ゆっくりと過ぎていった全ての景色。
それをきっと人は、スローモーションと呼ぶのだろう。
ツゥ……なんて音が聞こえそうなほど腕から血が滴るのを感じていた。驚くことに最初に認識した感覚は痛みではなかった。感覚が麻痺したわけじゃない。ただ、現実味がなかっただけ。
(ああ、これじゃあ、まるで)
本当に悲劇のヒロインじゃないか。私はヒロインなんかじゃない。ヒロインでありたい、でもヒロインじゃないはずなのになんでこんな行動をしたのだろう。失笑が漏れそうになる。代わりに零れたのは曖昧な笑み。
「西園寺、さん……」
「……はは、大丈夫だよ」
そう言って笑うことが正しいんだって私は思っていた。
深いのか、浅いのか、分からないけれど確かにこの腕に突き刺さった一本のクナイ。
アオイと呼ばれる彼女が久々知くんにとってはおそらく強烈であったろう一言を放つと同時に放たれた彼らの彼女らの身を護るべき武器。その軌道を放たれた瞬間に読んだのであろうサクラちゃんが、私の前に身を投げ出したのまでは確認できた。
「わ、わ……わたし、間に合わなくッ……間に合わなかったんですか?!」
今にも泣きそうな表情で自分を責めようとするものだから、彼女を見据えて首を横に振った。
(サクラちゃんが悪いんじゃない)
(ただ、私が)
「………………私が」
(ただ、私が)
「わ、わたしが……」
怖かっただけ。
サクラちゃんに庇われた上に、彼女に怪我までさせるなんてことになったら私に責任が課せられるようで怖かった。お前がこの学園にいるせいで、なんて彼らにまで言われてしまいそうで怖かったんだ。
(ああ、なんて自分勝手な考え)
どこからかくる震えをぐっと飲み込んで事実を述べる。
「ッ……サクラちゃんが怪我したら、おかしいでしょう?」
(なんて、私は偽善者なんだろう)
「ッアオイ……!」
一瞬閉じた瞳を開けた瞬間に聞こえてきた声に、目の前の光景に、胸の奥底でワタシが泣いたような気がした。
***
まさか苦無を投げるとは思わなかった。
いくら過激だと言われていたってあいつらはくのたまの四年生で、優秀なはずで、どんな理由が潜んでいたとしてもそんなに簡単に罪のない人を傷つけるような奴らだとは思っていなかった。アオイの手から放たれたクナイの軌道など私たちは簡単に見切れたはずだったのに誰も動こうとしなくて、正確には、動けなくて。
「ッ…………ぁ……」
小さな息を呑んだ声が聞こえた時にはすでにその得物は彼女の身体に刺さっていた。現実を知ったその瞬間、見開いた瞳の先にいたあなたの腕からは赤い液体がぱたぱたと雫となって落ちて行った。
――大丈夫だよ。
そう言って笑った彼女を見て、自分の未熟さにひどく腹立たしさを覚えた。守ると、彼女を信じると、そう言ったのに。なぜ、彼女はまた怪我をしている? 滴る赤が痛い。
(…………ッ情けない)
下唇を噛んで今にも走りだして叫んでアオイに突っかかりたい衝動を抑える。今ここで彼女に手を上げてしまえば、自分も彼女たちと同じだ。
***
心の中で盛大に息を吐き出す。
放たれた苦無はそのまま一直線にあの女の片腕へ。サクラとかいったくのたまが女を庇おうとしたが、その身体をあの女が突き飛ばした結果がコレだ。確かにあの一瞬で苦無を取り出し、アオイの放った苦無を弾き返すのは無理だとしてもくのたまがあの苦無を受けていればどうにかして自身に来る痛みを減らせただろうに。
まあ、庇われていたらいたでその程度の女だったということ。あの女が庇われずに自ら傷を負ったことに対して少なからず安堵している自分がいた。嫌いじゃない。ああやって他人を傷つけまいとする自己犠牲は嫌いじゃないさ。
「……それにしても、お前たちは相変わらずだな。帰ってきていたのなら後輩の暴挙を止めようとは思わなかったのか」
「えー? 立花先輩ってばぁ、何それじょおだんー?」
「あたしらがこんな面白い場面、やすやすと止めるとでもお思いで?」
「思わん」
「あは、立花先輩ってば正直ぃ。でも、ま、立花先輩も止めなかったんだしぃ、あたしたちと同じでしょお?」
「否定はしないが。お前たちくの一教室の問題はお前たちで片付けろ」
「それはこちらとて同じ。そちらが持ち込んだ問題はそちらで片付けてくださいな」
「……ふん、変わらずお前の後輩は可愛げがないな。ワカバ」
「……………………」
視線を目の前の光景から外すことなく、私の後ろに降り立ったくのたま三人に言葉を投げかける。私に刺々しい言い方で言葉を返してくるくのたま五年にあたるツバキとクルミも変わらずだが、くの一教室のリーダーたる六年のワカバもまた変わらずまるで空気のようにそこに存在しているだけでただただ静かだった。
そうこうしている間にも、目前の話の展開は進んでいるようだ。
***
アオイ、とそう呼んだサクラちゃんの平手が私にクナイを放った子の頬に直撃した。パシンッと先ほどまで騒がしかったはずなのに、静かな今この場所にその音が綺麗に浸透していく。
「ッ……サク、ラ」
「……自分が、何したかわかってる?」
「…………っ」
「ッアオイは投げちゃいけないものを投げたんだよ!?」
「ッあたしだって、投げるつもりじゃなかった! 投げるつもりじゃなかったのよっ……!」
「アオイちゃん……」
「ごめ、なさ……ほ、ほんと、投げるつもりなんか、なくって……ッ」
ごめんなさい。
投げるつもりじゃなかった。
どうしよう。
これで久々知先輩に嫌われたらどうしよう。
わかってる。
ごめんなさい。
涙ながらに彼女が言った言葉に私はどうすることもできなかった。
私はどうしたらいいんだろう。彼女にも貴方は悪くないなんて偽善を与えればいいのか、責めればいいのか。……責めたい気持ちは別にない。ないけど、この腕の痛みは確かに存在していて、ああ、少し視界が霞んできたかもしれない。
私だって、泣きたい。
胸の内で、頭の中で、ぐちゃぐちゃな思考を巡らせているうちにも新しく生まれた声の主によってアオイちゃんを始めとしたくのたまの彼女らは連れて行かれたらしい。誰かが私のナマエを呼んで、誰かの体温が触れたそのとき私の意識は途絶えた。
(わたしだって、なきたい)
(だれか、このこえをきいて)
***
「雛さん……!」
騒ぎを聞きつけただろう先生方と、学園に帰ってきていたらしいくのたまの五年生二人と六年生一人によって、くのたまの彼女らがどこかへと連れていかれた直後。人形のように固まっていた平と田村が吐きだした彼女の名前を聞いて自身もハっとさせられた。
その瞬間、彼女の身体は傾いた。
――ぐらり、と。
一瞬で駆けだして伸ばした手に叫んだ彼女の名前。
「雛さん……ッ!」
だらりと落ちた腕に刺さったままのクナイ。今ここで抜いたら余計に酷くなるのは間違いない。同じく駆け寄ってきた平と田村がしきりに彼女の名前を呼んでも固く閉ざされた瞼が上がることはなかった。
自身の腕に抱きとめた身体はどこか儚いと知った。
(喜怒哀楽すべてが交錯して)
(ぐちゃぐちゃ)
(それがヒトってものなの、きっと)
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