(参考:第一部/38+39話)
五年生の女装の授業に付き添って町へと赴いた日の夕方のお話。
***
「あ、そういえばね、久々知くん。今日は豆腐定食あるって、おばちゃんが言ってたよ」
五年生の女装の授業のついでに町へと連れ出してもらったお礼にでもなればいいと思って、他の五年生四人がすでに教室へと戻ったのに対し、私を私の部屋まで送ってくれた後に教室へと戻ろうとしていた久々知くんに告げた言葉。
そんなに大きな声で言ったわけじゃないから教室への道のりを歩み始め、私とは少し距離の開いてしまった彼に聞こえなかったら聞こえなかったで仕方がないと思ったけれど、彼、久々知くんは豆腐と私が零した瞬間にこちらを振り向いた。
「ッよっしゃあああ!!!」
(あ、聞こえたんだ……)
こちらを見つめて数秒、久々知くんは大きすぎる声でそう叫んだ。女装の授業というのは学園から出てから学園に戻ってくるまでだったというから、学園の敷地内に戻ってきた今、美女の姿でガッツポーズを決め大声で叫んでも何ら問題はないのだろうが、違和感はぬぐえない。
予想を上回る彼の歓喜ぶりに驚くも、喜んでもらえたなら良かったと表情を緩ませた。
「雛さんッ! それ嘘じゃないよな?!」
「ッ!? く、久々知くん……」
「俺、いくら雛さんでもこれで嘘でしたなんて言ったら怒るよ!?」
「ッいや……あの……!」
ほっとしたのも束の間で、一瞬瞳を閉じた次の瞬間、この眼が映したのは久々知くんのものだと思われるどこから見ても女の人にしか見えないほど綺麗な顔のドアップだった。
(なぜ……?!)
どくどくと心臓が大きく高鳴る。
忍というのはこうして、一瞬にして距離を詰めれるものなのか。それとも私の動体視力が悪いだけなのか。どちらにせよ、必要以上に狭まりすぎた私と久々知くんの距離に心臓を跳ねさせずにはいられない。
「雛さん! まさか本当に嘘だったなんて言わないよな……?」
「うん……いや、その……」
(近い……!)
(近いんだよ、久々知くん!)
あまりの顔と顔の距離の近さに言葉を発するどころじゃなくなっている私を目の前に、久々知くんは返答を求めて更にずいっと顔を近づけてくるではないか。私が瞬時にのけぞらなければぶつかっていたかもしれない私のと彼の唇。
そんな事実に夕日のせいじゃなくても、顔が赤くなっていくのが自分でも分かった。
「ッ…………!」
「なあ、雛さん! 俺、雛さんは俺を騙すようなことしないと思うし、出来るような人じゃないとは思うけどさ……答えてくれなきゃ俺泣くよ?!」
「や……泣くとか、あの……」
久々知くんに泣かれては困ってしまう。しかしながら、現在進行形で私はすでに困っているのだからまずはこの状況を変えていただきたい。
普段の久々知くんからこう意味が違えど迫られているのならばまだ良いかもしれないが、彼の姿はどこからどう見ても女の人そのものだ。目の前にある顔と比べたら見劣りはするが私も女。すなわち、女が女に迫っているようにしかみえない。この状況は非常にいただけない、まずい、おかしい。
(だれかたすけて、まじめに……!)
久々知くんとの距離が近くなったようで嬉しく思うも、これはいただけない。そうこう思案している間にもずいずいと顔を近づけてくる久々知くんから視線をどうにか逸らした瞬間、見えた人影。久々知くんの斜め後ろの方に突如として現れた瓜二つのその顔。
鉢屋くんと不破くんだった。
私の視線に二人とも気付いているのか、不破くんは苦笑しており鉢屋くんはにやにやしている。どうしてそこでにやにやと見ているだけなのだと叫びたいのは山々なのだけれど、目の前に迫る久々知くんから後退するので精一杯だ。
「雛さん!」
「ッく、くちくん……まず、その……」
(離れてくれないかな……!)
心の内で言うも実際に口にしようとすればパクパクとまるで金魚のようになってしまう。自分で考えているよりもこの状況に動揺しているようだった。
「兵助。あわあわしている西園寺さんも見物だがな、遊ぶのはそこらへんにしとけ」
「三郎……兵助は遊んでるわけじゃないと思うんだけど……」
「どうしてこんな不思議な状況になったかは分からないが面白いことに変わりはないじゃないか」
「面白いって……まあ、とりあえず兵助。雛さんにそんな近付いちゃ雛さんが困っちゃうよ」
「遠くから見ると女が女に迫っているようだしな」
女装姿から普段の忍装束に戻った二人からかかった声に、少しの間固まっていた久々知くんだけれども鉢屋くんの女が女に迫っているという一言でこの状況のまずさというものを瞬時に理解し我に返ったらしく、ばっと思い切り私から距離を取った。
(……それはそれで)
少し傷つくものがあったりもするのだけれど。そんな小さな寂しさを苦笑でカバーしてあたふたとし始めた久々知くんに向き直る。
「……西園寺さん。あんた、もしかしてさ、兵助に豆腐の話とかした?」
鉢屋くんの言葉にひとつ頷きを返せば、溜め息が返ってきた。
「西園寺さんも薄々分かっていたかもしれないが、こいつ、豆腐のこととなると目がないから」
「兵助、豆腐大好きだから仕方ないよね」
「う……ッ好きなもんは好きなんだから仕方ないだろ! 豆腐が好きで悪いか!」
「「「…………」」」
久々知くんからの盛大な豆腐への告白はしんと静まった夕闇の中に溶けて、やがては笑いを誘った。
(……可愛いこと言うなあ)
先ほどまでの妙な緊張感から解放されたこともあって、私も素直に笑った。三人で笑ってしまえば久々知くんの顔がうっすらと赤く色づく始末で、結局はそれも私たちの笑いを誘ってしまった。
「俺は豆腐が好きなの! ッいい加減、笑うのやめてくれ……!」
開き直ったかのようにそう告げた久々知くんの顔には、恥ずかしさの中にもどこか優しさが含まれていて、それは私にとってひどく嬉しいものに違いなかった。
(望んでいた)
(願っていた)
いつか、彼らと共に笑えることを。
いつか、彼らが仲間内に見せる優しさに触れることを。
「久々知くん。一応おばちゃんのところに行って聞いてみる……?」
温かさで満ちた胸。小さな幸せを抱えながら告げた言葉に返ってきた言葉は勿論のこと、イエス。確認後、久々知くんがとろけるような笑顔で言った敬語混じりの言葉に微笑まずにはいられなかった。
「――雛さん。雛さんも今日は豆腐定食取ってくださいよ。で、今日の雛さんの豆腐は俺にください。……俺に恥ずかしい思いをさせた罰として」
(了解しました)
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