雛唄、 | ナノ

02


「……………、……?」

 意識が浮上してくると同時に瞬きを数回繰り返した。ぼんやりとしていられたのも束の間で、自分の身に起こった出来事を思い出したと同時に意識がはっきりと覚醒する。

(ッ………………?)

 目元をこすりつつ首を動かす。
 外はもう夜なのか暗いようで、月の光か何かが差し込んだ室内もまた薄暗かった。

 木でできた天井に畳独特の香りがする部屋に自身がいることを認識して、頭の中で生まれる疑問に寝起きの頭をフル回転させて記憶を手繰り寄せることしばらく。……ああ、思い出したらアレは夢だったのではないかという気がしてきた。そんな思考はこの状況をもってすれば現実逃避以外の何物でもないことには気付かないふりをして、ただの夢であってほしいと願う。
 ぎゅっと目を瞑って、そっと目を開けても変わらない景色に泣きたくなった。一度深呼吸してから上半身を起こして、もう一度記憶の順を辿る。思い出すのは怖いけれど、怖いという感情を抑えて懸命に記憶を手繰り寄せる。教室に戻ろうとしたら廊下の終わりがない上に人もいなくて泣いて。それがとても怖くて。で、それから――。

(それから……?)

 確か、私の意識が途切れる前に見たのは、緑の、濃い緑の服を着た――……。

「目が覚めたようだな」
「ッ?!」

 いきなり声がしてその声の主を反射的に見やれば、ドア……じゃない、障子戸に寄りかかっている人がいた。戸が開いたことで僅かに明るくなった室内が、上手い具合にその人の顔を浮かび上がらせた。
 浮かび上がったその顔に、小さく息を呑む。

(…………綺麗な人)

 彼の第一印象は綺麗だった。美しい、と言った方が雰囲気には合うかもしれない。
 どこか既視感を覚える緑の着物のような衣服に身を包んだ人。高く結われた鴉の濡羽色の長い髪が揺れている。その濡羽色の髪を際立たせているかのような白い肌にしなやかな体つき。今まで見てきた人の中で、きっと……、きっと、一番綺麗な人だと――思った。
 彼の雰囲気に呑まれたまま、そんなことを考えていれば首に感じた違和感。耳元で声がする。

「貴様、何者だ」

 ……ああ、まるで私が悪党のよう。

 首に走ったチリッとした痛みに、現実を突き付けられた気がした。痛みなんて感じたくなかった。夢じゃ、夢じゃ痛みは感じないんじゃなかったの? ……ねえ。


 ***


 私たちが学園に女を連れ帰り学園長先生に事情を話したところ、女の処遇については女が目を覚ました後に検討すると仰られたために寝かせることにした。客室にその身を運んだのは二日ほど前のことだ。

 この女を監視していた私に対し、先ほどまでグチグチと嫌味たらしく何度目かの文句を零していた文次郎が先生に委員会のことについて呼ばれいなくなったことで、一人息を吐き出す。あいつが嫌いなわけではないが、どうもこういう時は煩くて敵わない。あれは頭が固すぎる。

 視線を女に戻す。

 連れてきて丸二日経ったが、妙な衣服を纏った女はまだ起きる気配をみせない。
 女は下には膝より短いヒラヒラした着物のようなものを、上には生地さえよく分からない、襟立っていて白い薄い生地なるものと上着らしき上質だと思われる布で出来たものを身に着けていた。足には足袋を長くしたようなものを履いており、南蛮の方の衣装で似たようなものを知っているがこの女が身に纏っているものは見たことがなかった。
 貴族が履いている沓のようなものも履いていたが、沓よりも柔らかい材質で出来ているらしいそれもまた然り。更に言うなら、女でここまで肌を、足を露出させているというのもおかしな話だ。
 顔も手も綺麗なままで、露わになっていた足にも目立った傷はなく、髪も爪も綺麗に手入れされている。怪しいことに変わりはないが、育ちが良いことは確かだろう。

(…………ふむ)

 女の容貌からして、大して自分たちと年は変わらないように思える。首元には光る鎖。鎖にしてはとても細い。女が何者で何が目的でどうやってあの場に突如として現れたのか。女が目覚めないことには分からないことだらけだった。
 こうして考えていても仕方ないと考え、自分を呼びにきた友人の声に応え、部屋を出た。そうして戻ってきた時には、上半身を起こしていた女。すぐには声をかけず、少し様子を観察してから静かに言葉を紡ぎだした。

 交わった視線。
 女の瞳は、ゆらゆらと揺れていた。



「ねえ、あたは」



 首元に押しつけられたものが何なのかすぐには理解できなかった。分かったのは尖っていてひどく冷たい己の手のようだということ。

「言え、貴様は何者だ」

 この人の機嫌を損ねれば間違いなく首を掻き切られる。そんな自分の命が危ない状況だというのに妙に落ち着いていた。現実を感じさせる痛みとそれを否定したい思考に挟まれて、全てが他人事のように思えた。死ぬかも、なんてあまりに現実味が無さすぎる。だって私は普通の、至って普通の学生だったのだから。死ぬかもなんて誰が想像できただろう?

「…………ここは、」
「質問に答えろ」
「ここは、どこですか……?」
「…………貴様」
「ッ!」

 微かに掠れた声で言葉を紡げば押し当てられていただけだった首元の何かに微かに力が込められた。このまま、この人があと少しでも力を入れたなら間違いなく切られる。否、今の時点で軽く切れたかもしれない。赤い線が一筋、首元を彩っているのだろうか。込められるかもしれない今以上の力に思わず目を瞑った。

「…………ここは、忍術学園だ」

 予想に反して、緩められた力。変わらず冷たい切っ先は首元にあるけれど、あからさまに詰めていた息を吐き出す。そうしている間に、彼の口から落とされた言葉は。


 ――ここは、にんじゅつがくえんだ


 にんじゅつがくえん。その単語を耳にした瞬間、先ほどまで一人、自分の身に起こったことについて導き出したいくつかの考えの内のひとつが、自分のなんとも馬鹿げた現実味のない考えが、間違ってはいなかったことを思い知った。もしかしたら、自分はあの時、どこかに飛ばされたのではないかという馬鹿げた考えがリアルに変わる。

(にんじゅつ、がくえん……)

 どこだか分からないけれど自分の知る場所にそんな学校はない。しかも、ニンジュツ、だなんて頭の中で一発変換された漢字は――忍術。一度唾を呑み込んで喉に力を込める。

「あなたは忍者なんですか……?」

 か細い問い。
 答えはない。

(忍者なんて……。昔でも時代劇でもあるまい、し、…………むかし?)

 昔、存在していたと言われる忍者。時代劇などでよく描かれるその姿。もしも彼が本当に忍者だとしたら首元にあてられているものがなんなのか想像するのは容易い。おそらくクナイと呼ばれるものだろう。それか、刀か。だけど、まさか。……昔? よぎった考えに鳥肌が立つ。わたしは、わたしはもしかしたら――……。

「……立て。学園長先生の指示を仰ぐ」

 そう言われて無理矢理立たせられる。この人の、華奢な見た目に反してかなりの力があることに少なからず驚きつつも、抗議を唱える間もなく、彼に腕を縛られ、半ば引きずられるようにして歩いた。歩かざるを得なかった。どちらも無言のまま、ただ歩く。
 道すがら目に映ったのは、木造の建物、白い塀にその向こうにあるだろう雑木林の一部。月が陰っては姿を現しているのか見える物の色が薄くなっては濃くなってを繰り返していた。廊下に貼られていた紙には何が書かれていたのだろう。筆文字だったのは確かだ。

「ッ!」

 ただ彼の後を追っていただけの私は、彼がいきなり歩みを止めたものだからもう少しで彼にぶつかるところだった。はっとして彼を見れば、彼はある一室の障子戸の前で止まって膝をつき頭を垂れていて、そんなテレビやドラマの中でしか見たことのないような光景にますます現実味が薄れていく。立ち尽くす私と、膝をつき頭を垂れている人。

 現実味が、ない。
 感じ、られない。

「学園長先生」

 それだけで伝わったのだろうか、中から入りなさいという声が聞こえた。

(……忍術学園ってどこかで)

 そういえば聞いたことがあったような、という疑問はあっさりと解消された。障子戸が開いた先、灯りによって浮かび上がったその人影はテレビを通して見たことのある、とある人の姿にそっくりだったから。既視感。そして、唐突に思い出す。忍術学園と呼ばれていた学舎がある世界のことを。息を呑んだ私を不審がりながらも、目の前の綺麗な人は学園長先生とやらの前に私を差し出した。

「して、お主。何者じゃ」

 後ろ手に縄を縛られたまま前に押され、よろけつつもどうにか正座をした直後に降ってきた声。その声の主は白髪の、お爺さんだった。某忍者アニメにでてくる彼にそっくりだった。瞬時に先ほどよぎった考えよりも嫌な考えが頭をよぎる。

 もしかしたら、ここは――。
 もしかしたら、わたしは――。

(学園長先生……?)
(え……? 忍たま……!?)

 そう考えれば何もかも辻褄が合う。気付いた事実に目を見張る。忍装束の人に忍術学園という名の場所、クナイに白髪の学園長先生。そして極めつけは学園長先生へとお茶を運んできたらしい二足歩行の犬。学園長先生が名前を呼んだ。その名は――ヘムヘム。そんな馬鹿な、ありえない。ありえない……!

「おい。聞いているのか、貴様」
「…………ッぁ」

 後ろに控えていた男の子の声に意識を目の前へと帰す。

 なんと、言えばいいのだろうか。学校で異変を感じて困っていたらここに飛ばされたようですとでも言えばいいのか。いや、そもそも私はどうして今ここにいるのか、ここに直接飛ばされてきたのか。分からないことだらけでどう説明すればいいのか考えがまとまらない。それよりも何よりも、私自身、私の身に起きていることは信じられないことで、まだ現状を把握できていない。それなのに。

(それなのに、何を話せというの?)

 視線を上げれば学園長先生の真偽を図るような瞳に言葉が出てこなかった。

「わ、たしは……」

 震えたくなどないのに声が震え視界がぼやけ始める。


 ――どうすればいい?


 ここで身の潔白を証明しなければ痛い目にあうのは目にみえている。最悪の場合、殺されるかもしれない。既に首に走った痛みがソレを立証済みだ。どうにか説明しなければ。そうじゃなきゃ、この今に幾ら現実味が感じられなくても自分の身が危ない。じっとりと嫌な汗が滲み出る。ぎゅっと握りしめた手が汗ばんで気持ち悪い。どうしよう、どうしようと考えを巡らせていれば思い当たったスクバの存在。私がここにきた時にきっとソレも抱えていたはずだ。それがあれば、携帯やら何やらで未来からきたなどと言えるかもしれない。

(テレビの向こうから来た、なんて)
(……そんなこと、言えない)

 テレビの向こうよりも、未来の方がまだありえそうな気がした。まだ信じてもらえそうな気がした。

「あ、の、かば……ん」
「かばん……?」
「えと、その、わたしの……ッ」

 拙い私の言葉から思い当たる節を見つけたのか、あの綺麗な男の子が学園長先生に一礼して部屋を出て行ったのが確認できた。彼が退出して生まれた微妙な空気に居心地の悪さを実感する。

「お主、名は何という」
「あ……西園寺雛と、いいます」

 視線を下に向けていたところに声がかかった。それに応えようと出た声は細く小さかった。

「雛か。年はいくつになる」
「十七、になります」
「聞くところによると風と共にいきなり現れたそうじゃがどうなんじゃ。覚えておるかのぅ?」
「え……?」

 私が風と共に現れたという言葉に、驚きを返せば目の前の老人はほっほっと朗らかに笑った。目の前の人がお茶をずずっと啜る音を聴きながら今の言葉を頭の中で反復する。風と共に現れた……?

「二日前のことじゃったかのう。六年の野外実戦演習中にとのことじゃ」
「二日前……?」
「うむ。二日前じゃな」
「私、二日も寝ていたんでしょうか……?」
「そうらしいの」

 またもやほっほっほっと笑う老人に対して私は唖然とすることしかできない。だって、二日も寝ていただなんて。一体、何故。私がここへ来たことと何か関係があるのだろうか。もっと混乱し始めた私をよそに鞄を携えて戻ってきた男の子が鞄を私の前に置いたことにより、また空気が変わったのを肌で感じた。

「中身は見させてもらった」
「あ……はい……」

 大したものなど入ってなどいないのだ。携帯に教科書ノート筆記用具にポーチに財布にお菓子に音楽機器等々。薄暗い部屋の中、色を濃くした畳の上に音を立ててバラまけられる物たち。それぞれが奏でる様々な音。携帯がゴンッだなんて嫌な音を立てて落ちていった。

「異様な物ばかり入っているが」

 貴様何者だというフレーズが副声音として聞こえてきそうで身震いする。寒くはないはずなのに、指先が冷えていく。

「あの、これを解いてもらえませんか……」
「何をするつもりだ」

 じとりと睨まれ怯むが解いてもらわなければ目の前の物の説明ができない。きつい眼差しに涙がじわりと滲みそうになる。奥歯を一度思い切り噛みしめて少しの間、耐えた。

「っ話します、だから! その……ッ」
「よい、解いてやれ」

 学園長先生の声を聞き、不満そうな顔をしながらも彼は縄を解いてくれた。閉められた障子戸越しに月明かりが差し込んだのが分かる。

「……っ信じ、られないかもしれません。し、信じてくださいと、言う方が無理なのはわかってます。わ、わたし……ッ」
「話してみなさい」

 膝に乗せた手を握りしめる。妙に落ち着いていたはずの心臓がいつの間にかかなりのスピードでリズムを刻んでいた。ドクドクと、忙しない。ドクドクと、息が苦しい。

「わたしは――……」


 ***


 頭がおかしいと判断するには十分な話を目の前の女は繰り広げた。この女、キチガイなんじゃなかろうかと眉間に皺が寄る。寄らないはずがなかった。

 この女が言うには自分は未来から来たのだという。その証拠として、女は自分の所有物の説明をしてみせたのだが、これもなかなかに怪しい。けいたい、とかいう固い長方形の箱に示されるわけのわからない景色。不可思議な文字の羅列。

「……真に信じがたい話じゃのう」

 確かに武器になるようなものは小さな鋏と思われる物以外に何も持っていなかった。逃げようともしなかった。怪しい仕種もなかった。しかし、だからといって未来から来ただと? ――そんな馬鹿な、怪しすぎる。そんな話を誰が信じるというのだろうか。女もそれは分かっているようで膝の上に置かれた手に力が入ったのが見てとれた。

「……ふむ。お主の話はひとまず置いておくとしてじゃ。雛はこれから住むところがあるのかの?」

 ふるふると首を横に振った女。ああ、嫌な予感がする。

「害はなさそうじゃしのう。うーむ……よいじゃろう! 女子じゃしな!」

 うんうんとしきりに頷く学園長先生を見て嫌な予感がどんどん膨れ上がっていく。そして、そういう嫌な予感というものは当たるものなのだ。

「よし、雛! お主をここ、忍術学園で預かってやろう!」
「ッ学園長先生……! 正気ですか?!」
「うむ! 正気、じゃ!」

 さもいい考えだとでもいうように豪快に笑い出した老人に頬が引き攣った。何を考えていらっしゃるんだ、この御方は……!


(学園長の思惑)

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