雛唄、 | ナノ

01


 それはまるで陽だまりに溶け込んだかのように。


 今年は各学年の夏休みが、夏休み前に行った学園長先生による突然の思いつきこと、略して夏休み争奪競争の順位によって決まったため新学期が始まる時期というのも各学年でばらばらだったのは当然だった。けれど、全生徒、教職員の夏休みが昨日で終わった今日、改めて新学期の始まりを学園長先生が告げるという。つまりは、始業式を行っている今現在。

 朝食後、食器を洗おうとしたら、何故か私は突如として現れた七松くんにひょいっといつかと同じように肩に担がれ何時の間にかグラウンドにいた。ちゃっかり小松田くんの隣に。私をそこに置いて満足したのかただ笑って六年生の列へと戻っていった七松くんに言葉を発する暇もなかったなあと苦笑が漏れるも、来てしまったものは来てしまったのだからと大人しく学園長先生の挨拶やらを聞いていた。

 現代でいうところの八月の下旬。

 蝉の声も徐々に止んできた。まだ学園の庭先では見かけることはないけれど、山の中や森の中では蜻蛉の姿もちらほら見受けられるらしい。実家から戻ってきた子たちがそれはそれは楽しそうに夏の思い出などと一緒に話してくれた。私も何度か裏山などへ連れていってもらったものの、まだその時は蜻蛉はいなかったなあと一人静かに思い出す。

 緑の葉が黄色や紅に染まるのもきっとそう遠くはないんだと思う。ここは自然が多いから、さぞかし綺麗な紅葉が見れることだろう。空気も澄んでいて綺麗だし。その分、そこまで鼻が利くわけでもない私でも火薬の匂いは分かる。排気ガスなどが充満していない場所での風が運んでくる火薬の匂いというものは鼻につくものだった。

 火縄銃やらカノン砲やら、焙烙火矢やら何やらといった火器をここの生徒たちは闘うための術のひとつとして、生きるための術として扱うというのだから、何とも言えない感情が最近では胸中を渦巻いていた。

 火傷の痕を、怪我の痕をみたからだろうか。

 ここに馴染むということは、外の世界のこともクリアになっていくということで、それは彼らの生き様をより鮮明に映し出した。指先に残る火傷の痕。腕に走る切り傷の痕。時には顔にも武器によってつけられたであろう痕があった。それらを見つける度、私は何も言わないけれど、彼らも気にしているようにはみえないけれど、何とも言えなくてそれでいて違うんだとただ思った。

 異質、と感じる。
 何もかもが。


 ――わたしもせかいもかれらも。


 学園長先生の言葉を右から左に聞き流しながら自身で生み出した言葉が不意に心を突き刺す。ちくり、と走った痛みに微かに頭を振った。忘れてはいけない、忘れられない。それでも。

 それでも、私はこの世界でこの場所で今、生きてる。

「…………生きてるよね」
「当たり前だ、馬鹿者」
「……何時の間に終わったの」
「さっき、お前が頭を振っていたところでだな」
「西園寺。お前、絶対学園長先生の話聞いてなかっただろ」
「私も聞いてなかったぞ! な、長次!」
「………………もそ」
「小平太、お前それ……大声で自慢できることじゃねえだろ」

 緑。

 いつの間にか終わっていたらしい始業式。いつの間にか目の前に集っていた萌黄色を身に纏った集団。私が妙にしんみりと感傷に浸っている場面はばっちり目撃されていたらしい。潮江くん曰く、周囲の様子を探るのは当然とのこと。そりゃそうかもしれないけど、なんだかなあなんて呟いたらバカタレと言われてしまった。

 苦笑してしまう。

「立花くんたち、授業は?」

 グラウンドをざっと見渡すも彼らと私以外の他は散ってしまったようだ。確か、午前中は座学で午後は実技というのが忍術学園の授業らしいから、他学年は皆それぞれ教室へと向かったのだろう。先生方も同じく。だからこそ、彼ら六年生が動く気配もなくここで戯れているのが不思議で、目の前でわいわいと話をしている面々を横目に一人涼しげな表情でそれを眺めている立花くんに問う。

「予算会議だから、授業はない」

 立花くんから返ってきた答えは何ともシンプルなものだった。予算会議だから授業はない……? おそらくこれで学園の人々には伝わるのだと思う。思う、のだけれど。

「……最近思うこと言ってもいいかな」
「……なんだ。くだらんことだったらこの焙烙火矢で吹き飛ばすからな」
「それって理不尽……!」
「黙れ。で、なんだ。さっさと言え」
「……立花くんさ、遠慮がないっていうかなんていうか、意外と面倒くさがりだよね」

 彼ともある程度は自然に話せるようになってきたこの頃気付いたこと。彼は細かいけれど大雑把だということ。自分でも矛盾してるのは分かるけれど、立花くんの態度とか言葉とかから連想するとこうなる。
 面倒くさがり、と言ったところで立花くんがきっとこちらを睨むのだから一瞬にして背筋がしゃんっとなった。美人が凄むと怖いんだってば……!

「この私を面倒くさがりだなどとは、失礼な。雛、私のどこをみたらそんな言葉が出てくるんだ」
「……全体的に?」
「お前も大分、遠慮というものがなくなってきたな……!」

 その言葉と共にぺしっと懐から取り出したのか、扇子で頭をはたかれた。立花くんを見るとその頬が微かにぴくぴくしていて、もしかして自分でも少しは思っていたんじゃないかなぁなんて思った途端に二度目の衝撃。さっきのより倍は力が入ってたと思う。私、口に出してないよね? ……出してないのに伝わるなんて恐ろしい。

「何も叩かなくても……!」
「うるさい、黙れ、この馬鹿者。この私を面倒くさがりだなどと言いおって。……ふん、これくらいの仕打ちで済んで有難く思え」
「だって、立花くんの説明じゃさっぱり分からないんだから仕方な……ッええ!?」

 ばちばちっという音がして、立花くんの手元を見れば焙烙火矢と呼ばれるだろうものの導火線に火がついていて、思わず笑ったら立花くんもそれはそれはイイ笑顔を浮かべたものだから、とりあえずは走ることにする。

「そんなの一般人に出すとか反則だからあ……!!!」

 私が負け犬の遠吠えのごとく叫んだ言葉に後ろからは何故か笑い声が返ってきた。笑ってないで助けてよと叫べば食満くんのであろう言葉が呆れ声と共に降ってきたけれどちっとも嬉しくない言葉だった。

「西園寺、一言多かったな」

 だから、仕方ないだろだなんてそんなの無い。この後、私は結局、わあわあ言いながら立花くんと恐怖の追いかけっこを私の足の限界までするはめになったのだった。焙烙火矢は見せかけだけだったとかほんとそんなの無いと思う。

(でも、楽しかったなあ……なんて)

 彼らと別れてから小さく笑った。
 霧散した何かには気付かないまま。


 ***


「何故、雛さんがお前のところに行く必要があるんだ……!」
「うるさいなッ! 雛さんは僕の仕事をずっと手伝っててくれたんだから当たり前だろ! お前が僕たち四年生の夏休みを無くしたのがそもそもの発端だ、ばーか!」
「くっ……!」

 僕の言葉に顔を歪めた滝夜叉丸にべーっと舌を出す。

 雛さんの右手は僕が、雛さんの左手は滝夜叉丸が引っ張っていて、その真ん中で両手を引っ張られたまま雛さんは交互に僕たちの顔を困惑顔をして伺っている。午後の授業を終えて、今日の放課後に開かれる新学期恒例の予算会議に向けて、僕と滝夜叉丸はすぐさま彼女の元へと走った。

「……人数は多い方が良いからな。それに、西園寺がいるとなると仙蔵や小平太には関係ないだろうが、五年や伊作には有効だろうしな。三木ヱ門……交渉しに行くからには必ず連れてこい。いいな?」

 昨晩、潮江先輩に言われた言葉を思い出す。あの潮江先輩が必ず連れてこいと言ったんだ。彼女を連れていかないと何を言われるか何をさせられるか分かったもんじゃないし、それに僕としても雛さんが予算会議に会計委員の一員として参加してくれるなら心強いし、目の前でムカつく顔を晒している滝夜叉丸の鼻をあかすこともできるから、絶対に彼女を他の委員会に渡すわけにはいかない。

 丁度、事務の仕事を終えて自室に戻るところだったらしい雛さんを捕まえたのは多分十分くらい前。幸運なことにも僕たちが一番乗りだった。

「「雛さんっ! 予算会議手伝ってください!」」

 突然の僕たちの申し出に彼女がきょとんとするのも無理はなかった。彼女と一緒にいる時に僕たちは彼女に予算会議があるとは言ったことはあるけれど、その内容を詳しく説明することは禁じられていたし、彼女に交渉を申し出ていいのも予算会議当日だけだと固く先輩方から言われていた。

 だから、彼女は何も知らない。

 まあ、別に予算会議はそこまで学園にとって重要なものではないし、名前の通りの会議だから彼女に内容を知られようが何ら害はない。雛さんは敵じゃない。何より、雛さんは雛さんだ。もし彼女がこの学園の重要たる何かを知ったとしても、外部にそれを漏らすことはないと僕は思う。きっと、目の前のバカだってそう思っているに違いない。

(雛さんだから)

 ただ、それだけの理由だけど。
 僕にとっては十分すぎるくらいの理由だった。僕が尊敬して止まない照星さんと同じようにその人がその人であればそれだけで。

 彼女に予算会議を手伝ってほしいときっと全委員会が思っていることだろう。一番に彼女の元へと交渉しに来たのが僕と滝夜叉丸。つまり、会計委員会と体育委員会だ。体育委員会には潮江先輩とはまた違った意味合いで恐ろしい、暴君と呼ばれる先輩こと六年ろ組の七松小平太先輩がいるんだから雛さんの手伝いは要らないだろ! とは言いたくても言えなかった。だって、それは会計委員会も同じだし。あの鬼の会計委員長、潮江文次郎先輩がいるんだから雛さんの手伝いは要らないだろ! と言われるのがオチだ。

 考えることは滝夜叉丸も同じのようで、先輩がいるんだからという話には一切触れずに口上の攻防戦を雛さんを挟んでやること少しして会計委員会が彼女を獲得するに値する理由を僕は見つけた。

 それは他学年が夏休みの間、僕がやっていた会計委員会の仕事を雛さんが時間のある時には手伝っていてくれたこと。なんで最初に思いつかなかったんだろうか、僕は! にやりと口角を上げて、僕が思いついたソレを滝夜叉丸にぶつければ奴の顔が歪んだ。今回は、勝ったと思った。

(うん、これで雛さんは会計委員会がもらったも同然!)

 雛さんを無理矢理引きずっていきそうな六年生も、色仕掛けで雛さんを落とせそうな五年生も今回は雛さんへの交渉には関わってはいけないことになっている。理由は簡単。どんぐりの背比べになるのが目に見えているから。先輩方は先輩方で話し合った結果、雛さんに交渉できるのは各委員会四年生以下代表一人とするということで合意に至ったらしい。

 そうなると四年生がいない委員会は不利なんじゃないかと思ったんだけど。喜八郎は無関心だから作法委員会は三年の浦風、タカ丸さんは四年生だけど十五歳だからダメということになって火薬委員会は二年の三郎次だからな。滝夜叉丸さえ押さえてしまえば、あとは後輩共が相手なんだ。負けるわけにはいかない、アイドルとして。奴らの先輩として。先に彼女と親しくなった者として。

 ちなみに話に聴いたところによると、用具委員会は三年の富松、生物委員会には三年の伊賀崎がいるもののアイツは常に毒蛇やら何やらと危険生物を携えているため危険と判断され生物委員会の代表は一年坊主の三治郎になったとのこと。保健委員会は三年の三反田だが、あそこの委員会は基本的に全員不運だから気にする必要はないし。図書委員会からは一年のきり丸が名乗りをあげ、学級委員長委員会は一年は組の庄左ヱ門が代表になったという。

「雛さあん……!」

 ほら、来た。ぞろぞろと。

 ま、全員僕の相手じゃないけど。ここはきちんと後輩共に言い聞かせてやらなきゃ。アイドルはアイドルらしく美しく可憐に。

「雛さんは会計委員会がいただく。だから、お前らには絶対やらない」

 空いている方の手で髪をさらりと流しながら雛さんの右手をきゅっと握って、やって来た後輩軍団へと言い放った。


 ***


 先生に自身が学園へと戻ってきたことを告げてからすぐにぼくは走った。彼女の、雛さんの元へ。乱太郎にはまだ敵わないけれど下級生の中では比較的速い方だと思われるこの俊足を活かして。

 一年は組の午後の授業は山田先生が休みボケを治すためにランニングだと言ったためぼくたちは学園を出てしまっていたから、学園内で午後の授業を行っていた学年の代表の面々より時間的には遅れをとってしまった。でも、ぼくとしては同じ一年は組から交渉人として選ばれているきり丸と庄左ヱ門より先に彼女の元へと辿り着いたことが嬉しい。

(この足でいつか乱太郎にも勝ってみせるんだから……!)

 一人小さく気合を入れてしっとりと掻いた汗を拭いながら、上級生よりも幾分か低い身の丈を活かして雛さんの側へと潜りこんだ。ぼくに気付いた雛さんが紡いだ自身の名前ににっこりと笑う。

「雛さん、雛さん。ぼくたち生物委員会を手伝ってくれませんか?」

 予算会議で雛さんがいれば予算を鬼の会計委員長である潮江先輩からもぎとることができるかもしれない、と竹谷先輩が言ってた。ぼくが生物委員会の代表として交渉することになった時はびっくりしたけど、雛さんとは生物委員会の一年生の中ではぼくが一番親しいみたいだから選ばれたことが単純に嬉しかったりもして、少し張り切ってみる。

 雛さんを獲得するために。
 ……雛さんは人間だから獲得っていうのは失礼かもしれない。

「生物委員会は六年生がいないし、一年生が多いのでちょっと弱いんです」
「俺んとこの用具委員会だって一年が多いっつーの!」

 横から飛んできた声の主を見れば用具委員会に所属している三年生の富松作兵衛先輩だった。先輩の言葉にむうっと唇を尖らせる。用具委員会にはぼくたち生物委員会が持っていない切り札があるじゃんか。

「用具委員会には潮江先輩と闘える食満先輩がいるじゃないですかあ」
「そうですよ! 食満先輩がいらっしゃるなら十分じゃないですか!」
「んなこと言ったら火薬委員会にだってタカ丸さんがいんじゃねーか!」
「あの人は四年生です! それにてんで忍術なんてできないんですよ?! 確かに六年生と同じ年ですけど久々知先輩の方が頼りになります!」
「そりゃそうだ」

 思わず突っ込んでしまった。

 あのへにゃっとしたタカ丸さんの顔を思い出すとうんうんと頷けるのも無理はないし仕方ないよね。それにタカ丸さんて時々ぼくたち一年は組の授業に出てるし。髪結いとしての腕は一流なのに忍術においてはぼくたちと同じくらいだなんて、微妙な感じがしなくもないけど本人は全然気にしてないみたいだからぼくが気にすることは何もない。

 それにしても、平滝夜叉丸先輩と田村三木ヱ門先輩のぎゃあぎゃあ騒がしい口論は常だけど、雛さんを間に挟んでやるのは止めたらいいのに。雛さんの手を離して他所でやってくれたらぼくとしても助かるんだけどなあ。雛さんも振り解いちゃえばいいのに。


 ――でも、たぶん。


 雛さんはそういうことはしないひとなんだろうなあなんて、困ったように、でもどこか嬉しそうに楽しそうに苦笑を浮かべた雛さんをみて思う。

 夏の日差しがきらきらして眩しくてちょっと目を細めた。


 ***


(なんだろう、この可愛い子たち……)

 自身を取り巻くようにして口を揃えて手伝ってくださいと言う子たち。自身が必要とされていることが嬉しくて出来ることなら全員の言葉にイエスと言いたいところだけれど、それではダメなのだという。

 予算会議が今日の放課後に開かれるとのことで、事務の仕事を終えて自室に戻ろうとしていたら後ろから飛んできた声に振り返れば滝夜叉丸くんと三木ヱ門くんがものすごい勢いでこちらへ向かって走ってきていた。そのままの勢いで両腕を掴まれた時は肩が外れるんじゃないかというほどの衝撃があったなぁと思い返すと苦笑するしかない。

 予算会議というのは、簡単に言ってしまえば会計委員会から他の委員会が予算をもぎとる会議らしい。内容については直接見た方が説明するより早いうえに分かりやすいとのことで二人とも詳しくは教えてくれなかったのだけれど、とにもかくにも私がいれば何かしらの役には立つらしい。

 それなら、と。

 平等に手伝いをしようかと申し出てみたものの、それは即却下されてしまった。委員会対抗というのは彼らにとって結構重要なのだろう。九つある委員会の中からどれか一つ、手伝う委員会を選んでくれと言われても、嬉しいのだが非常に困っているのも事実だった。

 だって、無理。選べない。可愛い、綺麗、イケメンと皆が皆、見目麗しい上に性格まで良いときた。委員会についても全くといっていいほど知らない私に委員会の好き嫌いがあるわけもなく。

(……もういっそのこと、じゃんけんでもあみだくじでもいいんじゃないかな)

 予算会議の話から脱線していつもと同じような口論を始めてしまった滝夜叉丸くんと三木ヱ門くんに挟まれつつ、そんなことを思う。だって、ほんとに可愛いんだもの。目の前の子たちも両隣の子たちも。そんな彼らの中から誰か一人を選んで、その委員会を手伝うなんてこと私には難しいかもしれない。それでいて、とても簡単なことかもしれない。誰も、どの委員会も選ばないという選択肢が許されるのであれば。

 ふっと角度を変えた瞬間に瞳に入った太陽の光に一瞬瞼を閉じる。開いた先には、変わらずわたしを真剣そのものの眼で射抜く、わたしより幼くて、わたしよりずっとたくましい生徒たちの姿。

「……今日も暑いね」
「え?」
「んーん、なんでもない」

 私を必要としてくれるなら、私は喜んで君たちの手を取りたいと。音にはせずに紡いだ言葉を抱えながら、目元をそっと緩めた。



「求めがれた微睡の先は」



(笑いあえること)
(触れあえることの喜び)


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