雛唄、 | ナノ

11


 夏休みが始まってから十六日目の今日、先生方が学園へと戻ってきた。もちろんのこと、事務員である小松田くんもおばちゃんたちも。

「うわあああんっ!!! たす、助けてくださぁぁぁい!!!」
「ッ!?」
「おばちゃん! 雛さぁぁん!!!」

 私は私で、先生方が戻ってこようとも生活に大した変わりはなく、料理や洗濯、掃除をして、護身術を習って、お茶をして、時々生徒たちと話をしたり遊んだりしながら今の今まで過ごしていた。

 午後二時過ぎになって事務のおばちゃんが、私に今日からまた事務処理の手伝いをお願いしたいと言うものだから久々に事務室へ足を運んでしばらくのこと。

 山田先生やこの学園の生徒たちに護身術を習う傍らで武器の名前やら、この時代特有の言葉の意味なども教えてもらっていることで、夏休み前に比べれば書類はスムーズに書けるようになったし、書類整理のスピードも速くなった。そんな些細なことに事務のおばちゃんは気付いてくれて誉めてくれるものだから、正しくルンルン気分で自らに与えられた仕事をこなしていれば突如として開かれた事務室の扉。

 続いて駆けこんできたぼろぼろになった小松田くん。そしてその口から漏れたおばちゃんと私の名前に驚かざるを得ないどころか、軽く引いてしまったのが数秒前のこと。持ったままの筆からまだ真っ白だった紙にぽとん、と墨が落ちていくのが分かった。開け放たれた扉から夏色の風がゆるりと入り込んでくる。

「雛さんッ! 穴がっぼろぼろで! へ、部屋行ったらく、く、首がああああ!!!」
「……あの、小松田くん」
「や、お、もうあ、く……穴! 首ですよ首ぃぃい!!! も、もう学園長先生死んじゃったんですかぁぁあ?!」
「は……?」
「だだだだってえぇえ! が、がく学園長せんせえの首がたくさん飛んで……! も、ぼぼぼく祟られて死ぬしかないんですうう……!!!」

 事務室に転がり込んできた途端、わあわあと泣いては叫んでを繰り返し落ち着く様子を見せない小松田くんに、私の後ろで仕事をしていた事務のおばちゃんを振り返ればふるふると首を横に振られたあとに、おばちゃんは口パクで何かを訴えてきた。え、なんて?

(よ、ろ、し、く……)

 確かによろしくと言った。口パクでおばちゃんはそう言った。そしてそのまま「私は書類を先生方に回してくるからー」と高らかに陽気な声を上げて、小松田くんが座り込んでいる事務室の扉から出るのではなく、事務室の窓から軽やかに外に出て行かれた。完全に置いていかれたと思う。厄介な状況と私一人を残して。普通こういう時は、いつもみたいにおばちゃんが小松田くんをびしっと叱るべきなんじゃないだろうか。

(絶対、今の小松田くんが面倒だから私に任せて出て行ったんだよね……。どうしよう……)

 生憎、私は人を慰めるのに長けている方ではない。それなのに、どうしてこうも大声で意味不明なことを喚きながら泣いている人を、人を慰めるのが苦手な私が慰めなければいけないのだろう。いっそのこと放置……いや、そんなことをしたら今度は私の足元で泣きだしそうだし、私のせいで余計に泣かれてはもっと困ってしまう。意を決して、彼に会話を試みた。筆を置いて、墨の付いてしまった紙は丸めてごみ箱にぽいっと投げ捨てる。よし、入った。

「こ、小松田くん。話聞くからさ、まずは落ち着こう……?」
「首が飛んでくるんですよお?! 落ち着いてなんかいられませんよおお!!!」
「……首はここにはないよ」
「ぼくが立ちあがったら横から首が飛んでくるんじゃないですか?! 雛さん、どうしよう! ぼくほんともう、きっと誰かに呪われてるんだあああ……!」

(呪われてるって……そんな馬鹿な)

 それからも学園長の首が不気味に笑っていただとか、天井からも床からも首が飛んできただとか、血みたいな赤いのが手についただとか、ここまで走ってくるまでに落とし穴に何度も落ちたとか涙混じりに小松田くんは叫んだ。

 どうにか彼の言葉を拾い集めて頭の中で組み立てれば、小松田くんがどんな目に遭ったのかが大体分かった。つまり、学園に帰ってきて自分の部屋に入ったら、学園長先生の生首や赤い液体が四方八方から飛んできたと。そして、荷物を放り投げて事務室に転がり込もうとしたら、おそらく綾部くんが掘ったと思われる蛸壺の数々に落ち、ぼろぼろになって今に至る……と。よほど、その生首が恐ろしかったんだろうな。

 小松田くんの顔は涙や鼻水でぐちゃぐちゃになっていて、見るに耐えず苦笑する他ない。

 自分の中で勝手に小松田くんの現状に納得して、事務室に置いてあるティッシュの箱を取りに向かう。リンスやシャンプー同様に、なんでティッシュやトイレットペーパーがあるのかなんてことはもう考えない。

 慰めるためにもまずは彼の顔から出ているものを拭いてもらわないと。

「小松田くん、大丈夫だと思うよ。ほら、わたしが立ってても首なんて飛んでこないし……ね?」
「うっで、でもおおお……ッく!」
「…………ん」

 ティッシュで鼻をかみ始めた小松田くんの隣に私も座り込んで、彼がとにかく落ち着くまでただ大丈夫とそれだけを繰り返した。彼が落ち着いてくれるまで結構な時間がかかったような気がする。時計を見れば四時半過ぎ。小松田くんがここに来たのがおそらく四時過ぎだったはずだから、三十分くらいかかったようだ。

「それにしても、この赤いのまで……すごいね」

 べたり、と小松田くんの手についたモノ。血ではないことは臭いからすぐに分かったけれど、その色は赤黒くて一見すれば血と間違っても仕方ないだろう。ましてや、先ほどまで半ばパニックに陥っていた小松田くんからすれば血に見えて当然のことだと思う。

「ぼく、何かしたんでしょうか?」
「もしかして部屋を間違っちゃったとか?」
「ああッなるほど! もしかしたらそうかもしれません……! うわ、そっかあ……!」

 あからさまに安堵した小松田くんにこちらも肩の力が一気に抜けた。二人でへらっと気の緩んだ笑みを浮かべてしまう。間違いじゃなかったって可能性だってあるけれど、小松田くんがひとまず安心してくれたなら良かった。良かったね、と声を発しようとしたところで入口から聞こえてきた声。

「間違えてませんよ」

 その言葉の後に姿を現したのは、落とし穴の元凶である紫色を纏った綾部くんだった。綾部くんと、彼の名前を呟けば、綾部くんはとことこ歩いてきて私の隣に私たち二人同様にしゃがみこんだ。綾部くんの行動に可愛いと漏らしてしまった私の頭に当たった、彼の相棒こと踏鋤のフミ子ちゃん。いい音がした気がする。

(結構痛いんだけどな……!)

 彼が私に気を許し始めてくれている証だと思っておくことにする。そう思えば、痛くなんてない。痛くなんて、ない。じんじんと痛む頭も気のせいだと思えるはずだ。

「小松田さんの入った部屋は、小松田さんの部屋でーす」
「え、綾部くん、ぼくがどの部屋入ったか見てたの!?」
「いいえー? でもー、小松田さんの部屋に間違いはないでーす」
「だだだって首! 首いっぱいあったんだよ?! ぼくそんなの部屋に置いた覚えないし……!」
「それはそうでしょうねえ」

 飄々と言ってのけた綾部くんを二人して見る。私たちの視線を鬱陶しく思ったのか、私の目は彼の手で塞がれてしまった。綾部くんの手、結構ゴツゴツしてる……じゃなくて。

「……綾部くん? この手は一体……」
「西園寺さんの目を見ないようにするため」
「…………そうですか」
「で、ですねー。小松田さんの部屋にはちょっと細工を仕掛けたんですー。首が降ってきたり飛んできたり、ついでにその赤いのが飛び散ったりするやつ」
「えええ?! な、なんで!? ぼく綾部くんに何かした!?」
「さあ……? まあ、でもー先輩の指示だったからいいかなと思いましてー」

 無表情ながらも語尾を伸ばす彼が可愛いなあなんて性懲りもなく呟いてしまえば、今度は完全にスルーされた。叩かれるよりも痛いかもしれない。
 一方、綾部くんの言葉を聞いた小松田くんはどうやら一人悶々としているようだ。綾部くんの手が邪魔して小松田くんの方を向くこともままならない。

「あのへっぽこ事務員は一度痛い目に遭わないと反省しないだろう」
「「え?」」
「立花先輩からの伝言でーす。良かったですねー、小松田さん。痣とか擦り傷程度で済んでー」
「え、なに?! え、もしかして綾部くんの言う先輩ってあの立花仙蔵くんだったりする!?」
「だいせえかあい」

 綾部くん独特の返事に隣の小松田くんは頭を抱えてしまっているような気がする。それにしても、出てきた名前に苦笑が漏れる。立花くんは小松田くんを痛い目に遭わせて何がしたかったのだろう。

「……西園寺さんの情報、漏らしたから」
「……ねえ、綾部くん。私ってそんなに分かりやすいかな」
「…………さあ?」

(さあって……さあって言ったよ、この子……!)

 綾部くんの口ぶりから察するに、私のことが町で噂になっているという情報は彼ら生徒にも広まったようだった。それに加えて、私の情報を小松田くんが漏らしたと、そう言うからには、もしかしなくても私がくせ者や城に狙われる原因を作ったのは小松田秀作、この人ということだろうか……。

 ようやく綾部くんの手が離されて色を取り戻した視界の先、目の前の無表情な顔を無言のまま見つめる。綾部くんも何も言葉にしないまま、二人で見つめ合うこと少し。綾部くんがひとつ縦に頷くのだから、やっぱり……という思いで小松田くんを見た。小松田くんは、予想通り頭を抱えている。

「……うん。なんか、仕方ないかなって気がしてきた……」
「立花先輩もそう思ったから罠を軽うくしたんだと思いまーす」
「そういえば、綾部くんってずっと事務室の前にいたの?」
「正確には事務室の近くで蛸壺掘ってましたー。そうしたら小松田さんが面白いくらいに穴に落ちてー。……別に盗み聞きしてたわけじゃないですけど、小松田さんの喚き声が聴こえてきたっていうかー?」

 いつになく饒舌な綾部くんに少しばかり戸惑うも、それは嬉しい戸惑いだった。この饒舌の原因としてはおそらく綾部くんが掘った穴に小松田くんが面白いくらいに落ちたことだと予想できた。

「そんなことより西園寺さーん。そろそろ夕食の準備しなきゃいけないんじゃないんですかー?」
「え……あ、ああ、ほんとだ」
「じゃあ、早く行きましょー。それと小松田さーん。帰ってきたら学園長先生のところに来いだそうでーす。頑張ってくださーい」
「頑張ってください……?」
「うっかり西園寺さんの情報流したりしたからー……怒られるんじゃあないですか?」

 そんな言葉をこともなげに言い捨てて、綾部くんは立って私の手を取って事務室を後にしようとするのだから綾部くんは本当にマイペースだなあと思う。少しばかり苦笑が漏れる。確かにそろそろ夕食の準備をしなければいけないから、綾部くんの手を振り解くわけにもいかないし……。叱られるのが目に見えたのか、先ほどまでの勢いはどこへやら、しゅんとしてしまった小松田くんが気になるも事務室を後にすることにした。

「こ、小松田くん……! 気にしないでっていうか過ぎたことだからあんまり気に病まないでくれると嬉しいんだけど……!」

 そう言った後で、ああでも私が狙われることで学園に迷惑をかけてしまうのなら、これは小松田くんや私だけの問題じゃないだなと気づく。だから、小松田くんが学園長先生に怒られるとしても少しばかり自業自得かなあなんて薄情なことを思ってしまった。少し土で汚れた綾部くんの手を見つめて、その手に引かれながら、歩く。

「あと、西園寺さん」
「うん?」
「ぼくのこと名前で呼んでください」
「へ……え、でも」
「そうしないと返事しませんから」
「…………いいの?」
「……西園寺さんは嫌なんですか?」

 拗ねたようにこちらを見た綾部くんにそんな言葉を返されて、嫌だなんて言えるわけもなかった。思えるわけもなかった。恐る恐る、喜八郎くんと彼の名前を呼ぶ。

「はい、雛さん」

 ふわり、喜八郎くんの微笑みは淡く優しかった。


 ***


「雛ッ!!!」
「?! な、なまつく……善法寺くん?」
「はは……こんな格好で申し訳ないんだけど、ごめ……何か食べ物……」
「え……七松くん、何事……?」
「いやあ、伊作が倒れてたんだ! 何事かと思ったらこいつ、裏山で過ごすこと十一日目だっつーんだ! さすがに食糧尽きてたらしくてなー!」

 夕食時に突如として見るからに汚い七松先輩とそんな七松先輩に担がれた善法寺先輩が乱入してきた。先輩方は食堂で夕食待ちの俺たちに簡単に挨拶をして、そのままの汚い格好で台所へと入って行った。衛生上良くないんだろうなあなんてことを思う。止めればよかったかな。でも、相手は七松先輩だし……。保健委員長である善法寺先輩があれでは衛生なんて頭を掠めもしないだろう。

(十一日も裏山で遭難……)

 確かに、善法寺先輩は俺たち同様、夏休みは実家に帰ることもせず修行の旅に出ることもせず学園に残っていると聞いていたけれど姿を見たのは夏休み初日くらいだ。最近では、姿が見えないからてっきり学園の外へ行ったと思っていた。それが裏山で遭難していただけなんて。それはそれは、なんて不運な人かと思う一方で、七松先輩に発見されて救助されたらしきところを見ると一概に不運な人とは言い切れないかもしれない。

 まあ、裏山ごときで遭難すること自体がある意味すごいと思う。机に頬杖をつきながら、台所にいる雛さんと七松先輩の声を耳にしていれば隣でせっせと生物の世話について何やら書いていたハチこと竹谷八左ヱ門が話しかけてきた。

「そういやさ、やっぱ雛さんの噂流したの小松田さんだったらしいぜ」
「ふーん」
「ふーんってお前なあ……。人がせっかく話題振ってんだからもう少しのれよ」
「だってさーどうでもいいんだもん。誰が流そうが別に関係ないし。それに小松田さんに先に口封じを命じてなかった先生方も悪いでしょ」
「まあな。ふぁあ……あーねみぃ」
「寝てたら? 今の台所を見るに、俺たちが夕食にありつけるのはもう少し後みたいだし」
「だな。じゃ、勘ちゃん。夕食出来たら起こしてくれよ」

 ハチの言葉に頷きを返して、寝る体勢に入ったハチから視線を再び台所へと向ける。

(今日の夕食何って言ってたっけ)

 七松先輩がつまみ食いしているらしい。雛さんの困ったような声が聞こえる。雛さん、そこは俺たちに突っかかるみたいに元気よく叱ってあげるべきだと思うんだけどな。七松先輩に意見できる人は限られているけれど、雛さんの言うことだったら七松先輩はあっさりと聞く気がする。

「伊作、お前も食え! 腹減ってるんだろ?!」
「ストップストップ! ちょ、七松くん待った!」
「なんで止めるんだよー雛ー!」
「いや、止めてなかったら善法寺くん多分吐いてたよ?!」
「え、なんで!?」
「なんでって……今までほとんど物を食べてなかった善法寺くんにいきなり固形物を食べさせたら吐くよ!」
「そうなのか! 雛は頭が良いな!」

 雛さんには悪いけど、いくら暴君であり頭が弱いらしいとはいえ七松先輩は我が学園の最上級生だ。そんな彼が、今までほとんど物を口にしていなかった善法寺先輩にいきなり固形物を食べさせたら吐くなんてことを知らないはずがない。……たぶん。

(彼女がどんな人物なのか、七松先輩は知りたいんだろうなあ……)

 七松先輩はおそらく彼女の話を信じてはいるが、彼女の人柄を現段階では観察しているというところだろう。彼女に今後、どのように接していくべきかを見定めているともいえる。それは俺たちも同じ。彼女が優しいなんてことは分かっているけれど、彼女がどのような人物なのかをできるだけ詳しく把握しておきたい。

 現段階でいえるのは、彼女は優しいし、やれと言われた仕事は最後までやり切るし、人のことをちゃんと考えて行動するし、それなりに頭が良いということ。運動神経はまだよく分からないが、悪くはない。それから、ちゃんとこの学園に自分から浸透しようと努める健気さを彼女は持っている。

 彼女に護身術を教える傍らで、俺たちの使う言葉を教えてもいるけれど、彼女はそれを真摯に受け止めてくれる。彼女にとっては意味の分からない語句に違いないものでも、彼女は分からないと言いながらも否定をしない。それは彼女なりの、この世界で「生きる」という確かな証なんだと思う。

(……夕食、まだかな)

 なんだか色々と口論が始まっているみたいだけれど、どうでもいいから早く夕食を与えてはくれないだろうか。四年の滝夜叉丸と二年生が手伝っている今日。今更手伝いに行ってもなぁ……。彼女の観察をするのも楽しいけれど、お腹が減った。こちらの方が今の俺にとっては重大だ。

(あ、雛さん転んだ……)

 西園寺雛という人物についてもうひとつ。彼女は俺にとってひどく珍しい存在で反応も新鮮だし、一緒にいるとすごく楽しい。
 その通りだと、一人頷いた。

(あー……お腹減ったあ……)


 ***


「…………読めますか」
「うん? コレとコレは何書いてあるのかさっぱり」

(英語と数学の教科書……)

 お風呂上がり、いつもなら少し涼んでタオルで髪を簡単に乾かして程無くして寝ている時間だというのに、私の目の前には三人分のお茶と客人が持ってきたというお茶菓子が広がっている。なんて不思議な光景だろう。他人事のようにそう思う。

 なんで来たんですか、なんてそんなことを聞けるわけもなく私は彼ら二人の行動を咎めることも出来ずに見ているだけだった。ここが私の、女性の部屋ということもあってか最初はぎこちない動きをしていたにもかかわらず、教科書を見つけると読むことに没頭し始めた比較的若く見える黒装束の男の人。そして、胡坐をかいて教科書をさらりと読み流し、今は携帯やら音楽器機の構造がどうなっているのか手に取って観察しているくせ者こと、雑渡昆奈門さん。

(……どうすべきなんだろう)

 くせ者と言われるだけあって、いつの間にか私の部屋へと滑り込んでいた漆黒を纏った人。どうしてここに来たのか、なんでお茶菓子を持ってきたのか、なんで何も話さずに私の荷物を物色しているのか、聞きたいことはたくさんあるけれど初めて雑渡さんに逢ったあの日の恐怖がちらついて、行動に移すことは憚られた。

 夕食時にいきなり食堂に駆けこんできた七松くんと善法寺くんの相手もそれはそれで大変だったけれど、こちらの方々を相手にするよりはずっと楽だったんだと思う。七松くんはどうやら学園長先生に用事があっただけのようで、夕食をとって再び学園を出て行った。

 七松くんには失礼だけど、嵐が去ったとほっとしたのは束の間だったというわけだ。お風呂を上がって、自室の扉を開け放ったと同時に目の前に現れたふたつの影。それはもう驚いた。きっと寿命が三年は縮んだと思う。いや、それも含めてここにきてからというもの私の寿命は十年以上は軽く縮んだような気さえする。心臓が止まりそうな出来事に何回遭遇しただろうか。

「雛ちゃん」
「………………うん」
「雛ちゃーん? 無視されるとこの部屋荒すよー」
「え?! ……あ、え……や、すでに荒されているような……」
「またまたそんな冷たいこと言って。私たちのどこが荒らしているように見えるの」

 雑渡さんの言葉に視線を彼の持っている現代文明の利器へと移した。そんな私の視線に雑渡さんは頷いてその手にしている物を、雑渡さんの隣でいつの間にか正座をしてこちらを見ていたもう一人のくせ者と思われる人に渡した。

(いや、そういう意味じゃ……)

 私はただ、雑渡さんが先ほどまで私のバックの中に入っていたはずの携帯を持っている時点で荒らしのようなものだという意味を込めただけで、もう一人のくせ者さんにソレを渡してほしいなんてそんな意味は込めていない。
 雑渡さんの行動に脱力していれば、ゆらゆらと揺らぐ小さな蝋燭の炎と月明かりだけが頼りのこの部屋で、静かにかち合った雑渡さんの右目と私の双眸。思わず、びくっと肩が跳ねた。

「なんで私たちが君に会いに来たか、訊きたいんでしょ?」

 ニタリ、そんな雑渡さんの笑みが想像できて口元が引き攣る。その口元は布で覆われているし、彼の顔で見える部分は右目とその周辺少しばかりだから、実際はどんな表情を浮かべたのか私には分からないけれど。

 外でざわざわと竹藪が揺れた音がした。

「あとはなんで君の部屋を知っているかとか、このお茶菓子はなんだとか、コイツは誰だとか……知りたいかい?」
「ッ…………い、いえ」
「……そう。それは残念。普通は聞きたがるものなのにねえ……。雛ちゃんはそこそこ頭が回るみたいで私は嬉しいよ」

 冷や汗が流れ落ちる。
 心臓の音が聞こえる。

「聞きたいなんて馬鹿正直に言った途端、襲おうかと思ってたけど、そんなことにならなくて済んで良かった。私、頭の良い子は嫌いじゃないからねえ」
「………………っ」
「怖がらせるつもりはなかったんだよ? ただ、雛ちゃんのこと試しただけ。殺気に気付けるかどうか、ね」

 雑渡さんは飄々と言ってのけたけれど、私にしてみればいい迷惑だ。どうして私が雑渡さんに試されなきゃいけないのだろう。きっと今、私が考えていることも全て目の前の人はお見通しなんだろう。そう思うと、悔しい。

「雛ちゃんが今考えたことは後で説明するとして、まずはコイツの紹介から始めようか。……夜は、まだ始まったばかりだからねえ」

 雑渡さんの言葉の裏を読めば、つまり夜が明ける間際までここに居座ると、そういうことなのだろうか。引き攣った笑みを浮かべてしまう。私の引き攣った笑みに返ってきた言葉、それに私は今度こそ叫び声をあげたくなった。勿論、彼の眼差しひとつで叫び声などあげられるわけもなかったけれど。

「夜、男と女がひとつの部屋でやることなんて……限られているとは思わない?」

 絶句した私に冗談だと告げた雑渡さんを叩けるものなら一発叩きたい衝動に駆られた。

(だって、ねえ?!)



「螺を描くように」



「雛ちゃん、コイツはしょせんそんなもんっていうんだ。私の部下だよ」
「しょせんそんなもん……?」
「組頭、お言葉ですが私の名前は、もろいずみそんなもんです」
「そうだっけ?」
「そうです! なんでわざわざ間違いを教えようとするんですか?!」
「え、だってそっちの方が面白いじゃない」
「組頭の名前だって………」
「なんだって? もう一度言ってごらん、尊奈門」
「出過ぎた真似をして申し訳ありません……!」

 彼らの上下関係は微笑ましいもののように思えて、ほんの少し、羨ましいとさえ感じた。


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