を読み取ることは出来ない。

 恐ろしいひと。
 この人にも、この人の瞳にも、この人の怖さにも慣れてしまったはずだったのに、……慣れて、しまったはずだったのに。

「…………ガラスの靴は両方とも落としちゃいねぇだろうな」

 息を吐き出すように紡がれた言葉に肩を竦める。

「舞踏会も開かれていないのにそんな物を履いてくるわけもないでしょう?」
「さぁ……、どうだかな」
「それにもし、落としたとしても自分で拾いに行くだけ」

 私の返しに軽く鼻を鳴らした男に携帯灰皿を差し出す。慣れた仕草で煙草を押し付けた男の、私よりもずっと長い銀色をした髪が風に煽られて揺らめいた。
 黒のロングコートに、黒の帽子を身に着けた長身痩躯の、銀髪に深緑の瞳をした男。自身と同じく、組織内で特別な冠を戴く男。コードネームは、――ジン。
 私がこの男に出会ったのはもう七年も前の話になる。恐いなんて今更だった。

「……さっさと乗れ」

 瞳と同じでまるで温度の感じられない声。それにひとつ頷いて助手席へと回る。……ジンの運転する車の助手席に座るのはいつぶりになるだろう。ジンの傍らにはウォッカがついていることが多く、ウォッカがいる場合には必然的に後部座席に座ることになっていた。車内はジンの愛用している煙草の匂いで満ちている。ドアを閉め、シートベルトを着けてから深く息を吐き出した。

 少し、疲れた。

 エンジンを掛けられ、アクセルを踏まれた車はゆっくりと稼働し、十秒もすれば一定の速度で走り出した。
 夜の道を走っていく。次から次へと移り変わる風景を置き去りに走っていく。

「……ウォッカは先に?」
「ああ……」

 主に日本で活動している私が表の仕事だけで海外へと呼び出されることは少なかった。今回も例に漏れず、組織から回ってきた仕事がある。父の同伴でパーティーに赴いたことが言わばついでだったのだ。

 仕事の詳細は合流する仲間内から聞け、というので詳しいことはまだ知らない。隣で車を走らせる男か、先に現場へ向かったというウォッカが後で教えてくれるだろう。組織の最近の動きから推測するに、おそらくは何かしらのトラブルがあったと思われる。新しい資金調達先を見つけたはいいものの、それを脅かす存在が現れたか、もしくは事態を脅かす何かがあったか。きっとそんなところで、そして私達にその排除を頼みたいと……多分、そんなところ。

 そして、その何かが人であった場合、何かしらの交渉を持ちかける可能性が高い。その為の私なんだろう。
 考えを巡らせる中で車の心地良い揺れに段々と瞼が重くなっていく。

「…………どっちが楽なんだか」
「お前には子守りがお似合いだ」
「……本当に子どもだったならそれでいいんだけど」

 子ども、というには随分年を取った彼らをみていることと、今からやろうとしていること。そのどちらが楽なのかと暗に零した私の言葉を隣の男は正確に汲み取って冷たく返してきた。

 ……ジンには到底似合わないだろうな。
 移ろう景色をぼんやりと眺めながら、子守りをするジンを想像しようとするもその図がまず浮かばなかった。どちらの仕事が楽かなんてそんなことは結局どっちもどっちという結論にしかならないことは分かっている。分かっていて尚、口にしてしまうのは重さを少しでも吐き出すため。

「使えねぇ奴はさっさと見切りつけりゃ楽になるだろう?」

 僅かに侮蔑を含んだ声のトーン。……見切り、ね。その言葉が差す意味にほんの少し目を細める。使えない奴といえば、

「最近まで使えるか怪しいと言われていたあの長い黒髪の人……、最近じゃ使えるようになってきたって話を聞いたけど……」
「…………どうにも薄気味悪い野郎だぜ」
「……名前が確か、」

 諸星 大――。
 宮野明美からのツテを辿って組織に入ってきた男。黒のニット帽を被り、長い黒髪をもった男。本名、――赤井 秀一。あの褐色肌の青年と同じ側の人間。いずれコードネームを与えられることも共通している。……彼の方のコードネームが何だったか思い出せはしないけれど。

 新人なんてものに興味を示さないはずのジンが、諸星大のことは何かと気にする。鼻を利かせている、と言ってもいいかもしれなかった。彼女の恋人で、彼女からあの少女へ、少女から組織へと入ってきた男のことをジンはどうにも薄気味悪いと言って憚らない。

 ジンの他にも一人、諸星大を気にしている人がいたなと思い出す。安室透だ。あの青年が組織へと入ってきて十ヶ月程が経ったものの、諸星大とはまだ任務で一緒になったことはないはずで姿を見掛けた、名前を知っているくらいであるはずなのに、彼もジンと同じく、諸星大のことを「薄気味悪い男」と評していた。同じ側である同士、何か感じるものがあるのかもしれない。そうだとするなら、諸星大の方もきっと安室透に対して感じているものが何かあるはずだ。

 ……諸星大、安室透。ほぼ同時期に入ってきた二人。使える人間である彼らが組まされるのも時間の問題だろうな。

「ロゼ」

 沈黙の中に落とされた自分の名前に、私の名前を口にした人の方へと緩慢な動きで顔を向ける。顔を向けたところでジンと視線が合うことはない。

「眠りの海に揺蕩っていたかったら“ソイツ”のことを考えるのを止めることだ」
「………………」

 ジンの詩的な部分を、つまり、性急に“事”に及ばれたくなかったら、と置き換えて首を縦に降る代わりに顔を再び窓の方へと向け直した。ジンの指す“ソイツ”は二人の内、どちらだろうなんてそれこそ考えずとも分かりきっている。ジンの示す人のことは簡単に頭の中から消え去るのだから、言われずとも問題はなかった。

 問題があったのはもう一人の方。
 
『今どこにいます? ……海外? ……何で一言残していってくれないんですか。いきなり連絡も無しにあなたじゃない人を付けられて……。身を置いている場所が場所です、あなたに何かあったのかと心配するでしょう』
『日本に帰ってくる前に連絡を下さい。迎えに行きますから』
『聞いてますか?』


『――ロゼ』


 父から急に呼び出されたのもあって連絡を怠った私の下へ掛かってきた一本の電話。電話越しの呆れ混じりの声は少しだけ不機嫌そうで、でも穏やかで、彼が紡いだ私の「名前」は柔く温かな響きをもっていた。今、隣の男から呼ばれたものと果たして同じものだったのかと疑いたくなる程に。

 あの青年の……、安室透の、彼の声を聞きたいなと思って、想ってしまったことに長い間正常に機能していなかったどこかが軋んだ気がした。

 日本を出て、飛行機を始め、車、徒歩での移動を経て、休む間もなく表の仕事をこなし、父の付き添いでパーティーに出席。十年の間で覚え込まされた異国の言葉たちを操っては紳士淑女の方々に話を合わせ、愛想を振りまく。それが終われば待ち構えている裏の仕事。慣れたものとはいえ、疲れはする。ジンが一先ず向かっているだろう、今回の仕事場所に近いホテルのベッドで早く眠ってしまいたい。柔らかなベッドに滑らかなシーツ、温かな毛布にくるまれて眠ってしまいたいなぁ……と思う。思う、けれど。

「……気が向いたら起こして」

 鋭く冷たい眼をしたこの男が許してはくれないだろう。
 削られるかもしれない一時の安らぎに備えて瞼を閉じる。煙草に火をつけたのか、一層濃くなるその匂い。吐き出される煙の音がエンジン音に混じって微かに聞こえてくる。

 落ちていく。
 世界の狭間に、堕ちて、いく。 

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