雛唄、 | ナノ

02


「――雛さん」
「ッ!!? は、鉢屋くん……。ん? ふ、不破くん……?!」
「鉢屋三郎の方で合ってる」
「え? ……あ、うん」
「……なんだ、その返事は」
「いや……それは、その、鉢屋くんが……」

 帰省する前に、西園寺さんのところに寄ってみれば彼女は食堂で紙と何やら睨めっこをしていた。集中しているようで背後に迫った私になど気付くわけがなく、彼女の肩に手を置いて名前を紡げばひどく面白い反応が返ってきた。挙動不審。今の彼女に当てはまるのは言葉は間違いなくコレだろう。

 私が「西園寺さん」と彼女の名字ではなく「雛さん」と名前で呼んだことも要因のひとつだと思われる。今では、彼女のことを大半の者が雛さんと呼ぶものだから、自身もそう呼んでみようかと思っただけのこと。つまり、気まぐれに他ならない。

「……その、ここに用事でも?」
「用? ……別にこれといった用はないが」
「えーと……じゃあ……?」
「……私はこれから雷蔵と共に帰省する予定なんだが。まあ、しばらく雛さんには会えなくなるわけだし、雷蔵を待っている間は暇だし、雛さんの顔でも暇つぶしに拝見しとくか……と。で、あんたは?」

 彼女の隣に腰を下ろし、さらりとここへ来た理由を述べれば、彼女は数回瞬きを繰り返した後に、言葉を発した。

「私は、なんていうか……頑張って献立を考えてみようかと……」
「ああ、なるほど。あんたの字、読めないから分からなかった」
「…………、……」
「……付け足すなら、あんたの字が汚いって意味じゃないぞ。この字……ろーま字だったか? ……めぬ? の意味が分からないだけだ」

 以前、一度だけ彼女に教えてもらった南蛮文字の記憶を掘り起こして、“Menu”という文字をそのまま読んでみるも「めぬ」なんて言葉は聞いたことがなかった。もしかしたら、ここにはない未来の言葉なのかもしれない。

「メニューっていえば分かる……?」
「ああ……メニュー、な。なるほどね」
「やっぱりメニューって言うと意味分かる?」
「分かるな」
「読めないけど意味は分かるって……なんか変」
「……変?」
「うん、まあ……ごめん……?」
「……別に謝る必要はないだろう。不快な気分になったわけじゃない」

 私の言葉に苦笑した雛さんを机に頬杖をついたままじっと見つめる。痛々しくない。彼女のその表情は、以前に比べたら柔らかく思えて、思わず瞳を細めてしまう。

「メニューはともかく、ちゃんと作れるのか?」
「や、うん……どうにかなる、と思う」
「今朝のを見ていた限り全然信用できないんだがな」
「いや、その……だって……ねえ?」
「何の同意を求めてるんだ、あんたは」

 今朝の調理場は正直言ってひどい有様だった。

 四年の平滝夜叉丸と田村三木ヱ門が雛さんを手伝うと言ったらしいのだが、あいつらは二人とも自分が相手よりも勝っていると考える根っからのナルシスト。ついでにバカ。そのため、どちらが料理を上手く作れるかなどを競い始め、その上、雛さんがちょっと席を外したその間に、タカ丸さんやら不運の象徴である善法寺先輩がやって来たことにより調理場は酷い有様になったのだという。

 雛さんが泣く泣くどうにか残っていた白米を炊き、私と雷蔵と八左ヱ門と勘右衛門で四年生三人と善法寺先輩を連れ出し、中在家先輩が卵焼きと目玉焼きを作ったことでどうにか朝食にありつくことができたのだった。

「誰かに手伝ってもらうのはいいが、あの二人を同じところに置くのは間違いだと思うぞ」
「うん……気をつけます、うん」
「無理しない程度に頑張ればいいんじゃないか」
「あ、うん……がんばる。ありがとう……鉢屋くん」
「……雷蔵もそろそろ用事が終わった頃だろうし私はもう行くよ」

 がたんと音を立てて立ち上がれば、自身の名が斜め下から聞こえた。その声の主を、見下ろす。

「……なんだ?」
「や、その、えー……と」

 その先を言葉にすることが躊躇われるのか、視線を彷徨わせながらようやく彼女が紡いだ言葉は思いがけない言葉だった。ほんの少し目を瞠る。意味を理解すると同時に無意識に上がった口角。込み上げてきたのは温かな気持ち。それと同時に感じたのは罪悪。

「――行ってくる」

 行ってらっしゃい、気をつけて。そんな言葉をくれた彼女に心の中では謝りながら違う言葉を口にした。

(……貴方を傷つけて悪かった)

 でもきっと、謝罪の言葉を口にしたら彼女はまた傷つくだろうから、彼女が我々の謝罪を受け止められる時がくるまで、悪かったなんて言葉は口にしないでおこう。いつか言える日が来る。彼女が受け取ってくれる日も。長い休みが明けてここに帰ってきた時、彼女が今よりも柔らかく笑んでくれたならその時にはきっと――。

 ふ、と吐息を零す。先のことは分からない。
 彼女は、雛さんはおそらく変わる。私のいない間に変わってしまう。それが良い方向へなのか悪い方向へなのかは別として。良い方向へ変わることを願ってはいるが、悪い方向へと変わったのならその時はその時だ。

 雛さんの視線を背に感じつつも食堂の戸を潜る。外に出て、最初に目に映ったのは綺麗な青空だった。太陽の光が眩しくて目を細める。あまりに強すぎる光は毒だ。けれども、光が無くては生きられない。一度光ある場所に触れてしまえば、もう触れられずにはいられない。求めずにはいられない。とりわけ、こんな世界で生きているとなおのこと。

 取り留めのないことを考えつつ歩みを進めれば、見慣れた親友の姿が目にとまった。自身の名を呼ぶ友へと向かって足を速める。しばらくはこの学園ともおさらばだ。

(雛さんとも、……おさらばだ)

「なあ、雷蔵」
「ん? どうかした?」
「帰ってくるのが、楽しみだな」
「……まだ行きの道中だよ?」

 知ってる、と返した私に首を傾げた雷蔵を見てくつり、と音を立てた。


 ***


「俺も今から帰るけどさ、ほんと雛さん大丈夫?」

 鉢屋くんが食堂から去ってそれほど時間の経たないうちに顔を見せたのは、久々知くんだった。彼の纏う服も忍装束でないことから、帰省するんだろうなと思いつつ座ったまま彼を見上げれば少し不安そうな声が降ってきた。
 それにしても、鉢屋くんといい久々知くんといい、こう、人の顔をじっと見るのをやめてほしいのだけれど、彼らにやめる気は一切ないらしい。

「俺、今朝は焔硝庫の最終確認に行ってたからさ。飯とかそっちのけだったし。こっちでの騒ぎはさっきハチと勘ちゃんに聞いたばかりだったんだけど大変だったんだって?」

 今朝の騒ぎを思い出すだけで苦笑が漏れてしまう。

 まさか、私がほんの少し抜けただけで調理場がめちゃくちゃになるとは思わなかった。いつの間にかタカ丸くんと善法寺くんがいて、彼らは戸棚から落ちてきたと思われる片栗粉などに埋まっていて、それはもう悲惨な状況だったのだ。どうにか残っていた白米と、卵とで中在家くんに手伝ってもらいながら朝食時は無理矢理どうにかしたものの、先生方には申し訳ないことをしたと思う。

 昨日の夕食はおばちゃんが作った料理の残り物や漬物で乗り切れたからといって、朝食も上手くいくとは限らなかったのに、大丈夫だろうとタカをくくっていた私が悪い。

「あいつらも雛さんを手伝うとか言っておきながら、むしろ邪魔してるよな。雛さん、いい? 誰かに手伝ってもらうのはいいっていうか、絶対誰かに手伝ってもらいなよ? でも、あいつら……平と田村を同じところには置くのはダメだ。絶対何か問題起こすから。あ、善法寺先輩とタカ丸さんは論外だから。絶対調理場に入れちゃダメ。雛さんの負担が増えるだけなの目に見えてるし。……分かった?」
「鉢屋くんにも言われたよ、滝夜叉丸くんと三木ヱ門くんは同じところに置いたらダメだって」

 久々知くんの心配性、と思うもそれがなんだかすごく嬉しかったから水を差すようなことは言わないで、先ほども同じように告げていった彼の人を思い浮かべて苦笑する。私の言葉に久々知くんは何度か瞬きをして、それから口を開いた。

「……三郎もここ来たの?」
「不破くんを待ってる間暇だからって」
「へえ……珍しい」
「……めずらしい?」
「あいつが他の人間、特に女の人と自分から関わろうとするのが珍しいってこと。ま、三郎は雛さんを傷つけたこと気にしてたし不思議ではないけどさ」
「ッ! ……っそう、なんだ……」

(私を傷つけたと)
(彼は気にしてくれていた)

 怪しいのは確かに私で、鉢屋くんは忍として、ここの生徒として正しいことをしたはずなのに。傷つけたと思ってくれていたなんて、彼も優しい人なんだと、その事実を理解してしまえば、私こそ彼を傷つけていたんじゃないかと思った。私に話しかけてくれるのに、いつの日か彼に言われた言葉に意識をもっていかれて、彼と会う度にどこかでびくびくと怯えていた。

(……ッなんで)

 なんでこの学園の人たちはこんなにも優しいんだろう。

「っと、雛さんごめん! 俺ももう行かないと」
「……うん、気をつけてね」
「ありがと。じゃあ、雛さん。俺はいないけど、ハチは生物の世話あるからずっとここにいるって言ってたし、勘ちゃんも予定決めてないって言ってたから、なんかあったら二人に頼りなよ。それと、俺が帰ってきたらさ、……町に行こう」
「ッ!」
「夏祭りあるからさ、皆で。俺も三郎も雷蔵もそれに合わせて帰ってくるつもりだから、雛さん、それまでちゃんと元気にしててよ」
「…………久々知くんこそ、元気でね」
「ん、じゃあ……行ってきます」

 久々知くんからの嬉しい、どうしようもなくなるくらいの嬉しい誘いに泣きたくなったけれど、それは抑えて、ワタシは笑った。

 微笑んだ。


「――行ってらっしゃい」


 様々な感情を詰め込んだ言葉に、久々知くんはひとつとても綺麗な笑みを返してくれた。去る後ろ姿。彼の長い髪が揺れて、距離が出来て、彼の姿が戸の向こうに消えて――どくん、そんな音が心臓から聞こえた気がした。



「優しさにわれてゆく」



「雛さんさ、狼とか興味ねえ?」
「昼食とったらさ、一緒に山行こうよ」

 昼食時はあまりにも平和で、学園に残るという五年生二人の言葉に私はそっと頷いた。


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