雛唄、 | ナノ

40


「…………さきち」
「ばか、しゃべるな……!」
「だって……」
「団蔵ッ! 手を動かせってば!」

 本日の授業も終わり、地獄の委員会の時間がやってきた。

 今日から、夏休み前までの各委員会の出費のまとめから予算をどれくらい使用したのか、予算を超えた額はどのくらいかなど色々と計算してまとめなければならないということで、各委員会からまずはこれまでの出費をまとめた紙を入手しなければならない。

 ならない、のだが当然ながらそう簡単に手に入るわけもなく。
 我らが会計委員会委員長である六年生の潮江文次郎先輩は、非常にご立腹である。

 何でも作法委員会委員長である立花仙蔵先輩からは出費をまとめた紙を受け取ったものの、からくりに嵌められぼろぼろになったらしい。それから、図書委員会委員長である中在家長次先輩からも出費をまとめた紙は受け取ったものの図書の返却がまだだという理由で散々追いかけ回されたとか。他の委員会は揃いも揃ってまだ提出していない。

「お前ら……今日は徹夜だからな……」
「「「えええええええ!!!」」」
「うるせえ! 三木ヱ門もいねえし、あんの馬鹿共はまだ提出してねえし、あと三日もすりゃ夏休みなんだぞ!? ただでさえ今まで期末の課題だとか何だとかで委員会も開けてねえっつうのに……! この調子じゃ、あと三日で終わるわけねえだろ……! 分かったな?! いいか、ひとつたりとも計算間違えんじゃねえぞ……!」

 先輩のあまりの怒気に、おれも左吉も神崎左門先輩もただただものすごい勢いで首を縦に振ることしか出来ない。

(うう……田村先輩いぃぃい……!)

 潮江先輩のなだめ役でもある四年生の田村三木ヱ門先輩は風邪をひいたらしく今この場にはいない。いつもはユリコ、カノコ、サチコと毎回壊れる度に違う名前の石火矢を共にしては平滝夜叉丸先輩と言い争ってるちょっとうるさい人だけど、こういう時に頼れるのは田村先輩しかいなかった。

「ッチ、仙蔵あの野郎……! よくもぬけぬけと……! ッお前らサボんじゃねえぞ!」

 作法委員会から提出されたらしき紙に目を通していた先輩がいきなり立ち上がったかと思えば、そう言い残してどこかに走って行ってしまった。それはもう鬼のような形相で。しばし呆然としていたおれたちだったけど、先輩がいなくなったことで気が緩み、思いっきり息を吐き出した。

「立花先輩……さすがっていうかなんていうか……」

 左吉が、潮江先輩が握り潰したであろう先ほどの紙を拾い上げてそう言うものだからおれも興味が出てきて読んでみた。

「えーっと……なになに。お前が予算を削るのが悪い、面倒な計算をしたくなければ予算を寄こせ……お前がこの文を読んでこちらに来ても再び我々に遊ばれるだけなのだから来ない方がいいぞ…………うわあ」
「完全に立花先輩、潮江先輩で遊んでるよな」
「うん……潮江先輩も行かなきゃいいのに。あ、神崎先輩どこ行くんですか?」

 達筆な字で書かれた立花先輩の言葉に尊敬の意さえ感じてしまう。あの鬼の会計委員長である潮江先輩をここまでおちょくれるのは立花先輩しかいないんじゃないか。潮江先輩と犬猿の仲にあたると言われている食満先輩でもしないと思う。

 しみじみとそんなことを思っていれば視界の端に映った神崎先輩の姿。

「厠だ!」
「先輩……そっちじゃないです。厠は左です、左!」
「そうだったか?」
「そうですよ! いい加減覚えて下さいよ! 先輩、記憶力はいいんですからあ!」
「覚えてるぞ! じゃ、行ってくる!」
「絶対覚えてませんよ……!」

 左吉が必死になって言う通り、神崎先輩にはきっと道を覚えるという能力がないんじゃないかと思う。あそこまで間違った道を正しいと言い切れる人はある意味すごい。

「……どうする、左吉。この計算の山」
「やるしかないだろ。……はあ、今日は徹夜かあ……嫌だな」
「うん……嫌だね。やりたくないなあ……」

 もうすでに日は沈みかけていて、もうしばらくすれば夕食の時間だ。潮江先輩が夕食の時間になるまで帰ってこなかったら食堂に駆け込むのだが、潮江先輩が帰ってきたら夕食どころじゃないのは目に見えている。

(食堂…………)

 何かがひっかかる。それは左吉も同じだったようで、互いの顔を見つめて数秒後……大きく頷いた。

「雛さんに手伝ってもらおう……!」

 潮江先輩は他の委員会に所属している生徒や先生には決して手伝いをさせようとはしないけれど、雛さんならどの委員会にも所属していないし先生でもないし、きっと許してくれるはずだ。うっわ、我ながら名案!


 ***


「浦風藤内先輩……っ!」
「おわッ?! え……な、なに?」
「夕食の準備ってもう終わりました?!」
「え……も、もう少しで終わると思うけど」
「じゃあ、雛さんは?!」

 調理に使った皿などを洗っていれば突然大声で自身の名を呼ばれたものだから、まさか自分が何かやらかしてしまったのかもしれないと作兵衛よろしく一瞬妄想したけれどそうではなかったみたいで安心した。

「え、あ……雛さんならさっきおばちゃんに言われて食料庫に向かったけど……。どうかしたのか?」
「いやー……話すと長くなるんですけど……」

 一年生の団蔵と左吉の話を単にまとめれば、ただ彼女に会計委員の仕事を手伝ってほしいということだった。話の中に、我らが作法委員長と作法委員のやらかした事態を聞いて怒られたらどうしようとか俺のいないときに限ってそういうことがあるなんてとか色々と思うところはあったけれど、どうしようもない。そんな予習してない。潮江先輩、すみません……。

(…………いや、そんなことより)

 雛さんとは今日初めてまともに話したばかりだけれど、俺と、今日一緒に夕食当番をしている三反田数馬が困っているときには丁寧に教えてくれたし、いい人だと思えた雛さんをあの鬼の会計委員長に差し出していいのか。まだ怪我が完治していないという彼女を、あんな恐ろしい人のところへ差し出したら食われやしないだろうか。

(ああ……どうしよう)

「……団蔵。浦風先輩が富松先輩みたいになってる。どうしよう?」
「食料庫に行くか?」
「いや、あと少しで雛さん戻ってくるだろうから待ってた方がいいよ」
「「っうひゃあ!!! ……って影の薄い三反田数馬先輩!」」
「あの……君たちが入ってくる前からいたんだけど」
「気付かなかった……なんて影の薄い」
「二度も言わなくていいよ! 自分でも分かってるんだから!」

 はっと我に返ればいつからいたのか、数馬がいた。

「藤内……君までそんなに驚くような真似しないでほしいんだけど……」
「いや……うん、ごめん」

 さっきまで数馬はおばちゃんに言われて盛り付けを手伝っていたような気がするのだが、どうやら終わったらしい。数馬曰く、おばちゃんからあとは片づけを手伝ってくれればいいから適度に休憩していていいと言われたとのこと。

「藤内くん、数馬くん。……あ」
「雛さん」

 少しして雛さんが戻ってきた。

「「雛さんッお願いがあるんです!」」
「え? あ……えっと……?」

 いきなり雛さんに一年二人が詰め寄るものだから、彼女もこの状況に瞬きを繰り返すばかりだ。

(もう……)

「お前ら、雛さんに詰め寄るな。まずは説明、それと自己紹介。じゃないと雛さんが困るだろ? さっき予習したじゃないか」
「じゃあ、ぼくから! 一年は組の加藤団蔵です! 雛さん、よろしくお願いします!」
「ぼくは一年い組の任暁左吉といいます。雛さん、よろしくお願いします」
「あ、西園寺雛です……。その、お願いって……?」
「「僕たち会計委員の仕事を手伝って下さいッ! お願いします!」」

(まずは説明からって言ったのに……)
(単刀直入で分かりやすいけど)

「私が……?」
「「はいッ! お願いします!」」

 その後、俺と数馬が説明を入れたものの承諾しかねていた彼女を、徹夜が嫌なんですと泣きそうな勢いで押すに押した一年会計委員二人組が勝利するのは時間の問題だった。

(さすが……会計委員)

 彼らの気迫は、あの鬼の会計委員長の気迫にそっくりで俺と数馬はただ苦笑して見ているしかなかった。


 ***


「それ何ですか……?」

 今日の夕食当番であった三年生の浦風藤内くんと三反田数馬くんはいわゆる癒し系というやつで、二人の醸し出す柔い雰囲気は和みだなあ……なんて思いながら食料庫から食堂の裏口に戻れば行く時はいなかった二人がいた。

 その子たち――団蔵くんと左吉くん――は一年生の会計委員らしく、唐突に頼まれたのは会計委員の仕事を手伝ってほしいということだった。

 藤内くんと数馬くんからの説明と会計委員二人の必死な訴えを聞くも、会計委員会の委員長が“あの”潮江くんだということでどうにも素直に承諾できずにいたのだが、最終的にはうるうるとまるで捨てられた仔犬のような瞳で訴えられ頷かずにはいられなかった。

(…………可愛いんだもん)
(ずるいったらもう……)

 おばちゃんに事情を説明すれば、いいわよとひとつ返事で了承してくれて夕食の注文を取ることと片付けは夕食当番の三年生二人にお願いすることにした。二人とも笑顔で、いいですよと言ってくれたものだからこちらも可愛くてたまらなかった。

 それからというもの、夕食の時間が近くに迫っていることもあって生徒が来る前にと団蔵くんと左吉くん、当番の藤内くんと数馬くんと一緒に夕食をとっている今。そして何だかんだでこちらに来てから初めて聞かれた首元で光るネックレスのこと。

「ネックレス……っていうんだけど」
「うわ……すごく綺麗」
「……触ってみる?」
「え?! や、でも、僕が触ると壊しちゃうかも…」

 ふわふわとした薄紫色という特徴的な髪をもつ彼、三反田数馬くんの顔にはいかにも興味津々ですと書いてあるように見えて少し笑ってしまう。シャラ、と自身の首元からネックレスを外して彼の目の前に差し出せばおずおずと受け取るものだからそれもまた可愛い。

「引っ張ったりしなきゃ大丈夫だから」
「…………鎖だ」
「雛さん、これって未来から持ってきた物なんですか?」
「うん、まあ……そうだね、持ってきたというか付けてきた物のひとつ、かな」
「ふぅん……女の人が着飾るための道具なんですか?」
「男の人でも付けてる人はいるけど、まあ、そんな感じ」
「ぼくたちも女装したら似合うかなあ……」

 自分でも不思議に思うけれど、彼らとなら自然に話せていると感じた。

(癒し……)
(ものすごく癒しだ、この子たち)

 未来、正しく言えば異世界の話を団蔵くんがとても聞きたがるものだから、慎重に言葉を選びながら話して、彼らと時には笑って、微笑んで、夕食時を過ごした。

「お前らァア……!」

 そんな癒しタイムは、おそらく怒気九割と呆れ一割を含んだなぜか鬼のように二本のクナイをはちまきで頭に付け失神寸前と思われる神崎くんを引きずった、それこそ鬼の形相をした潮江くんの地を這うような声によって幕を閉じた。

(そういえば……)

 どうして一年生二人がここに来たのか、今の今まで忘れてしまっていた。それは当事者である会計委員二人も同じらしく、見れば顔が青ざめていた。確かに鬼の会計委員長と呼ばれるだけある。


 ***


 本日二度も訪れてしまった魔の作法委員会室からどうにか這いずって出てきた。

(あの野郎……くそ……!)

 仙蔵一人なら俺一人でどうにかなるものの、あの部屋はおかしい。とにかくおかしい。どこもかしこも罠だらけ、からくりだらけ。首だらけ。俺があの部屋の戸を開け放った途端に上から飛んできた何本もの矢、横から飛んできた石。忍者としての勘を磨くという域を遥かに超えている。

「ッ俺を殺す気か、てめえ!」
「ふん。礼儀のなってない奴め。お前が私たちの了解を得てこの部屋に入ればよかったものを」
「ッなんだと! ッうぉぉお?!」
「兵太夫の作った新しいからくりだ」
「はい、丹精込めて作りましたあ」
「おやまぁ……中に水を入れたのかい」
「いやあ……ただの奈落だとつまんないと思いまして。かといって槍とか入れちゃうと綾部先輩の真似みたいになっちゃいますし、立花先輩もいいって仰ってくださいましたし」
「ッこんのバカタレ! 学園内にこんな深ぇ奈落作ってんじゃねえ……! てめえ、仙蔵! 後輩にどういう教育してやがる……!」
「立花先輩はすごくいい先輩ですよ!」
「伝七、あの鍛錬バカには私の良さは分かるまい」

 かくいうやり取りを何度も繰り返し、あの部屋から出れたのは夕食の時間になる直前だった。仙蔵に対する怒りは収まるどころか増しつつ会計委員会室に戻れば、予想に反して誰もいなかった。

(あんのッバカタレ共が……!)

 血眼になって奴らを探し出せば、左門には道端で出くわし、団蔵と左吉は食堂で優雅に飯なんぞを食っていやがった。しかも、同じ机には三年が二人と……あの女。

「……ッチ、飯食ったらさっさと戻ってこい! 分かったな!?」

 女と視線が交差すれば、なんだかひどくいたたまれない気持ちに陥った。

 団蔵と左吉を左門同様、引きずっていきたかったが夕食の途中だというのならば、残せばおばちゃんに俺まで怒鳴られてしまうだろう。飯というのは貴重だ。ぐえっと悲鳴を上げた左門も食堂に放り込む。

「左門、お前も飯は食ってきていいが食ったらすぐに来い。……いいな?」

 そう言い残し、俺だけでもさっさと計算に取りかからねばと、ただそれだけを考えて会計委員会室への道を辿る。ただ、それだけを考えて走る。

「…………ックソ!」


 ――それでも。


 それでも、やはりあの女の残像が、あの日泣き叫んだ顔が、あの日俺に礼を告げたあの声がごちゃまぜになって脳裏に甦ってこびりついて離れない。

 ただ、ただ宵闇に紛れて消えてしまえばいいと思った。



「瞼に落ちるえない白」



(紅よりも厄介な)
(ただ浸透するだけのその色)


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