雛唄、 | ナノ

06


 朝食後、生徒が食堂を去ってからというものおばちゃんは私に皿洗いを任せ、今日は朝早くに知人と約束があるからと申し訳なさそうに苦笑を零して、早々と出て行った。割とこの学園から近いところに行って帰ってくるだけらしいから昼食前には戻ってくると言っていたけれど。心細さを隠して、何も言えない私はその背を見送ることしかできなかった。

 ガチャガチャと皿のぶつかる音が辺りに響く。

 どうやら今は皐月の下旬、つまり季節的には現代でいう春の終わり頃のようで、水に長時間触れていても、そこまで冷えないのが救いだと思う。季節を知れたのは良かったものの、言い知れない違和感が拭えない。……季節が、ズレているような。異世界に飛ばされたと考えられる時点で、季節がズレていてもおかしくはないのかもしれないと、少しのわだかまりを残してそう無理矢理結論付けた。


 ――それにしても、怖かった。


 あれを殺気というのだろうか。食堂でのあの緑色を纏った人の声、それを思い出すだけで鼓動が早鐘を打って非常にうるさい。彼らはあれから何事もなかったかのように、カウンターで私の差し出したお盆を受け取って、席に着き雑談をしつつ朝食をとっていた。一見穏やかな食事風景に見えるも、その実態は全然違って、痛いほどの視線が私には突き刺さっていた。怖かった。私を今にも射殺さんとするかのような視線が。ひそひそと聞こえた言の葉が。

「…………っ嫌だなあ」

 これからずっとああなのかと思うと気が滅入ってしまう。皿洗いも一段落し膝を抱えてしゃがみこむ。わかっていたけど。予想はしていたけど。あそこまであからさまに悪い意味で、私の存在を意識されるのはきつい。

(あー……やめやめ! 考えるのやめ!)

 顔をあげて空を見上げる。
 今日は快晴のようで随分と暖かい。


 そういえば――……。


(……綺麗な子たちばっかりだったな)

 生徒たちは俗に言うイケメン揃いで、一瞬でも魅入ってた自分がいたのは確かだ。“あの”忍たまとは思えないほど皆が皆顔が整っていた。髪の長い人も多かった。それだけではない。髪の色が灰色やら茶髪やらの人もいた。さすがに視線を合わせるなんて大層なことできなかったから分からないけれど、瞳の方も一般から異なる色をしているのかもしれない。

「さて、と」

(皿洗いの次は)
(……洗濯と薪割りだったかな)

 洗濯の仕方と薪割りの仕方も一通りおばちゃんに教えてはもらった。理解もした。でも、実際問題、できるかどうかは別問題だと思う。それ以前に、既に疲れてしまった身体をどうしようか。休みたい。でも、やらなきゃ。やらなきゃいけない。

(まずは洗濯を……)

 生徒のから先生のまであるらしいのだが、洗濯はどれくらいかかるものなのだろうか、普通。下着は自分たちで洗うというのが救いだろう。そう思いつつ、洗濯物をこう…………ざっと数えて。

(軽く五十枚越えてるとか……洗濯ってたら洗いなんだ、よねえ……?)

「……昼食前に終わるわけないって」

 ぼそっと呟く。

 今この場にはいない食堂のおばちゃんは軽い調子で「洗濯? 洗濯はこうやってこうして終わりよお! 昼食前には終わるだろうから終わったら薪割りお願いねー! 薪割りもこうすればすぐ割れるからちゃちゃっとできるわ!」とか言っていたけれど、はっきり言って、できたら私すごいと思うんだ。

(や、でも、あのおばちゃんだし)

 魚捌きの凄さを目の当たりにした私はそれだけで納得がいくような気がした。でも、私はおばちゃんじゃない。ひとつ息を吐き出して十枚ほど持って水場へと足を動かす。

(……たら洗いかぁ)

 まさか体験することになろうとは。ゴシゴシと慣れない手つきで洗っていく。なかなかに力がいる作業で、慣れない野菜切りに皿洗いで疲れた腕には大分きつい作業だった。一枚一枚を石鹸――石鹸が果たしてこの時代に本当にあったものなのかは不明だ――を駆使して綺麗にしていくが、どこで終わりにしていいものなのかもよく分からない。

 大分集中していたようで、はっとして腕時計をみれば十枚も終わっていない時点で十一時半近くになっていて、慌てて作業を中断して食堂へと駆けていく。

 ああもう、という声は呑み込んで走った。十一時半には昼食を作り始めるから食堂に戻ってくるように言われていたのだ。おばちゃん帰ってきたのかな、帰ってきていたなら一言声をかけてくれても……なんて、そんな理不尽なことを考えても仕方ない。

 私はそんな甘やかされることが許されるような立場ではないのだから。だけど、でも、なんて言葉を呑みこんで走る。

 大丈夫、上手くやれる。
 上手くやれなくても、やらなきゃ。
 ――そうじゃなきゃ、きっと。


 ***


 昼食時も朝食時とほぼ変わらない状況で、朝のような凍った雰囲気にまではならなかったものの、視線は痛いほどに突き刺さってきた。今日の昼食はメニューがひとつだけだったために注文をきく必要がなかった。それが私にどれほどの安堵をもたらしたことか。対峙するだけでもああなのにこれで注文をきくなんて怖いなと思ったけれど明日からのことは今は考えない。食事を終えて、お盆をカウンターに置いていく際に向けられる彼らの視線を、どうにか受け流してほっと息を吐く。

 一度生まれた恐怖はそう簡単に消せるものじゃないんだと手にかいた汗を感じながら思った。

 昼食時をどうにかやり過ごし、おばちゃんに洗濯も薪割りも終わっていないことを伝えると、若干呆れられたものの仕方ないわねえと嘆息され、その後に皿洗いはいいからそっちをやってくるように言われ、先ほど洗濯物を置いた場所へと向かった。

 首を回すと骨がぼきぼきと鳴る。

 仕方ないわねって言われてもねえ、私は素人なんだってば。おばちゃんじゃないんだからあんな短時間でこんなの終わるわけないじゃん。そもそも洗濯なんて今まで洗濯機に放り投げれば良かったんだし、薪割りなんて必要なかったんだからとか何とか、愚痴を心の中で零しつつ手を動かす。ここで放棄なんてしたら衣食住の保証を失ってしまうのは分かりきっていた。やるしかない。慣れないことを長時間続けた腕は大分悲鳴を上げているが、終わさないことには休むこともままならない。

「…………つかれた」

 洗濯物を終えた頃には夕方の四時ちょっと過ぎになっていたけれど、いつにない達成感に満ちていた。

(頑張ったと思うんだよ、私。だって三時間で十枚未満だったのを三時間で四十枚以上洗ったんだよ? やればできるさ、何事も。てか、五時にはまた食堂に行かなきゃだし、薪割りもやんなきゃだし…………あー……)

 そう思うものの、どうにも体が動かない。

 数日前までたかが普通の女子高校生だった私が、こうも立て続けに慣れない労働をしているのだ。疲れないはずがない。客観的にみれば、実に滑稽なことだろう。

「ふぅ……」

 綺麗な青をしていた空も紅に染まっていた。

 ここの生徒たちの声があちこちから聞こえてくる。洗濯に必死で今まで認識していなかった声だ。何を言っているかまでは聞き取れないけれど、楽しそうに笑っているのを聞いて一人和んだ。そっと息を吐き出す。疲れたな……。



「ねえ、おえて」



 一息吐いたところで、干し終わった洗濯物を一瞥し薪割りへと移る。
 洗濯物が乾かないのではないかとおばちゃんに言ったところ夜もそのままでいいらしい。……ちょっと意外だった。盗まれたりはしないのだろうか。……しないか。そうだった、ここは忍者の学校だったっけ。

(……っと薪は)

 ざっとみて五十本近くあった。
 あははと乾いた笑みを一人浮かべてみても、どうにもならない。私の目の錯覚かもしれないことを祈って一度目を瞑ってみるも、開けた先は何も変わらなかった。
 薪を割るのにどのくらいかかるのか。この薪たちは今日のお風呂を沸かすのに必要とのことで、皆が夕食を食べ終わる頃までに終わしておいてくれと言われたんだけど……?

「むりだって……」

 一時間で全部なんてどう考えたって無理だ。無理、絶対無理。でも、やるしかない。これは居候する上での義務であって、他の誰でもない、私のためにやらなきゃいけないことなんだから。

(疲れてない、疲れてない、大丈夫)

 自分で自分に何度も何度も言い聞かせて、薪割りだけに集中することにして薪を割っていく。初めて触れた斧はとても重かった。重いし慣れないせいで全然上手く割れもしない。腕も痛い。腕の痛みなんかこの際気にしていられない、やらねば命がかかっているのだから。でもどれだけ集中して作業したとしても慣れないことにはやはり時間がかかるというもので、残り十数本というところでタイムオーバー。

(でも、これなら料理を運んだあとにすぐきてやれば終わるよね……)

 汗をぬぐって食堂へと向かう。
 草履の鼻緒が食い込んでいた。

 夕食時も言わずもがな視線は痛かったけれど私はそれどころではなく、手早くお味噌汁とご飯をよそってはお盆を運ぶのに必死だった。なるべく早く終わらせて残りの薪を割らなくてはならないのだから。

 ある程度夕食のピークが過ぎたところでその旨をおばちゃんに伝えたところ、薪を割ってきていいと言われたため、お礼を言って遠慮なく行かせてもらうことにした。そのついでとばかりに、割った薪すべてを忍たま用の風呂場の薪置き場においてきてほしいと頼まれ思わず苦笑するしかなかった。場所分かんないよ……。

 人使い荒いなぁ……なんて愚痴る気力もなかった。


 ***


 よく働く女だと思って見ていた。今朝の一件で怖気づいたかと思っていたが、我々に恐怖心を抱いてはいるものの、表面上は大して変わらない態度で働いている。働かざるを得ないのは当然のことだろうが。

 しばらくはあの女を監視するように言われ初日の今日は私が見ていたが、女は慣れない手つきで洗濯をし薪割りをし、これといった妙な行動をすることはなかった。寧ろ、キチガイとは思えぬほどに、真面目。愚痴すら零さない。

(………………ふん)

 夕食時に突如として姿を消した女に、文次郎は早くも角を出しやがったかなどと喜々としてほざいていたが無視して女の後を追う。他の面々も気になったのか同期全員と五年の鉢屋がついてきていた。物好きめ。

 女が駆けて行った先にあったのは大量の薪で、どうやら薪割りの続きをするらしかった。

「薪割り?」
「あれ、薪割りって風呂当番の仕事じゃないっけ?」
「あとは手の空いてる先生方がしていらしたりもするな」

 常ならばその日の風呂当番が担当する薪割りをあの女がやっていることに対して、皆が疑問に思うのも無理はないだろう。

「学園長先生がおっしゃったらしい」
「うわー……」
「食堂のおばちゃんを通じて洗濯と薪割りを命じたようだ」

 何を考えているのか分からないことが多い学園長先生だが、女に薪割りをさせるとはなかなかに酷なことをする。簡単そうに見えてかなりの力を使うことなど分かり切っているだろうに。それが狙いだとは思うが。

「え、あれ一人で割ったの!?」

 伊作の問いに頷いて答えてやれば、へえ……という驚きを含んだ声があがった。その間にも女は薪を割り終わったらしく十本ほどを抱えて歩き出した。おばちゃんに道を訊いたのか、少しきょろきょろしながらもその行き先は忍たま用の風呂場の薪置き場だった。何回か往復して持っていくつもりなのだろう。よろよろと、おぼつかない足取りが女の疲労感を露わにしていた。

「結構距離あるよなァ…」

 小平太の呟きがその場に浸透した。文次郎はいい気味だと嘲笑っていたが。じっと女の背を見つめる。ここまでの真面目さはある意味、キチガイかもしれないな――。


 ***


 薪を全て運び終わり息をつく。やっと、終わった……!

「んー……ッ」

 背伸びをすればぼきぼきと体のあちこちで嫌な音が鳴った。

 そういえばくのたまの子たちがいない今は、自分がお風呂に入る前に自分で水を汲み、それから火を起こさねばならないらしい。ひとまず自室に戻って寝巻類を持ってこようと歩き出す。
 正直、かなりの疲弊感にこのまま寝てしまいたい。でも、お風呂に入らないと、せめて身体くらいは洗わないと気が済まないのも事実で重い身体を引きずって自室への道を辿った。


 ***


 女が自室に戻るのを見ると皆も自室へと戻って行った。私はというと気になったため女の監視を続けている。一度部屋へ戻り、再び出てきた女がどこに行くのかと思えばどうやら風呂場に行くらしい。

(くのたま用……)

 一瞬躊躇うも仕方あるまいと、地を蹴り屋根へと上がる。そのまま音も無く、女を追う。片膝をつき、女の様子を伺う。お湯を沸かすためにはまず火を起こせなければ意味がないのだが、女は水を汲んできた後で竈に薪を入れ、火おこしを手にしたまま動かない。

(………………?)

 未来からきたと言った女。あの女の話を信じるとすれば、火の起こし方がもしかしたら分からないのかもしれないという仮説が頭をよぎる。しかし、すぐに否定した。


 ――あの女の話を信じたわけではない。


 ***


(どうしよう……何これ、火おこし? えーと……?)

 手に持った火おこしとやらと睨めっこしてみるがまったくもって勝手がわからない。食堂で、おばちゃんの手伝いをしている時は火を起こすのはおばちゃんだったし、その勝手を私が見ている余裕なんてものは存在せず、火の起こし方を聞く時間もなく、その結果がコレだ。……困った。

(吹く……んだよ、ねえ?)

 しばらく考えた後、おばちゃんに聞きにいくしかないと思って立ち上がれば頭に襲ってきた痛み。

「…………っ」

 景色が歪んだ。

 疲れきった足は傾く体を支えられるだけの力はなくあっけなくカクンと折れる。自分で転んでおいて思うのだけれど、大分惨めな転び方だったと思う。現に着物の裾が酷く汚れてしまった。

(あーあ……汚しちゃった……)

 ぱんぱんっと土を払えるだけ払って震える足を叱咤して立ち上がる。ぱたぱたと雫が落ちた。

(まだおばちゃんいるかな)
(いてくれないと困るんだけど……)

 疲労で小刻みに震える足を叱咤して駆け足で食堂へ向かう。目が熱い。……どうして、わたし、こんなことになったんだろう。ねえ、だれか、おしえて――。


 ***


 女がよろけたその瞬間、思わず駆け寄ろうとした自分に嫌気が差した。

(これもあいつら二人のせいか……!)

 福富しんべヱと山村喜三太、あの後輩二人が現れるとろくなことがないのだ。これまでのことを思いだすだけで眉間に皺が寄った。あいつらはいつも危なかっしいからな……。

 女が立ち去った場所に音もなく着地し、火おこしを手に取る。

 無自覚かは分からないがボソボソとどうやって使うんだろうなどと言っていたのを見るに、本当に分からないのだろう。いくら敵であったとしても風呂くらい沸かせるだろう、この時代の者ならば。赤子でない限り誰にだって。これは生きていく為の術だ。
 だからといって、女の話を信じたわけではない。情に訴えられたわけでもない。ふ……と、ひとつ息を吐き出して火をつけてやる。

(おばちゃんもいないだろうしな)

 おそらくおばちゃんを捜しに行ったであろう女にとっては残念極まりないだろうが、おばちゃんは夕食時にこれから学園長と飲むのよーとか何とか言っていたはずだ。あの女のことだ、そんな話を聞いている余裕などなかったのだろう。

 橙色に揺れる炎を一瞥して去る。
 ……もうここに用はない。


 ***


 おばちゃんがいなくて火がつけられない、つまりお風呂に入れない。いや、お風呂は男性用と女性用との二つしかないと聞いているから、おばちゃんが来るのを待っていれば――……でも、何時来るか分からないし、ここの人たちが毎日お風呂に入るものなのかどうかも分からない。おばちゃんが今日はお風呂に入らないという可能性だってあるだろう。そうだとしたら待つだけ無駄だし、はぁ……と重たい息が口から零れた。

(今夜はお風呂無理とか……はぁ)

 こうしてみると、ほとほと現代文明の便利さを思い知る。洗剤を入れてスイッチひとつで終わる洗濯に、スイッチひとつで炊きあがるご飯、蛇口を捻れば暖かいお湯が出てくる現代。お風呂だってスイッチひとつで沸く。こんな手間をかけるものではない。

(不便だ……すっごく)

 あるものがないことはとても不便だった。あることが当たり前の世界じゃ気付けなかったけれど、現代文明は非常に便利なもので、その存在がとても有難いものだったことに気付く。あって当然の生活をしていた。なかったらどうするかなんてこと考えたこともなかった。

 悪あがきにもう一度挑戦してみようと風呂場に戻れば見えたのは橙色の炎。

「……………、……」

 くるりと周りを見渡しても人がいるような気配はなかった。

(……だれだろう)

 火を灯してくれたであろう人にありがとう、とそっと小さく呟いて有難く使わせてもらうことにした。


(垣間見える優しさ、)

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