雛唄、 | ナノ

04


 天気の良い午後。
 見つけた獲物に気配を殺して近づく。

「っ!!? ッ…………ッぐ」
「……普通の子、だね」
「…………ぁ……っ」
「……苦しいかい。そりゃあ、力入れてるからねえ」
「……ぅ…………ッ!」
「未来から、来たんだって? ……随分、洒落た面白い話じゃあないか」

 現在、忍術学園は夏休み中で先生方や上級生がいないと噂には聞いていたが、こうも簡単に侵入者を許していいものなのか。まあ、私が伊作くんをここまで運んできたこともあって、誰も今はそこまで警戒しないのかもしれないが。

「……もう少し、抵抗してくれないかな。つまらないよ」
「ッ…………く……!」

 風の噂で聞いた、ハナシ。

 忍術学園には未来から来たという女人がいるらしい、とは何とも面白い噂だと聞いた時には思ったものだ。興味本位でそれが本当か嘘かを確かめるため、忍務の合間を縫い、尊奈門といった部下の目をかいくぐり、まずは忍術学園の中でも私とさりげなく親交のある善法寺伊作くんに話を聞こうと思い、彼がいることが多いという忍術学園の裏山にある薬草菜園に足を運んだ。

 夜明け間際に見つけた彼は、塹壕らしきモノに落ち、泥まみれ。その上、外敵を追い返すために仕掛けられた罠に嵌ったらしく身動きが取れないようだった。自分たちで仕掛けた罠なのに何で自分が引っ掛かるのか不思議でたまらないよね。不運というか、さぁ……。
 しばらく様子を見ていれば、突如として聞こえてきた山を駆ける足音。見るに忍術学園の生徒の一人らしかった。優秀なことにも相手は私に気付いたのか、私に伊作くんをお願いするという意味を込めたであろう視線を送ってきた為、了解の意味を込めて手裏剣を一本投げてやった。交わすなんて可愛げがなかった。

 朝日が昇ると同時に、伊作くんの目の前に着地すれば彼は苦笑するばかりだったから、溜め息が出るも、彼に会いに来たのだから話をするにはまず、引き上げてやらねばならなかった。それがつい先刻のこと。

「……ッは……ッ!」
「ああ、ごめんごめん。つい、面白くてね」

 目の前でそのか細い首を絞め上げられている彼女の反応は想像していたよりも薄くてつまらないが、伊作くんがあの噂を肯定したことは非常に面白い。

(未来ねえ……)

 伊作くんが言うには、この学園は彼女が来ておおよそ二ヶ月前後が経ったつい先日、彼女をこの学園の一員として迎え入れたのだという。包帯の巻かれていない方の眼を細めて彼女の容貌を視てみるも、これといった特徴はない、どこにでもいそうな普通の女の子だった。

(……ただひとつ、怪しいモノ)

 自身が今絞め上げているその首に光る、鎖。触れればチャリ、と音を出した金属。ああ、怪しい。こんなモノを私は見たことがない。綺麗で綺麗で、歪めたくなる。

(この女人の瞳同様に)

 あまりに綺麗すぎるものは毒だ。
 澄んだ色など我々には必要ない。


 ――なのに、どうして。


「……歪まない?」
「ッ……?! っは……ぁ……ッげほ……っ」
「こんなに良い天気なのに、君は苦しそうだ。なのに、どうして、君のソレは歪まない?」

 ぱっと絞め上げていた己の手を離せば途端に地面に崩れ落ち咳き込むその身体。ああ、脆い。脆くて弱くて可哀想になってきた。

 くノ一か、間者かのどちらかならば自分の命が本当に危険に晒された場合、ましてや私の正体が分かった場合は、即防衛手段に出ると思い本気で殺してみるつもりで首を絞め上げれば、為す術もなくただ私のされるがままなんて、予想外だった。
 彼女に合わせるように自身も地面にしゃがみこめば、ひっと息を呑んだ未来からお越しになったという不可解な君。彼女の首についてしまった赤紫色。つゥっと指先でなぞればその瞳から零れ落ちてくる冷たい粒の連鎖。

(うーん……やりすぎたかな)

 右目以外は包帯に覆われているこの顔で、目の前の彼女を落ち着かせるために微笑んでみるもそれはただこの女人の恐怖を煽るだけだったらしい。

 右目を細めただけなのに。

「ッ…………!」
「……助けも乞わないのかい。君はこの学園に受け入れてもらったんだろう? じゃあ、助けを大声で叫べば君を助けにきてくれる人もいるんじゃないの? ……ああ、それとも、この学園の生徒たちは君があまりに哀れだったから、仕方なく受け入れただけ?」
「………………」
「違うって言いたいの? じゃあ、助けを呼んでみてよ。その方が私としては面白くていいからね」

 眉間に皺の寄った表情で弱弱しく見えながらも睨まれてしまった。

 しかしながら、ようやく人間らしくなってきたように感じる。私がこの女人の背後から突如として現れ、言葉を発する間もなく首を絞め上げたあの瞬間、このヒトは驚き、恐怖はしたものの助けなど呼ばなかった、乞わなかった。なんてつまらない人間かと思ったものだ。その上、瞳だけが屈しなかったのだからますます面白くなかった。こうして、睨むなりもしくは暴言を吐くなりしてくれればいい。その方が、私としても気が楽だ。責められた方がいい。

「……ふぅん。ねえ、君さ、名前は?」
「…………、……」
「西園寺雛チャンだっけ。年は十七だったかな」
「ッ!?」
「なんで知ってるのって顔してるけど、さっきもちゃんと言ったでしょ。聞こえてなかった? 伊作くんに教えてもらったんだよ。まあ、彼は私がこんな行動するなんて思ってもみなかっただろうから悪気はなかったんだろうけどね。でも、やっぱり忍者としては彼はまだまだ甘いね。忍者は簡単に人を信用しちゃいけない……ね?」
「ッ……!」
「そう。だから、私は君に会いにきた。この眼で、この耳で、あの噂が本当なのか確かめたくて。未来から来たなんてさ、本当だったら攫っちゃおうかとも思ってね」

 未来の知識は戦場において有利になるに違いない。そうすれば、私の仕事も減るし……じゃなくて、我々も有利に物事を進めることができるだろう。

 怯えた目をした女の頭に手を置いた。

「っ…………?」
「私はね、一応これでもとある城の忍者隊の組頭なんだよ。疑ってかかるのが仕事だ。だけどね、一度この眼で、この耳で感じたことが嘘か真実かはすぐに分かる。私は自分の目にも腕にも自信があるんだが……どうやら、君の話は信じても良さそうだ」

 クツリ、と嗤う。

 そしてふわりふわりと艶やかなその髪を撫でれば、今まで視線を地面へと向けていた彼女が恐る恐るながらも私を見た。今度は睨むのではなく、真意を問うような眼差しで。淀んだ黒のない世界はどんなものなのか、私は当の昔に忘れてしまったが、彼女は今でもその世界を見ているのだろう。

「くノ一や間者がこの程度の力から逃げられずにどうする。早死にするぞ、間違いなく」
「…………ぁ」
「その怪我、瞳、雰囲気。それだけで十分さ」
「ッじゃあ、なんで……!」
「おっと、首を絞めたことは悪かった。謝ろう。万が一という可能性が捨てられなかったからね。最初は本気で殺そうと力を込めたんだが、最後の方はかなり緩めたんだ。緩めれば逃げ出すかと思えば、君はただ喘ぐだけ。悲鳴のひとつ上げやしない。逃げるどころか何もしやしない。もし君がくノ一だったら、うちの忍者隊に誘ったんだけどねー。ちょっと残念」

 開いた口が塞がらない、という言葉が今の彼女にはお似合いだ。私も私で、疲れてきたから胡坐をかいてとりあえずは座ることにする。乾いた地面に腰を下ろせば砂利の擦れる音がした。

「ふわぁーあ……首、大丈夫?」
「……ッ大丈夫なわけ、ないじゃないですか」

 細い声に込められた感情が鋭い。
 尖っていて、脆い。

「うん、ごめんね。でも、それでいいよ。そうやって反論とかしてくれた方が人間らしくて私は好感がもてる。で、だ。君がくノ一であった場合はうちに誘うつもりだったんだよ、真面目に。忍術学園に溶け込んだやつが一人でも多ければ多いほど、有事の際、役に立つだろうからね。だが、君はくノ一でも間者でもなかった。ただの女人だ。未来から来た、ただの女人」
「…………攫う、なんて」
「んー? してほしいなら喜んでするけど? 私さあ、もう婚期逃しちゃったんだけどね、実を言えばお嫁さんとか欲しかったりもしてさ。どう? 攫われてみる? 君くらいなら嫁に貰ってあげるけど」
「……何歳、なんですか?」
「三十六かな、今年で。……なに、もっと若く見える?」

 こくん、と素直にも頷いた彼女に笑ってしまう。正直なのはいいことだ。しかし、彼女は面白い類の人間だ。仕留める気はなかったとはいえ、私は彼女を殺そうとしたのに。そんな相手を前にして彼女は徐々に緊張が解け始めているようだった。そうなるよう仕向けているのは私だが。

「ふぁああ……ちょっとね、寝不足なんだよ。君は眠くない? 今日暑いし……なんか暑いと眠たくなっちゃうんだよね」

 欠伸をしたために片目から滲み出る涙を指先で拭えば、目の前の彼女は今度こそ脱力したようで、呆れ顔になっている。油断大敵って言葉を知らないのかね。

「まあ、そんなわけで攫っていい?」
「……攫ったって何も良いことありませんよ」
「元気出てきたみたいじゃない。でもさ、そんなツレないこと言わないでよ。君だってこの学園から逃げ出したいって思ったことくらいあるだろう?」
「ッそんなこと――」
「ない、なんてことはないよね? だってさ、君のその腕の怪我も、指先の怪我も、うっすらと残ってるその頬の傷痕も……ここの生徒につけられたものじゃあないのかい?」

 目の前の女人の瞳が揺らいだ。痛ましげに眉間に皺を寄せて、そして彼女は俯いた。彼女の膝の上で握られた手に僅かに力が込められたことが分かる。ソレはつまり、図星ということだ。

「怖かったよね、痛かったよね。ここの生徒たちはまだまだ未熟だ。怪しければ疑ってかかって君のことを信じないのは当然。でも、ねえ? 私のところにおいでよ。私が迎え入れたと言えばほとんどの人間が君に敬意を払うだろう。ここより、快適に過ごせると思うけど? 傷つくこともないし、楽しく遊んでればいいんだよ? まあ、虐めとかはあるかもしれないけど。女の人って怖いよねー」
「ッそんなとこ、誰が好んで行くって言うんですか……!」

(……ああ、楽しい)

「じゃあ、いっそのこと君を監禁しちゃうとか? どう? これなら私以外には会わないし、虐めとか遭うこともないけど」
「絶対嫌です……」
「君にとってここってそんなに大事? ……ただ、ここしか居場所がないからここが大切なように感じてるだけじゃない? ね、他に居場所ができたら君みたいな人はあっさりここの生徒のこととか忘れちゃったりして」

 顔を上げた彼女がじわりと再び溢れだしそうな雫を瞳に溜めてこちらを睨むものだから、それはそれで男としてはすごくそそられるのだが、それを目の前の彼女に告げたら今度こそ平手でも飛んできそうだ。

「君ってさー……なんかすっごく苛めがいあるね。っと、唇は噛まない。まあ、悔しいのは分かるけど。だって、私の言ったことって全部君にとっては図星でしょ? 図星だから否定したくなる、悔しく思う。人間ってそういうモノでしょ、ね」

 悔しさからか唇を噛んだ目の前の人のそれを指先でなぞれば、大袈裟に肩を跳ねさせるものだからますます面白くなってしまう。顎を掴んで接物でもしたらもっと面白い反応をしてくれるだろう。しかしながら、そこまではするつもりはない。私は大人だからな。遊ぶだけの女をからかうのならいいが、彼女は黒を知らない子供のような女人だ。

 詫びの意を込めて、目の前の儚い身体を抱きしめてみようと思いついたところで、聴こえてきたアシオト。耳を澄ませばソレは聴きなれたもののようで、どうやらここにいることがバレたらしい。もう少しくらい放っておいてくれればいいのに。

「尊奈門か。あーあ、時間切れ。見つかっちゃった。……雛ちゃん、楽しかった。ありがとねー」
「ッ楽しくなんか……!」
「あ、そうだった。私は君の名前を知っているのに、君が私の名前を知らないのはちょっと不公平だね。いいかい? 私の名前は雑渡昆奈門。好きなように呼ぶがいいさ」

 そう告げて、立ち上がる。
 ぱんぱんっと地についていた部分をはたけば僅かに砂塵が舞った。黒の生地だからさ、砂とか埃とか付いてると目立つんだよね。
 
「ざっとこんなもん……?」
「反復しなくていいから。名字だったら名字で、名前だったら名前で呼んでよ。いい? 絶対にフルネームで呼んだりしないでね。いくら雛ちゃんが面白くてもフルネームで呼ばれたら私うっかり殺しちゃうかもしれないから」

 優しさを込めて言ったつもりだったのに、雛ちゃんは固まってしまった。そんな彼女の腕を引っ張って無理矢理立たせる。そのまま思い切り抱きしめた。うん、武器は何も持ってないようだ。

 少なくとも「今」は。

「……一人は寂しい。だから人は誰かと共にある。だけど、それがいつか足枷にもなるってこと知っておいた方がいいんじゃない?」
「…………?」

 思っていたよりもずっと弱く、脆い、未来から来たという女人。彼女の“これから”がまた楽しみだ。私という曲者に遭遇し、襲撃され、――さて、この子が取る選択はどれだろう。

「私は君に興味を持ったからね、忍たま達が少ない夏休みのうちにまた来るよ。首、伊作くんにちゃんと診てもらうんだよ」

 ぱっと身体を放し、自身の首を回す。ポキ、なんて小気味よく骨が鳴った。

「あいつが来る前に行かないとね。小言聞くのも疲れるからさァ……じゃあね、雛ちゃん」

 尊奈門がこの学園の敷地内に入る前に出ることにしよう。これ以上ここにいても、面倒事が起こりそうだからな。現に、こちらへと駆けてくる足音がする。二人か。足音からして未完成なこの感じ。私に気付いているわけではなく、ただ単にこの女人に会いにきたのだろうが。

 視界に入る色は紫。高学年に片足を突っ込んだあたりの四年生か。

「「雛さんッ!」」
「君は独りでありながら、一人というわけではなさそうだ。でも、こう簡単に襲われてちゃたまったもんじゃないよねー」
「「くせ者……ッ!」」
「あーはいはい。私は帰るから、またね、雛チャン」
「雛さんっ大丈夫ですか?!」
「ちょ、雛さん! その首……! ッんの野郎!」

 振り向かずとも分かる、なかなかの殺気。ああでも、事が起こってからじゃなく、事が起こる前に気付いて駆けてくるべきだったのに。この学園も、ここの生徒もまだまだ甘いな。

 塀へと上がり、木の枝へと飛び移る。

 彼女を監視している者が誰もいなかったことから、この学園は完全に彼女を学園の一員として迎え入れたのだろう。それは彼女にとっては喜ばしいようで、非常に危険だ。
 我々以外にも風の噂を聴いた者たちはいるだろう。そうなれば、彼女の利用価値を悪に見出す者たちも出てくるに違いない。そうなった時、誰かが常に彼女の傍にいれば最悪の事態は免れるだろうが、こうして彼女の傍に誰もいなければ彼女の命は簡単に事切れてしまうかもしれない。

(雛ちゃんは弱い)

 想像以上の弱者だ。

 尊奈門の声が聞こえてきたが、無視して木々の上を移り渡って行く。また近いうちに抜け出して彼女に会いにこよう。次に会う時には真っ直ぐに私を見てくれないものだろうか。柄にもなく、あの瞳に射抜かれてみたいと、思った。


 ***


 衝撃的な出逢いだった。

 誰かも分からないまま背後に迫られ、身体を反転させられたかと思えば絞め上げられた自身の首。地から離れた足。呼吸のできない苦しみ。全部が一瞬の出来事で、首を絞め上げられていたのもそんなに長い時間ではなかったはずなのに、苦しくて苦しくて三途の川を渡ってしまうのかもしれないとさえ思った。

(……へんなひとだった)

 変な人だったと思う。

 首を絞め上げてきたから、てっきり私を殺したくて仕方がないのかと思ったけれど、そんなことはないらしく、首は放してくれたし、その上謝ってまでくれた。そして、どんどん進んでいったハナシ。

 彼の、雑渡さんの言葉は痛かった。

 ぬるま湯に浸かりかけていた私に、彼は冷水を頭から浴びせてくれた。考えないようにしていたことを突き付けてきた。そんなことはない、と彼の言葉の全てを否定したかったのに、出てきたのが悔しさから生まれる涙ばかりだったのも情けない話だ。

 私も心のどこかで思っていたのかもしれない、なんて。

(……考えるな)

 雑渡さんの奇襲を受けてから、、もう三日が経ったというのに、隙をついてはぐるぐると徘徊する雑渡さんの声、言葉、眼差し。
 彼の眼差しは苦手だ。何もかも見通してしまいそうな瞳。それが苦手で、でも、だからこそ印象に強く残っている。忘れようとして思い出す。忘れたい記憶ほど忘れられないものだから厄介だった。

「西園寺さん? どうかしましたか?」
「ッ?! あ……い、いいえ。何でも」
「そうですか、貴方には会計委員の仕事を手伝っていただいていますからね、体調など壊さないようにしてくださいよ」
「え、あ……はい」
「私は諸事情で帰省するのが遅くなってしまいましたが、教職員の休みが十五日といえ、一年生は夏休みが三十五日もありますからね。今から帰っても少しはゆっくりできます。まあ、その点においては一年は組の乱太郎も今回だけは、いいですか、今回だけは! 誉めることができますが。というわけで、西園寺さん、田村くん。よろしくお願いしますよ」

 ここ、会計委員会室において、私の目の前で滔々と話を進めているのは、一年い組担当で会計委員会の顧問だという安藤先生。そして、隣にはしゃんと背を伸ばした三木ヱ門くん。

「はい、夏休み明けの予算会議に向けて頑張ります。……頑張らないと潮江先輩に怒られるし」

 安藤先生の背中が見えなくなると同時に吐き出された言葉に苦笑してしまう。予算会議というものについては、先日聞いたばかりだったけれど、何とも過激な会議らしい。

「雛さん、首……どうですか?」
「んー……痛くはないよ。まだ痕は消えないけど……」
「何も本気で首絞めることないですよね、あのくせ者め……!」

 雑渡さんが学園から去った後は、てんやわんやの大騒ぎで、滝夜叉丸くんと三木ヱ門くんが学園中に言いふらしてくれたものだから、ここ二、三日は余程のことがない限り、常に誰かと共にいる。

 それは学園長先生だったりヘムヘムだったり、お茶をしようと誘ってくれた山田先生や松千代先生だったり。松千代先生は恥ずかしがり屋らしくお茶といっても、姿が見えないのだけれど。そのまた四年生の誰かだったり、五年生の二人だったり、二年生だったり。それは私にとってひどく嬉しいことに違いないけれど、迷惑をかけているなと思う。

 彼らが私といる時間で、何かほかのことができるはずなのに。

「……雛さん、また変なこと考えてません?」
「え……あ、や……ううん」
「僕たちにとって、僕たちが雛さんの傍にいる時間が無駄だとか」
「!? ……声に出してた?」

 心の中でも読まれたのか、それとも私が言葉に出していたのか、思っていたことをずばりと当てられて動揺しないはずがなかった。そんな私に、算盤を出してきた三木ヱ門くんは小さく笑って、顔に書いてあります、だなんて言うものだから、困ってしまう。

「雛さん分かりやすいんですよ。でーも! 雛さん、ソレは間違ってます。雛さんの被害妄想です」
「被害妄想って……」
「えー? だってそうでしょう? 僕、雛さんの傍にいたいから傍にいるんですよ。誰も、別に雛さんに時間盗られたとか思ってません。それは僕が断言します」
「……三木ヱ門くん」
「ね、だから、僕のこと信じてくださいよ! 僕は一人でやらなきゃいけないんだろうって思ってた会計委員の仕事を雛さんが手伝ってくれてすごく嬉しいんです」
「ッ…………」

(泣けてしまう)
(泣いてしまう)

 そんな言葉を貰えるほど出来た人間じゃないのに。

「ちょ、雛さん?! え、え?! 僕、なんか言いました!?」

 ふるふると頭を振って否定を示す。ただ、嬉しくてどうしようもなくなっただけなんだと、声にしたいのに声にならない。

「……雛さんを泣かせたなんてあいつらにバレたら僕、怒られますよ。それとですね、雛さん……先日も言ったと思うんですけど、あのくせ者が何を言ったか分かりませんが、気にしないで雛さんはただ僕たちのことを信じていればいいと思います」
「ッ…………でも」
「でも、じゃないですよ! 雛さんのこと全然知らないくせ者なんかの言葉に囚われないで僕たちのこと信じてください。僕たちの方が雛さんと仲良いのに……なんかすっごく面白くない」

 そう唇を尖らせた三木ヱ門くんが可愛くて可愛くて、泣くことは迷惑以外の何物でもないはずなのに複雑に絡んだ感情が溢れてきて、結局はぼたぼたと為す術もなく地へと散ってゆく涙。

「……ッ信じて、も、いいの」

 彼らを信じることができると思ったのに、些細なことでがたがたと音を立てて崩れていく心。それを修復するために必要な彼らに言いたくて言えなかった言葉を、小さな声でそっと紡いだ。

「「ッ当たり前じゃないですか!」」
「あ、また被ったねえ。二人とも」
「……盗み聞きしてたのは滝だけだからね」
「!? ッお前らなあ……! 盗み聞きとかサイテー!」
「お前だってこの間やってただろう?!」
「は、はあ?! やってないから! あれはたまたま……!」

 戸がスパーンと耳に良い音を立てて開け放たれた先に映った、紫色が三つ。聴き慣れた口論が始まった事実に、なんだかおかしくなって笑えてきた。

「…………うん」

 誰にともなく頷いただけだったのに、目の前の四人がそれぞれ反応してくれてくすぐったい。一人じゃ、ない。一人じゃ――……。



「脆に浮かぶ一人」



「いい加減うるさい……」
「まあ、ねえ……。あの二人ってば会う度に口論始めちゃうんだもん」
「西園寺さん、止めてきてくださーい」
「え? え、やー……うん」


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