雛唄、 | ナノ

33


 風呂場でくのたまの子たちに着物を盗まれ、くのたまの四年生の一人であるサクラちゃんと出逢った翌日の夕方。いつものように午前中は食堂のおばちゃんのお手伝いとか自分の着物を洗濯したりして、午後からは小松田くんと共に何枚か書類を完成させ、現在、夕食の準備に取り掛かっていた。

「おばちゃん、こんな感じですか?」
「そうそう、そんな感じ。あとはねえ……そうねえ、こうやって持つと炒めやすいと思うわ」
「分かりました」
「じゃあ、雛ちゃん、私は魚を切るから豆腐を切ってくれるかしら?」

 そう言って去ったおばちゃんの言葉に従って、野菜を炒めた後、豆腐を切ることにした。大分包丁を使うことには慣れてきて、今ではおばちゃんに味付けの仕方もあまり忙しくない夕食時にだけ教えてもらっている。

 今日の夕食当番は二年生らしいものの、まだ姿は見えていない。当番と言っても、片付けが主らしい。上級生ともなると、私よりずっと料理もし慣れていて――何でも忍者には料理の才、最低でも食べられる物を作る能力が必要なようで、週に何回かは自分たちで夕食を作ることが義務付けられているらしい――、料理を作る時も手伝ってくれるけれど、下級生はまだそこまで料理を作ることに慣れていないために片付けが主となっているようだった。夕食時は準備するのに時間をかけられるからそんなに忙しいわけでもないし、片付けをして貰えるだけでもとても助かるのだと思う。

(音楽が恋しい……)

 時々音楽を聞きたくてたまらない衝動に駆られる。聞いたところでどうなるというわけでもないけれど、気休めにはなるだろうから。その思いも虚しく、当の昔に携帯も音楽機器も充電切れだった。それ以前に、学園を飛び出したあの日に投げ捨てた衝撃で壊れているかもしれない。誰かが拾って持ってきてくれた鞄はそのまま部屋に放置している。中身の確認はまだしていなかった。

(……大丈夫だったかな)

 昨日、盗まれたであろう私の着物を探し出し届けにきてくれたサクラちゃん。

 綺麗な目をしている私が悪い人なわけがない、とそうきっぱり言ってくれたことにどうしようもなく泣きたくなった。その言葉を最後に、彼女はどこからか聞こえた彼女の名を呼ぶ声にひとつ頭を下げて駆けて行ってしまったけれど。


 ――皆、優しい子なんです。



 彼女の言葉を思い出してそっと目を伏せる。そりゃそうだ、慈悲も優しさも何も持ち合わせていない子たちだったらきっともっと酷いことしてくるに違いない。
 ひとつ息を吐き出して思う。サクラちゃんが、大丈夫だったかどうか。自分の身を心配しなければいけないのかもしれないけれど、私に着物を返したりなんてしたことが知れたらサクラちゃんはどうなるのだろう。仲間外れにされたり、いじめを受けたりしていないことを願うばかりだ。

 そしてそのまま、何事もなく夕食時が過ぎていった。

「じゃあ、僕たちはこれで失礼します」
「うん、お疲れさまでした」

 今日の夕食の当番だった池田三郎次くんと川西左近くんを見送って、洗濯物を取り込むためにいつもの場所へと向かう。
 くのたまの子たちに会った、というか忠告をされた翌日はさすがに行く気にはなれなくて違う場所に干していたのだが、やはり日当たりの都合上こちらの方が良いということで場所を戻したのだった。時間帯的にも、夕食前に取り込もうとしたけれど、夕食前じゃまだ乾ききっていなくてやはり夕食時が過ぎてから取り込むことにしている。
 くのたまの子たちに警告されてしまうことに身構えていたが、警告されることなく今日を迎えた。

(……ん、よし、乾いてる)

 洗濯物を全て腕の中に収め、自室への道へと歩を進めた時に、聞こえた声。

「西園寺雛さん、貴女に話があります」

 くるり。振り向いた先にはあの時の三人のくのたまの子たちが立っていた。あの時より幾分か明るい今日は、彼女たちの顔がはっきり見え……、その容貌に驚いた。

(なんで)
(そんなに顔整ってるんですか)

 呑気にもそう、思った。


 ***


 面白いモノを見かけた。

 それは、私が学園長先生のお遣いから帰ってきてすぐのこと。今回の報告をしに学園長先生がいらっしゃる庵に向かう道中。聞こえてきた声には何ら興味はない。が、内容によっては興味が出てくるというものだろう。

「貴女に警告をしに参りました」
「忠告をしてあげたのに、どうして出てかないんですか」
「それどころか、先輩方と話してるし……」

 それらの言葉を聞いて、その声から近い屋根へと上がりそのまま腰を降ろした。見るところ、くのたまの四年生らしい。桃色の服を着た生徒が三人、そしてそれに対峙するはあの女。修羅場、という面白い現場に出くわしたようだ。目を細める。こちらからくのたまの生徒の表情は見えないが、あの女の表情は見える。腕に着物を抱え何も言うことなく、表情を変えることもなく、くのたまの話を聞いているようだった。

「言いましたよね、先輩方に近づかないでくださいって」
「私たちは、私たちなりに貴方のことを調べました。見ていました。でも、どう考えたって納得がいきません!」
「未来からきたとか、そんな話やっぱり絶対信じられない……!」
「さっさと逃げればよかったのに」
「先輩方どころかサクラまで……! どうやって取り込んだんです?!」
「ッなんか言ったらどうなんですか!? 貴方のそうやって、何にも感じてないみたいな冷静さ、すっごく癪に障るのよ……!」
「感情がないのよ、そうでしょう?」
「なんでもかんでもやれって言われたことこなして、なんなの、良い子ぶったって誰も貴方に騙されやしないんだから……!」
「ッだから……だから……!」


 ――早く出てって……!


 言葉がくのたまの口から零れる度に徐々に語気が荒くなり暴言と化していく。それとは対極に、微動だにせずにいるあの女。顔からも感情が抜け落ちたようにただ無表情で、瞬きを数回繰り返すだけ。

 くのたまの言葉を頭の中で何度か反復し息を吐き出す。

(…………くだらん)

 カオル、といったか。前にそのくのたまに言い寄られたのを思い出す。三禁を破るのか、とそう言ったところ、恋に囚われなきゃいいんですとか何とか言っていたような気がする。私は冷たく突き放してやったが、最近では五年の不破雷蔵に言い寄っているようなことを耳にしていた。まあ、最近といっても大分前の話だが。
 カオルは奴の先輩、男好きのくのたまとして有名なツバキとクルミの影響をもろに受けたらしい。カオルが我々に言い寄るあたりは好みの違いだろう。五年にあたるあの二人は我々忍たまの上級生の面子が気に食わない上に、もっと年上で金持ちの男、もしくは騙し甲斐のある男を好むからな。物好きと言うか何というか。私にはどうでもいい輩だが、忍たまの下級生を、私の後輩たちを悪戯に惑わすのはよしてほしいものだ。

 もう一人。あの女に暴言を吐いているくのたまの名を記憶の片隅から探し出す。誰かに恋をしているらしいと噂があった確か……アオイという名の者。ただ誰かを好きになり文を交わしたり時折町に行くだけならば、三禁破りなどと言われずにすものを。
 あの者たちの行動や発言は立派な三禁破りに値する。恋情というものが原因で、他人に被害を加えるなど言語道断だ。これだけ騒いだら奴らの先輩にも、先生方にも露見するのは時間の問題だろうに。露見したら何をやらされるか考えもしないのか。そうこう思案している間にも、くのたまの暴言は悪化し続けている。

(………勝手極まりないな)

 あの女を庇うわけではないが、くのたまの一方的な思い込みが激しすぎる。主に礼儀作法見習いを目的として入学し三年の終わり頃には学園から去ることが多いくの一教室の生徒の中で、四年生以上に進級するということは、つまり本気でくノ一を目指すということを暗に示している。たまに例外もいるようだが。現に、今期のくの一教室のリーダーとも呼べるあやつとその付き添いの形をとる五年生二人は我々と同じように既に忍務を請け負ったり、戦場を駆けている。

 こうして、今あの女に対峙している三人もくのたまとして四年に進級した者たちというものだから、もっと冷静かつ公平な判断ができるものかと思っていたが買いかぶりすぎていたようだ。……後輩の教育がなっていないぞ、ワカバ。まあ、あやつには後輩を教育などする気は毛頭ないのだろうが。今期のくの一教室のリーダーと呼ぶべき者、ワカバはそういう性格をしている。

「なんで、鉢屋先輩と話せるんですか! 私だって話したいのに……!」
「どんな色仕掛けしたんですか?!」

 色仕掛け、その言葉に反応した女が初めて口を開いた。

「ッ色仕掛けなんてしてな……!」
「お黙り!」

 思わず顔をしかめてしまう。
 女の身体を掠めて壁に当たり落ちていくのは手裏剣。……素人相手に武器を持ち出すとは、人を傷付けることの重みをまだ理解していないらしい。だから、相手にされぬのだと何故気付けないのか。

「さっすが、カオル!」
「カオルの手裏剣、もしくは私たちの武器で怪我したくなかったらさっさと出てくって言いなさいよ!」

 黙れ、とは。理不尽極まりない。

 言葉をなくした女にくのたまが痺れを切らしたらしく、もう一枚手裏剣を投げようとした時、「カオルちゃん!!!」と大きな声が木霊した。

 見れば息を切らせたくのたまが一人。

「みん、な……なに、してんの!」

 どうやら、彼女はあの女を庇うつもりらしい。

「……警告に決まってるでしょ?」
「サクラもあの人に騙されてるだけよ、いい加減目覚ましなさい!」
「目を覚ますのは皆だよ……! こんなことして、馬鹿じゃないの!?」
「ッ馬鹿とは何よ! サクラに私たちの何がわかるっていうのよ!」
「サクラには卒業したら幸せな生活が待ってるんだから!」
「ッ確かにそうだけど……! それとこれとは話が別でしょ!?」
「同じよ! 好きでもない人と結婚しなきゃいけない私の身にもなってよ……!」

 一際大きな声で叫んだダレカの声に、一瞬あたりが静寂に包まれた。


 ――政略結婚。


 思い浮かんだ単語がやけに重たく感じられた。


 ***


 ――好きでもない人と、結婚しなきゃいけない。



 その言葉の意味を理解するのに数秒要した。悲痛さを抱えたその叫びに心の奥深くが抉られたような気がして苦しい。

「ヤヨイ……」
「サクラは良いよ! サクラが結婚する人はサクラの好きな人なんだから……! ッだけど、だけど私は!? 私は、父様が選んだ人としか結婚できない……! なのに、なんで、なんで好きになっちゃだめなの……!?」
「そんなこと言ってな……ッ」
「言ってるのと一緒だよ! 鉢屋先輩がこの人に絆されていくのを黙って見てろって言うの!? ねえ……!」
「そうよ、サクラ。ヤヨイの言うことは最もだわ」
「あんたは一体どっちの味方なの!」
「ッ……それは、皆の方が大事だよ!」

 私を置いてどんどん進んでいく話。わたしに何か口を挟む隙はなかった。サクラちゃんの言葉にぎゅっと手の平を握りしめる。傷つくのは、間違ってる。だから傷ついてるわけじゃない。

(わかってる)
(……わかってる、よ)

 私みたいな怪しい人間より、学園の人たちの方が、長年一緒にいた仲間の方が、大事だなんてこと。それに、サクラちゃんとは昨日会ったばかりで何も知らないんだから。期待していたわけじゃない。……でも、やっぱり浅ましくも私はこの子に何かを期待していたのかもしれなかった。だから、少しだけくるしいんだ。

「でも、それだけのために、自分のためだけに西園寺さんを傷つけていいはずがないよ……!」
「なんで!? その人身よりもないんだよ!? 怪しいなら殺したって誰も困らないんだよ……! 先輩たちだって絶対そう思ってるもん!」
「……皆だって、見てたでしょう?」
「…………なんのこと」
「西園寺さんのこと! 見てたでしょう?! どう見たって忍たまの先輩方を誑かしてるような人には見えなかったじゃない!」
「……誑かしてたわよ」
「ッいい加減にしてよ! 何で見たこと全部なかったみたいな言い方するの!?」
「ッ事実を言っただけでしょ!」
「間者にだってくノ一にだって見えなかった……! 皆だって分かってるでしょ、ねえ!」
「ッ……どうして、そこまでその人を庇うのよ!」
「そんなことも言わなきゃわかんないの!?」

 サクラちゃんの言葉に、他の三人が押し黙った。それを見て、どうしようもない思考がぐるぐる廻っては止まらない。目の前で交わされるやり取りの中心が私だなんて思いたくなかった。私のことで目の前の子たちが言い争っているというのに、当事者である私は置き去りで、目の前の光景がフィルターがかってみえる。

「――綺麗だから」
「アオイちゃん……」
「綺麗だからってそう言いたいんでしょ。だけど、私は信じない……!」
「なんで……?」
「なんで?! そんなの当たり前でしょ! 確かにその人の瞳は私たちとは違って綺麗よ! 身体だって、表情だって私たちと何もかも違った! だけど、だけど……ッそんな、それだけの理由で信じろなんて無茶言わないで!」
「お前たち、何をしてる……!!!」

 そこへ生まれた新しい音。

 視線の先には、滝夜叉丸くんに三木ヱ門くん、久々知くんにあの綺麗な人がいた。誰かの手を煩わせてしまう自分が情けなくて申し訳なくて、手の平をさらに強く握りしめた。……わたしは、なんでこうなんだろう。


 ***


 久々知、そう自身の名を口にした人物を見上げれば、案の定、威圧感たっぷりの立花先輩がこちらを見下ろしていた。立花先輩とは時々火薬のことで色々と話をしているから、こうして話しかけられることも珍しくはない。が、今日の立花先輩はどことなく不機嫌のようでそれが声音にも少しだけ表れていた。

「どうかしたんですか?」
「説明するのも面倒だ。行くぞ」
「え……ちょ、待ってくださいよ!」

 理由もわからずただ早くも消え去った先輩を追いかけていく。
 途中から自主練中だったらしい四年の平と田村がいきなり現れるものだから驚くと同時に、しかめっ面をして「くのたまのやつら……!」などと呟くものだからますます意味がわからない。

「喜八郎の言うことが事実ならば、あいつら、なんて馬鹿なんだ…!」
「久々知先輩もそう思いませんか?! ほんと馬鹿ですよね、くのたま!」

 問いかけられても何故自分がこうして走っているのかさえ分からない俺に言える言葉はなく。
 でも、突如として聞こえてきた声に、やっと立花先輩が不機嫌だった理由も、なぜ平と田村がくのたまに暴言を吐いたのかも全て繋がった。ザッと俺たちが現れたことに困惑を隠せないらしいくのたまの生徒四人に、対峙していたのは雛さんだった。

「お前たち、何をしてる……!!!」

 そう怒気を含んだ声で平が言えば、びくっと肩を震わせたくのたまが一人。

「喜八郎が、お前たちのことを見かけて雛さんが危ないかもなんて言っていたから来てみれば……! 素人相手に武器まで持ち出して何してる!」
「ッ……滝夜叉丸、あんたは関係ないでしょ! 黙ってなさい!」
「黙ってられるか! 私は彼女を守ると言ったのだ! お前たち、自分が何してるかわかってるのか?!」

 平の剣幕に息を呑んで黙る彼女たちを見て思い返す。
 確か、三郎が昨日か一昨日、くのたまって過激だよなとか何とかぼそりと小さく呟いていた。その時の俺は別に何とも思わなくて、ただ曖昧に頷いただけだったような気がする。今になって思えば、三郎の言っていたことはあながち間違いではなかったらしい。

「その人怪しいじゃん……! なんなの?! 滝夜叉丸、あんたはこの人のこと信じてんの!?」
「当たり前だ! この成績優秀眉目秀麗な平滝夜叉丸が人の嘘を見抜けないわけがなかろう! お前たちの目はよっぽど節穴らしいな! 彼女の瞳を見なかったのか?」
「…………ッ見たわよ!」
「じゃあ、分かるんじゃないの? 雛さんが嘘をついてないことくらい」
「田村……! ッ演技に決まってるわ!」
「そんな瞳をしたプロの忍者にお前たちは会ったことでもあるのか?」
「……ッないけど?!」
「ないなら何故信じない!」
「信じたくないからに決まってるでしょう!? なんなのよっ……久々知先輩! 先輩、この人と私たちの安全どっちが大事だと思いますか!」

 いきなり自身に話を振られ、雷蔵ほどではないが非常に戸惑った。なんで俺……?

 ここでくのたまを庇えば彼女が傷つく。彼女を庇えばくのたまもきっと傷つくだろう。正直な話、くのたまとはほとんど話をしたことがない。名前と顔、ある程度の性格を知っているだけ。それに比べて、彼女に出逢ったのは確かに最近だったけれど母親以外の女の人とあんなにも砕けた話し方をしたのは初めてだった。だからかは分からぬものの、ただ彼女が笑えば嬉しくて。悲痛な声で「帰りたい」と叫んだ雛さん。もう、雛さんを傷付けたくはなかった。

「……雛さんは危害を加えるような人じゃない」

 その言葉に確か、アオイ……が叫んだ。

「ッ久々知先輩……! なんで!? なんで、その人を庇うんですかッ!!!」
「そうですよ! 意味わかんない!」
「アオイちゃん……!」
「ッ分かってる! ちゃんとわかってるわよ! 彼女が悪い人じゃないってことくらい私にだって! ッでも! でも、でも……!」

 頭を振って涙を零すアオイに掛ける言葉は見つからない。
 少しだけ、眉間に皺が寄った。

「あたしはッ! 久々知先輩が好きなの――!」

 そう言い放った後、アオイが放ったのは一本の苦無。彼女が何を思ったのか、何が引き金だったのか、俺には分からず。頭を占めたのは「好き」の言葉。

(…………俺を、好き?)

 解き放たれた苦無は鈍い輝きを放ちながら、ただまっすぐと――……。
 数秒後、地に落ちた赤い雫が誰のモノなのか、混乱気味の俺にはすぐには把握できなかった。



「それは君をる足枷」



(思考が絡み合って解けない)
(矛盾しては破裂した)


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