雛唄、 | ナノ

05


 布団に入ったはいいものの、二日も寝ていたともなれば眠気がやってくるはずもなく、微かにうとうとしていただけで朝になってしまった。日はまだ昇っていないのか、外はうっすらと暗い。灰色だ。早朝。こんな時間に起きていられるなんて、朝が苦手な私には大分貴重な気がした。
 そんな些細なことに少しだけ気分は高まって、土井先生から昨夜案内をしてもらった井戸へ記憶を辿りつつ向かい、どうにか水を汲み上げ顔を洗った。口も濯ぐ。客室からそんなに遠い場所じゃなくて助かった。遠かったら迷っていたかもしれない。

 随分と桶が重たかった。
 そんなに汲み上げてはいないはずなのに。

(…………つめたい)

 土井先生の協力の下、腕時計の時間は昨日のうちに合わせておいた。その腕時計を見やれば現在の時刻は五時ちょっと前。少し肌寒い。部屋に戻ってポーチから櫛とゴムを取り出して髪を一本に結んだ。

(まずは食堂のお手伝いから、と)

 昨日教えてもらった、私への衣食住の保障への条件は学園内の諸々の手伝いという名の雑用をすることだった。そのひとつに食堂のおばちゃんの手伝いがあったけれど、食堂のお手伝いとは何をすればいいんだろう。いきなり料理を自分一人で作れとは言われないことを願う。今までほとんど台所に立ってこなかったことから料理は得意とは言えない。切る、炒めるくらいはできるだろうけど……。どうかな。

 そんなことを考えながら、食堂のおばちゃんが忍たまの中でも大分インパクトの強い存在であったことを思い出した。確か、お残しを許してくれないんだったかな。恐い顔でお残しは許しまへんで! と言っていたような気がする。

(本当に言ったら面白いかも)

 昨日はただにこにこと笑っている至極普通の優しそうなおばちゃんだったから。
 
 何時頃から朝食の準備をするのか分からないし、手伝いの内容も把握していないし、そもそも今日の朝食作りから始めていいのかも分からない。でも手伝わないよりは早めに手伝いを始めた方がきっといいだろうと思い、食堂への道を辿る。昨夜、着物と同じように土井先生に与えられた草履を引っ掛けるようにして歩く。履き慣れない草履の鼻緒が指の間に食い込むようで少し痛い。

(内履きにすれば良かったな……)

 ……でもきっと、あんまり変な格好はしてない方がいいんだろうな。
 多分こっちだったはず、とちょっとうろうろしてしまったけれど昨日訪れた食堂へ辿り着いて、閉められた戸に表からも裏からも声をかけてみたものの返事は返ってこなかった。

(早すぎたっぽい……)

 おばちゃんが何時やってくるか分からない現状で部屋に引き返すことも出来ず何もすることがないため、近くにあった大きな石の上に座って日の出を呆けて見ていればそれなりに時間が経ったらしい。起床時間を知らせるものだろうか、鐘がゴーン……と鳴り響いてから少しして、近くから声を掛けられた。昨日と同様にいきなり声を掛けられて私の心臓は思い切り跳ね上がった。ああもう心臓に悪い……!

「あらぁ、どうしたの? そんなところに座って」
「っあ、おはようございます……。えと、ここで手伝うように言われて、て……」

 反射的に声のした方を向けばそこにいたのは食堂のおばちゃんだった。おばちゃんに言葉を返すも緊張のためか、舌がよく回らず拙いものになってしまった。

「あら、そうなの? 助かるわあ! じゃあ早速お願いしていいかしら」

 私の拙い言葉に気を悪くするでもなく、にこにこと笑って中へ入るように促してきたおばちゃんに続き、おずおずと中に入る。

「じゃあ、手を洗ってって……あ! その前に名前聞いてもいいかしら? 昨日、聞きそびれちゃったでしょう?」
「西園寺、雛です。よろしくお願いします……」
「雛ちゃんね、よろしくお願いするわ」

 私のことをどこまで聞いているのかいないのか分からないけれど、おばちゃんは私にどうやら普通に接してくれるらしい。内心びくびくとしていた私を落ち着かせるかのように取られた手に表情が緩んだ。きゅっと握り返す。

「さあ、あと半刻もしたら皆くるからね! 気合い入れて作るわよう!」

 おばちゃんの元気な声を合図に朝食作りが始まった。おばちゃんの明るさに救われたのは言うまでもない。まだ、あまり考えたくなかった。今の私の状況も。私の、これからも。


 ***


(…………大量です)
(予想以上に作るんですね)

 ここの生徒は何人いるんですかと訊こうとしたけれど、口を動かす暇があったら手を動かして! と怒鳴られ必死に野菜を切っている。おばちゃん、料理のこととなると人格が変わっているような気がする。

 魚も切ってと言われるも、魚の切り方なんていうものは家事をほとんど手伝ったこともなくのほほんのほほんと暮らしてきた私には授業の一環で何度かやっただけで分かるわけがなく……という屁理屈じみた言葉は呑み込んで、すみません出来ませんと丁重にお断りした。
 魚に野菜に豆腐……それぞれの量が半端ない。
 包丁を使うことに慣れていない私は手を切らないように頑張るだけでいっぱいいっぱいだというのに、対するおばちゃんは…………うん、なんだろう。

(ここに達人がいるよ、達人)

 おばちゃんの素晴らしく速く、それでいて丁寧かつ的確な包丁捌きにしばしば見入ってしまった。驚きしかなかった。
 また、シャンプーやらリンスはあるくせにやはり電気は普及していないのか、ご飯は釜飯で、ただ純粋に新鮮だと思った。結局、味付けやら何やらまったく素人の私に任されたのは、生徒が食堂へ来る前は野菜と豆腐を指示通りに切って、出来上がったものを盛り付けていくこと。生徒が来てからはお味噌汁やご飯をその都度よそっていくこと、カウンターに料理を載せたお盆を出すこと等々。

 簡単なようにみえて、いざ実行しようとするとそれはとても難しかった。



「ねえ、くしい」



 朝食の手伝いをし始めて大体一時間が経った頃だろうか、外がガヤガヤとうるさくなってきたのに気付いた。七時半くらいかなあと思って腕時計をそっと確認すると、その針は七時二十分過ぎを指していた。

「おはようございまーす!」
「お、来たようだね。じゃあ、早速だけど雛ちゃん! 料理が冷めちゃうから何事も手早くね!」
「え、あ……はい」

(どうしよう、すっごく緊張する……)

 強張った面持ちでカウンターに立つ。人数を確認するためだ。覚悟を決める前に、どっと目の前に流れ込んできた同じ模様の服を着た子たち。そのきょとんとした顔、顔、顔。この状況に身体が固まる。こうなるだろうとは予想していたとはいえ視線が痛い。私よりずっと背丈の低い十人くらいの男の子たち。何か言われるものかと身構えるも、「誰?」と問われることもなく何も言われないものだから、逆にどうしたらいいか分からなくて声を出すのに戸惑ってしまう。

(えーと……とりあえず)

 子どもたちの視線から逃れるように身体を反転させて、既に全ての料理が載せられたお盆を中からカウンターへと出す。無言のまま四つほど出して、おばちゃんが他の料理を載せていくのを横目にお味噌汁とご飯をよそっては載せていく。そしてまた四つほど出した。
 その間、「あの人、だぁれ?」「知らなーい」「お手伝いさん?」「忙しいみたいだし聞くのは後でにしたら?」などという会話が耳に入ったものの、何も言葉を発せなかった。礼儀正しい子たちのようで、料理を受け取るとちゃんと礼を告げてから各自お盆を持って、席へと歩いていった。その姿をある程度眺めて、ほっと息を吐く。

 そのうちに続々と男の子たちがやってきたため、同じようにお味噌汁とご飯をよそってお椀を載せてお盆を台からカウンターへと移す作業を繰り返すことしばらく。突然、「先輩、おはようございまあす!」と言った声がどっとあがり生徒たちの視線の先をそっと辿れば、見るからに上級生といった面々がいた。

(……イケメンがいる)

 紫に青に緑……と、昨日会ったあの綺麗な人もいた。
 ぼけっと突っ立っていると、後ろから雛ちゃん! ぼさっとしてない! とそう怒鳴られ我に返った。そうだった。手早く料理を出すために、ぼけっとしてはいられないんだった。はっとして再び作業に戻る。

 食堂からの視線が痛かったのは元々だったけれど、先輩という上級生らしき生徒たちがきてからというものそれは一層強くなった。それでも、人数を把握するために彼らの方もちゃんと見なければならない。落ち着いてきたはずの心臓がドクドクとはやくなる。大丈夫、大丈夫と言い聞かせてカウンターへと身を反転させた。その瞬間――。

「――……ッ」

 視線が痛いなんてものじゃない。


 ――これは、


「…………ッ!」

 誰かから発せられた鋭い気を肌で感じ取ったであろう生徒たちも手をとめて私の方を見ているのだろう。じっとりと嫌な汗が流れ出るのを感じた。変わらず私の後ろで作業に勤しんでいる、おばちゃんの生み出す音だけがやけに大きく聞こえる。私の目の前に立つ人たちが纏う色が緑だということを認識した後は、自然と私の視線は自身の足元へと下がった。

「――毒なんて入れてないだろうな」

 低く渋い声が響く。
 そんな物入れてないと否定する前に別の声が飛んだ。

「まあまあ、文次郎。そう殺気だっちゃだめだよ。ほら、皆見てるしさ」
「伊作、この女は素性が知れん。文次郎の言うことも一理あるだろう」
「そりゃそうだけど……」

 苦しい。
 クルシイ。
 ……息が、苦しい。

 カタカタと己の手と足が震えていることに気付いた。思わず自身の冷たい手を握り締める。

(くるし、い)

「……まあ、いい。あいつらを見ている限り毒は入っていないようだしな、腹も減った。女、さっさと動け」

 その言葉を聞いてどうにか身体を動かす。

(ッよかった……!)

 お味噌汁とご飯をよそい、お盆をカウンターへと運んでいく。ぎこちない足取りに、カタカタと震えたままの手で危うくお椀もお盆もひっくり返しそうにもなりながらも、同じことを事務的に繰り返した。食堂内から私へと向けられているであろう視線は相変わらず刃物のような鋭さを纏ったままだったけれど、先ほどの凍ったような空気に比べればきっとマシなのだと思う。どくどく、どくどく。しかしながら、心臓の音が鳴り止むことはない。


 ――……コワイ。


 ***


 普通の子だと思った。どうやら未来からきたとか不思議なことを言ったみたいだけど。仙蔵が昨日彼女のことについて話してくれて僕たち六年は大体の事情は知った。四年生と五年生には早朝演習の後で先ほど食堂へと入る前に端的に話しておいたけれど、下級生にはまだ全くと言っていいほど彼女のことは伝わっていない。伝えてもいない。

(きっと驚いたんじゃないかなぁ)

 食堂に着いて早々、彼女の姿を見とめた文次郎が殺気立つものだから下級生も同じように警戒心丸出し。……もう!

 保健委員長である僕からみれば、あの奇妙な衣ではなく、僕たちが見慣れた小袖をその身に纏った彼女は、髪を一本にまとめていて衛生的にも問題はないし、武器になるようなものを持っているようにはみえなかった。だから、別にそこまで警戒する必要はないと思ったんだけどなあ……。そんな僕とは反対に、文次郎は違ったようだ。対峙した彼女に文次郎が投げかけた言葉は大分衝撃的で、空気が一瞬凍りついたほどだった。

(毒が入ってないことなんて食べてる子たちみればわかるじゃないの……ほんとにもう!)

 警戒心が人一倍強い彼のことだから仕方ないかもしれないけどね、なんて思わず苦笑した。それに、彼女の手が震えてたことに気づいていながらも、一瞥しただけの自分がなんだか忍らしく思えて少しばかり目を細めてしまう。……ごめんね。


 ***


 女は昨日とは異なって、小袖を纏い、調理場にいた。何をしているのかは一目瞭然としていたが、文次郎がつっかかるのも無理はないと思い事実を述べる。それを聞いているだけの女をちらっと横目で見てみたが、女は俯いていてどのような面持ちをしていたのかは分からなかった。昨日、自身が突き付けた苦無で出来た切り傷が、その首元に走っていた。女の手がカタカタと震えていたのは見ないふりをして、女に動くよう促す。

 ここは忍術学園、忍者のたまごが集う場所。信じるか否かは各々が判断するべきであろう。……下級生にもこのように伝えるか。喧騒を取り戻した食堂内でも、各々が持ったであろう女に対する警戒心は消えることがなかった。


 ***


 見慣れた場所に、知らない女の人がいた。いつもなら、おばちゃんが調理場から大きい声で挨拶を返してくれて、ちょっとお待ちとか言いながらご飯をよそって料理を出してくれるのに。不思議に思って皆で顔を見合わせた後に首をかしげた。女の人は何も言わないし。誰だ? とひそひそと言葉を交わしてみるも誰も知ってるやつはいなかった。その人に直接訊こうしたけどそれも結局出来ず仕舞い。ま、忙しそうにしてたし名前を訊けるような雰囲気でもなかったけどさあ……。

 最初の方こそ、「あの人誰だ?」なんて皆興味を持っていたものの、数分も経てば話題は別のものにすり替わっていていつもと同じように食事をしていた。ちらちらと、あの女の人が気になって俺たちが交互にあの人を見ていたことだけは、いつもと違ったけれど。気になるもんは気になるんだから仕方ないだろ?

 そんな中に先輩たちが食堂に入ってきた。いつもなら、上級生がまとまって入ってくることなんてないのに。変なことはそれだけじゃなかった。先輩たちはその人のことをかなり怪しんでいるみたいで、潮江先輩が殺気を醸し出したときなんかは流石にびびったものだ。おっかねーったらねー。ただでさえいっつも隈だらけで鬼みたいな人だから余計だった。

「そんなに危ない人なのか? あの人」

 隣に座っていた乱太郎としんべヱにこそこそと耳打ちをしても二人して困った表情を浮かべるだけだった。

「でも、きりちゃん。潮江先輩殺気立ってるし……」

 それにしても、毒という単語。それには思わず体温がさあっと下がった。結局のところ毒は誰の食事にも入ってなかったみたいだしよかったけどさ。

(……一体なんなんだろうな、あの人)


(ほんの挨拶代わりの邂逅)

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