雛唄、 | ナノ

31


 どうして、そんなつもりはないのに、誰かの大切なものを踏みにじってしまうのだろう。私の望みは帰りたいと、それさえ叶えばもう。

 どうして。
 ……どうして。

 どうしてわたしはここにいるの――。




「深層理を抉るように」



 久々知くんと不破くんと一緒に食堂の裏口まで行けば、仁王立ちをしたおばちゃんと腕組みをして柱に寄り掛かった鉢屋くんがいた。

「雛ちゃあん? それに、不破くうん? おまけに久々知くん! あなたたち何してたの! 遅い!」

 開口一番に落ちた雷に背筋をしゃんとしてみれば、おばちゃんの後ろ側に立っている鉢屋くんがにやにやとした表情を浮かべていた。見ている側はいいかもしれないけれど、こちらとしてはとてもじゃないが笑えなかった。おばちゃんの短い、けれど強烈な説教をくらって息を吐き出せば、久々知くんが遠慮がちに俺、戻るよ……と、そう言ったから、

「……またね、久々知くん」

 周りにいた二人も、言葉を投げかけられた久々知くんも何故か一瞬固まったように見えたけれど、おばちゃんの後ろからの怒鳴り声に皆一斉に動きだした。

「それにしても、三郎早かったね」
「今回のはそんなに難しいものじゃなかったからな」
「そう……それならいいんだ。怪我してないよね?」
「してないから、安心しろ。雷蔵」
「そっか。よかった……」

 心配してくれる仲間がいるっていいなぁ……なんてことを思ったりしながら、二人の会話を耳に挟みつつ自分に与えられた仕事をこなしていく。

 鉢屋くんも不破くんも料理は得意なようで――上級生は皆、一様に料理は出来るらしい――、今日の夕食準備はいつもより楽だった。いつもと違うのはそれからもあった。ここ数日そうだったように、一人で食堂の勝手口から程近い木の根元に座ってもそもそとご飯を食べていれば、今日は何故か鉢屋くんと不破くんがやってきたのだ。

 一緒にご飯を食べたからといってそんな仲良くなるわけでもないし、話も大したことは話していない。

(……でも、何だか)

 私も二人の仲間にほんの少し近づけたような気がした。沈黙が支配する時間も思ったより苦ではなくて、いつも一人の夕ご飯がいつもより美味しく思えた。

(だから、ね)

 嬉しいことばかりが続いていたから、世界を超えてしまったことを頭の片隅に追いやっていた私への罰が下ったのかもしれない。いや、考えないようにしていた私への罰が。

 当番の二人が食堂から去って、私はといえば昼間に干していた洗濯物を取りこもうと、とある場所へ足を進めた。その場所、私が自分の服を干している場所は賑やかな生徒の長屋や私の自室、すなわち客室から少しだけ離れた場所にある。生徒たちの迷惑にならないように、とせめてもの気配りでこの場所にしたのだ。日当たりが良いという理由もあった。

 ザッと風がなびいたと同時にナニカ気配を感じて後ろを振り向けば、振り向き様に軽く、本当に軽く押された身体。なのに、ものすごい力で叩きつけられたかのように壁に身体がぶつかった。

 ……なに、が起きた?

「西園寺雛さん、貴方に忠告をしに参りました」

 ひゅん、と風を切る音がしてすぐ横の壁に突き刺さったナニカ。

(ああ……私はまた……)

 漠然と、ただ、そう思えた。


 ***


「…………どうしたの?」
「どうしたって、見てわかるだろう? 飯を食べにきた」
「……じゃあ、なんで」
「何がなんでなんだ、文にしろ。脈絡が読めない」
「……鉢屋くんと不破くんはなんでここにいるんですか」
「だからさっきも言ったじゃないか。飯を食べにきたんだ」
「え、っと……」
「それ以外に何がある?」
「三郎、もうそこらへんにしときなよ。ごめんね、雛さん。雛さんが一人でここでご飯食べてるって聞いたから三郎が……」
「雷蔵が、の間違いだからな。私は別にどこで食べようと同じだと思っただけさ」

 隣から聞こえる雷蔵の苦笑を耳にしながら、目の前の彼女を見れば、ぽかんとした顔があった。

(……あほ面)

 彼女が瞬きを数回繰り返した後に、そっか……なんて無意識だろうが本当に嬉しそうに零したものだからむず痒さを覚えたものだ。

 この人は、食堂の手伝いを再開してからというもの生徒と鉢合わせすることがないようにとこの食堂の勝手口から程近い木の根元で一人ご飯を食べるのだという。何もこんな、木の根元で地べたに座って食べることもないだろうにとも思うが、彼女がそうしたいのであれば何も言えなかった。今はまだ仕方ないとすら思う。そう、仕方ない。

 私たちはいつもなら同期五人で飯をいただくのだが、私と雷蔵は夕食当番で他三人と時間が合いそうになかったため、ならばせっかくならと彼女の元へとやってきた。おばちゃんも笑顔でこれには了承してくれたものだ。彼女は気付いているだろうか、貴方を心配している人がいるということに。今はまだ自分のことに精一杯で気付いていないだろうな。

 彼女の元へきて共に飯を食べるからといって、そんな大した話もしないしそれでいいとさえ思えた。雷蔵が時々、彼女に他愛もないことを尋ねたりして、世間話を口にするのを聞きながら、私は私で目の前の女人を見ていた。

 途切れた会話。生まれる沈黙。しかし、それは思ったよりも苦ではなく、居心地が悪いとは不思議なくらい露とも思わなかった。口の中に根菜を放り込んで咀嚼して飲み込む。湯呑みに手を伸ばし、茶を口に流し込む。そのままの流れで彼女を見れば、小さな一口を口に運んで――……。

「ぶはっ……!」
「ッ!? ど、どうしたの、三郎」

 思わず噴き出してしまった。
 だって、あの顔はないだろう。笑われたと気付いたらしき当の本人だが、それどころではないようで水を飲み干している。

「だってさ、あんた、顔……!」
「っ…………!」
「雷蔵、お前も見ればよかったのに。もっかいやってくれ、西園寺さん」
「どんな顔ですか……はあ、苦かった……」
「雛さん苦いのだめなの?」
「だめってわけじゃないんだけど……あまりにも、苦すぎてこれ」

 彼女が苦いと形容したソレは、確かに苦味のある山菜が少々使われていて苦味はあるかもしれないが、調理されて別にそれほど苦いものではないはずだ。現にそれを聞いて口に運んだであろう雷蔵も、そんなに苦いかなぁ? なんて言っている。またそれを聞いた彼女は「この時代じゃ普通かもしれないけど、私にはきついよ……」とそう言ってのけた。

(この時代、ね……)

 彼女が意識的に使っていないのははっきりしている、あの顔はない。涙が滲みながらも口をパクパクとまるで魚のようにして顔を歪ませたときの顔といったら素晴らしかった。思い出してくつくつ笑えば、苦虫を噛みつぶしたような顔をした目の前の女人。それもまたおかしくて、笑ったら雷蔵に諌められてしまった。流石に失礼だったか。

 それからというもの、また沈黙が支配する時間もあったりしたが、やはりそれほど苦ではなかった。気まずさはそれなりにあるものの、嫌な雰囲気は一切なくて、寧ろひどく落ち着いている自分がいた。天才、と周囲には称される自分がまだ完全には信じ切っていない人の、しかも女の近くで落ち着くなんてと内心嘲笑ったが。

 それでも。
 落ち着くものは落ち着くのだから、仕方ないだろう。自分の心を覆い尽くす必要は感じなかった。

 夕食の後片付けをして彼女と別れた後に、帰って来たらしいくのたまの四年生たちとすれ違いざまに挨拶をされた。その時点で気付き、何か行動に移すべきだったのかもしれない。重ねていく後悔に気付いても遅いというのに。

 ――夕食時は既に終わっているにもかかわらず、何故食堂に彼女たちがいたのか。


 ***


 壁に突き刺さったモノをおそるおそる横目に見れば予想通りクナイだった。
 忠告をしにきたのだと、彼女たちは言った。
 くのたまの知り合いである、ユキちゃん、トモミちゃん、おシゲちゃんの三人が言っていたことを今更になって思い出す。くのたまの上級生が帰ってきたから気をつけてください――と。

「私たちは信じない」

 静寂が支配する私の世界に突如として落とされた、静かながらも怒りを秘めた言葉。

「久々知先輩をたぶらかさないで」

(たぶらかす………)

 その言葉がやけに印象に残る。あの人、シオエくんという人にも言われたものだった。たぶらかしてるつもりはない、ないけれど、そう、見えるのかもしれない。

「未来からきた、なんてあり得ない」
「どうやってここに打ち解けたの」
「怪しい」

 私を取り囲むようにして立って、こちらを見上げてくる女の子たちの言葉はそれぞれ違うものの、一様にその響きには怒りや苛立ちといったものが込められていた。向けられて良い気は、しない。

「ねえ、なんか言いなさいよ……!」

 カカカッとよく時代劇か何かで聞くような音がしたかと思えば足元に刺さっていた手裏剣。暗いからよく彼女のたちの顔はよく見えないけれど、相当怒ってるに違いない。

(だって)
(なんて言えばいい……?)

 それからも彼女たちの言葉は止むことはなくて、だんだんとヒステリックな叫び声に変わっていった。


「貴方の味方なんか誰もいない」


 一切の表情を失くしたかのように、今までのヒステリックで怒りに満ちた声を消して何の感情もなしに告げられた言葉。言葉は刃。言の葉の刃が、心の奥底にぐさりと突き刺さってどぷんと沈んでいった。

(味方なんか誰もいない)
(貴方の、味方なんか)
(誰も……いない…………)

「久々知先輩たちだって、貴方がただ可哀想だから今ちょこっと一緒にいるだけよ」
「だから調子に乗らないで」
「貴方がどう思おうと勝手だけれど、久々知先輩たちは優秀なんだから貴方のこと本当は信じてなんかないんだから……!」

(……かわいそう)
(わたしが、カワイソウ……)

「貴方みたいな女に、先輩は渡さないんだから!」
「先輩たちを盗らないで……!」
「これは忠告」
「痛い目に遭いたくなかったらさっさとこの学園を出ていって」
「ッ……貴方、泣きもしないのね」
「……感情がないんじゃないの?」
「私たちがどれほど我慢してるかも知らないくせにッ!」

(……彼女たちは、)
(彼らのことが好きなんだ)

 彼女たちの言葉が遠い世界のもののように聞こえる中でそう、思った。そして、去り際にもう一本クナイが飛んできたらしい。彼女たちが去った後に、一人伸ばした手の先には二度目の感触。頬から伝わるぬるり、とした感触に吐き気も起きない。どうしたことか、感覚が麻痺したみたいだ。

 見上げた空に、今日、月はなかった。


 ***


 自分でもわかってるよ。
 何度、同じことを思って考えて嫌になるほど知ったかわからない。鬱陶しくて構わない。私はヒロインなんてそんな器じゃないから、事実なんだから鬱陶しくてうざったくていい、いいのに。いいはずなのに。

(だから)
(傷つく必要なんてないのに)

 味方がいない、なんて知ってる。
 それでも、私に優しくしてくれる人がいるから自惚れていたのかもしれない。話しかけてくれるから、嬉しくて嬉しくて知らないうちにたぶらかしていたのかもしれない。私にそのつもりがなくても、傍から見ればそうだったのかもしれない。

 ああもう、言葉にも想いにもできない感情がぐるぐる渦巻いている。人間って複雑、いろんな感情が混じりに混じって感情がなくなってしまったみたい。

 ああそっか、って彼女たちの言葉を受け止めるしか私に為す術はない。

(……涙も出ないなんて)

 これじゃあ、ほんとに彼女たちが言うように感情の無い人間みたいだ。

「………………ッ」

 悪いことをしてしまったのだろうと思う。自分の好きな人が、想いを伝えたくても我慢するしかないほど好きな人が、怪しい、ましてや私みたいな女に盗られそうになったら冷静でいられるわけがないに決まってる。
 でも、ごめんってだけは言えない、言いたくない、お願いだから。ごめんなんて言ったら、全部偽りになってしまうような気がして。

(嘘でもよかった)
(同情でもいい)
(……可哀想な人でも)

 一時の気の迷いでもよかった。
 それでいいから、ワタシを認めてくれたのなら、それだけでいい。

 ねえ。
 神様がいるのならどうか教えてください。

 臆病な私を捨てて、ありったけの勇気を振り絞ってでもこの学園の外に行けば誰も傷つけないで済みますか。この学園を出たら帰れますか。帰りたいとあと何度、何日、どれくらい願えば叶いますか。どろどろした感情を持ったらダメなんですか。全部ここに来てしまった私が悪いというのでしょうか。

(ここにいたい、と)
(願うこともいけませんか)
(ああでも……出来ることなら)
(…………かえりたいな)

 それさえ叶えばもう。


 ***


「雛さん、おはようございます」

 朝、雛さんの姿を見とめて話しかけてみれば、反応がなかった。若干そのことに首を傾げつつ、彼女の目に自身の姿が映るようにしてもう一度話しかければ、今度こそ彼女はこちらを見た。

「……おはよう、滝夜叉丸くん」
「………………ッ」

 私の名前を呼んだ彼女の瞳の中に、静かな暗闇が視えた気がした。


(見ないよう触れぬよう)
(自らに蓋をしている)


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