雛唄、 | ナノ

37


「ちょ、せんぱ……ッ雛さ、んッ……連れ出して、いいん、です……ッか!?」

 腕を引っ張られたままの滝夜叉丸くんが途切れ途切れに訴えるも、いけいけどんどーんと独特の掛け声で七松くんはその訴えを掻き消していく。私はと言えば、彼の肩に担がれたまま一言も発することもできずに彼の足が赴く方向へと着実に進んでいた。事態が急変してばかりで展開についていけていないと言えるかもしれなかった。

「よーしっここらへんでいいか!」

 そしてまた、車の急ブレーキのごとく土煙をあげて止まるものだから身体が慣性の法則で投げ出されそうな一種の恐怖に襲われた。案の定、彼に腕を引っ張られるがまま彼の斜め後ろを必死で走っていた滝夜叉丸くんは急に止まった彼同様に急に止まれるわけもなく、彼の背に思いきりぶつかっていた。

「あれ、滝夜叉丸だけか? 三之助と四郎兵衛と金吾は?」

 くるり、と彼の背にぶつかって痛みに顔を歪め若干涙目にもみえる滝夜叉丸くんを見とめた七松くんは不思議そうに首を傾げている。

「み、みんな疲れてるんですよ!? 着いてこれるわけ、っないじゃないですか……! は……わ、私だって……っ七松先輩に腕をとられなきゃ、着いてきませんでしたよ……ッ!」

 先輩の体力がおかしいんです! と高らかに叫んだ滝夜叉丸くんに、そうか! とだけ言った彼。どうやら、この七松小平太という人物はある意味恐ろしい人らしい。確かに滝夜叉丸くんが顔を真っ赤……いや、真っ青にも見える顔色で息を切らせて苦しそうなのにもかかわらず、私を担いだままのこの人はうっすらと汗を掻いているくらいで息を乱しもしていない。

「っと、外に出た気分はどうだ?」

 身体を下ろされとんっと地面に足をつくことができ、ほっと息を吐き出す。七松くんにそう問われてあたりを見渡せば、学園では見られない鮮やかな色彩をもった紫陽花が咲いていた。

「紫陽花……」
「絶景だろう? もう少し行くと滝があるんだが、行ってみるか?」
「そうしましょう。雛さんも喉渇いてませんか? ああ、あそこの水は綺麗なので大丈夫ですよ!」

 跳ねるように歩き出した七松くんに続いて、滝夜叉丸くんが自然な動作で私の手を取った。繋がれた手に導かれる形で私も一歩踏み出す。

「……ありがとう」

 いくら年下とはいえ、男の子にこうも綺麗に微笑まれて手を取られると恥ずかしさを覚えずにはいられない。彼の熱が私の手に伝染したようで、少しばかり上がった体温がくすぐったかった。


 ***


 先輩に腕を取られるがまま、走り出せば到着した先は裏裏山で、最近紫陽花が綺麗に咲いていて絶景だなと先輩が呟いていた場所だった。七松先輩にも風流が分かるんですねなんて三之助が言っていたのに対し、私も素直に頷いたのは記憶に新しい。

 怪我をしているにもかかわらず無理矢理連れ出されたであろう、雛さんの手をとって足首もまだ痛めているだろう彼女の歩幅に合わせながら滝まで辿り着けば、涼しげな空気が気持ちよく感じられた。

「滝夜叉丸くん、大丈夫……?」
「生き返りますよ、本当。いくらこの成績優秀眉目秀麗な私でも、先輩の体力には時々ついていけなくなります」

 水を顔に浴びせ、喉を潤せば熱さが引いて疲れが少し和らいだ気がした。隣に佇む彼女といえば、寝着のままでちらりと垣間見えた彼女の腕には包帯が巻きつけられていて小さな痛みを覚える。

(あのとき、私が守っていれば)

 彼女に痛みを与えることも怖い思いをさせることもなかったろうに。自身の未熟さを思い出して次こそは守ってみせると、強く決意した。瞳を閉じて、少しの精神統一をはかろうとすれば聞こえてきた盛大な水音。精神統一どころじゃない。

「ッ先輩?! 何してるんですか! 風邪ひきますよ!?」

 その光景を見ると同時に吐き出した言葉。

「ん? 冷たくて気持ちいいぞ、お前たちも入れ!」
「誰が入るんです、誰が!」
「そうだな、もうすぐ夕暮れ時で涼しくもなってきたこの刻に水に浸かろうなどと思うわけがない」
「そうかあ? 気持ちいいだけだと思うけどなァ!」

 にかっと笑顔を浮かべた七松先輩に、いつの間に来ていらしたのか立花先輩がさも当然のごとく返事をしていた。七松先輩は驚いている様子はなく、私と彼女だけが立花先輩の登場にひどく驚いた様子をみせる。気配が一切感じられなかった。これが最上級生かと思うと募るのは憧憬と羨望、それから悔しさ。いつかは、いつかは私もという。

「お前のところの後輩が私に、委員長がそれとそれを連れてまた走りにいってしまったと泣きついてきてな。本来なら面倒で来るわけもないのだが、たまたま通りかかったらしい学園長先生にも行くように言われこうしてお前たちを連れ戻しにきたわけだ」

 立花先輩は淡々と自分がきた理由を話しておられたが、私と雛さんをそれ呼ばわりとは何とも不愉快極まりない。

「ふーん。どうでもいいけど、やっぱりお前たちも入らないか? 涼しいぞ!」

 七松先輩は立花先輩の話を流すに流して、呑気にもそんなことを言い出す始末。そして、言い出せば即実行というのがこの人の恐ろしいところのひとつでもある。現に、今、七松先輩はその話を一蹴しようとした立花先輩の足首を掴んで、そしてその立花先輩は私の腕を咄嗟に掴んで――……。

「なぜ私まで……!」

 ざっぱーんと散った水飛沫の間から見えた雛さんの顔は唖然としていた。


 ***


 あの女を担いで滝夜叉丸の腕をとって裏裏山の方へ向かったらしい小平太を追いかけることしばらく。見えた姿に呆れを覚えつつ、気配を気取られぬよう息を殺して滝夜叉丸の隣へと立った。女はと言えば、きょろきょろとあたりを見回していたが、確かにここらの紫陽花……もとい、風景は綺麗だと私も感じている。

 小平太のあほらしい提案を一蹴しようとするも、あやつが伸ばした手に足を取られ、そのままざばんと水の中へと落ちた身体。咄嗟に捕まえた腕の主である滝夜叉丸も水の中へと落ち、笑っているのは無自覚暴君の小平太だけである。

「ッ小平太、貴様……! 何故、私の足を引っ張った!? 私を巻き込むな!」
「まあまあ、そう怒るなって仙蔵。気持ちいいだろ?」
「気持ちよくなどあるわけなかろう……! 濡れたではないか、面倒な……!」

 顔に張り付いた自身の長い髪を振り払えば水滴が飛び散った。

「立花先輩……! 何故、私の腕を掴んだのですか……!」
「……私だけ落ちるのは釈然としなかったものでな。文句ならこの暴君に言ってやれ」

 同じようにぽたり、と髪から雫を落とす滝夜叉丸を横目で一瞥し嘆息して陸へあがろうと岩へと足をかけたその刹那。

「っぅわッお、ぎゃ!?」

 何やら奇妙な悲鳴の後、ざばんと何度めかの音がして水面が揺れ動くのを見た。

「ちょ、先輩! 雛さん怪我人ですよ?! なにしてるんですか……!」
「え? 引っ張ってみた」
「そんなの見れば分かりますよ……! なんで! わざわざ! 怪我人の彼女を水の中に引っ張ったのかってことです!」
「一人だけ仲間外れは寂しいだろう?」

 大方予想していたやり取りに、二人は放っておいてもいいとして、女の方に視線を移す。

「つめた……」

 小さく聞こえた声に、眉間に皺でも寄っているのではないかと思っていたが、それとは対極的に楽しそうな表情がその横顔から読み取れた。…………ふん。私と大差のない身長であるも、私よりも細い腕、その腕に巻かれた白い包帯、それらが彼女が弱者であることを露わにしていた。

 そういえば、この女は裸足なのではなかろうか。失念していた。まさか予備の履物を持っているわけもなくどうしたものか。浅い川だと言っても、近くにはあまり高さはないが滝があり、足場はごつごつとした石が転がっている。水を掬っては落としてを繰り返す女の腕を引く。驚きと怯えに強張った女の身体に柄にもなく次の行動が躊躇われた。

「ッあの……?」
「裸足か」
「え」
「裸足かどうか、と聞いている」
「え、あ……裸足です……」

 滝夜叉丸に話しかけるような大きさと柔らかさを伴わない頼りなさげなその声に、改めてこんな女を警戒していたのかとひどく馬鹿馬鹿しくなるのを感じていた。

「来い」
「え……鯉?」
「馬鹿か、貴様。ここへ来い、と言っている」

 真面目に魚の方の鯉だと思われるとは思っておらず、素のままの地が出たことに自身も若干の驚きを隠せない。驚いたのは女も同じようで、私の言葉の意味を咀嚼するかのごとく瞬きを数回繰り返した。

「…………面倒だ」

 ひとつ呟き、こちらから歩み寄れば女は若干腰を引いた。その様を無視して、腰と怪我をしていない方の腕を引き寄せて先ほど小平太がしていたように女を肩に担ぐ。

「え、……え?」
「うるさい、黙れ。落とすぞ」

 そう言えば小さな頷きを確認できたため、そのままの体勢で岩に足をかけ陸へとあがりその身体を下ろす。

「…………その、」
「……立花仙蔵だ」

 なんとも言えない静かな空気にそう自身の名を溶け込ませれば、俯きがちに視線を彷徨わせていた女が顔を上げ、ぽかんとした顔でこちらを見つめるではないか。

「あ……、西園寺、雛です……」
「……知っている。……小平太、滝夜叉丸、お前たちはいつまで水に浸かっているつもりだ? 遊んでいるなら置いて帰るが」

 女と視線が絡み合ったことにむず痒さを覚えて話を切り替えれば、滝夜叉丸が焦ったように陸へとあがってきた。その後をつまらなそうに、けれど、こちらをみてにやりと薄気味悪い笑みを浮かべて戻って来た小平太に苦い気持ちが生まれる。

 火薬で吹き飛ばしてやりたい気分だ。


 ***


 名前を、知ることができたと思った。

 彼の意図がよくわからぬまま、彼にされるがまま陸へとあがれば紡がれたのは彼のナマエ。いきなりの展開に理解が追いつかず、ぽかんと彼を見つめるだけの私。

 視線が交錯したその一瞬に、言の葉を思い出した私の唇が自身の名を紡ぐのを、どこか遠い意識の中で今の現状を咀嚼するかのごとく眺めていたような気がした。こちらに来て最初に出逢った人であったはずなのに、こんなにも名前を知るのに時間がかかるなんて思ってもみなかった。

(たちばな、せんぞう……)

 初めて出逢ったあの日から、相も変わらず綺麗な鴉の濡れ羽色の髪をなびかせた彼の後姿がやけに印象に残る。

(ほんと、綺麗な人)

 私が今、彼の後ろにいるのが躊躇われるほどの凛とした綺麗さを持った人。傷つけられたはずなのに、優しさにも触れたから、どう接するべき人なのか私にはよく分からない。分からないから、知りたいなと思った。これから、知ることが出来たらいい。

「雛さん、どうしたんですか? 疲れましたか?」
「あ……」

 ぼうっとしていれば掛けられた声にはっと我に返る。見れば、七松くんも滝夜叉丸くんも……立花くんも進んでいた。

「ご、ごめんなさい……!」

 早口で謝罪を言って駆ければまた差し出された滝夜叉丸くんの手。彼は先ほどと同じように優しげな瞳をしていた。

「……その役は私が買ってでよう」
「え、立花先輩が……?」
「お前も疲れているのだろう? お前がその手を引くことで、二人して歩きが遅くなったのであれば元も子もない」
「じゃあ滝夜叉丸は私と手を繋ぐか?」
「繋ぎません。……雛さん、立花先輩にお願いしてもいいですか? 確かに私だと遅くなってしまうかもしれません。さすがの私でも今日は少々疲れましたので」

 七松くんの誘いを間髪いれずに断った彼は小さく苦笑して、立花くんを一瞥すると少し先の七松くんの隣へと小走りで駆けて行った。

「……あの、大丈夫なので」

 全てを言い終わる前に取られた手。手首ではなく手、であったことが純粋に恥ずかしくて何とも言えない気持ちを覚える。

「別に、お前を信用したわけではない」

 裸足である今、無駄に怪我を増やされても困るだけだからな――冷たいはずの言葉でさえ、照れ隠しのように聞こえてしまうのは私が都合のいいように解釈しただけではないと思いたかった。石や木の枝を踏まないように歩く。手を引かれて、彼を追うように歩いていく。

(握られた手に)
(差し出した手は)
(どちらも少しだけ温かくて)


 ***


 学園に辿り着けば、出迎えてくれたのは体育委員らしき子たちで、三之助くんと金吾くんの姿を見とめた。委員長、とそう言って戯れる彼らの姿が何だか微笑ましいと同時にどこか寂しさを感じて、繋がれたままの手に無意識のうちに少しだけ力が入った。伝わる温度にすがっていたかった。

 そして現れた善法寺くんに食満くん。彼らが来たと同時に離された手に、ひとつ甘美な響きを残して立花くんは立ち去った。

「雛さん、大丈夫!? って、濡れてる――?! 小平太、君何してきたの!」
「ん? ああ、水浴び!」
「ッこのばか! 雛さん怪我人なのに! 雛さん、はやく着替えなよ! ああもう、足も……!」

 ぐいぐいと背を押され、その背越しに七松くんのまた連れてってやるからなー! という声と賑わう音が聞こえてきた。

「あんたも災難だったな、小平太に巻き込まれるとは」
「ほんとだよね、まったくもう! 雛さん怪我してるのに遠出させた挙句、水浴びだなんて……。川にでも落とされた?」

 その言葉に若干苦笑しつつも頷きを返せば、善法寺くんにごめんねと謝られてしまった。

「僕らが止めれればよかったんだけど……」
「無理だろ。あいつは暴君だぞ? 人の言うことなんか聞くわけがねえ」
「だよねえ……」

 しゅん、とした善法寺くんにいたたまれなくなって言葉を投げかける。

「楽しかったから、気にしないで」

 きょとんとおとぼけたような顔の善法寺くんが可愛くて思わず微笑みが零れた。心からの、笑みが。


 ***


 世界が、急速に彩りを持ち始めたような気がして少しだけ怖い。
 確かに、始まりだって終わりだって何時の間にか存在していてその速度はあっという間で。

 ついこの間まで、息苦しさを感じていたはずなのに、こうやって名を知るように、君たちを知るようになれば息苦しさなんてすぐに消え去って。人間の悪い部分が顔を出してくる。欲が出てくる。もっと仲良くなりたいと、思ってしまう。

 でも、そうなり始めた私の世界がひどく大切なんだとそう思って止まない。



「音にけだした自分」



(“雛”と甘美な響きを残した)
(貴方の唇が優しげだった)


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