雛唄、 | ナノ

03


 久々知くんと鉢屋くん、不破くんが学園を出て行った昨日の午後は、竹谷くんと尾浜くんに気分転換にでもと誘われ裏山と呼ばれる山へと赴いた。足の遅い私に怒るでもなく急かすでもなく、二人はゆったりと私の速度に合わせて歩いてくれた。青々とした草木に爽やかな風、広がる緑。見慣れぬ景色の中に、夏を感じたものだった。

 裏山――そこで出逢ったのは、灰色の毛を持つ綺麗な狼で、彼はとても静かな瞳をしていた。見定めるような静かな瞳を。

 狼は犬神とも呼ばれる崇高な生き物。

 そんな彼の醸し出す雰囲気に呑まれそうになるも、私はただ彼を見つめた。見つめなければならないような気がした。どのくらいの時間そうしていたのか分からない。短かったのか、長かったのか、ともかくも彼は一度瞳を伏せて高らかに鳴いた。

 そして返ってきた幾つもの遠吠え。
 山彦ではなく、明らかに彼とは異なる狼のソレ。

(笑ったような気がした)

 くるりと、尻尾を振って彼はそのまま山奥へと消えた。竹谷くんが何かを言っていたような気がするけれど、その言葉が私の耳に入ることはなく、私は夢のような現実に遭遇したとただそればかりを考えていたものだった。後から聞いた話によると、あの狼は竹谷くんが昔に怪我の手当てをしてからというもの時々彼の前に姿を現すらしい。獣遁術という動物を使って敵を察知したり撒いたりする術の要として力を借りることもあると言っていた。

 そのままの流れで、夕食の手伝いを竹谷くんと尾浜くんにお願いしてみれば、二人とも一つ返事で了承してくれたため、夕食はやはりいつもより準備するのに時間はかかってしまったものの料理と呼べるものが出来上がったことにひどく安堵したのは記憶に新しい。

 途中で滝夜叉丸くんと三木ヱ門くんが手伝いを申し出てくれたけれど、それは七松くんによって阻止され、彼ら二人には申し訳ないがやはり七松くんに感謝せざるを得なかった。七松くんは分かってやったのかどうか定かではないけれど、彼ら二人を連れていく際にほんの一瞬、私を見て笑ったからきっと分かってやったのだと思う。

(……どうしよう)

 そして、今。忍術学園における夏休みが始まって三日目の朝。朝食を作ろうと食堂へ向かえば、何やら中から話し声が聞こえる。その声に何となく覚えはあるから、生徒に違いはないのだろうけれど、もしも何か大事なことを話してでもいたらと思うとなかなか中に入れない。

「西園寺雛さんですかあ?」
「ッ?!! っび、っくりした……」
「ご、ごめんなさい……! その、ぼく……あの、驚かせるつもりじゃなくて……」

 うーん……と悩んでいれば後ろから掛けられた声。びっくりしてひとつ心臓が跳ねた。忍装束の色を見るに、どうやら彼は二年生らしい。当然のことながら私よりも背の低いその子を見下ろせば、しゅんとした顔がこれまた可愛く、庇護欲が掻き立てられたのは仕方のないことだと思いたい。

「四郎兵衛、来たのかー? ……あ」
「なに、左近。どうした? ……あ」
「なになに……って、雛さん! おはようございます! この間は図書委員会の仕事を手伝ってくれてありがとうございました!」
「え、あ……うん。久作くん、おはよう。っと、確か……三郎次くんと、左近くんで合ってる、よね……?」

 四郎兵衛と呼ばれた彼の声が聞こえたのか、戸口から顔を出したのは同じ青色の忍装束を着た二年生三人だった。

「あ、はい、そうです。ぼくが池田三郎次で、こっちが川西左近です」

 三郎次くんには以前夕食当番で会ったことがあるし、左近くんとは医務室に行くと時々顔を合わせることがあって、彼ら二人には初めて会うわけではなかったけれど改めて名前を教えてもらえてすごく助かった。名前を間違わなくて良かったと一人ほっと胸を撫で下ろす。

「っと……で、四郎兵衛。お前は雛さんと話すの初めてなんだっけ?」
「……うん」
「ったく、仕方ないなあ。雛さん、こいつは二年は組の時友四郎兵衛」

 ほわほわとした雰囲気を纏う彼は、四郎兵衛くんと言うらしい。いつの日か七松くんに外へと連れ出されて学園に戻ってきたとき、そういえば金吾くんと三之助くんと一緒にいたような気がする。その意味も込めて、体育委員なのかと尋ねれば案の定肯定の返事が返ってきた。

「……みんな、早起きだね」

 現在朝の六時前。いくら夏であり、陽が昇るのが早くとも、ここの生徒たちが早起きであっても、まだ十一歳の子が起きるには早い時間のような気がして、何の他意もなく言葉を零せば、目の前の子たちは視線を彷徨わせた。

(変なこと言ったかな?)

「その、め、め……ッ迷惑ならちゃんと言ってください!」
「え」
「ぼくたちは夏休み十日しかないし、べ、べべつに実家とか帰ったってすぐ戻ってこなきゃいけないし」
「………………?」
「その、だから……! ひ、暇なんで! なあ?!」
「お、おう! なんかぼくたちだけ何にもしないのってなんかやだし……」
「四年生の先輩方が手伝うくらいなら、ぼくたちが、ねえ……?」
「うん……。ぼくたちの方が役に立つと思うし……まあ、でも……なあ?」
「皿洗いとか、くらいなら……できるので……」
「雛さんがめ、……め、迷惑って言うんなら大人しくしてます……」

 どんどん声が小さくなっていく目の前の青を纏った子たちをまじまじと見つめてしまう。つまり、なんだろう……私の手伝いをするためにここにきてくれたという、そういう意味に取っていいのだろうか。

(……なんだろう)
(この可愛いの……!)

 頭を撫でたくなってしまうような彼らの可愛さに頬を緩めずにはいられない。もちろんのこと、彼らの申し出を断る気など全く起きなかった。

「……お願いしてもいいかな」

 できるだけ柔らかく伝えれば、彼らは皆して途端に顔を綻ばせるものだから、ますます可愛く思えて仕方がない。

「もちろんですッ!」

 その返事に今度は私が顔を綻ばせる番だった。


 ***


「………………、……」
「んあ? 何だって、長次?!」
「……、…………」
「昨日の夜中に出てったんじゃなかったかって? いや、それがさー。途中で忘れ物に気付いて急いで戻ってきた!」
「…………どこで」
「裏々々山あたりだったかなー。とりあえず全力疾走してきた! そういう長次、お前はまだ帰らないのか?」
「…………、……」
「朝飯食ったら帰んのか! じゃあ、私も長次と一緒に朝飯食ってから帰ることにする!」

 先ほど、勢いよく部屋へと戻ってきた、にかっと笑う目の前の男の纏う衣服には、葉っぱやら泥やらがついており衛生上非常に良くないと思われる。これでは、食堂に行ったところで西園寺さんから一度追い出されるに違いない。

(……そういえば)

 昨日の朝食はひどい有様だった。私も気休め程度に手伝ったことで、どうにか朝食にはありつけたが、今朝は大丈夫なのだろうか。物を片付けて荷物をまとめていれば、もうすでに六時半過ぎ。そろそろ朝食の時間になるだろう。

(……行ってみよう)

 五年の竹谷と尾浜は学園に残っているらしいから、彼らが昨日の夕食時同様、西園寺さんを手伝っていれば自分は必要ないだろうが、竹谷は朝は生物の世話に追われ、尾浜は寝起きがあまり良くないと聞く。

 そうであれば、彼女が一人で朝食を作っているのかもしれない。四年は昨日の内に小平太から散々説教まがいのランニングとバレーに付き合わされていたから今朝は疲れてまだ寝ているだろう。

「あ、そういや長次。さっきここ戻ってくる途中、裏山で伊作に会ったんだけどさー」
「………………」
「何してたかってそりゃあ、あいつは不運だからなあ。前に我々体育委員会で掘ったと思われる塹壕に落ちてたから頑張れーって声かけてきた!」
「……助けなかったのか?」
「ん、いや。誰かいたしな。なんだっけ……確か、タソガレドキの忍頭がいた。ほら、前に伊作がその人助けたみたいでその人、伊作のこと恩人だーって思ってるみたいだから?」
「…………放ってきたと」
「おう! だってさー、私は急いでたし、伊作に会いにあの人来てたっぽいから任せた方がいいと思ってさ。あの忍頭にはちゃんと私、目配せしてきたから大丈夫だって!」
「…………そうか」

 伊作は薬の原料となる薬草の栽培や、新薬の開発のために夏休みは実家に帰らず、実習の課題をこなす以外は学園で過ごすと言っていた。

 とはいっても、伊作は誰もが認める不運な忍たまのため、塹壕やら実技用の罠などが多く存在する裏山やその付近に足を運べば一日二日、長くて一週間ほど帰ってくることはないだろう。伊作もそれは分かっているのか、きちんと食糧を持っていっているようだからそこまで心配することはないが。

「にしても、あいつらも頑張るよなあ」
「……お前も変わらないだろう」
「そうか? まあ、私も負けてられないからな!」
「…………そうだな」

 あいつら、こと同期の仙蔵と文次郎と留三郎は、夏休みは修行の旅だと言って帰省する一年と三年に混じって休み開始早々に学園を出て行った。そうはいっても、三人ともここからそんなに離れた場所に行くとは言っていなかったから、戻ってこようと思えばいつでも戻ってこられるのだろう。それぞれ実家に戻ることも出来るはずだ。

 小平太と会話をしながら食堂へと歩みを進めれば、中から聞こえてくるいくつもの声音。五年や先生方ならば、食堂の机に座って朝食が出来上がるのを待つだけだが、どうやら声の主は二年生らしい。

「雛! おはよう!」

 何の迷いもなく食堂へと足を踏み入れた小平太の後ろ姿を見て思う。

(……絶対、追い出される)

 葉っぱだけならまだしも泥まで付いた汚れた服。そういえば、着替えてこいと言うのを忘れていた。

「え、あ……おは、よ……?! ちょ、ま……っ!」
「ん? なんだなんだ、私の顔に何か付いてるか?!」
「顔じゃなくて服! その服で、ちょ、そこから動かないで! 頼むから……!」

 案の定、西園寺さんは小平太の姿をその眼に捉えたその瞬間、目を見開いてこちらに駆けてきた。

「服ー? ああ、これはだな! 山々を全力疾走してきた証だ!」
「いや、いいことかもしれないけど食堂にはちょっと……! あ、中在家くん……おはよう」
「…………はよう」
「その、ちょっと……七松くんの服をはたいてくるので、台所見ててもらっててもいいかな……?」
「…………すみません」
「え、や、中在家くんが謝ることじゃないと思うし……って、ちょ、七松くん! そっち行かないで、ストップ! 外! 外行こう……!」

 背中を押されて小平太が外に連れ出されるのを見送り、視線を台所へと向ければ、二年生四人がせかせかと食器洗いやら、皮剥き、米を炊いたりしていた。しかしながら、味付けなどの調理に重要なことをしている者はおらず、西園寺さん一人で味付けなどをしているのだということが瞬時に見て取れた。

(…………仕方ない)

 彼らはまだ二年生だ。野宿や籠城戦に備えて週に何回かは自分たちで材料を見つけ料理をすることになっているものの、食堂で料理をすることとはまた別だろう。それに西園寺さんが二年生に調理に重要なことを任せないというのも頷ける話だ。が、しかし、このままの調子でいくと決められた朝食時間に間に合うのかどうか不安が残る。

「中在家先輩、おはようございます!」
「……う、……献立は?」
「え、あ……確か雛さんがあっちの紙に書いたって言ってた気がします」
「…………切った材料は?」
「あ、こっちです」
「…………久作、手伝え」
「え……え、もしかして中在家先輩、手伝ってくださるんですか?」

 同じ図書委員の久作の言葉に軽く頷きを返して、台所へと足を踏み入れた。


 ***


「じゃあなあ、滝夜叉丸、雛! 行ってくるー!」
「…………、……」
「中在家くん、本当に今朝はありがとう。助かりました。……気をつけて」
「雛! 私を無視して長次と仲良くするつもりか?! 私にも、挨拶ちょうだいよ!」

 朝食は中在家くんが手伝ってくれたおかげで、時間に間に合わせることができた。七松くんと中在家くんは帰省するようで、現在午前十時過ぎ、学園を出ようとしている。

「……七松くんには気を付けてねってもう何回も言ったよ」
「そういうこと言うんだ。へえ、ふーん……私泣くぞ!」
「……七松先輩、しつこいと嫌われますよ」
「滝夜叉丸、お前も言うようになったなあ! よし、今から私とランニング行くか!」
「いえ、結構です。謝りますから見逃して下さい……!」

 私と一緒に彼ら二人の見送りにきていた滝夜叉丸くんは、やはり委員会の先輩である七松くんには弱いらしい。というよりも、ランニングが嫌なだけかも。どうやら七松くんの体力は化け物染みているようだし、付き合うには相当な体力が要るようだから。

「ま、気が向いたら戻ってくるから! 滝夜叉丸も雛も元気でな! よっし、行くぞ! 長次!」
「………………歩く」
「なーに言ってんだ、長次! こういう時こそ走らねば! 行くぞー! いけいけどんどーんっ!」

 中在家くんの返事を待たずして、暴君七松くんは中在家くんの腕を取って走って行ってしまった。手を振る暇もなかった。

「七松くんって、すごいね……」
「はあ、すごいんですけどね、それに振り回される我々後輩の気持ちも少しは汲んでいただきたいものです……。まあ、七松先輩がしおらしくても困りますが」

 あっという間に見えなくなった二人の姿に、ぽつりと呟けば返ってきたのは、溜め息混じりのそんな滝夜叉丸くんの言葉だった。でも、それには優しさも含まれているような気がしたから、私はただ頷いておく。

「そういえば、雛さん。我々、四年生はこの度、日替わり当番を設けました。もう二度とあの馬鹿ヱ門と共に台所に立つことはないのでご安心ください。あの馬鹿ヱ門さえいなければ、この成績優秀、見目麗しき平滝夜叉丸は大いに雛さんの役に立ってみせましょう!」
「ッふは……!」
「な、なんですか? 私、おかしなこと言いました?!」

 滝夜叉丸くんの焦った声にふるふると首を横に振って、よろしくねとそう呟いた。

(今日はやけに、暑い)
(暑くて、じわりと汗が滲む)



「増えて刻んで形をす」



「雛さんが笑うと私も嬉しいです」
「滝夜叉丸くんって天然たらし……」
「え?」
「なんでもないよ、ありがと」


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