雛唄、 | ナノ

06


「――父上、あの方ですか」

 それは最早疑問ではなく確信だった。案の定、返ってきた肯定を示す返事に少しばかり目を細める。
 自身の視界の先に映る一人の女性。ぬるい温度を持った風に煽られて彼女の着物の裾がはためいている。

「彼女、ここに受け入れられたようですね」
「ああ……といっても、つい最近のことだがな。――利吉。さっきも言ったが、彼女は先日タソガレドキの忍頭に襲われたばかりだ。この短期間で恐怖は消えまい」
「だからこそ、ですよ。彼女は私を知らない。利用しない手はないでしょう。それに、彼女にとってもいい“演習”になるのでは?」

 流石は我が父。目敏い。私の実の父親である、ここ、忍術学園の教師・山田伝蔵は私がしようとしていることを察したようだった。

「お前な……。私は知らんぞ」

 父の呆れ混じりの言葉を背に歩を進める。先ほどまで彼女の周りには紫色を纏った生徒たちがいたが、今は一人、庭の草花に水をやっているらしい。こちらからは彼女の横顔が時折ちらりと見られるだけのため、どんな表情をしているのかは分からない。分からないが、彼女の醸し出す雰囲気は柔い。

 無防備そのものだ。

 あれでは、彼女を襲ったというあの忍頭ほどの実力がなくとも簡単に彼女を殺せてしまう。襲われて以降、時間を見つけては父やこの学園の教師陣が彼女に護身術を教えていると聞くが、一体どれほどのものなのか。指導を受けて間もないというし、今の時点では事態にどう対処するかを見るだけでも私の奇襲には意味があることだろう。それにもしかしたら、“不審な動き”を見せる可能性だってある。全てはこの目で、この耳で、自ら確かめなければ。

 彼女の瞳が綺麗だと、そう聞いているからこそ、本当にそうであるならば彼女にはそう簡単にその命を絶ってほしくはない。忍術学園には敵が多いのだ。正確には学園長先生を狙う輩が後を絶たないのだが、とにかく、ここではいつ何が起こるか分からない。

 地を蹴って彼女の背後からその細い首に苦無を宛がう。もしも、これが戦場であったならばすぐさま苦無を横に引かれてしまうというのに。彼女はコレで首が切れるということを知らないのだろうか。

「ッ?!」
「………………」

 どう対処してくるものだろう、と何も言わずに相手の反応を窺ってみたものの、得物を突き付けられたまま彼女は身動きひとつしない。声も発しない。……これは一体、父上たちは何を教えていたのだろう。まだ指導して間もないのは理解しているが、早急に何とかしないといつ「次」があり、「最後」が来るか分からない。危険だ。

「……父上」

 細い首へと突き付けていた苦無を下ろし、彼女が「本当に」こういった事態に慣れていないことが分かったこと、それからその結果の今を鑑みて、ほんの少し苦々しく思いながら後ろを振り返る。父がやれやれと言わんばかりの表情でこちらを見ていた。

「お前の言いたいことは分かる。分かるが、西園寺は今まで命の危険に晒されることのない場所で生活してきたんだぞ。我々と同じような反応、対処を求めるのは酷というものだろう?」
「しかし……」
「分かっておる。ここは西園寺がいた場所とは異なり、そしてそれゆえに西園寺はこれから狙われる可能性がある。その可能性を踏まえるならば、西園寺に自らを護る術と対処法を出来る限り早く身に着けてもらわねばならんこともな」
「これが私だったからフリで済んでいるのであって、暗殺者や他の忍者だったら――」
「一瞬で間合いを詰められた場合か。西園寺に毒針を持たせるわけにもいかんしなぁ」

 演習、実験とも取れる事態の結果に父は顎髭を触りながら近づいてきた。毒針は扱いが難しい上に危険が大きい。何かひとつ、暗器を持たせてもいいかもしれんなという父の言葉を聞くに、彼女が武器を手にしたとしても無闇に人を傷付けはしないであろうことを知る。「余所者」とも呼べるだろう彼女に力を与えるということはそういうことだ。そして、彼女が父からそれくらいの信頼を得ていることも窺える。

 だからこそ、本当に、これが私であったから何事もなかっただけで、彼女にはそのことをしっかりと認識してもらわなければならない。彼女を拘束していたもう片方の腕を緩め、その身体を放す。にもかかわらず、目の前の人は固まったままだった。……これは私が悪かったか。

「あー……その、申し訳ないことをしました。貴女が今の時点でどう対処してくるか知っておきたいなと、思いまして」

 遅いとは思いつつ、目の前で固まってしまっている人に謝罪を口にすれば、彼女ははっと我に返ったらしい。こちらを恐る恐る見たかと思えば一歩後ずさろうとして、先ほど私が襲いかかった時に落としていた南蛮から伝わったジョウロという道具に足を取られそのまま後ろに倒れそうになった。

「ぅわ……ッ」
「っと、……大丈夫ですか?」

 敵でもない女人を助けるのは当然だ。彼女の腕と腰を引き寄せて抱きとめれば、自身の腕の中にすっぽりと収まったその身体。

(十七か。私とひとつ違いだな)

「…………ッ!」

(ああ……なるほど)

 彼女が腕の中にいるという流れのまま、彼女の顎を捉えて上へと持ち上げれば交差する視線。私を映す彼女の瞳。父上が綺麗と称した瞳。思わずまじまじと見つめてしまう。

「……確かに、綺麗ですね」
「ッ!?」
「見ていて苦じゃないですし。……綺麗なものは、嫌いじゃない」

 十七の女など、よほどの事情がない限りどこかに嫁いでいるか、遊女でいるか、くノ一でいるかのどれかだろうに。こうして何の縛りもないままの女性は珍しい。十八になって、未婚かつ遊女でもない、「普通」の年の近い女性に出逢うとは思ってもいなかった。彼女の素性からして「普通」とはかけ離れているだろうが。

「あの……ッ!」
「あ、ああ……申し訳ない」
「や、その……っ離して、いただけません……か」
「え? あ……」

 思案に耽っていたからか、彼女の声によって今、自身が彼女を抱きしめたままであることにようやく気付いた。彼女の身体に回していた腕を離せば、後ろから父の溜め息が聞こえ、失態だったと思い知る。初対面の女性を、しかも年の近い貴重な女性を抱きしめてしまうとは何とも不甲斐無い。

「西園寺、さっきも今も悪かったな。息子が」
「え、や……は、はい」
「コレは仕事中毒だから女性への気配り方がいまいちなっていないらしくてな。巷ではプレイボーイなどと呼ばれているが実際はどうだか……」
「父上ッ! 父上こそ仕事中毒ではありませんか! 何度も言うようですが今年の夏くらい家に帰ったらどうです……!」
「夏休みが十五日しかないのに、帰れるわけないだろう! 私も忙しい! しかも、もう夏休み十日目だ! 今年の夏は無理だ、母さんにそう伝えておいてくれ!」
「もう……母上に怒られますよ」

 本日、忍術学園に足を運んだ理由のひとつは、父上に母上からの帰ってきてという伝言を伝えるため。もうひとつは、未来から来たという摩訶不思議な彼女に逢うため。

(母上が、どんな顔をするやら)

 毎度毎度、父上からの伝言を伝える度に嫌な笑顔を浮かべられるのだが、そろそろ本気でお怒りになりそうで恐ろしい。

「と、まあ……ほら、利吉。自己紹介くらいせんか!」
「分かってますよ! 父上が余計なことおっしゃるからいけないんじゃないですか!」
「余計とはなんだ、余計とは!」
「あーもうッ! 自己紹介したいので、少し口を閉じていただけませんか!」
「…………いいだろう」

 拗ねたような表情をした父を横目に、呆然と私たち親子二人を見ていたと思われる女人に向き直った。

「改めまして、私は山田利吉といいます。年は十八、現在フリーの忍者です。よろしくね」

 営業スマイルと共に言い放てば、目の前の彼女も戸惑いがちに自己紹介をしてくれる。

「西園寺雛です……。えっと……」
「ああ、私のことは好きに呼んでくださって構いませんよ」

 頷きを確認して微笑む。

「それにしても、父上。西園寺さんの境遇や心情を考えないわけではありませんが、これではあまりにも……。対処法を身に着けても、それを実践できるまでにならなくては意味がありません。ならもういっそ、西園寺さんに苦無もしくは刀の使い方を教えてみてはいかがですか? 攻撃は最大の防御、ですよね」
「刀よりは苦無の方が向いているだろう。だが、その前に西園寺に武器を扱う勇気があるか否か、だな」
「クナイ、ですか……」
「苦無は便利だからね。苦無をそこまで上手く扱えなくとも、敵が来たら刺すとか、投げるとかすれば時間も稼げるし。逃げるための時間稼ぎになる。私は苦無くらいなら持っていても変ではないと思いますが」
「うむ……暗器としては手裏剣の方が軽いだろうが持ちやすさや安全を考えれば、苦無を持っていた方が無難だろうな。どうだ、西園寺。……やってみるか?」

 予期していなかったらしい提案に、彼女は少し狼狽えているらしかった。その様がなんだか微笑ましく思えてならない。苦無を持つという、私にとっては当たり前のことが彼女にとっては当たり前ではないという事実。嘘や偽り、ということもなさそうで少なからず安心した。

「あの、山田先生……。今からですよね……?」
「ん? そうだな。ちょうどいい時間だ。今から半刻ほど彼女に護身術を教えるつもり……ああッ! すまん、西園寺! 学園長先生に呼ばれていたのをすっかり忘れておった!」
「え?」
「でもなあ、毎日身体を動かさないとすぐに感覚が鈍ってしまうからなぁ……な、利吉」

(白々しいことを……!)

 矢羽音を使うまでもない。父の言いたいことは、ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべたその顔からよく分かった。

「……いいですよ。時間に余裕はありますから」
「流石、我が息子だな! よーしっ西園寺! 利吉にしっかり鍛えてもらうんだぞ!」
「え? ……え、えええ?!」

 言うだけ言って父は姿を消した。私と、一人、我々の話についていけていない彼女を残して。父が消えた方角と私とを交互に見て、状況を把握しようとしているらしい彼女に小さく苦笑が漏れた。

(学園長先生に呼ばれてなどいらっしゃらなかっただろうに……)

 つまり、父はただ単に私と彼女を二人きりにしたかっただけなのだろう。あからさますぎてどうしようもない。そもそも、初対面であんな襲うような真似をした私に彼女を任せるとは何を考えていらっしゃるのか。しかしながら、彼女と話をしてみたいと言ったのは私であり、事実、私は彼女と話がしたかったのだから、この状況は好都合なのだ。ああでも、やはり先ほどの自分の行動がほんの少しだけ悔やまれる。意味があっての行動であって反省はしていないが、あんな襲うような真似さえしなければ彼女が私に怯えることはなく、町娘と話すように気軽に話すことが出来ただろうに。

 護身術を教える云々の前に、彼女と話す必要がありそうだ。まずは先ほどの行動について説明しなければ。そして、彼女が話してくれるのならば彼女の言う「未来」というモノについて聞いてみたい。為す術もなく困ったような表情をした彼女に今一度苦笑して、近くの縁側へと誘う。おずおずと隣に座った彼女と私の間にある隙間に、彼女との距離が見て取れるようだった。

「あのさ――」

 正直に言おう。
 年の近い女性と出逢えたことで、私は少しばかり浮足立っているようだ。この感情の名は喜び、とでも言うのだろうか。


 ***


 滝夜叉丸くんと喧嘩紛いのことをやらかし、どうにか仲直りを果たした次の日は、竹谷くんと尾浜くんと四年生四人と二年生四人と私とで……つまり、学園に残っている生徒全員と私で、先生方が買ってきてくれたアイスキャンディーを食べて、暑いというのに鬼ごっこをして騒いでみたり、とにかく笑って過ごしたこの上ないくらい楽しい日の夏休み九日目だった。

 それから一日が経った今日、今尚強く印象に残っているのが彼らの纏う衣服について私が大人げもなく散々騒いでしまったことである。彼らの衣服について以前から興味はあったけれど、その構造がどうなっているかなんて忍者ではない私が知るわけもなく、昨日始めて知ったのだった。そして、その結果が、

「……エロかったわけですよ」

 誰にともなく呟いた。

 昨日、鬼ごっこが終わってからというもの暑いと言って次々と上着を脱ぎだした彼らに私が絶句しないわけはなく、上着を脱いで現れた彼らの鍛えられた腕というか、背中というか、インナーと呼んでいいのか悪いのかよくわからないくらい露出した黒の肌着に体温が急上昇したのは記憶に新しい。ちなみに後で聞いたところ、アレは前掛けという代物らしい。気温の上がる夏に着用している代物だそうで。

(露出しすぎだって、アレ……)

 残念なことにも、男の人の裸というか肌を見慣れていない私には刺激が強すぎたのだ。上着を着てくださいと何度乞うたか分からないが、彼らは私の必死の訴えを大爆笑でスルーした。

 それはもう、かなり恥ずかしかった。

(……もう二度と見ない、うん)

 いくらイケメン集団であろうとも、いくら可愛い集団であろうとも、いくら下心がちょっとばかり覗いたとしても、見ない。絶対、見ない。見たらまた大爆笑を誘うに違いないのだから。

(それはもう、うん、勘弁だな……)

 ジョウロから流れ落ちる水を見つめる。学園の草花が枯れぬようにと毎日かかさずやっている植物への水やり。

 そして、いつものようにジョウロを使って水を撒いていればやってきた彼ら。滝夜叉丸くんと喧嘩紛いのことをしてからというもの、彼や三木ヱ門くんに対してはどことなく自然体でいられるようになってきて、そのことがどんなに嬉しいか彼らは知らないだろう。それに加え、昨日の一件で、更に彼らとの距離が近くなったような気がした。

 滝夜叉丸くんたちは滝夜叉丸くんたちで日中は基本的に課題をやっているようで、息抜きにと私に会いにきてくれたらしい。そんな、彼らにとっては何でもないようなことが私にとってはとても嬉しいことで、そんな時間がとても大切だと思えた。

(平和っていうのは、きっとこういうのを言うんだろうな)

 休憩は終わりだと再び走って行ってしまった紫色を見送ってそう思ったのは束の間だった。

「ッ?!」

 ――心臓が、止まるかと思った。
 何度目かになる、あの冷たい尖ったモノの感触に身体が硬直して、思考回路は当然のごとく止まってしまった。

「あー……その、申し訳ないことをしました。貴女が今の時点でどう対処してくるか知っておきたいなと、思いまして」

 聞こえてきた声に我に返り、本能のまま彼から距離を取ろうと後ずされば何かにつまづいてそのまま転ぶところだった。それなのに、私を襲ったのは痛みではなくて、抱きしめられる感覚で。

 半ばパニックに陥った頭で抵抗するなんて考えは浮かんでこずに、目の前のこれまたイケメンと称すべき青年の為すがままだった。為すがままとはいえ、顎を掴まれ彼と瞳を合わさざるを得ない状況になるとは思ってもみなかったけれど……。ああもう、本当に心臓に悪い。どうにか言葉を紡げば彼は離してくれたものの、鼓動のリズムは速いまま落ち着かない。

 目の前の青年が山田先生を父上、と呼んでいるところをみるに親子なのだろうと彼らのやり取りを呆けて眺めていれば、いつの間にか話が大きく跳んでいた。

(この人と二人きり……?!)

 話をよく聴いていなかった私が悪かったのだろうけれど、呆然としている間にも山田先生の姿は視界から消えてしまっていて、どうやら、私は今日、山田利吉という人に護身術を教えてもらうらしい。他人事のようにそう思う。こんな、こんな格好良い人といきなり二人きり……。

「あのさ――、さっきはごめんね。その、本気で君を傷つけようとしたわけじゃないんだ。父上から君の話を聞いていて、今の時点でどんな動きをするのかなと興味があったんだ。君のためでもあったけど……」

 彼に促されるまま近くの縁側に並んで座りこめば、唐突に降ってきた言葉。隣を見れば彼は困ったように苦笑していた。何を言えばいいかなんて分からなくて居心地の悪さを感じて視線を下げてしまう。どこかから聞こえてくる生徒たちの声が遠い。

(私の、動き……だなんて。そんなこと言われても、私はちっとも動けなかった……)

 さわさわと叢を揺らした生温い風が、肌を滑っていく。

「十七……なんだよね?」
「あ……はい。十七、です」
「君を自分より下にみるつもりはないんだけど、砕けた話し方をしてもいいかな。……もうしてるようなものだけどね」

 苦笑と共に放たれた彼の言葉に軽く頷きを返せば、彼はあからさまにほっとしたように息を吐き出した。それを盗み見るようにして首を傾げる。

「や、なんかね……年の近い女の子と会うのって久しぶりで。自分で“君のため”と思って起こした行動だったとはいえ、君に恐怖を与えてしまったから。……なんていうのかな。せっかく会えたのに、距離を取られるのは嫌だななんて思ったりもしてね。でも、うん。西園寺さんと話してみたかったから、君が応じてくれて嬉しいよ」
「私と……?」
「……うん。君の話を聞いたときはね、なんて馬鹿げた話なんだって思ったものだよ。でも、父上が君の瞳は綺麗だとおっしゃったから、気になっちゃって。自分の目で見たくて君に会いにきた」

 彼の話にそっと顔を上げた私を見て、「本当に綺麗で驚いたよ」なんて彼が微笑むものだから目を見張ってしまう。その言葉に、その笑みに。

(――綺麗)
(私の瞳が、きれい……)

 こちらに来てからというもの、何度か耳にした言葉。私には分からない、何かがあるのだとしたらそれは一体何なんだろう。どうして、私の瞳を綺麗だなんて言うんだろう。……分からない。目の前の人に尋ねたら答えが返ってくるだろうかと考えたところで、ねえ、と掛けられた声。それは低くもなく、高くもなく、ほどよい心地よさでもって耳に届いた。

「ねえ、良かったらなんだけど。……君の世界の話を聞かせてくれないか」

(わたしの、世界のはなし……)

 驚きはしなかった。聞きたいと言われたのなら、拒む理由もない。でも、確か、先ほど彼は、馬鹿げた話だと思っていたと言わなかったっけ。

「……馬鹿げた話なのに?」
「ははっ……そうだね、うん」

 ささやかな意趣返しに放った言葉に、彼は笑った。笑ってくれた。それがくすぐったくて、妙に嬉しくて。今日、初めて会った人だけど、この人は“大丈夫”だって思った。

「あの、話す前に、その……」
「ん?」
「ひとつだけ、いいですか……?」

 おこがましい問いかもしれない。けれど、尋ねたくなってしまった。彼が好きに呼んでくれていいと先に言ってくれているのだから、好きに呼べばいいんだろうとは思うけれど、それでも、彼からの許可が欲しいなと思ってしまって。

「り、利吉さんって呼んでも、いいですか……?」
「え?」
「ッその! や、あの、山田さんだと紛らわしいですし……! えっと、だ、だから、その……」

 我ながらなんて頼りのない声かと思う。もう何を狼狽えているんだか……! 目の前の人が格好良いこともあって、何だかとても恥ずかしい。顔を覆ってしまいたかった。

「……じゃあ、私も西園寺さんじゃなくて、雛さんとでも呼ぼうかな」


 ――いいよね?


 ただ名前を呼ぶことを許してもらっただけなのに胸に宿る温かさ。顔を上げた私の瞳をみて笑った利吉さんの問いに、私は微笑み頷いた。

 利吉さんは私の話を、時々相槌を打ちながら聴いてくれた。こうやって一対一で、私の「世界」のことを話したのは利吉さんで三人目だ。一人目は滝夜叉丸くん。二人目は潮江くん。そう考えると、利吉さんは貴重な人なのかもしれなかった。

「いつか、戦のない日がくるんだね……」
「……いつか」
「良いことなんだよ、うん。まあ、でも、私たち忍にとっては少しばかり複雑だね。嬉しいような、哀しいような……。戦がなくなってしまえば、私たちは用済みだから」
「前にも同じようなことを言われました……」
「雛さんが気に病むことはないよ。ここは戦のある世界で、私にとってはこの世界が全てだ。君にとっては戦のないことが当たり前で、それが全てだった。それだけのことさ」
「利吉さんって……大人」
「そんなこと言ったら雛さんも大人だ」

 私のどこが大人に見えるというのだろう。この学園の生徒や先生方の助けがなければ生きられず、泣いてばかりの子供のような私のどこが。

「私たち忍という存在を認めている」
「ッ……それ、は……」
「君の世界にはなかった存在を認めるのは自分で思っているより苦しいことだと、私は思う。……だから、雛さんは大人だよ。それに十七なんて言ったら、ここじゃ婚期逃したいい大人だ」
「……そういう利吉さんはどうなんですかぁ」

 婚期を逃したとからかい気味に言われ、少しばかりムっとしてしまう。言い返せば、それは聞かないでと返ってくるのだからおかしいったらありゃしない。

「私はしばらく、仕事一筋さ」

 そう呟いて立ちあがって、私に手を差し出した人。その意図に苦笑しつつも、彼に護身術を習おうとそう思うがまま手を、取った。私の話を、私の世界を否定しない人の手を。



「散らばる界の欠片」



「雛さん、構えはこう!」
「え、あ、すみません……」
「持ち方が違う!」
「ス、スパルタ……!」

 彼は切り替えの上手い人でした。


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