雛唄、 | ナノ

32


 挨拶を返してきた彼女と視線がかち合ったその瞬間、彼女の瞳の中に陰が見えた気がした。その陰は一瞬で、ほんの一瞬ですぐさま微笑みに変わったが。

「どうか、したんですか?」
「……どうもしてないよ。三木ヱ門くんとタカ丸くんは今日は一緒じゃないんだ?」
「あんな奴と一緒になんて本当はいたくないんですよ、私だって! ただいっつもちょこまかと私の後をついてくるものだから仕方なく一緒に飯を食ってやっているだけで! なのに、あの馬鹿ヱ門が先生に呼び出しを受けただとかなんとかって放ってきたに決まってるじゃないですか! こんなに麗しい私と共に朝飯を食えなくてあやつも可哀想だな!」
「…………うるさい」

 ふはは、とそう笑えば後ろに佇んでいた喜八郎がぼそっと失礼なことを呟くではないか。

「うるさい!? 喜八郎、なんだ僻むことはないのだぞ! 仕方あるまい、私みたいな完璧な人間と共にいるだけで素晴らし――……」
「先行ってるから」
「ッちょ、こら! 待て! 私も行く!」

 私を放って先に行こうと踵を返した喜八郎の後を急いで追ってゆく。去り際に彼女の方を振り返れば、彼女は手を振りつつもどこか寂しそうな雰囲気だったから、思わず叫んでしまった。

「雛さんッ! 私は雛さんのこと信じてますから! ッが?!」

 叫んだ直後、前を見てなかったためにガツンっと柱にぶつかった私。一瞬、目の前に星が飛んだ。そんな私に喜八郎はださ……なんてこれまた失礼なことを吐き捨てていったが後ろから聞こえた彼女の笑い声に頬が緩んだ。先程、彼女の瞳をよぎった黒い影は気のせいか。

「…………くのたま」

 ぼそりと喜八郎が何か言った気がしたがそれはあまりにも小さすぎて私には聞こえなかった。


 ***


「雛さん、おはよう」
「あ……おはよう」
「何してんの?」
「んと、薪割り……」
「そりゃ見れば分かるけどさ。なんで雛さんが割ってんの?」

 俺らが彼女に話しかけたとき、彼女の腕の中にはいくつか薪があった。紐でまとめるようだ。薪割りは通常、風呂当番か先生方がしているものであるため、兵助が尋ねたことは俺も疑問に感じている。今はもう、彼女が薪割りをする必要はなかったはずだ。斧は重てぇし、疲れるしな。それにしても、彼女が俺たちと視線をあまり合わせないのは常だが、今日は視線を上げようともしない。気軽に話す仲とまではいかずとも、知り合い以上となった今、妙によそよそしいと感じた。

「食堂の足りなくなるといけないから」
「……俺がやろうか?」

 兵助がそう言えば、彼女は少しばかり苦笑した後、首を横に振って大丈夫だと返してきた。その様子がどこかいつもと違って、態度には出さずとも首を傾げる。俺の隣にいた雷蔵と視線を合わせている間にも、同じく彼女の様子がいつもと違うことに気付いた三郎が俺たちを代表するように、なんか変だと彼女に言葉を突き付けていた。

「変、とか……失礼な」
「だってさ」

 そう一言吐き出して一歩、三郎が歩を進めれば彼女は一歩下がった。

「…………ほら」
「…………うん?」
「へえ……シラを切るつもりか? まあ、それもそれで面白いけどな」
「いや、その、それは、鉢屋くんが怖いから……じゃなくて! 怖くない怖くない怖くないから、ほんと近づかないでください、お願いします……!」
「そう言われると近づきたくなる。なあ、雷蔵」
「僕に振らないでよ……もう、ご飯食べいかないと時間なくなるよ?」
「……雷蔵がそう言うなら」

 渋々といった感じを出しながらも楽しそうな三郎に雷蔵は苦笑を零していた。どう考えても雷蔵は三郎に甘いと俺は思う。先程、彼女の腕の中から薪を取り、彼女の代わりに紐でまとめている兵助を横目に今度は勘右衛門が彼女へにじり寄って行った。おいおい……。

「でも、西園寺さん妙に距離取ってるけどどうして?」
「……尾浜くん、それには触れないでいただけると嬉しいんですが」
「なんで?」
「……そういう気分だから?」
「なんで疑問?」
「じゃあ、薪割りで汚れたから……?」
「じゃあって何」
「えーと、まあ、いろいろ……」
「いろいろって何」

 ずいずい追及していく勘右衛門をまあまあと制止して宥める。三郎といい、勘右衛門といい人をからかうのが好きだから、西園寺さんも苦労すんなァと苦笑した。

「まあ、な? ほら、雷蔵の言うようにさっさと飯食いにいこうぜ?」
「……それもそうだね」

 勘右衛門の言葉に彼女はほっとした表情を浮かべた。その分かりやすさに目を少し、細める。兵助が薪を置いたのを合図に、食堂へ歩を進める。兵助に礼を述べた彼女と、その礼を受け取って表情を柔らかく緩ませた兵助に、俺たちの空気も柔くなった気がした。

「じゃ、俺ら行くわ」
「変な西園寺さん、せいぜい頑張れよ」
「変って……」

 手を軽くあげて彼女の元を後にして食堂へと入って行く。俺らの後にやってきたくのたまの生徒を見て三郎が、なるほどなと零していたが俺にはその言葉の意味は分からなかった。気になったのは、真新しい傷が一筋、西園寺さんの頬にあったこと。葉で切れたと言った、その言葉を鵜呑みにしてしまったのはおそらく俺だけじゃなかったはずだ。


 ***


「雛ちゃん」
「あ、先生……授業終わったんですか?」
「ああ、今日も大変だった……」
「お疲れさまでした。……えっと、何か用が?」
「いや、これといった用事はないんだが……。事務の仕事の方はどうだい?」

 今日の授業もどうにか無事に終わり、一息ついたところで自身が顧問となっている火薬委員会の活動に顔出しする前に立ち寄った彼女の元。私を見て表情を緩めた彼女に少し目を細めて、彼女の近況を尋ねれば、彼女は苦笑して持っていた箒をカタンとおいた。

「楽しいんですけど、まだ全然……」
「そうか。まあ、確かに内容は難しいかもしれないね」
「難しいなんてものじゃないですよ……」
「じきに理解出来るようになるだろうし、慣れるさ」
「そうだといいんですけど……」

 困ったようにはにかんだ彼女の様子が年齢よりも幼くみえて笑ってしまう。

「なんで笑うんですかぁ……」
「ごめんごめん。雛ちゃんが可愛くて」
「ッ…………!」

 思ったことを正直に伝えれば途端に顔を背けるものだから、その様子にまた笑ってしまった。

「〜〜ッからかわないでください!」
「悪かった。そうだ、コレをやろうと思ってきたんだ」

 持っていた包みを差し出して、中を開く。現れたのは黄色がかった果物。干し杏だ。薬用として用いられることの多い杏だが、糖度があり、干したものは食用として売られている。身体にもいいし、甘さもある。食べやすくもあり、以前、薬膳料理を知らずに食べることを躊躇していた雛ちゃんでもこれなら躊躇することはないんじゃないだろうか。そう思って、先日、町に出たついでに買ってきたものだった。
 はい、と言葉を発せば雛ちゃんはそれに視線を落とした。釘づけとまではいかないだろうが、じっと、私の掌にあるものを見つめる雛ちゃんは大人のようで、子供のようでまた可愛いと言ったら怒られるだろうか?

「甘い物を食べてないんじゃないかと思って、どうだろう?」
「……くれるんですか?」
「そのために持ってきたんだよ、はい」

 おずおずと受け取ろうとした彼女の手の平に包みごと落とせば、じっとそれを見つめた後にか細い声で、雛ちゃんはお礼の言葉を述べてきた。
 朝、見かけた時、元気なさそうだったけど大丈夫かい? と告げればはっとしたように私を見て、困ったような戸惑ったような複雑な表情を雛ちゃんはその顔に浮かべた。

「……先生ってモテそうですよね」
「ん?」
「なんでもないです、ありがとうございます……」

 何か言葉を発したあと、彼女がふんわりと嬉しそうに笑うものだから心底買ってきて、持ってきてよかったと思った。誰かの嬉しそうな顔は見ていて心地良い。ましてや、自身がその理由であるなら殊更。

 去り際に頭を撫でてやれば、先生のタラシなんて小さな言葉が聞こえたじゃないか。その言葉にわしゃわしゃと思い切り頭を撫でれば、上がった抗議の声。でも、その声音は明るくて心配する必要はなさそうだ。
 ふと、昨日の夜にまた怪我をしたらしい彼女の頬をするりと一撫でして思う。誰かにやられたものじゃなくて、よかった。今朝会った彼女に事情を聞けばどこか陰ったように見える瞳をしてちょっと葉に擦れてしまって、と言っていたから。

「なるべく怪我をしないようにね」
「……気をつけます」

 大人しくなった彼女にそう告げて彼女の元を後にした。今度もまた何か甘い物をあの子に持っていこうと一人、心に決めて。


 ***


 くのたまの子たちに忠告をされてから、今日で三日が経った。

 あれから、結局は忍たまの五年生には何度か関わってしまったためにすぐにでも警告をされるのかと覚悟していたのに何事もなく三日が過ぎた。五年生に関わるといっても、一応、私から関わるようなことはしていないと思うから彼女たちの許容の範囲内であることを願うしかない。

(たぶん、してないはず……)

 大丈夫なのかもしれない、とそうタカをくくっていた。

 いつものようにくのたま用のお風呂を借りてくつろぐ。くのたまの子たちが帰ってきてからというもの、彼女たちと時間が重ならないように様子を見て、前よりも遅い時間に入ることにしている。風呂場の窓の隙間から、見上げた空に浮かぶ月は綺麗で見とれることがしばしば。息を軽く吐き出して身体をお湯に浸す。肩が水面下に沈むまで浸かってからざばっとあがった。

「…………ない」

 タオルで身体を拭いてははたと気付いた事実。……着物がない。ぐるりと辺りを見回しても落ちているわけでもなく、着物がなくなっていた。部屋で寝巻に着替えてから風呂場には来たのだから、なくなったものは寝巻である白の浴衣と下着か。

(……身につけてきたんだから)
(なくなるなんてことは、)

「…………まじか」

 辿り着く結論は誰かに盗まれた、もしくは意図的に隠されたってこと。それしか思いつかなかった。ここは男子禁制だから、こんなことをするのは彼女たち以外に考えられない。

(なにも、下着までとらなくても……)

 髪からは雫が垂れているし、タオル一枚で部屋に帰れだなんて酷すぎる。

 しばし呆然とする。
 このまま帰って誰にも会わなければいいけれど、誰かと出くわしたりしたものなら何と言えばいいか分からない。もう夜の九時過ぎ。現代では比較的早い時間といっても、こちらでは遅い時間帯に区分される。すなわち、九時過ぎということは忍者のたまごである忍たまの子たちが自主練をしている時間帯でもある。私の部屋とここ、くのたま用のお風呂はそんなに遠くはないし、自主練をしている子たちに会わない確率の方が高い。

 でも、もし誰かに会ってしまったら。

(どうしよう……)

 やっぱり、出ていけということなのだろうか。どんどん溢れていく嫌な考えに気持ちは暗く沈んでいく。部屋にこのまま戻るべきか、いや、戻る以外に方法はないのは分かっているけれど、行動に移す勇気がもてなくて時間だけが過ぎていく。私が時折零す溜息とひゅーっと風が吹きがたがたと建物を揺らす音以外聞こえない。

 そこに、突如としてカツンと、音が生まれた。その音をした方向に顔を向ければ一人、女の子がこちらを見ていた。


 ***


「あ、あの……! わ、わたし、くの一教室のサクラって言います! あの、これ……」

 布一枚を身体に巻きつけたまま、しゃがみこんでいる人に着物と下着を差し出す。いきなり現れたわたしを数秒見つめた後、彼女はあ、ありがとうと言って受け取ってくれた。

「わ、わたしあっち見てますから、早く着た方がいいですよッ! 風邪引いちゃいます……」

 わたしの言葉に了承したらしい彼女が寝巻を身に着ける音にどきどきしてしまう。彼女は怒っていないようだけれど、本当に申し訳ないことをしてしまった。これでこの人が風邪を引いてしまったら、どうしよう。なんてぐるぐる考えを巡らせていると、着替え終わったらしい彼女から声が掛かった。

「……サクラ、ちゃんだっけ?」
「あ、はい。その、西園寺雛さん、で合ってますか……?」
「…………うん」

 肯定の返事として彼女は小さな頷きをひとつくれた。

「……すみません、こんなことして」
「……………えっと」
「止めたんですけど、なんていうか、皆聞いてくれなくて……。あの、でも! 皆優しい子なんです! ちょっと、過激というか……それだけで……! ああ、それだけって言うと語弊があるかもしれませんが、その……本当にアオイちゃんも、カオルちゃんも、ヤヨイも良い子なんです! …………その、だから、あの…………ッごめんなさい」

 勢いで言った拙すぎるわたしの言葉に目の前の彼女は何も言うことなくわたしを見てる。顔を少し歪める。勝手過ぎたかな……。彼女の頬にある傷を見て思い返す。

 実習から帰ってきてからすぐのこと。

 その日、夕食を食べ終わったのにもかかわらず食堂に居座る同期三人を不思議に思いつつもわたしは課題が残っていたから先に長屋に帰ってお風呂に入った。お風呂をあがって部屋に向かう途中で聞こえてきた会話にとても驚いたのを覚えている。

 ユキちゃんがわたしにと、置いていった手紙に書いてあった人の話だとすぐに分かった。


 ――怪我しても泣かないなんてね。
 ――もっと傷めつければよかったかな。


 その言葉に思わず駆けて行って詰めよった。

「ねえ……っ! 皆、何してきたの!?」
「……サクラはあの人に関わっちゃだめよ」
「サクラは騙されやすいから」

 あの人。
 未来からきたらしい、女の人。

「でもっその人、別に悪いことしてないんじゃ……!」
「ッしたわよ! 先輩たちを盗った!」
「ッ盗ったって……そんな……でも、怪我させるなんて……!」
「だって不破先輩と鉢屋先輩までたぶらかしてたんだもの、あの人」
「カオルちゃん……! ッそれじゃあ三禁を破ったのと同じだよ!」
「どうして? 好きになるだけなら、三禁なんて関係ないじゃない!」
「恋に溺れて、そんな……嫉妬なんかしたら、それで怪我させちゃったこと知られたら立派な三禁破りだって言われちゃうよ……!」

 忍者に与えられる三禁のひとつに色がある。恋をするのは個人の自由。けれど、それに決して溺れてはいけないと――。

「……サクラじゃないんだから先生にバレるわけないじゃない」
「あの人が告げ口をしたってあんな怪しい人の言うこと誰も信じたりしないわよ。安心しなさい」
「怪しいって、そんな決めつけちゃ……。ねえ、ヤヨイだってそう思うでしょう!?」
「ッ……そりゃ決めつけるのはよくないかもしれないけど! っむかつくのはむかつくし、それにっ……!」
「ッ……ヤヨイ」
「っそれに鉢屋先輩笑ってたんだもん…! あたしがいくら話しかけたって笑ってもくれないのにっそんなの変だよ! おかしいよ……!」

 それからも彼女を批判しては、許せない、絶対追い出す、などと言った言葉を吐き出していった同期三人。三人は聞く耳ももたない、そのことにひどく心が痛んだ。いつの日か彼女たちが先輩を好きになって間もない頃に言った、恋に溺れるようなヘマはしないという言葉が記憶の片隅で反響した。

「先輩たちに、アオイちゃんたちがあの人のこと怪我させたって言ってもいいの?」
「……サクラ、それ本気で言ってるの?」
「……本気だよ。だって皆、くのたまらしくないよ! ちゃんと彼女のこと、知ってから行動しようよ……彼女のこと知りもしないのにこっちの都合だけで悪者にしちゃだめだよ……!」

 わたしの言葉がようやく届いたのか、三人は渋々ながらも数日間様子を見てから判断すると言ってくれた。わたしはこれで、この数日で理解してくれるものだと思っていた。……でも、甘かった。

 そして、今日。

 偶々。本当に偶々、喉が渇いたからと水飲み場へ行った帰り道。いつもなら自室にいるはずのアオイちゃんたちの声が違う場所から聞こえてきて、耳を澄ませば彼女の着物を盗って隠したという会話が微かに聞こえた。なんだかとてもいたたまれなくなって彼女の着物を探して、ようやく見つけた彼女の着物には切り刻んだ後もなくまだ無事だったことにほっとして、風呂場に急いで、今に至る。

「……わからなく、ないんだよ」
「え」
「……その子たちの気持ち」

 降って来た西園寺さんからの言葉は予想していなかったもので目を見開く。

「だから、うん、大丈夫」

 そう苦笑した彼女に、言葉をなくした。

 ここ数日の間、彼女の様子を見ていた。彼女が精一杯仕事をする姿を見ていた。彼女が忍たまの五年生の先輩方や四年生と話しているのも見た。誰かを誑かしている様子なんて微塵も感じられなかった。それどころか、本来ならここ数日の風呂当番であるくのたまの下級生がいない今、わたしたちくのたま用の風呂の薪を割ってくれているのは彼女だということも知った。

 こうして話すのは初めてだけど、やっぱり悪い人にはみえなかった。悪い人だとは思えなかった。

「ッその……ちゃんと、わたし、説得します……」
「…………サクラちゃん」
「ッ……だって西園寺さん全然悪い人に見えません……! まだ全然西園寺さんのこと知らないけど、危害とかそんなの加えるような人じゃないと思うんです……! ッそれなのに、こっちの勝手な思い込みであなたが傷つくなんておかしいです……!」
「ッ」
「ほんとに悪い人なら、そんな綺麗な目はしてません……!」

 彼女を見据えてそう言いきれば、まるで泣いているかのような微笑みが返って来て、なんだか、わたしがなきたかった――。



「交錯する思いにれて」



(嬉しさも悲しみも全部)
(胸に宿っては揺れ動くの)


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