雛唄、 | ナノ

01


「あ」

(お弁当忘れた……)

 学校から家に帰ろうとしていた矢先、校舎の階段を下りながらふと気付いた忘れ物に教室へ戻ろうと踵を返した。


 ――ソレコソガワカレミチ


 耳にイヤホンをさしたままだから気付かなかったのだろう、教室へと戻る道のりで突如として音が消えたことに。
 携帯でメールを作成していたから気付かなかったのだろう、教室へと戻る道のりで突如として人が消えたことに。

(これでよしっと)

 自分で打ったメールをざっと読み返し、間違ったところがないか確認する。そしてそのまま送信ボタンを押した。送信中、という言葉が表示されたのを見て、携帯の画面に落としていた視線を上げる。すぐには異変に気付かなかった。

(……充電切れたっぽい)

 ブツッと微かな音を残してイヤホンから流れていた音が途絶えた。機器をポケットから取り出してみれば案の定充電切れを示していた。家に帰るまではもつかと思ってたんだけどなあ……。イヤホンを耳から外す。すぐには異変に気付かなかった。

 携帯はポケットに、充電の切れた音楽機器はスクバに各々仕舞う。わざわざ歩みを止めるようなことはしなかった。スクバを肩に掛け直して、顔を前に向き直す。そして、おもむろに立ち止まった。

(………………?)

 どこか違和感を感じてから十秒ちょっと……。自分の思い込みだと思った。
 自分以外の足音が聞こえない。声も聞こえない。人もいない。窓から見た景色に人がいない……そんなことあるわけがない。今日は平日でさっきまでグラウンドでも部活動をしている人がいたはずで、廊下で談笑している人だっていたはずで――……。

(……え?)
(みんな、いない……?)

 そんなのは嘘だと、自分の思い込みだと、頭を一度振って歩き出す。自分でも知らず知らずの内に速足になっていたようで、自身が所属する教室がある階に辿り着いた時には少し息が切れていた。はっ、と息が漏れる。大丈夫、人がいないなんてそんなわけない。そんなわけ――……。
 異変を確信したのは教室へと続く廊下の角を曲がった時だった。廊下にはまるで終わりがないようで、先が見えない。暗い。まだ外は明るいはずだったのに。目の前に広がる体験したことのないナニカに立ち尽くすほか、なかった。私が生み出す音以外存在しないかのようなこの場所で、唾を呑み込む音がひどく大きく聴こえた。……気味が悪い。

「…………っ」

 そう思ってようやく我に返った。はっとしてドアの閉められた一番近くの教室を見やる。誰かいないの、なんて中のカーテンも閉められているような薄暗い場所を開け放つ勇気は私には無かった。ぎぎぎ、とでも聞こえそうな動作で顔を動かす。何年何組なのか確認したいだけだった。普段、ドアの上に掛けてあるはずの何年何組を示すプレートに目をやればいつもそこにある教室で間違いはなかった。なのに。
  

 どうして同じ教室がずっと続いてるの――。

 
 それを理解した途端、一瞬で恐怖が全身を支配した。

 何が、何が起こってる?
 まるでホラー映画に自身がとびこんでしまったかのような錯覚を覚える。半ばパニックに陥ったまま思い切り後ろを振り返った。


 ――期待した景色は、ない。


 理解が追いつかなかった。こっちもあっちも廊下に終わりが見えないなんて。それどころか私がついさっき上がってきたはずの階段も消え失せていた。長い長い廊下に一人取り残されたようだった。何が起きているのか分からない。

(ちょっと……待って。私が帰ろうとしたときはこんなんじゃなかった……! こんなんじゃなかったよね? ッなんで、なにが、どうなって、え……!?)

 現状を把握しようと努めていれば、突然携帯のバイブが響き心臓が跳ね上がった。

「送信、エラー……」

 心臓が早鐘を打ってうるさい。理解が追いつかないまま呆然と携帯電話の画面を見つめる。お弁当を忘れたのも、音楽機器の充電が切れたのも、メールが送信エラーとなって送れないのも、日常にはよくあることかもしれないけれど今の私にはそれがこの異変の前兆だったのではないかという気さえしてきた。画面が黒く染まった携帯を片手にその考えを払拭するかのように走り出す。このままここに立っていればわけのわからない恐怖に呑まれそうで。呑まれそうでただ怖かった。

 走って、走って、走った。

 走るのはあまり好きではないし得意でもない。でも、一度走り出したら止まったらいけないような気がした。焦燥に駆られるまま足を動かす。パタパタ、と聞こえる自分が生み出しているはずの音が反響してまるで誰かに追われているよう。

「っ……は」

 自分が今どこを走っているのかなんて当に分からなくなっていたけれどひたすら走る。どうしてか走らなければ自分が自分でいられなくなるようで、ひどい悪寒がした。

(どうして……ッ!)

 怖くてたまらない。

 何が怖いのかも既に把握できない状況で、それでも、怖いという感覚だけが漠然と浮かび上がってきた。誰かいないの、ねえ。どうしていないの、ねえ。走りながら、何度も何度も頭の中で繰り返す。

「った……っ!」

 疲れたのだろう足がもつれ派手に転んだ。この状況でなければ恥さらしもいいところに違いない。いいよ、笑っていいよ。笑ってくれていいから、誰かいないの。

「…………ッ」
 
 高校生にもなって転んで泣くとは情けない話かもしれないけれどそんなことどうでもよかった。怖い。怖い。こわい。コワイ。恐怖というただそれだけの感情が頭を支配する。ボタボタと溢れだしては零れていく透明な液体を拭うこともしないでしゃがみこんだ。


 ――まるで世界に一人きり。


 そう感じてしまえば実際にそうなってしまったかのような気分になる。しゃがみこんで膝に額を押しつけて泣いた。嗚咽をかみ殺していたせいか呼吸が苦しくなってきた頃、突如として妙な浮遊感がワタシを襲った。

 心臓が跳ねて思わず顔を上げる。

 次の瞬間、私は――……。


 ――意識を失った。 


(瞼が落ちる前にこの瞳が映したのは)



「ねえ、どして」



 忍装束を着た男子六人が山にいた。彼らは俗に苦無や火薬、武器と呼べるものを各々手にし殺気立っている。

 野外実践演習中であった。

 忍術学園の忍たま、最上級生である六年生に課せられた本日の演習内容は三対三の対戦形式で、いろは組それぞれ一人ずつのチームを組んでおり、相手の誰かが所持する巻物を奪った方の勝ちとなるようだった。立花仙蔵、中在家長次、善法寺伊作の三人と潮江文次郎、七松小平太、食満留三郎の三人というチーム構成らしい。

 先ほどまで激しい攻防を繰り広げていた両者だが今はどちらが先に動くかと探り合いをしながら互いに対峙していた。そして両者が一斉に相手に飛びかかろうとした時、異変は起こった。

(世界が、繋がった)

 ひとつ突風が駆け抜け、共に出現した気配に六人の意識は一瞬にして切り替わり標的は突如現れた気配へと向いた。風は灰塵を纏っているかのように白く濁って見え、風が去るとほぼ同時にそれぞれが得物をその気配へと突き出した。

「………………」

 少しの間、彼らの間を静寂が襲う。その後、現状を理解したらしい六人は緊迫しつつも肩から力が抜けたようだった。
 そんな彼らの目の前に現れたのは見知らぬ衣服を纏った女であった。

 女が苦無を突き付けたために失神したのかは分からないが外見だけで判断すれば大した力はないように思われる。しかし、油断は禁物だと、互いに目で確認し合うと六人のうち一人が女に近づいた。

「……気絶している」

 その言葉を聞き、一先ず得物を仕舞い、演習にも休戦体制を敷いた六人の胸中を次に占めたのは疑問だった。

「この子いきなり現れたよね……?」
「どっかの間者かもしれねえな」
「でも、こんな服見たことない……」
「確かにな。……どうするか」
「ほっとけばいいだろ」

 ほっとけほっとけと騒ぐ文次郎を無視して仙蔵は女に手を触れた。身体や顔に目立った傷はなく着物に汚れもない、手入れされている髪や爪、貴族が履いているような沓……武器になりそうな物は見受けられない。

「文次郎、放っていてもいいかもしれんがこの女の素性が知れない。ということは、もしこの女が学園を狙う間者だった場合放っておくのは危険だ。見るからに怪しいしな。だからといってここで殺した場合、もしこの女がどこかの貴族や豪商の娘ならば学園にとって何かしら支障がでるやもしれん」
「ッそれは……そうだが」

 仙蔵の物言いに反論できない文次郎の顔は気に食わないといった顔つきだ。仙蔵が見知らぬ女を庇うような言い方をするのが気に食わないらしかった。

「じゃあ、この子連れ帰るの?」
「それが無難だろう」
「そうだね。先生もいないし……」
「お前の不運のせいでな」
「うっ……」

 彼らを監督していた教師は伊作の不運の巻き添えをくらい演習が始まってすぐに気を失っていたのだが、先ほど気が付くとよろよろとした足取りで学園へと戻っていった。教師がいなくなり成績には影響がないものの、彼らは鍛錬の為と演習を続けていたのである。

「目が覚めると困る、急ぐぞ」

 仙蔵が女の体を抱え上げ走り出せば他の五人もそれに倣って走り出した。
 その内の一人、善法寺伊作は怪しげな女のものと思われる黒い布で出来た箱のような物を抱えて、それから足を動かした。何が入っているか分からない、慎重に……と呟いた直後、思っていたより重みのあったソレは伊作の腕から滑り落ちていった。

「ッ……!」

 爆発しないかと身構えるも何も起こらずほっと息を吐いた。そのまま鞄を持ち直して皆の後を追って駆けていく。ここで爆発でもしていたのなら彼はもう救いようのない不運の持ち主だと言われたに違いないだろう。

 日暮れ時の山を音なく駆ける六つの影。
 どこかから鐘の音が聞こえる。


(終わり始まる世界)

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