雛唄、 | ナノ

41


「…………それは何だ」
「で、でんたくりぇす……あ」
「………………」

(……噛みました)



「閑かにみゆく変化」



 会計委員長である潮江くんが食堂にやってきて鬼の形相で告げていった言葉に、残された会計委員三人はそれからというもの物凄い勢いで夕食をとって、私も早く食べて下さいと涙目で言われた為に三人ほどまではいかないものの普段の倍のスピードで完食した。

 彼らは夕食をとってそのまますぐに会計委員会室に行くとのことで、出来れば歯磨きをさせてほしかったのだけれども、そんなことを告げたら今度は泣かれてしまうと思い、せめて計算に役立つかもしれないアレが使えるかどうか確認しにだけ行かせてほしいとお願いして取ってきたモノ。

「ッそ、の……、これは電卓といって……こう……計算が楽にできちゃう道具だったり……なんだったり、します……」
「……間違えたら承知しねえかんな」

 文明の利器こと電卓さま。
 あの日、偶々鞄に入っていたもののひとつで、電池も切れておらず少し傷がついたくらいで使うには何の支障もなくてほっとした。どうして電卓を持っていたのかは忘れてしまったけれど、何はともあれ、今は電卓の存在に感謝したいくらいだった。

(……そろばんはちょっと、ねえ)

 何となく使い方は覚えているも彼らのように使い慣れているわけではないから、私が使ったところで計算を間違えてしまう可能性が高い。寧ろ、使い方を教えてくださいと言わざるを得ないだろう。そうなったら、彼らに要らぬ迷惑をかけてしまうことは間違いなかった。おそろしく速い手捌きでそろばんを弾いている会計委員長もとい潮江くんはあれで間違わないというのだから、すごい。

「これ、押すんですか?」
「え……あ、うん。数字っていっても漢字じゃないから分かんないかな」
「このバツ印とか、十? って書いてあるやつなんですか?」

 こそこそと私の両脇に座っている一年生二人が聞いてくるものだから私もこそこそとなるべく分かりやすいように説明してみる。数字や数学の知識にどうやら隔たりがあるらしく、説明するのがなかなか難しい。

「この縦線一本でいちって読むんですか……へえ」
「ぼくにはちょっと難しいや。でも、これ押すの楽しいですね!」
「あ、団蔵! 今ぼくが頑張って計算しようとしてたのにッ!」
「うえ、いいじゃん。ちょっとだけ!」
「ふ、二人とも……! 声! 声大きいよ……!」
「「あ……す、すみませんッ!!!」」

 声が大きいと指摘したにもかかわらず、その謝る声が大きくてどうすると思うも後の祭りで瞬時に怒鳴り声が飛んできた。

「「「ご、ごめんなさい」」」
「だいったい、お前ら、俺がいないときに散々サボりやがって……! その分、きちんと働け! いいな?! それに、その女は計算ができるかもしれないとかお前たちが言うからこの部屋に仕方なく入れてやったんであって、戯れるだけなら追い出すって俺が最初に言ったのを忘れたのか……!」
「「「……すみません」」」
「ッチ、今日は確かに三木ヱ門もいねぇし人手には困ってんだ! ッ分かったらさっさと計算しやがれ……! おい、左門! 寝るんじゃねえ……! いいか、次騒いだり寝たりしやがったら……どうなるか分かってんだろうなあ?」

 団蔵くんと左吉くんと声を合わせて謝った上に、今現在、私の首は会計委員三人と同様に上下にがくがくと振られている。仕方がないと思う、彼の恐ろしい声音に頷く以外為す術などないと脳が言っているのだから。

(…………潮江、くん)

 そろばんを使って時々舌打ちや恨みがましい言葉を吐きながら計算を続ける彼に倣って、自身も目の前に晒された計算すべき数字の羅列を見ながら、ぱちぱちと電卓を使って計算をしては出てきた数字を漢数字に直して紙に記す。

 正直、意外だった。

(彼が、私を見ようとするなんて)

 夕食後、私に手伝いを頼んだ会計委員一年生の二人が先に会計委員会室へと入り、私は戸口の前で妙にうるさい心臓の音と遠くから聞こえる鳥の鳴き声を聞きながら佇んでいた。
 団蔵くんと左吉くんには悪いけれど、彼らの委員長は絶対に私を手伝いに起用しないだろうと思っていた。彼ら会計委員会は学園の予算を、お金を扱っていて、先生方にでさえ何らかの事情がない限り帳簿を見せることがないという。そんな委員会の長である彼が余所者の私を中に入れるとは思えなかった。それに、余所者とかそれ以前に、きっと彼は私のこと自体、気に入らないだろうから、と。
 だから、気持ちがさっきまでとは打って変わり俯き加減になっていた私の目の前の障子戸が突如としてスパーンと開き、彼が一言、入れと言ったことが一瞬理解できなかった。

「…………人手不足だからな」
「え……、でも……、」
「でもも何もねえ。俺が入れっつってんだからさっさと入って戸を閉めろ」
「…………失礼、します」
「……計算できなかったら即追い出すからな。それと、帳簿の内容は絶対口外すんじゃねえぞ。団蔵、左吉……教えてやれ。ただし、戯れるだけならさっさと出ていってもらう。いいな?!」

 彼の言葉に、団蔵くんと左吉くんが私の腕を取って彼らの間に座らせてくれた。一通り、どのように計算すればいいのかなどの説明を受けたあとで懐から取り出した文明の利器。

 カタン、と音を出したことで算盤と睨みあっていた顔を上げた会計委員長が訝しげに尋ねてきたのに対し、答えを噛んだ私。言葉を噛んだ私を感情の読み取れない瞳で見つめきた彼に、電卓の説明をしどろもどろになりつつも言えば、彼は一瞬だけ私と視線を交差させて、すぐに逸らした。

(……否定されなかった)

 その事実に気付いたのは、団蔵くんに話しかけられてからだった。

(彼は、私を否定しなかった)

 頭で理解できていても、感情が追いつかない。彼が、私を、おそらくこの学園の中で私を最も疎ましく思っているであろう彼が、電卓という見慣れない不審な道具を否定しなかった。
 それは、ともすれば見落としてしまうだろう彼からの小さな、本当に小さな、私という存在を見ようとする証だったのではないだろうか。

(そうだと思いたい)
(いや……思わせておいて)

 何度目かの言い知れない気持ちが私を襲う。でも、それは決して悪いものじゃなかった。だからこそ私は、一年生二人と共に彼に謝ることが出来たのかもしれない。


 ***


 どうしてか計算が狂ってきた。

 苛々としながらも算盤を弾いては筆を取って、弾いては書いてを繰り返していれば、突然耳に入ったゴンッという音。集中力を解かれたことに更に苛立ち、その音の源を探れば、目に入ったのは左門が机に頭を預けて爆睡している姿だった。

「ッんのバカタレが! 左門ッ! 起きろ!」
「ひぇ……しぇんぱい……ぼくはねてま……ん……」
「寝ぼけてんだろうがッ! おい、コラ! 団蔵……お前も寝るんじゃ……な、い……ッ」
「…………っ」

 左門とは反対側に座っている団蔵の頭も前後にふらふらと揺れていることに気づき、注意を促そうと言葉を発して気付いたその存在。

 交差する視線。
 逸らせないその瞳。
 逸らさないその女。

 静寂が支配しようとしたこの部屋に響いた音。立て続けに机に何かがぶつかった音がした、おそらく会計委員の頭がぶつかった音が。いつもならここで全員を叩き起して鍛錬に持ち込むのだが、今日は異常だった。音の主たちにではなくただ、蝋燭の灯を頼りに己を見つめる女に意識を完全に持っていかれていた。

「…………眠くねぇのか」
「え……、あ、眠くは、ない……です」
「……そうか。……お前は、」

 その先の言葉に躊躇する。
 言いたいことと聞きたいことと、何もかもが混沌として頭の中を徘徊している。

 この女が学園に来て間もない頃、三木ヱ門に尋ねたことがあった。お前はあの女の話を信じるのかと。あいつは言った、話をしてみなきゃ分かりませんと、話をしたら信じるかもしれませんと。そして三木ヱ門は信じた。四年も、五年も、先生方も、俺以外の同期もそれぞれ、この女と一度は何かしら話をしている。その上で、信じるという選択をした。

 では、己は話もせずにこの女の身の上を信じられないまま、もやもやとした感情を抱き続けるというのか。

(……んなの、俺らしくねぇ)

 だったら俺も話をしてみればいいだけじゃないか。

「お前は、いや、未来……っつーのは……」

 便利なのか。
 衣食住に困らないのか。
 戦が本当にないというのか。

「あんたが、未来からきたってのは……」


 ――本当なのか。


「……ここよりは、確かに便利です」
「車だってあるしパソコンとか携帯とか、いろんなモノがあって」
「食べ物とか服とか……私は困ったことは、ないです」
「……でも、貧富の差っていうのはあって、私はお金持ちでも貧乏でもなかったから、よくわかりません」
「戦は、……私のいた日本では今は禁止されていて…………平和、だと思います。そりゃ、色々問題はありますけど……」
「自分でも、なんでここに来たのか……なんてよくわからなくて。その……気付いたら、ここに、いました」
「……ここにあるものが、時代劇とか本とかで出てくるようなモノばかりで、忍者なんていなかったから……だから」


 ――私は、未来から来たんだと思います。


 時々言葉を詰まらせながら、女はそう言った。

 ぱそこん……けいたい……意味不明な言葉に、戦が禁止されているという俺たちには想像もつかなかっただろうその言葉。そして、平和という夢のような言葉を零して、自身の話を肯定した目の前の女。

「…………戦がねえなんてありえねえ」
「………………」
「…………ありえちゃならねえ」
「…………、……」
「……ありえちゃ、俺らがここにいる意味がなくなっちまう」
「ッ!」

 忍は戦があるからこそ、存在意義が確立される。そうでなければ、命を懸けてまで情報収集を行うことも、暗殺を遂行することも、ない。俺の言葉の意味を汲み取ったのか、女が息を呑んだ気配がした。

「……だが、もしもいつかこの戦国の世から、戦のない世になるのなら」

 それはきっと、今よりずっとマシな世になるんだろう。

(仲間とずっと)
(笑っていられるような)

「ッでも! ここは私がいた場所より、ずっと――……」
「言うな」
「…………ッ」

 小さく女が落とした言葉の先を制す。女が何を言おうとしたのか分かりやしないが、言わせやしない。その先は口にしてはいけない、聞いてはいけない言葉のような気がした。

「……その先は、お前の胸に閉まっとけ」
「ッわ、わたし……私、西園寺雛って、いいます」
「ッ! 俺は……俺の名は――」

 返した己の名に女が、いや……西園寺が泣いているような気がした。

 互いの犯した正当な過ちを暗に許し合い、気が緩んだのか糸が切れた人形のようにカクンと前のめりになった西園寺の身体。ゴンッと痛い音がしたことに声を失う。

「…………ったく」

 俺以外が眠りについたこの部屋を今日だけは許そうと思う。

(……しょうがねえなあ)

 各々が計算し、まとめた紙を集めようと立ち上がって一年二人と西園寺の方へ歩めば、紙は西園寺の机に重ねて置いてあった。

(でんたくか……)

 西園寺が楽に計算ができると言った、その言葉を認めずにはいられない。


 ***


 会計委員長である潮江文次郎くんに叩き起され、はっとした。

「朝飯の時間だ、起きろ」
「へ……ッえ!? ッ……朝ご飯!」
「……おばちゃんには許可を取ってある。団蔵、左吉、お前らもさっさと目を覚ませ!」

 どうやら、私は深夜の大体二時過ぎから現在までこの部屋で寝てしまっていたらしい。眠りについた記憶が全くないことに戸惑うも、彼が話しかけてくれることから昨夜の彼との会話は現実に起こったことだったんだとそっと一人安堵した。

「ふわぁ……おはようございますぅ……」

 隣で眠っていた団蔵くんも起きたみたいだけれど、その声はまだまだ眠たそうだ。左吉くんも左門くんも眠たそうにみえたけれど、それ以上に潮江くんの顔を見てぎょっとした。おそらく徹夜したのであろう彼の眼の下にはなんとも濃い隈があった。あれで眠たそうな表情をしていないのだから、すごい。

(私なんて、まだ眠いのに……)

 正座をしたまま寝てしまったせいで痺れた足をどうにか引きずって、眠たそうな団蔵くん、左吉くん、左門くんと顔を洗いに向かい、私はそのまま着替えるために自室へと一度戻った。

「――雛さぁん、いるー?」

 またしても、はっとした。

(今、何時……!?)

 布団に横たわっていた身体を瞬時に起こして、時間を確認すれば午後四時過ぎ。その事実に呆然となる。確か、朝食後は洗濯をしてお風呂に入って、昼食の準備をして昼食をとって、掃除をしなければと自室に戻ってきて……その後の記憶が抜けている。

「雛さーん、開けてもいいっすかあ?」
「ちょ、ちょっと待って……!」

 障子戸の向こうから聞こえる声はおそらくきり丸のものと思われるが、いくら一年生とはいえこの状態のまま会うのは気が引けた。皺の寄ってしまった着物をできるだけ正して、髪を梳いて軽く結って、水を飲み干す。その間、約一分弱。

「いいよ、開けて」

 その言葉を合図に入ってきたきり丸が告げたのは、図書委員の手伝いをしてくれないかということだった。用意のいいきり丸は、食堂のおばちゃんと今日の当番二人にはすでに私を借りると言ってきたそうな。

(……図書室かぁ)

 行ったことのない図書室への興味と、可愛く綺麗なきり丸と、昨夜の一件から浮足立ちつつある私の返事は決まっていた。


 ***


「………………そ」
「雛さん、中在家先輩が私の名前は中在家長次ですだって!」
「あ、西園寺雛です……」
「………………もそ……」
「えーっと、よろしくお願いします、西園寺さん。先輩、西園寺さんって呼び方堅苦しくないですかあ?」
「………………」
「いきなり雛さんと呼ぶのは失礼だと思う。……ッええ!? じゃあ、俺失礼なんすか?!」

 きり丸の言葉に頭を横に振って一点を指差した。無邪気なきり丸が彼女を名前で呼ぶのは失礼に値しないと思うが、私が彼女を名前で呼ぶのはあまりにも馴れ馴れしいような気がするというだけだ。彼女とは面と向かって話をしたのは今日が初めてで、そして相手は女性なのだから。

「………………」
「不破、怪士丸、西園寺さんに手伝ってもらってあっちの棚の整理を頼む……だそうですよ」

 きり丸が例のごとく私の言葉を聞きとっては通訳してくれている。その言葉を聞いた不破と怪士丸と彼女の三人は素直に頷いて歩いて行った。

「そういえば、聞いたことなかったんですけど、先輩たちって結局のところ雛さんの話を信じてるんすか?」

 彼女たち三人の背を見送ったあとで、きり丸がそう問うてきた。きり丸を見れば、その言葉に裏がないことが見て取れた。見えたのは、ただの純粋な興味だけ。

(…………騒がしくない)

 きり丸が図書室に溢れるこの膨大な書物を整理するためには人数が一人でも多い方がいいだろうと機転を利かせて連れてきた例の彼女。そんな彼女の口調も、その足音も、雰囲気も騒々しいものではないというだけで個人的に好感はもてる。しかし、それとこれとは話が別であろう。

「………………」
「なになに……今朝、文次郎が西園寺さんのことを西園寺と呼んでいた。え、マジっすか?!」
「………………ほんとうだ」
「えええ!!! うわ、気付かなかった!」


 ――些細な変化。


 気付かなくてもおかしくはないような、そんな些細な変化だった。しかし、それだけで事足りることが世の中には多く存在する。今朝の変化も、我々にとっては事足りるそんな些細なものだった。

「………………」
「え、先輩は雛さんのこと結構前から信じてたんすか? ……なんだあ」

 彼女の言動や雰囲気、そして瞳を見ていれば疑う必要は感じられなかった。信じる、と言い切るには私もそれなりに時間がかかったが、少なくとも文次郎や留三郎より前には彼女の話を、西園寺さんが未来から来たという話を信じていたように思う。信じていた、というよりは疑い警戒する必要はないと判断したともいえるだろう。
 私の言葉を聞いて明らかにほっとした表情を浮かべたきり丸に首を傾げれば、頬をかきながらきり丸は少しはにかんだ。

「だって、雛さん、いい人だからさ。先輩がもし雛さんのことまだ疑ってたりしたらなんか嫌だなあって思って。俺、先輩も雛さんも好きだから」
「…………………」
「っちょ、な、なんすか。先輩! って、あ、今頃来ましたよ! 二年生の能勢久作先輩!」

 わしゃわしゃときり丸の頭を撫でていれば、きり丸の言うように戸が開いて姿を現したのは久作だった。

「……お前もいい子だと私は思う」

 告げた言葉に笑ったきり丸と、あちらの棚から聞こえてくる微かな笑い声。そんな時間が堪らなく大切に感じた。過ぎていくものだからこそ、大切にも想うのだろう。


(先の見えない暗闇でも)
(静かに微笑み合えたなら)


(42/88)
[ もどる ]

×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -