雛唄、 | ナノ

04


 客室に案内されてからというもの、二時間くらい前に起きたばかりの私がいくら布団でごろごろしていても眠れるはずはなく。暗がりの中、圏外と表示された携帯を悪あがきに弄ってみたりしたものの、やはり誰にも繋がらなかった。メールも送れない。インターネットにも当然のことながら接続できず、画面がやけに眩しいだけだった。役立たずな携帯を放り投げ、縁側に出て月を眺めていたところに突如として控え目な声がかかって大きく肩が跳ねた。ばくばくと脈が激しい。

「――ちょっと、いいかな」

 声のした方に顔を向ける。動こうにも身体が硬くなっていたようで顔を動かすのがやっとだった。
 すっと開かれた戸。そこにいたのは蝋燭を手にした一人の青年――教師と思しき人――だった。蝋燭のゆらゆらとした灯りとその人の纏う色が黒かったこともあり、伸びた影が不気味に感じられて少しだけ、怖い。

「………………」

 声を出さずに、正確には声が出ずに、その人物を見上げれば彼は苦笑して縁側に腰掛けたまま動かない私のところへと近付いてきた。

「えーと、その、はじめまして。学園長先生から話を聞いたんだ。ここにいると聞いたからね、灯りと服を持ってきたんだよ」
「あ、ありがとうございます」

 灯りも服もとても有り難かった。特に灯りは、あの綺麗な男の子に必要かと訊かれた時に必要だと言わなかったことを後悔していたところだったから。軽率に大丈夫なんて言わなければよかった。
 私の返した小さな声に微笑を浮かべたその人は、ここに置いておくよ、と灯りと服を文机の上に置いて私に向き合うように座った。月の光によって先程よりもはっきりと浮かび上がった青年の姿。その顔は整っており、私よりも年上のようで二十代半ばくらいにみえる。

「私は土井半助。ここで教師をしていて、一年は組を担当している者だ。君の名前を教えてもらってもいいかい? それから、私は君のことを頼まれたからね。空いている時間をみて学園内を案内しようと思うんだが……」


 ――どうだろう?


 なんて首を傾げられて断る理由もない私は戸惑いがちに頷いた。

「あー……迷惑だったかい?」

 私の反応が薄かったからか、私が土井先生が来たことを迷惑に思っているとでも誤解しているらしい。そんな彼に迷惑だなんてとんでもないと言うに言えず歯痒い。

「ッその、迷惑じゃなくて、えと……」

 なんといっていいか分からない。迷惑じゃない。迷惑どころか有り難いだけなのに素直にそう言えないのは何故だろう。言葉を探しあぐねている私の心情をなんとなく察したのか、目の前の人が苦笑したのが分かる。そして、

「私の担当する一年は組の生徒たちはどうも、こう……いろいろと問題を巻き起こす質でね。君が、その……本当に未来から来たのだとしても今のところ害はなさそうだし、だから、」


 ――大丈夫だ。


 その一言と同時に頭を撫でられた。

「…………ッ」

 根拠のない「大丈夫」という言葉がいつも他人事のように聞こえて私はあまり好きじゃなかった。自分が零す「大丈夫」も。だって本当はそうじゃない。

 だけど。
 頬を一筋の涙が流れ落ちて。

 そんな私に先生は一瞬瞠目したあと、そっと微笑んで頭を撫でてくれた。その手のぬくもりを感じながら、ああ、私は不安だったんだなあなんてそれこそ他人事のように納得した。あたたかな、掌だった。


 ***


 学園長先生から夜に急な招集がかかり、教師陣が学園長先生の前に集ったのはつい先程のことだ。
 二日前、忍たまの六年生が妙な服を着た女の子を連れ帰ったことについては知っていたが、どうやらその彼女が目を覚ましたらしい。彼女のことについて話されるにつれて教師陣の間にもささやかな動揺が走った。

(未来から来た……?)

 未来から来ただなんて、そんなことがあるのだろうか。
 そして最後に学園長先生が彼女をここで預ることにしたと口にした時、その動揺は凄まじいものとなった。それはそうだろう。未来から来たなどという話をすぐに信じられるわけがない。そんな怪しい者を預かって何が起こるか分からないのだ。学園長先生を暗殺しようと画策する輩も多く、この学園自体を狙っている奴らもいるというのに。

 彼女をからくり付き客室の一室に住まわせるという学園長先生に抗議した者もいたが結局は学園長先生のやかましいの一言で静まり、これからの彼女への処置をどうするかの話し合いへ。決定とされたのは、彼女には衣食住を保障する代わりに学園内の諸々の雑用を手伝ってもらうこと。そして、世話役と題して私が彼女の面倒をみるように仰せつかったのだった。

(ただでさえ、は組は大変なのに……!)

 時間にしてみれば短い会議であったのにその内容は濃く、気分は憂鬱以外の何物でもない。同じ一年は組担当の山田先生には苦笑されてしまった。代わってほしいものだが、適任でしょうと言われ言葉もない。

 今日のところは六年生の立花仙蔵に監視役を兼ねて彼女を食堂へ連れて行かせ、そのまま客室に行かせたとのことだったため、灯りと服を持ってその部屋へと向かうことにし、道すがら学園内にある女性用の着物を何枚か拝借させてもらった。

 彼女を初めて目にしたのは月明かりが差し込んでいる縁側で、座ってこちらを見上げるどこか憂いを帯びた顔が綺麗だと思った。灯りと服を文机の上に置いて彼女に向き合って座る。室内には元から置いてある文机に掛け軸、壺の他、無造作に敷かれた布団と、彼女のものらしい荷物、それ以外の物は見受けられなかった。

(武器になりそうなものはっと……うん。何も持ってないな)

 彼女が纏っているのは薄い生地の服で、何か仕込んであったらすぐに分かるはずだ。
 名前を聞けば西園寺雛というらしい。学園長先生が仰られていた名前と一致している。偽名、という可能性は低そうだ。年は十七だと聞いていたがそんなところだろう。
 少し話をしても彼女の反応は薄かった。

(……迷惑だったか?)

 そう思い尋ねれば違うと返ってくるが、彼女自身がなんと言っていいか分からないようで視線を彷徨わせて言葉を探す姿を見てああそうか、と思い当たる。すとん、と不思議なくらいまっすぐに落ちてきたのは不安という言葉。この子の話がもしも本当ならば戦のないような世界からいきなり一人で知らない場所に飛ばされたことになる。表情には出ていないが不安になるのも無理はないのだろう。


 ――大丈夫だ。


 そう呟いて、あの子たちにしているように頭を撫でてやる。すると、その頬から流れ落ちていった涙。

(ああ、やっぱり……)

 そのまま微笑んで、出来るだけ優しく撫でる。彼女について、話を聞いた当初に抱いた警戒心はなくなりつつあった。勘、とでもいうのだろうか。この子はきっと――、という。



「ねえ、きいて」



 泣いている間、土井先生はずっと頭を撫でてくれていた。涙を流すだけ流した今、この状況を理解するとなかなかに気恥ずかしいことに気付き、微かに肌が熱くなってきた。

「ッあの、もう大丈夫です……」

 気恥ずかしさから消え入りそうな声で訴えると彼はああ、と言って手を離してくれた。彼にとっては何ともないことだったのだろうけれど、恥ずかしさの余韻から土井先生の顔が見れない。

「雛ちゃん、お風呂入るかい?」

 視線を下げたままだった私に掛けられた言葉。それに思わずえ、と声を漏らす。同時に顔を上げた私に彼は慌てて付け足した。

「今日はもう遅いからくのたま用の……ええっと、つまり女性用のお風呂は用意できないから、忍たま用のお風呂でよかったら。もちろん湯は変える。あ、あと、雛ちゃんと呼んでもいいかい?」

 お風呂に入りたいと願っていた私にはとても嬉しい内容だった。お願いしますと頼めば彼は笑って、じゃあちょっと待っててと言って部屋から出て行った。彼の後者の問いに首を縦に振ったのは当然だった。

(……土井先生、いい人だ)

 優しい人なのだろうと思う。

 その後、風呂場に案内された私は無事にお風呂に入ることができた。何故、忍者がいるような時代にシャンプーやリンスといったものがあるのか不思議でたまらなかったけれど、深くは考えないことにしよう……。私としては有り難いことなのだから。
 お風呂に向かう途中、平安時代のごとく髪は何日かに一度しか洗えないのかななんて考えを巡らせていたのだし、ひとつでも私の知るものが存在していることは心に余裕を与えてくれる。

 お風呂上がりには、土井先生に私のこれからのことについて話を聞いた。ここに置いてもらえる代わりに、私には課せらせた仕事があるということ。とりあえず毎朝早起きしなきゃいけないなと思いながら、

(…………頑張んなきゃ)

 私の想像を遥かに超える労働が待っていたのは露知らず、強い輝きを放つ月を一人静かに見つめていた。


(あたたかさに触れる)

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